• 投稿者:寺前 駿  ギリシア人の都市国家

    和歌山県立文書館の寺前駿と申します。 歴史総合を学習した上での世界史探究の授業を行うという新学習指導要領の特徴を生かした実践であり、大変興味深く読ませていただきました。 2つ、質問があります。 1つ目は、単元を貫く問いがありますが、この場合の「単元」とは今回投稿された2時間の授業のことでしょうか。もし違いましたら、授業時数と学習する範囲を教えてください。 2つ目は、今回投稿された授業の後に学ぶと考えられる衆愚政治やヘレニズム文化、古代ローマはどのように位置付けて授業をされますでしょうか。「市民」という視点を取り入れた授業をなさるのでしょうか。 お手数をおかけしますが、お答えいただければ幸いです。
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    2024/11/28 at 12:57 pm
    • 投稿者:加藤 隆浩  ギリシア人の都市国家

      和歌山県立文書館
      寺前 駿 様

      こんにちは。返信が遅くなり,大変申し訳ございません。
      貴重なご質問,誠にありがとうございます。

      ①この単元を貫く問いというのは,詳説世界史探究(山川出版社)第4章西アジアと地中海周辺の国家形成の「2ギリシア人の都市国家」における問いです。
      第1時:【ポリスの成立と発展】【市民と奴隷】【アテネとスパルタ】
      第2・3時:本時【民主政への歩み】
      第4時:【ペルシア戦争と民主政】【ポリス社会の変容】
      第5時:【ヘレニズム時代】
      ※文化史はローマの文化史とセットで行う。
      これらを学習後,OPPAシートというものを通じて単元を貫く問いに答えます。
      いわゆる学習前の仮設を素朴概念として明記させてありますが,これらの学習を通じて歴史的・科学的な概念として論述ができます。この変容を特に私は世界史探究の授業で意識しています。

      ②はい。「市民」は意識して授業を行います。「民主政の歩み」において重装歩兵が生徒の「市民同士の相互的な団結を要請した」という理解を大事にし,それがペルシア戦争の三段櫂船という形で無産市民にも拡大していくことで民主政の拡散を実感させます。ここでも生徒は「市民団協調の誇示があった」と語ります。この「誇示」というのは近代的な「革命」のエネルギーと似ている,もしくは目的が異なるから似ていないなど,生徒の反応は様々です。古代ギリシアの文化史を見てみても,例えばソクラテスのような無知の無自覚というのはある種「市民」再考のきっかけを与えてくれるようなものであると感じます。ヘレニズム時代を通して,市民をはじめ「個」や「協働」という考えが輸出されると,例えばインドにおいて「菩薩信仰」が生まれるところにも起因しているのではないだろうかと感じます。
      古代ローマ市では「共和政」の在り方の授業までは意識しています(ポエニ戦争ぐらいまでいくと,もうこの「市民」というのは授業のメインとしては据えません。)。
      聖山事件などローマ共和政のところではギリシア史との連綿性を意識して,市民団協調のエネルギーをテーマにしています。

      ご質問にお答えできているか不明であり,自信はあまりないのですが,少しでもご理解いただけたらと思います。

      加藤隆浩(都桜町)

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      2024/11/29 at 5:54 pm
      • 投稿者:寺前 駿  ギリシア人の都市国家

        加藤先生、ご返信ありがとうございます。生徒の反応も教えていただき大変勉強になりました。
        古代ローマのところでの共和政を取り上げる事とても共感しました。私はここから、民主政と共和政の比較や、近代のヨーロッパだけでなく、アメリカ独立革命のところまで考えることができそうと思いました。大変、面白い教材、そしてご返信ありがとうございました。

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        2024/12/06 at 1:32 pm
  • 投稿者:寺前 駿  日本の人種差別撤廃条項案には、どのような問題があったのだろうか?

