• 投稿者:管理者  ポスト全体主義とは、何だろう?

    木村先生、貴重な教材データの提供ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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    2020/03/11 at 6:04 pm
  • 投稿者:木村 芳幸  ポスト全体主義とは、何だろう?

    この教材は新作です。この3月に実施しようと思っていたのですが、急な休校でかないませんでした。教材として練れていなかったり、誤字なども多少心配な面もあります。よろしくお願いします。ここ数日で過去の教材を投稿いたしました。こちらも併せて今後ともよろしくお願い申し上げます。

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    2020/03/14 at 10:00 am
  • 投稿者:武井 寛太  20世紀、大衆が社会の中心になった

    運営の方にお願いです。
    この教材のカテゴリーに「大衆化」を追加して頂けないでしょうか。ご面倒おかけしますが、お願い致します。

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    2020/09/29 at 1:57 am
  • 投稿者:管理者  20世紀、大衆が社会の中心になった

    武井先生、カテゴリー追加しました。ご確認お願いいたします。

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    2020/09/29 at 11:25 am
  • 投稿者:中村 大地  国はどのように戦争を正当化してきた?

    德原先生
    岡山県立新見高等学校で世界史を担当しております、中村と申します。大変興味深い教材の提供、ありがとうございます。拝見し、勉強させていただきました。
    よろしければ、
    ・ステップⅣ「いかなる状況の中で戦争が正当化されてきたのか」作成、ステップⅤ「探求する問いづくり」において、生徒さんがどのようなテーマ、問いを設定をしたのか
    ・ICT環境について(classroomを使用されているようなので、生徒が使用できるiPad等があるのでしょうか。もしくはPC教室等を利用されているのでしょうか)
    についてご教示いただけると幸いです。
    宜しくお願い致します。

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    2020/10/28 at 4:25 pm
  • 投稿者:徳原 拓哉  国はどのように戦争を正当化してきた?

    中村先生、コメントをありがとうございます。本教材、じつは今現在進行中でして、一つ目のご質問に関しては、改めてご連絡をさせていただければと存じます。この教材ページに、成果としてどのようなものが期待できるかという成果物のファイルをアップする形でよろしいでしょうか。
    また、ICT環境につき、本件中々ICT環境の整備が進んでおらず、貸し出し用のChromebookが何人か分ある程度でございます。
    幸い、BYODが開通しているので、生徒には自信のスマートフォンでBYODを利用していただき、フィルタなどでアクセスできない生徒についてはChromebookを貸し出して行っているという状況です。
    お答えになっておりましたら。

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    2020/11/02 at 11:30 am
  • 投稿者:吉嶺 茂樹  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

    実に面白く拝読しました。図版資料にも目が配られており、ポスターなどにも活用の目が届いています。設問は、ある程度の学校レベルで無いと難しい内容もありますが、何より「歴史総合のテストをやって評価までやっている」学校は神戸中等しか無いので、貴重な資料をUPして下さり感謝します。

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    2021/03/15 at 8:52 pm
  • 投稿者:矢景 裕子  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

    吉嶺先生、コメントありがとうございます。奥村先生からシェアの許可がついに下りまして、公開に至りました。
    ポスターや写真の大半は授業中で扱ったものなので、授業でちゃんと資料読解に取り組んでいれば解ける問題です。(とはいえ、設問の「文脈」を読んでその中で解釈しないといけないのですが)
    大問2の文字史料や、大問3のリード文は、テストではじめて見る資料です。大問2の資料読解は難しかったようで、そもそも[A]がどこの国か分からない生徒もいるようでした。([A]はドイツで、ホーチミンの写真を見てアデナウアーだと解答する生徒が一定数。なぜだ…)

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    2021/03/16 at 6:32 am
  • 投稿者:池田 良  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

    矢景裕子先生
    大変貴重なテスト問題の提供ありがとうございます。私は中学校現場で授業しておりますが、春からの3観点でのテスト例として大変多くを学ばせていただきました。1点だけ教えていただけないでしょうか。大問3のリード文の内容自体にも興味を持ちました。この文の前後も非常に気になるところです。このリード文の出典を教えていただけないでしょうか。どうかご指導よろしくお願いします。香川大学教育学部附属高松中学校 池田 良

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    2021/03/17 at 8:31 am
    • 投稿者:矢景 裕子  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

      池田先生

      こんにちは!コメントありがとうございます。
      リード文の本、奥村先生が遠方出張から戻り次第聞きますので、数日お待ちください。

      なお、サイト管理者の方が丁寧に考査の説明を書いてくださいましたが、実際のところ、「あ、これ3観点になってるやん」と思ったのは考査完成後でした。したがって、一応大問ごとにおおまかな観点はあるのですが、実際は大問2に知識の問題が入ってたり(問6)、大問3に概念理解の問題が入ってたり(問4(1))します。多忙を極める中ギリギリのスケジュールで作っているので、ちょっとバギーな問題(大問3問1(1)iii、そもそも地図中の記号が逆)もあったりします。採点コストは4.5分/枚と、決して低くないのも課題です。
      私も中学社会を教えているのですが(めっちゃ楽しい!)、観点別の考査は、本当にこれで各観点が評価できてるのか…?こんなに採点コスト高くて大丈夫か…?と悩みながらやっています。採点コストや評価コストを下げる方法があれば、ぜび池田先生にご教示願いたいところです。

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      2021/03/17 at 10:19 pm
      • 投稿者:池田 良  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

        矢景先生
        連絡ありがとうございます。本校では大日本印刷という会社の採点マシーン「DNP」を取り入れています。年間契約料を支払ってパソコンで行う物です。しかし長い文章を採点するのには適していません。労力は少し減っているように思います。また、本校では主体的に学習に取り組む態度は定期テストでは計らずにワークシートの記述等で行っています。これが大変で、貴校の高木先生の手法を取り入れようとしています。まだまだ緒に就いたばかりで、神戸大附属さんの先生方にこれからもしっかりと学ばせていただきたいと思っております。

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        2021/03/18 at 8:37 am
        • 投稿者:矢景 裕子  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

          池田先生
          コメントありがとうございます。採点マシーン見ました、いいですね。「もっと楽をしましょう」(そして空いた時間で楽しく歴史教育談義したり旅に出たり本を読んだりしましょう)という議論があんまり大きな声でなされないのが残念です。私も関心態度はワークシートで見ますが、「きっちり書いて提出できる真面目ちゃん」ばかりが関心が高いことになっているので、それなんか違うなーと考える次第です。高校3観点評価もすぐスタートするので、来年度いっぱいかけて、アイデアのシェアをしたいなと思っています。ぜひ池田先生からも学ばせていただきたいです。

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          2021/03/18 at 12:33 pm
        • 投稿者:野々山 新  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

          小田中直樹『世界史/いま、ここから』pp.319-322ですね。大阪大学歴史教育研究会編『市民のための世界史』に続き、同書が一石を投じた歴史教育の現状を再考する必要性に対して、ぜひとも歴史総合や各探究科目を通して教育現場から実践に基づく返答をしていきたいものです。

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          2021/03/18 at 10:14 am
          • 投稿者:矢景 裕子  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

            野々山先生
            情報ありがとうございます、それです。
            ところで今回の世界史Bの論述問題、野々山先生がシェアしてくださっていた、アンリ4世の資料読み取りの課題そのまんま出してみました。あれいいですね。ありがとうございました。

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            2021/03/18 at 12:35 pm
          • 投稿者:野々山 新  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

            【https://kodai-kyozai.org/2019/05/21/post-0179/】の考査問題ですね。この問題は、「記憶」を題材とする考査後の単元につなげていくために作成したものでした。利用していただき嬉しく思います。生徒の回答例や考査後の振り返りにおける展開などもお聞かせいただけると幸いです。

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            2021/03/18 at 5:43 pm
  • 投稿者:池田 良  歴史総合の考査(第一次世界大戦~現代)

    矢景先生、野々山先生
    この度の情報の共有、誠にありがとうございます。西日本の中学校に勤めるものとして、貴重な情報を得たり力強い実践ができたならば、何らかの方法でみなさんと共有して行けたらと思っています。

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    2021/03/18 at 3:58 pm
  • 投稿者:武井 寛太  「近代化」を読み解く問いを表現しよう

    お世話になっております。
    埼玉県立与野高等学校の武井です。

    些末な質問で恐縮ですが、シモン=ボリバルの「アンゴストゥーラ演説」の出典はどちらになりますでしょうか。教えて下さりますと幸いです。

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    2021/07/04 at 4:47 pm
  • 投稿者:本間 靖章  「近代化」を読み解く問いを表現しよう