    和歌山県立文書館の寺前駿と申します。
    私は昨年度まで高校の教員をしていましたので、その目線から質問になるかと思います。
    1つ目の質問ですが、この教材のMQ「日本の人種差別撤廃案は、現代的な価値観からすれば十分に肯定されうる内容だと思われる。それにもかかわらず、なぜ当時の世界においては却下されたのだろうか?SQでの議論を踏まえて考えなさい。」に対する想定される解答はどのようなものでしょうか。特に「SQでの議論を踏まえて」とのことで、私はSQ2の「日本の人種差別撤廃案には、どのような問題があったのだろうか?」の議論を踏まえた場合、どのような答えを想定されるのかが気になりました。
    2つ目は、この題材のときには「人種差別撤廃条項案を早い時期から提出した日本スゴイ」として、当時の日本の植民地支配を軽くみる(美化する)発言が学生から生まれる気がします。私自身、この向き合い方がとても難しく感じています。このようなとき、北村先生はどのように向き合われますでしょうか。上記のSQ2が、1つの答えのような気もしますが、お考えを教えてください。
    私自身、日本の人種差別撤廃条項案について不勉強なせいで未熟な質問かとは思いますが、お教えいただければ幸いです。

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    2024/12/06 at 1:52 pm
  • 投稿者:寺前 駿  賊って何だ?

    和歌山県立文書館の寺前駿です。
    単元の構想の起点が、生徒たちが自身を立脚点として歴史的事象を善と悪で区分しながら学んでいるとのことでした。そこで「賊」というキーワードを設定されて、様々な「賊」に対する価値判断を生徒に求める問いをされていると思います。
    ここで「賊」という語句に注目したいのですが、「賊」は必ずしもイコール「悪」にはならないと思います。例えば、「義賊」など国家の視点から見れば「悪」だが、人々の視点から見れば「善」といったように「賊」=「悪」と完全に一致しません。私は、この「賊」が視点によって価値判断が変化するという点に野々山先生がこの単元に「賊」をキーワードに置いた重要な理由があると思いました。
    そこで、野々山先生がそのまま生徒に当時の人々の視点に立って歴史事象を「善か悪か」という価値判断を求めるのではなく、今村先生の教材も踏まえながら、あえて生徒に「賊」に対する価値判断を求めた理由をさらに詳しく教えていただけませんでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/01/25 at 6:34 pm
  • 投稿者:寺前 駿  この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?

    和歌山県立文書館の寺前駿です。

    「記憶」の継承に関する実践ということで、アーカイブズ機関に所属する者として大変参考になりました。2点質問があります。
    1つ目は、同じ学校の先輩の記憶を扱うことによって、例えば教科書に記されているような他者の記憶(太平洋戦争期の人々の暮らしの記述など)に対する生徒の反応と違ったことはみとれましたでしょうか?
    2つ目は、3つのエキスパート資料でそれぞれ生徒との「距離感」が異なると私は感じましたが、読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違いはありましたでしょうか?(もちろん、エキスパート資料の『「誰か」の記憶』が朝鮮や台湾にルーツを持つ生徒の場合は「近く」、それ以外にルーツを持つ生徒の場合は「遠く」なるなど、生徒の背景によって「距離感」は異なりますが…) 
    山根先生がみとれた範囲でわかることがありましたらお教えいただけましたら幸いです。

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    2025/01/25 at 6:35 pm
    • 投稿者:山根友樹  この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?

      寺前先生
      こんにちは。コメントいただきありがとうございます。
      ①これは明確に異なる反応を観測しています。
      そもそものスタート(=プロジェクトを立ち上げた生徒からの要望)が、「教科書には書かれていない、”身近”な戦争の記憶を知りたい」というものでしたから、生徒たちは、自分たちの通っている学校、あるいは住んでいる地域と紐づく記憶に関する文章を、のめりこむようにして読んでいました。ジグソー活動中もさかんに対話していたと思います(内容が内容なだけに、「楽しそう」ではありませんでしたが)。反応としては、とにかく「全然知らなかった」という声が大きく、自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている様子でした。
      ただ、通常の授業(興味のある生徒もない生徒も混在する時空間)ではなく、有志の生徒が集まった授業(そもそも関心が高い生徒が集まっている時空間)でしたから、当然といえば当然といえるかもしれません。

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      2025/01/31 at 5:37 pm
      • 投稿者:山根友樹  この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?

        ②「読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違い」があったかどうか、についてですが、エキスパート資料の違いに由来するというより、生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違いの方を強く感じました。これ以上は私も何とも言えないのですが、教室空間全体としては、実は『「誰か」の記憶』に関する資料が、生徒たちにとっては最も大きなインパクトを与えていたように感じています。ここからは完全な推測ですが、やはり自分たちの足元から、「被害」の記憶だけでなく「加害」の記憶が噴き出してきたことへの驚きが大きかったのではないかと思います。
        ご質問への応答としてはいささか不足気味かもしれませんが、取り急ぎ。

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        2025/01/31 at 5:42 pm
        • 投稿者:寺前 駿  この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?