    武井先生。こちらこそお世話になっております。
    お問い合わせありがとうございます。

    私が引用したのは、
    頼田敏之「シモン・ボーリバルの「ネイション観」」(神奈川大学大学院 言語と文化論集24)からです。
    CiNiiでボリバルを探していて、行き当たりました。論集は神奈川大学大学院のサイトで公開しています。

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    2021/07/06 at 8:35 pm
  • 投稿者:吉嶺 茂樹  日本は単一民族国家か? アイヌから日本のナショナリティとエスニシティを考える

    星先生、北海道高等学校遠隔授業配信センター・吉嶺です。指導案を拝見しました。細かいところですが、10頁…二谷ダム建設反対運動(二谷風地区はアイヌ人の聖地)は、「二風谷」の誤植ではないかと思います。「アイヌ人の聖地」の「人」も、こうしたテーマでは表現が難しいですね。教科書に掲載される江戸時代のアイヌの習俗に関する絵画もスケッチしたわけではないと思います。私は世界史の教員ですが、世界史の中で北方史を考える意味はこうした問題自体を相対化することに意味があると考え実践を続けている次第です。今後ともよろしくお願いいたします。

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    2022/04/16 at 7:06 am
  • 投稿者:星瑞希  日本は単一民族国家か? アイヌから日本のナショナリティとエスニシティを考える

    吉嶺先生。ご指摘ありがとうございます。1点目につきましては脱字になります。何度か修正している際に風が抜けてしまいました。仰るように正しくは二風谷になります。2点目につきましては表記をとても難しいところであります。この難しさは「日本人」を定義することが一筋縄ではいかないことを理解する本単元の課題が内包されていると思います。授業を行っていると、生徒からアイヌなのかアイヌ人なのか、また日本人とアイヌはどういう対応関係なのかといった質問が出てくるため、授業を一度中断して、毎回考えています。

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    2022/04/17 at 5:34 am
  • 投稿者:徳原 拓哉  「近代化」は現代を生きる私たちに「豊かさ」をもたらした。(問いを表現する)

    武井先生
    いつもお世話になっております。横浜国際高等学校、徳原です。
    教材について、興味深く拝見いたしました。特に問い作りに至るまでの思考過程を丁寧に示してあり、そのままウチでも使いたくなる教材で勉強になります。
    教材紹介のところで記載されている「問いを再考する」との関連でお話を伺いたいのですが、最初の問い作りのところでは「自分ごと」化が焦点になっており、「問いの再考」においてはそれを単元内容と関連させて「概念化」するというステップを踏んでいるように理解をいたしました。
    この「自分ごと」と「概念」の往還、意識ないし関心の移行はこれまでだけでなく、今後の教材開発のクリティカルなポイントになってくるように先生の実践を拝見していて常に思います。この点で、現状生徒の思考の移行や関心の移行、そのための仕掛けについて考えていらっしゃるところはございますか。

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    2022/05/14 at 1:14 pm
    • 投稿者:武井 寛太  「近代化」は現代を生きる私たちに「豊かさ」をもたらした。(問いを表現する)

      お世話になっております。埼玉県立与野高等学校の武井です。
      「問いを再考する」の授業が終わったのでお返事いたします。
      生徒の思考の移行と関心の移行ですが、いわゆる「自分ごと」化はほとんどされていないように感じました。ただし、それは「自分ごと」を狭い意味でとった場合のことで、自分自身が直面する切実な問題として現代的諸課題を把握している様子が見られないというだけのことです(例「私は性差別を受け、理系は無理だと言われている!」「私自身にも差別意識があって外国人労働者に対して不審な目を向けてしまっていた!」といった内省は現時点ではまだ見られない)。一方で、生徒は人種差別や性差別、国内および国家間の貧富の差といった「概念」に気付くことができるようになっており、それが「私たちが考えなければならないこと」として「自分ごと」化しているかもしれません。それについては単元が終わった後や次の単元などで注視していこうと思っております。
      ところで、昨年度までの実践の中での経験則ではありますが、現代的諸課題やそれを形成した歴史に関わる「概念」は、やはり(上記でいう狭義での)「自分ごと」化して定着してるな、と思うことが多いです。たとえば、ある男子生徒が「先生は家事も育児も仕事もして凄いですね。あ、でも、そう思うこと自体が問題なんですよね。家事も育児も、男にとって普通だから」と話しかけてくれたり、「私は差別意識など持っていない人間だと思っていたが、近所の外国人を避けていることに気付きました」といった感想が見られたりするなど、「自分ごと」と「概念」が往還する中で「概念」が定着するように感じています。
      そのための仕掛けではありますが、現代的諸課題の歴史的過程を学ばせる際にも現代の視点を示す資料を提示したり、あるいは直接現代に関わることを主題にして考察させたりすることが有効なのではないかと思っております。たとえば第一次世界大戦後に女性が解放されたか否かを考察させる歴史の授業の中でも、現在の日本で女性議員が少ないこと、M字曲線(2つ目の山はパート)、世紀班のステレオタイプが個々のパフォーマンスを左右させることを示す心理学の実験などを紹介することで、「制度的には解放されたが意識が変わらない限り差別は続く」といったことを身近なテーマを結び付けて考えることができるようになっている気がしております。また、移民については「移民が与える影響は何か」と発問し、その予想で「治安が悪化する」などの素朴概念を表出させたうえでそれを覆す資料を示すことで、生徒の理解が更新されたことを確認してきました。黒人差別についても同様です。
      翻って歴史総合の話題に戻りますが、現時点ではまだそのような授業を行うことができていません(まだ6月、計11回の授業しかしていないので仕方ないと割り切っています)。B中項目(4)や「大衆化」でより一層、「自分ごと」として考えられる仕掛けを増やしていこうとは思っております。
      お答えになっていれば幸いです。