          山根先生
          ご返信ありがとうございます。
          生徒の反応を教えていただきありがとうございます。私自身、地域の歴史を学ぶことの意義について関心があったため質問しました。失礼な言い方になってしまうかもしれないですが、私が高校生の頃の感覚を思い出して想定してみると、同じ高校の先輩の戦時中の生活の記録を見たとしても関心が持てない気がしました。(これは2つ目の「生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違い」とも関連すると思いますが、高校生の頃の私は歴史に関心が高い生徒ではなかったからだと思います。)生徒たちが「自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている」ことは記憶の継承という点でもとても意義のある実践だと感じました。
          また2つ目の「加害」の記憶に関することは私自身が授業等でうまく扱うことの出来ていないと感じている視点のため、大変参考になりました。ありがとうございました。

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          2025/02/01 at 2:45 pm
  • 投稿者:野々山 新  賊って何だ?

    寺前さん
    ご質問ありがとうございます。
    まさにご指摘の通りに、生徒たちは「賊」と表現される存在の多面性を掴んでいくことを通して、「賊」(≒敵)という言葉が為政者の立場性を帯びる傾向があること、その側面に自身が無自覚であったことに少しずつ気付いていってくれました。
    この気付きを持つ中で、改めて善か悪かを問うてしまうと、「これは立場によって決まるのでどっちともいえない」と表現せざるを得なくなります。この学びは、ひいては相対主義につながるものと考えています。だからこそ、「「賊」って何だ?」と問うことで、歴史を評価することそのものに思考を向けていきたいと思ったのです。さらには、「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしているのです。なかなかそこまで到達することは難しかったのですが、生徒たちの価値観に揺さぶりをかけることはできたのかなと感じた単元でありました。

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    2025/01/25 at 10:45 pm
  • 投稿者:寺前 駿  賊って何だ?

    野々山先生
    お返事ありがとうございます。
    誤解している可能性があるので確認したいのですが、「「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしている」のは、これができるようになることで、生徒たちの「内在的な歴史へのまなざし」や「他者へのまなざし」を研ぎ澄ましてほしいという野々山先生が生徒たちにつけてほしい資質の1つにつながっているということでしょうか。このつながりをもう少し詳しく、また「他者へのまなざし」を研ぎ澄ますために歴史(学)を用いる必要性について野々山先生の考えを教えていただけませんでしょうか。

    また、本単元で生徒が相対主義にならないように問いを注意しつつも、一部で表れることがあったため、本単元の次に第10回高大研大会第2部会の野々山先生の報告「相対主義に抵抗するー世界史探究における私の授業理論ー」で紹介された単元につながるのかと思いました。世界史探究、もっと言うと歴史総合からの3年間を通した流れのうちにあるのだと感じる一方で、その時々の単元での生徒の様子をみとって、次の単元を構想されているのだと思いました。ここでさらに質問なのですが、野々山先生は、単元を構想されるときに科目全体としての目標とそれぞれ単元の目標の関係をどう位置付けていますでしょうか。例えば私の場合は、全体の目標をゆるく持って、それぞれの単元・授業をつくるときには、全体の目標を起点にするのではなく、そのときの生徒の実態や教育内容に関する知識(PCK?)を起点に全体の目標への方向性は意識しながら帰納的に作ろうとしています。

    本教材を超えた全体的な質問となっていますが、よろしくお願いします。

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    2025/01/26 at 3:34 pm
  • 投稿者:野々山 新  賊って何だ?

    寺前さん
    追記ありがとうございます。こうして授業を問い直す機会を設けられるのはオンラインならではですね。
    歴史の見方は、絶えず見つめ直し続ける必要があると私は考えています。なぜなら、置かれた環境や条件などで変容しうるものだからです。そのためにも、授業を通して「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識しています。
    歴史は生徒の日常に溢れています。マンガ、テレビ、小説、youtubeなど多岐にわたりますよね。ですが、この溢れている歴史に影響され、あるいは強い言葉で言うならば操作されている生徒もまた多くいます。もちろん生徒だけでなく、多くの市民も該当するかもしれませんね。この影響を与える歴史に内包された価値観または世界観を、意識的に吟味できることが、私は社会をより良くすることにつながると思っているのです。吟味するためには、史料に基づきながら適切な検証を経て解釈されていく歴史学の手続きを参照することが有用だと考えています。

    科目全体の目標と単元の目標の関係については、そんなに堅苦しく考えていません。何より授業を作ることで精一杯でして、例えば報告をしなければならないという条件などで後付けしていることの方が実態だと思います(オフレコですね!教材開発の時間がもっと欲しいです、切実に。)。ただ、やはり作成しているのが自分自身である以上、抱いている問題意識が通底した教材になってはいると思います。また、最優先は目の前の生徒に必要と考える視点や方法を措定することで、ここに扱う題材との親和性を勘案して調整しています。

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    2025/01/26 at 10:13 pm
    • 投稿者:寺前 駿  賊って何だ?

      野々山先生
      何度もご返信ありがとうございます。「「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識」との言葉、とても興味深く思いました。
      また、授業をつくることで精一杯とのこと、(現在、私はは継続的な授業を行っていませんが、)私自身にとって少し励みになりました。型を意識しすぎると、生徒の実態と離れていく感覚もありますので、そのあたりのバランスを大事にしたいと思います。ありがとうございました。

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      2025/01/28 at 12:15 pm
      • 投稿者:野々山 新  賊って何だ?

        寺前さん
        こちらこそ、ご質問いただきありがとうございます。おかげで自身の目標観を再確認するとともに、この単元のみでなく全体の中でどう位置付くのかを考えるとより洗練されていくと思えました。まだまだ世界史探究は始まったばかりだからこそ、この1、2年での成果を確認しながら、次年度以降に向けた改善の視点を明らかにしていけると良いですよね。コメントいただいたからこそ気づけました。引き続きよろしくお願いいたします。

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        2025/01/29 at 1:38 pm
  • 投稿者:野々山 新  「歴史総合」2024年度前期中間試験

    愛知県立大府高等学校の野々山です。
    歴史総合の評価問題について、ご提供ありがとうございます。固有名詞に依存するのでなく、概念理解を求めていることや、史資料の考察に関する妥当性の思考・判断を求めていることを特徴としてお見受けいたしました。歴史総合の特質に向き合って日々試行錯誤されている様子が浮かび上がります。
    気になるのは、本評価問題で評価しようとしている力量を、日常の授業でいかに高めてきたのだろうかという点です。よろしければ、このことについてもご教示いただけますと幸いです。

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    2025/02/01 at 5:38 pm
  • 投稿者:出﨑 幸史  「歴史総合」2024年度前期中間試験

    野々山 新先生

     出﨑です。コメントをいただきまして、ありがとうございます。ご指摘の通り、以前の教育課程に比べて固有名詞を少なくして概念の理解と資料の読解を増やすようにしました。試験では授業内で扱った同じ資料を利用して授業内の活動の理解度を測るもの、同時代の初見資料を見てその内容を読み解くもの(よく国語的といわれるものでしょうか)、授業で扱った事実を基にして初見の資料を見て学習して得たものと結びつけて考えるもので構成しています。
     授業は基本的に第一学習社の教科書の順に沿って、ページの若い方から単元ごとに進めています。教材としてはプリントを使用し、概念用語については生徒にジャパンナレッジ内の辞書を用いて調べさせています(冊封体制、ナショナリズム、国民国家、ファシズムなど)。その後、具体的な歴史の展開を説明し、都度教科書内の史料・資料を見ながら「問い」に相当する部分(教科書内では「注目」「見方・考え方」「学習課題」「整理しよう」などの項目が各単元に付けられています)をグループでの話し合いや個人での取り組んで向き合わせています。なので、特段新しい授業手法を実践しているというわけではなく、「教科書に沿った」授業を展開しています。グラフであれば増減に注目して変化の理由は何であるか、史料を読んでみてどの立場からどのような評価がなされているかというものを取り組んだ後に解説をしています。日本史B・世界史Bと比べると歴史上の人物の行動に関する扱いは少なくなっており、その時代に生きる人々がどのように行動してきたかの比重が高くなったような気がします。
     コメントを振り返りながら思うと、従来型の授業に少し作業が入った程度のものかもしれません。先進的な授業実践を実施されていらっしゃる先生方と比べるとお恥ずかしい限りです。

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    2025/02/03 at 12:39 pm
  • 投稿者:野々山 新  「歴史総合」2024年度前期中間試験