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      2022/06/11 at 12:47 pm
  • 投稿者:三谷 博  日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。

    三谷 博(もと東大、いま東洋文庫)です。長いコメントになりますが、適宜、取捨して下さい(ファイルで送れると便利ですが)。
    武井先生の「国民統合」に関する教材を拝見しました。専門に近いことなので、少し意見を述べさせていただきます。
    ・私はお使いの山川教科書の執筆には関与していません(資料1の江戸時代の国制図はもとは私が書いたものですが)。したがって、著者と違う見解を記すかも知れません。
    ・MQの目標と思考は極めて妥当と存じます。
    ・新政府による変革で、各項目の配置順にはやや違和感があります。「(1)国会開設の出発」。結果的にはそうではあるものの、結論先取の嫌いがあります。明治元年に何が大事だったかというと、むしろ「(2)中央集権化」であり、その直接の結果が「(3)身分制度の解体」でした。国会開設はその後、明治7年から課題として論議され始めます。
    ・なぜ、「中央集権化」が緊急課題となったかと言いますと、それは、西洋との交際が始まり、いろんな意味でその従属下に組み込まれる危険性が生じたからです。二人の君主と260以上の小国家の連合体(私は「双頭連邦国家」と呼んでいます)のままだと、それを防ぎきれない。幕末10年の間、徳川と朝廷、徳川と大名、大名と大名が対立し、一部は戦争になりましたが、そんなことを続けたら西洋につけ込まれてしまう。そういう認識が大名を初めとする武士たちに共有されていたので、大名はあっさりと政権を手放したのです。あんな国内の政争はもうこりごり。そんな感じだったのではないでしょうか。
    この点は明治維新を考える際に不可欠の前提のはずですが、なぜか指導要領は落としてしまったようです。不思議なことと思います。
    先生のSQ3の直接の答えはここにあるはずです。
    ・次に、「国民国家」の理解ですが、二点ほど記します。
    ①文字通り、これは「国民」と「国家」を結びつけた語です。そして、実は国家統合と国民統合は別のことです(「国民」のいない国家統合の典型は、近世までの帝国)。明治維新で最初に行われたのは、二人の君主を一人にし、二百数十の小国家を一つにする「国家統合」です。そのあとにきびすを接して「国民統合」が課題となりました。まだあいまいな存在だった「日本人」を創りだすことです。
     資料には、教科書の引用がありますが、その最初の部分はよくある間違いです。「同じ言語・文化・宗教など共通のアイデンティティをもつ集団」を「国民/民族」と定義していますね。これが当てはまる巨大人口は日本と韓国・朝鮮にしかいません。USAでは、主な言語は英語とスペイン語で、宗教はキリスト教以外にも様々なものがあります。この定義ではアメリカ人は「国民」ではなくなってしまう。インドでも、インドネシアでも、中国でも同様です。近代にはどこでも「国民」が創られてゆきますが、均質性はその必須の条件ではないのです。では、「国民」とは何なのでしょうか。「ある国家を単位に、ウチとソトを差別する集団」。異質な外部さえ指摘できれば、「我々」が成立するのです。(拙著『日本史の中の「普遍」』第3章、ないし『明治維新を考える』第1章)。これは、国境を一つの線でひき、壁を立てる近代国家の癖とリンクしています。
     無論、これだけでは不安定なので、政府は住民の間に何とかこの国家アイデンティティ(国家との同一化)を植え付けようとします。国家行事を繰り返し、そこで国旗・国家を意識させる。大リーグに見られるように、民間行事でもそうする場合がある。それに次いで、標準語の制定と普通教育による普及が続きます。これはお書きになっている通りです。その他にも、いろんな方策が施され、その結果、日本人はゆっくりと均質化されてゆきました(言葉で言えば、地元の言葉と標準語の二重言語生活をするようになる。広島に生まれた私は、資料2の車中エピソードと同じ事を1968年の山形駅で経験しました)
     もし日本史を世界の中において考えるなら、この順序で考えないと、子供たちは世界を誤解してしまいます。一国内に文化が複数あるのはいけない、一つに揃え、随わないものは排除しよう。このような運動が勢いづくと激しい争いが生じ、例えばインドのパーティション(インド・パキスタンの分離)のように、何千万人もの死者を出してしまいます。いまもあちこちに見られますね。
    ②「国民」と「市民」。Nation と citizen. この2語が差す集団はほぼ同じですが、使われるときの文脈と意味が違います。「(4)財政の安定化」で述べられていることは、「市民」の文脈です。この社会を共有財産と見なして、それを維持するために、その経費を住民全員が富に応じて分担する。従来は免税されていた、もと武士も、寺社も、被差別身分も、みな税金を払うことになりました(被差別身分の撤廃はこの課税という文脈で行われたもので、高尚な理念からではありません。とはいえ、そのおかげで原則平等になりました。以後続いた差別は民衆の間の慣習によります。法的な平等は超長期的には大きな意味を持ったので、軽視できないと思います)。
     「市民」は「公共」の問題のケア、処理という内向きの言葉です。これに対し、「国民」は外部と差別するとき使われます。明治以降の日本ではこの両面を「国民」の一語で表現するようになりました。お隣の韓国もそうです。この用語法の下では、この社会を良くしようという真っ当な努力が、「国家」への動員に引き寄せられ、外国との対立を生みがちなので、注意が必要と思います。
    ・最後の頁ですが、「地方の人々は天皇についての知識を何も持っていなかった」とあります。多分、これは戦後日本でよく語られた俗説。中世であろうと近世であろうと、大抵の日本人はミヤコとミカドという観念は持っていたはずです(一寸法師の説話)。統計がとれるなら僅かなはずの例外を逆の一般現象と見なすのは不思議な思考と思います。