    野々山です。丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。
    日常の授業について、教科書の問いと史資料を活用しながら展開していること、基本的なようで難しいことと拝察いたします。それは、教科書の問いや史資料がなかなか系統立ったものとして生徒たちが受け止めにくいのではないかと考えていることによります。おそらく先生は、適切に精選されたり、新たな問題点を指摘したりと、学びが深まるように調整されているのではないでしょうか。この教師の営為こそ、私としては意義深いものと考えております。従来型あるいは先進的な授業などと区分することはあまり生産的ではないですからね。
    そして、この教師の営為も交えながら評価問題の妥当性を議論できると、より相互に学ぶことが多かろうと思います。
    今回の評価問題では、授業を通して育みたい力を評価する上でどのように貢献あるいは課題を残したと考えられるでしょうか。

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    2025/02/05 at 10:41 am
  • 投稿者:慎治 大岡  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

    はじめまして。私も日本史探究を日々授業しております。非常に勉強させていただける教材をありがとうございます。
    1つお伺いしたいのが、生徒たちが実際にどのような問いを立てたか、ということです。「古代への展望」というのは古代史学習への見通し(?)という風に私自身理解しているのですが、生徒たちがいかなる見通しを立てたのか、もしよろしければお聞きしたいです。よろしくお願いいたします。

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    2025/04/25 at 10:39 pm
    • 投稿者:福崎 泰規  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

      大岡先生、この度はコメントありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ありませんでした。
      今週に入って全クラスでの授業が実施でき、約110名の生徒が「時代を通観する問い」を表現しました。全体的な問いの傾向としては、以下の6パターンに分類されると捉えています。
      ①「天皇はどのようにして権力を握っていったのか」「天皇の権力はどのようにしてひろまったのか」「いつから『天皇』が生まれたのか」「誰が『天皇』という存在をつくり、皆がそれを認めたのか」などといった、古代天皇制に関する問い
      ②「支配制度はどのように形成されていったのか」「どのようにしてヤマト政権は権力を広げたのか」「天皇の権力はどのようにして日本各地へ広がったのか」「国家の形成はどうやって行われたのか」「比較的小さな『ムラ』の集団であった日本がどのように『国家』になり、国際交流を深めていったのか」などといった、日本列島が統一的に支配されるや古代国家「日本」が形成される過程に関する問い
      ③「なぜ中国の真似をしていたのか」「日本と大陸は、どうやって、どのように関わっていたのか」「なぜ唐の文化を見本としたのか、それによって人々にはどのような影響を受けたのか」「独自の文化があったのにもかかわらず中国や朝鮮半島と交流し、当の文化にこだわったのはなぜか」などといった、対外関係に関する問い
      ④「律令はどのような経緯によって制定されたのか」「律令国家を目指したのはなぜか」「律令制度や天皇制などをどのように全国に広め影響を与えていったのか」「日本を支配する人たちや律令などがどのようにして生まれてきたのか」「どのようにして国家の拡大、律令の徹底が行われたのか」などといった、律令制に着目して古代の特徴を捉えようとする問い
      ⑤「どのようにして支配階級や日本の国家、ヤマト政権は従来の日本の原始時代の文化と結びついて発生したのだろうか」といった、原始から古代にかけての変化や連続性に着目した問い
      ⑥「古代の“あるべき理想や理念”とはなにか」といった、プリントNo.4中の資料をもとに古代社会の特徴について考察しようとする問い

      また、その中でも②に関わるもので、「なぜ古代になって『日本』『天皇』という国全体でまとまる概念(支配体制)ができたのか」という問いがありました。古代の特徴として「国全体でまとまる」という認識が適切とは言い難い気もしますが、歴史総合で獲得した「国民国家」概念から派生した問いとして評価しています。そこからゆくゆくの学習過程で、古代国家と近代国家の相違に注目させる学びを仕掛けられると、古代の学習内容を現代に引き付けることもできるのではないかと思い、今後の展開に取り入れていきたいと思います。

      一方で、うまくいかなかった問いもありました。最初の1クラスでは、私自身のワークシートの設定や授業中の指示がうまくいかず、「これからの古代の学習への方向付け」という意識が飛んで原始社会の考察に留まってしまった問い(例:「原始社会には、規律や支配者がいたのだろうか」)もありました。ただし全体を見ると、古代社会全体の特徴に迫り、「古代とはどういう時代か」という大項目のねらいを達成するためのものとしての「時代を通観する問い」を表現できた生徒が大半であり、本単元のねらいは概ね達成できたのではないかと振り返っています。