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    2022/06/21 at 1:28 pm
    • 投稿者:武井 寛太  日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。

      ご多忙の中、コメントして頂きたいへん恐縮しております。全てを消化しきれるわけではありませんが、咀嚼できたものから順にお返事できればと考えております。

      1.1枚目の(1)~(3)の順番について
      教科書付属のノートを思考停止で張り付けた結果であり、教材研究不足を改めて実感いたしました。次に教材化する時には先生のご指摘を踏まえて作成したいと思います。

      2.中央集権化が緊急課題となったことについて
      教材研究不足でどの文献に当たれば良いか分かりませんが、それが端的に明記されている本(高校生が読めそうなもの)があればそれを引用し、資料にしたいと思います。知識構成型ジグソー法は、資料を豊富に用いることができる手法ですので(それが主眼ではありませんが)、柔軟に教材を改変することができるのも魅力です。ご指摘を踏まえ、さらなる教材開発に努めます。

      3.国民国家について
      これについてはとても迷った末の教材開発でした。先生のご指摘の内容は把握したうえで、1時間という限られた時間の中で高校1年生を相手に何を扱うかを考え、教科書にのっとりつつ、このような取捨選択をした次第です。この点が教師としての専門性が問われるところであって(ゲートキーピング論と言われています)、しかしその一方で歴史学の議論を取捨選択する過程で不十分な理解に留まらせる可能性のある、教材開発の難所ともいえます。
      まだ改善案を示すには時期尚早かもしれませんが、たとえば私の別の教材「国民国家」では、Aフランス、Bドイツ、Cラテンアメリカを扱って包摂と排除の問題を扱っていますが、そこをAフランス、Bドイツ、Cオスマン帝国とすることで、「同じ言語を持つ集団=民族」というミスリードを持たせつつも包摂と排除についてはきちんと理解させ、時間があるならば(「近代化と私たち」は扉を含めても17時間しかない!)、次時に「同じ言語を持つ集団を国民/民族と呼ぶ、という教科書の定義は適切なのか?」というMQを設けて、Aラテンアメリカ、Bアメリカ合衆国、Cナショナリズム論、という教材を作成するのはどうかと思い付いているところです。こうした積み重ねの上で、明治維新の国家統合と国民統合の本教材(を改良したもの)を扱えば、随分と改善されるのではないかと考えております。