      蛇足ですが、「時代を通観する問い」に対する仮説も様々なものが表現されましたが、今回は本校が所在する西新町遺跡から硯が出土したという新聞記事を使用したということもあり、文字の役割に注目して仮説を表現した生徒が多かったです。それを切り口に律令や木簡などに見られる文書行政の広がり、律令国家による正史の編纂、平安時代の文章経国思想などに注目する今後の学習展開も考えられると思いました。

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      2025/05/01 at 10:30 pm
      • 投稿者:慎治 大岡  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

        ご返信ありがとうございました。お返事するのが遅くなって申し訳ありません。
        学習した単元や与えられた資料からの問い、歴史総合を踏まえた問いなど、それまでの学習を踏まえた問いが出されており非常に興味深いです。生徒から出た問いをもとに今後どのような授業が展開されるか楽しみにしております。

        私自身、近々「古代への展望」の授業をしようと思っております(授業数が少なくこの時期になってしまいました…)。先生のご実践を参考に授業を考えてみようと思います。素敵な教材と実践の共有ありがとうございました。

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        2025/05/09 at 11:11 pm
        • 投稿者:福崎 泰規  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

          この授業の後、現在は大化の改新のあたりまで授業が進んでいます。古墳時代の学習が終わったタイミングで、そこまでの学習を経て仮説を書き換える学習を設けました。飛鳥時代・奈良時代・平安時代の末にもそれぞれこういった活動を設け、節目ごとの振り返りを通して最終的に「古代とはどういう時代か」を考えさせたいと思います。
          というのも、歴史総合では問いによって析出された生徒の関心に沿って主題を設定することが求められていますが、日本史探究では仮説に基づいて主題を設定することが、それぞれ指導要領上では規定されております。その点に注目すると、「いかに生徒の仮説を育てるか」が日本史探究の学習では重要なのではないかと思うのです。そのあたりの成果もまたまとめたいと思いますので、ぜひご意見いただけたらと思います。今後ともよろしくお願いします。

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          2025/05/10 at 7:18 pm
  • 投稿者:寺前 駿  教会の権威

    和歌山県立文書館の寺前です。
    中世ヨーロッパに関して専門外ですが、非常に興味深く読みました。特に、皇帝と教皇の関係性の部分は詳しくなかったので参考文献も含めて、勉強になりました。
    質問ですが、メッセージにある「単元を貫く問」、「MQ」の授業範囲は、それぞれどこになるのでしょうか。また、弁証法的アプローチを複数用いられていますが、それを用いるねらいはどういったものでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:01 pm
  • 投稿者:寺前 駿  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

    寺前です。稲垣先生の「ポピュリスティックなレリバンス論に対抗する実用主義的な歴史教育の可能性-「連累」・「歴史への真摯さ」を思考概念として活用する-」は、自らの授業理論などを見直す時にはいつも参考になっております。
    1点質問です。育成したい力が「戦後日本の「独立/平和/成長」という支配的なナラティヴが、実際には本土大衆が軍事リスクを沖縄に転嫁・集積し続けることによって可能になった虚構に過ぎないことを物語り直すことで、何も変わり得ていない事後従犯たる本土大衆としての私たち自身を歴史的現在の中に発見し、在沖縄米軍基地というポストコロニアルな支配の責任を自らに問うような、過去に連累する倫理的思考力。」に対して、MQに「なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?」との問いにした理由は何でしょうか。私の主観的な感想になりますが、育成したい力に対する正面からの問いではなく、他に何らかの意図があるような問いに感じられました。
    お答えいただきますと幸いです。

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    2025/04/28 at 5:03 pm
    • 投稿者:稲垣 翼  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

      寺前先生

      コメントをいただき、ありがとうございます。
      予め答えを用意しているわけではありませんので、こうしてお答えしながら/書きながら考えていきたいと思います。

      ❶まず、一番肝心なことなのですが(そして質問に質問で返す失礼をお許しください)、寺前先生が「育成したい力に対する正面からの問いではない」と感じられたのは、具体的にどのような点についてなのでしょうか。ここが明確になると、授業者である私の死角がより鮮明になると思います。現時点では、目標論に対して「正面からの問いではない」とは私はまだ思えておりません(レトリカルな問いなので「直球ではない」かもしれませんが、目標論に対して問いも資料もかなりストレートなものを投げているつもりです)。