      4.天皇について
      これについては学術的な議論を踏まえていないので初めて知りました(私が引用した本も戦後日本史学のものですし)。このあたりに厚い概説本はご存じないでしょうか。

      5.最後に
      全てのコメントに対する返信はまだできておりませんが、専門知を有する歴史学者からのご指摘はたいへん貴重です。私自身が浅学で、そこからの議論ができず頂きっぱなしで申し訳ないのですが、一方で、このコメントは私の教材を参照する人すべてに開かれており、各授業者はそれを見たうえで教材開発をすることになります。また先生の熱いメッセージを読み、先生が紹介してくださった著作を読もうとする授業者、このご指摘から教材研究を深めた(深めようとする)授業者が既に何人もいることをSNSを通じて確認しております。このように、見えないところで「議論」と「対話」(先生のコメントと各授業者の)が深まっており、「高大連携」が進んでおります。今後ともご指摘頂けますと幸いです。

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      2022/06/25 at 6:49 pm
  • 投稿者:三谷 博  なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか。

    意欲的な教材作成、深い敬意を表します。今度は私の専門外ですが、拝見して日頃の疑問が再浮上しましたので、メモしてお目にかけます。以下に記すことには、現在の教育界や学界の常識に反するものが多いはずです。
    MQ.「なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか」
     近代史上の大問題と存じます。日本の場合、これは今なお引きずっている深刻な問題なので、生徒たちに適切な解説とアドヴァイスを与える必要があります。
     その上で申しますと、やや表現に難があるか、と。①「帝国主義諸国」と「植民地支配」は同義反復に近く見え、しかもズレがある。
     18・19世紀に関する私の知見では、蘭・英・仏は、最初から領域支配を目的としていたわけでなく、貿易をめぐる現地政権との衝突からその拠点の領域支配を始め、紛争が生ずるごとにそれを周囲に拡張していったように見えます(オランダとジャワの関係)。
     また、イギリス学者の「自由貿易帝国主義」「非公式帝国」の概念に示されるように、領域支配を伴わない貿易上の優位、それに基づく国際関係の決定力(紛争で自分の意思を相手に強制する能力)も、帝国主義に含まれるかも知れません(今のアメリカや中国は?)。
     さらに、19世紀末からの「帝国主義の時代」で顕著なのは、西洋列強が必ずしも富を約束せず、衛生上も危ない土地(アフリカが典型)で、勢力範囲を争ったことです。ここでは、利権よりは、他の列強との抗争、あるいは「軍事的栄光・権力の誇示」が主題になっていて、素人目には、現地、現地民との関係は二の次だったように見えます。(いまのロシアのウクライナへの態度にも通ずる)。
     つまり、「帝国主義」には様々な意味があり、「何が目的だったのか」を特定するのは難しいように思います。これに対し、「植民地支配」は領域支配の有無という点で、はっきりとした像を結びます。
     西洋列強が19世紀に行ったことは、貿易 → 不調 → 戦争 → 貿易・軍事拠点の確保 → 自己に有利な条件の強制 → 場合によっては「面」の支配(例:インド。オーストラリアのように国家のなかった場所では、文字通りに「植民」したので、初期から)。
    SQ1 帝国主義の定義
     「資本主義的な経済成長をとげ、軍事に強力な国家を形成」を目印にすると、現在のアメリカや中国・ロシアがその典型となります。また、社会主義国でも、ソ連のように、勢力圏の拡張や他国の支配に熱心な国がありました。もし、勢力圏の拡張を問うなら経済体制は関係がありません。
     また、現在の資本主義は国境を越えた金融・貿易・移民を特徴としていますが、これらと帝国主義のどこが違うのか、説明が必要となるかと存じます。
     ここでもまた、土地の独占・排他的な支配の有無が目印になるように思います。
     東京書籍の定義は、19世紀末に起きた傾向の描写で、厳密に言えば定義ではありません。また、前段には原因らしきものが書いてありますが、上記の通り、不十分です。なぜ列強同士の競り合いが激しくなったのかの説明がほしいところです。
    SQ2のAについては、やはり、現在との違いが気になります。市場の場合は、特定地域の独占は香料のような特産物の購入以外はさして利益のあることではなかったはずです(売り込む場合、相手が貧乏なままでは儲からない)。資源の場合は、独占すると大きな利益になることは、現在の石油や希少金属を見れば分かります。これは資本主義か否かをといません(20世紀以前にはそれしかありませんでしたが)。
    SQ4に続く、インド綿工業の衰退については、植民地支配以前のことだったことが気になります。イギリスとの自由貿易が産業構造の転換を強いたようです。しかし、これは19世紀前半だけでなくて、現在の世界、至る所で起きていることです。市場のグローバル化が、一方では資源の流出、先端産業との競合分野の衰退、他方では、在来産業の一部やサーヴィス産業の活性化を生んでいます。明治日本の木綿関係産業の場合には、綿作・紡績・綿織のうち、綿作が消滅し、紡績と綿織は成長しました。問題は衰退産業の労働力が成長分野に移動できるか否かです。アメリカ中西部の鉄鋼産業、ついで自動車産業が国際競争負けたとき、移動できなかった人々は深い怨念を持つようになり、それがトランプ登場の背景になったことはよく知られるとおりです。インドの場合、ガンディーが植民地支配からの解放を主張したとき、糸車による紡糸の再興を象徴として取り上げましたが、それが有効な経済的アイデアであったか否かは、別問題です。
    SSQ2の人種差別観は未だに重要な問題で、なかなか抜けません。西洋側でもできるだけ公平に勉めようとする人がいますが、それでも見落としがあります。無論、日本人もそうした被差別・差別の主体です(東アジアでよく見かけるのは、トップに西洋、自国を2番目、隣国を最下位に置く序列観)。
    現代世界の富や健康状態については、次がリアルな姿を見せていて、必読と思います。
    ハンス・ロスリング『ファクトフルニス』日経BP,2019年
     冒頭のクイズ13問に対し、世界各地の経験豊富を自認していた私は惨敗しました。高校の先生方はぜひチャレンジしてみて下さい。