      授業者である私自身が史資料の解釈を饒舌かつ一方的に語ってしまうことには抵抗がありますので、できれば寺前先生が「正面からの問いではない」と感じられた所以をある程度言語化していただき、必要があれば私がその隙間に言葉を埋めていきたいと考えております。

      ❷また、前提として、本実践は「私たちは、暴力・差別・残虐行為などの過去の不正義に 対して責任を引き受けなければならないのだろうか?」(https://kodai-kyozai2.org/unit/post-0312/)への導入という位置づけで作成した授業ですので、本実践のみで目標の達成を目指しているものではありません。

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      2025/04/28 at 7:27 pm
      • 投稿者:寺前 駿  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

        すみません、改めて書き直します。

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        2025/04/29 at 8:28 pm
        • 投稿者:寺前 駿  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

          ご返信ありがとうございます。

          私が記憶違いしている点が多くあったので、書き直しています。

          まず、「正面からの問い」との表現を曖昧に使っていたと思います。その点反省しています。

          私が意図した「正面からの問いではない」は、育成したい力以外のことも、MQは求めていると私の主観では感じたためです。そのため、「正面からだけではない問い」と表現した方が良かったのかなと思います。

          エキスパート資料は、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約に対する三者の見え方を記していると私は解釈しました。

          具体的には

          ♧アメリカの視点で、冷戦下において日本を西側陣営に組み入れたい思惑から独立を急いだこと

          ♡日本(本土)の視点で、単独講和に踏み切り、「寛大な講和」や日米安保を締結することで高度経済成長を享受できたこと

          ♤は沖縄の視点で、1950年代沖縄が米軍基地と隣り合わせの状況にさせられ、日米からは無視されたこと

          を生徒に読み取らせたいと私は捉えました。

          それらを読み取った生徒たちがジグソー活動で取り組むと、三者のサンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約に対する見え方の違いを議論することで、他者の視点を学んだ上で、サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約が締結された4月28日を「私たち」はどのように記憶するべきかと考えることが、本教材だと私は捉えました。

          MQというより、文章中の「「私たち」はこの日をどのような日として記憶するべきなのでしょうか」との記述が、育成したい力以外のことも求めているように私は感じました。

          これは、授業を学んだ生徒たちが、今後様々な場面で他者に対して「私たち」は4月28日をいかに記憶するべきかを働きかけて、「私たち」の4月28日に対する捉え方を見直してほしいとの意図まで含まれるように私は捉えました。

          以上が、本教材に対する私の解釈です。誤解している点もあるかと思いますので、ご指摘いただければ幸いです。

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          2025/04/29 at 9:02 pm
          • 投稿者:稲垣 翼  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

            寺前先生

            丁寧にご説明いただき、ありがとうございます。
            基本的に先生の読み取りは、著作者の意図を汲んでくださっており、逆に言えば私から特に申し上げることはございません。

            ただ、敢えて私から申し上げるべきことがあるとすれば、この授業で切っ先を向けている/向けられているのは「本土大衆たる私たち」であるという点です。先生が♠資料について言及された「1950年代沖縄が米軍基地と隣り合わせの状況にさせられ、日米からは無視されたこと」という沖縄を主語とした受動態の(欺瞞的な)ナラティヴをこそ問い質すことこそが、次に引き続く「私たちは、暴力・差別・残虐行為などの過去の不正義に 対して責任を引き受けなければならないのだろうか?」と併せて目標論の基盤となっています。私が吉見俊哉『親米と反米』を引用し、「記憶の消去」を問題にしているのは、記憶を消去することでのみ存立し得てきた「私たち」なるものが、実は構造的不正義の内部に埋め込まれた当事者なのだということに直面することからしか、何も始められないと私が考えているからです。

            先生の中で引っかかりを生んだ「「私たち」はこの日をどのような日として記憶するべきなのでしょうか」というフレーズこそが、むしろ私が最も「育成したい力」=「何も変わり得ていない事後従犯たる本土大衆としての私たち自身を歴史的現在の中に発見し、在沖縄米軍基地というポストコロニアルな支配の責任を自らに問うような、過去に連累する倫理的思考力」の内実をストレートに表現したものだと考えております。

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            2025/04/29 at 9:39 pm
          • 投稿者:寺前 駿  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

            稲垣先生

            育成したい力と「「私たち」はこの日をどのような日として記憶するべきなのでしょうか」のつながりを説明していただきありがとうございます。
            私自身が当事者という認識が出来ていないということを突きつけられて、まだ私が理解できていないところが多くあり、考えなければならないと思いました。

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            2025/04/29 at 10:59 pm
      • 投稿者:徳原 拓哉  なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?