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    2022/06/21 at 4:39 pm
  • 投稿者:三谷 博  清の開港と日本の開国によって、東アジアはどのように変容したのだろうか。

    「中国の開国と日本の開国」についてコメントします。
    MQ① とくにありません。
     ② これは大事なポイントです。自国と隣国を比べて相手を見下げることは、今後の東アジア人、いずれにとっても、健全なこととは言えません。とくに、中国人も韓国人も「すでに日本より上」と思い始めた現在、日本人がこうした序列観に囚われ続けると、心理的な混乱を大きくする懸念があります。
     むしろ、それに代わって、19世紀後半での両国の差異がどうして生まれたのか、それをきちんと理解する必要があります。
    開国を機に両国の軌道に大きな差異が生まれたのは事実です。その原因は、西洋との条約の差異だけではありません。むしろ、政治改革の有無が決定的でした。日本の場合、19世紀に入ってから強化された鎖国政策がペリー来航による反動を生み、政体が壊れて徹底的な改革への道が開かれました。中国の場合は、18世紀から大規模な貿易を経験していて、アヘン戦争は大きなショックにはなりませんでした。また、日本と違って科挙官僚制という確立したメリトクラシー・システムがあったため、政治改革の必要性は認識されませんでした。このため、中国が改革を考え始めたのは、日本の1858年に対し1898年。つまり40年後のことになったのです。経済面だけを取り出せば、清朝末期も辛亥以降も中国経済は発展を続けており、上海の殷賑を見れば分かるように、日本より豊かだったと言えます(人口割りにすると別問題)。
    中国は革命後、内戦を長年月にわたって続けましたが、鄧小平がそれを終わらせ、ようやく本来の実力を発揮できるようになったように見えます(それには自由の抑圧という大きな代償も伴いましたが)。ともかく、日本についても、中国についても、こうした200年くらいの長期の動きを通観しないと、冷静な見方はできないのではないでしょうか。
    なお、次の拙稿も参照して下されば、ありがたく存じます。
    「19世紀グローバル化への対応―中・日・韓三国の分岐」、『日本史からの問い』白水社、2020年。

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    2022/06/21 at 5:43 pm
  • 投稿者:三谷 博  日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。

    武井先生。しばらく別の仕事に没頭していたため、お返事が遅れ、大変失礼いたしました。真摯なお返事をいただき、とてもうれしく思います。先生のご質問やアイデアには、私も即答できる十分な用意がありませんが、ともかく、いま分る範囲でお答えします。
    2の中央集権化に関する文献ですが、実は困惑しました。といいますのは、対外危機が中央集権化を促したというのは、維新史の研究者のほとんどすべてが共有している認識で、それを明示的に述べた単著はないように思えるからです。幕末にはそうした危機感を述べた史料は山ほどあるのですが、いま最近の代表的な概説書の青山忠正『明治維新』(吉川弘文館、2012年)を見ても、著者の関心はもっと深い分析に向けられていて、この問題は体系的には書いてありません。(私の『維新史再考』NHKブックス、2017年は、グローバル化の文脈と民主化の源流に注目した本ですが、やや分厚すぎるでしょうか)。ただ、明治期に関しては、勝田政治『明治国家と万国対峙』(角川選書、2017年)という、そのものズバリのタイトルの本があります。ただし、中央集権化が行われた廃藩置県から叙述が始っていて、尊攘運動が猛威を振った幕末期は抜けているので、これ1冊でOKとは行きません。高校生にも読んでもらえる一冊の本というと、ひょっとすると新書にあるかも知れませんが、私自身は読んだことがないので推薦が不可能な状態です。
    3については、とても良いアイデアを提示されていて、私自身もなるほどと思いました。最初に通念で議論し、次回にそれを覆すというのは、生徒に納得してもらいやすい組立てと存じます。
    4についても、よい参考書を知りません。天皇論というと沢山本が刊行されていますが、学術的な根拠をしっかり持った体系的な書は意外に少ないようです。その中で、とりあえず、次を挙げておきます。安丸良夫『近代天皇像の形成』岩波書店、1992年。その第1章に、近世と近代の間の連続説と断絶説について明快な説明があります。
    というはなはだ不十分なお答でおはずかしい次第です。こうして、高校での授業の工夫を伺ってみると、我々研究者は、大きく重要な問題についてほとんど何も書いておらず、つくづく役立たずなのだなと反省しています。私は、民主化の初期については、いずれ清水書院の「歴史総合パートナーズ」の一冊として書くつもりですが、それだけでは到底、教室現場の需要に応じきれるものではありません。今後、どんなことをすればお役に立てるのか、仲間と一緒に考えねばならないと痛感いたしました。今後もよそしくご教示をお願いいたします。

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    2022/07/05 at 6:11 pm
  • 投稿者:吉嶺 茂樹  日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。

    武井・三谷先生。北海道@吉嶺です。この間の学問的なやりとりを襟を正して拝見しました。おそらく、連携研の存在意義は、こうした現場の教材(や素朴な疑問)に対して、研究者の側からのリプライがあり、それによって自分の教材が深められていく、ということを教員自身が経験する過程を通して、教員自身が「歴史的に考えるとはどういうことなのか」を「史実に基づいて考えていく」ことにあるのだろうと思います。このタグは維新史の教材について、ですが。それが広がっていけば、原始古代~現代まで、基本的には一人で生徒と向かい合う教員教材の各時代のバージョンアップができます。歴史総合の目的は「歴史の学び方を学ぶこと」にあると思いますが、それは今回のやりとりのようなことを通じて教員が学べることだと思われます。そのうえで、維新~明治初期にさまざまに行われた施策は、北海道の近代化のありかたとパラレルになります。開拓使が行ったことはうまくいったことばかりではありませんが、総じていえば「十年間の期間限定で一つの模擬国家をつくるくらいの権限」を与えられた(とわたくしは理解しています)開拓使長官が、個別具体的に何を考えてそれがどういう政策になったのか、それを(もちろん全部はおいかけきれませんが)各自の場に住む北海道の生徒が知ることを通じて、自分の身の回りが理解でき、それが最終的に北海道から見る生徒自身の中の国家認識につながっていくと考えます。私自身は幕末期ソウヤ場所史料の勉強を延々と、片手間に続けている世界史の教員ですが、たぶん日本史でも世界史でもない、幕末期の対外関係に翻弄された二人の御用所役人の記録に示される苦闘は、大きなところからの三谷先生の指摘をうらづけるものと思われます。

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    2022/07/11 at 7:27 pm