        横からすみません。神奈川県立横浜国際高等学校、徳原です。

        記念碑と記憶、顕彰と顕彰されざるもの、という点から考えた時に、稲垣先生の問いは、「過去の引き受け」という点において非常に鋭角にそれを問うものに思えます。
        自分がインスピレーションを受けたものだと、「顕彰と顕彰されざるもの」に関しては津田博司さんの一連のオーストラリアにおける事例検討の論考が非常に良かったのですが、「実際には本土大衆が軍事リスクを沖縄に転嫁・集積し続けることによって可能になった虚構に過ぎないことを物語り直す」という問題意識は、支配的なナラティヴが、何を「顕彰しない」ことによって何を引き受けることを拒否しているのか(なかったこと”かのように”しているのか)という構造的不可視化という暴力を問うものに思っていました。このあたりは、稲垣先生が高大研の教材共有サイトに投稿をしていらっしゃる一連のご実践を貫いて読み取れるものであり、私個人は、そこに稲垣先生の立脚点がある(稲垣先生のご実践は、どれも授業者がどこに立ち、何を引き受けているのかがよく伝わってくるものが多いですね。)ように思っていました。
        話が横にそれましたが、そう(この教材の問題意識も、その一連の稲垣先生の立脚点の中に置き、”何を「顕彰しない」ことによって何を引き受けることを拒否しているのか(なかったこと”かのように”しているのか)という構造的不可視化という暴力を問うもの”と)考えた時に「なぜ日本には「独立記念日」が存在しないのだろうか?」という問いは、その「存在しない」という透明性が逆説的に浮き彫りにする巨大な存在を問うものに思えます。

        また話はずれますが、例えばメモリー・ペタゴジー研究において重要な研究を出している山名淳は、「不存在」の非常に重要な点を指摘していて、震災被害者らの聞き取り調査をしていると、常に”「私より辛い思いをした人がいるから」と沈黙する人たちがいる、そしてその「私より辛い思いをした人」を辿っていくと、そこには最終的に「死者」という巨大な空白=沈黙=存在が出現することを述べています。ここにおいて、透明であること、沈黙する/させられることがどれだけ巨大で雄弁な存在であるのか、ということはよくわかります。
        横からの目ですが、稲垣先生の問いは、そうした不存在の存在性を問うものに思えます。

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        2025/04/28 at 9:17 pm
  • 投稿者:寺前 駿  グローバル化と移民 ~グローバル化が進む世界の中で、女性の解放のためにヒジャブを禁止するフランスはどの程度正しい?

    寺前です。
    個人の自由とはどこまで適用されるのか、私自身は個人の自由は最大限尊重されるべきだと考えつつ、自身の価値観の時代性に悩まされながら、とても興味深く読みました。
    1点質問です。本授業を実施されたときには、フランス政府側の論理として用いられる「ライシテ」に関する説明はどの程度されましたでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:04 pm
  • 投稿者:寺前 駿  歴史総合におけるジェンダー視点からの問いの一覧(案):A歴史の扉、B近代化と私たち

    寺前です。ジェンダー視点からの問いの一覧、非常に参考になりました。
    私は様々な属性がありますが、女性ではなく男性です。そのため、社会から女性とみられている人の経験や感情を、当事者として受け止める機会がありません。一方で、歴史を学ぶときには様々な人にとっての「身近さ」が大事だとも考えています。
    女性とは異なる属性を持つ他者である私が、女性の視点からの問いをたてるときには、「身近さ」が「あなたの気持ちはわかるよ」といった他者を我が物にするかのような暴力性を帯びていないかと恐れをもっています。また、私の不用意な発言によって他者を傷つけていないだろうかとも恐れています。一方で、あなたのことが完全にわからないとしても、わかろうとすることが大事だとも思います。
    そこで質問ですが、川島先生は、川島先生からみて異なる属性を持つ人について授業を行う際に、気をつけていることなどはありますでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:05 pm
  • 投稿者:寺前 駿  2024年度「世界史探究」定期考査

    寺前です。これまで様々な場で報告されていた高大連携共同事業のテスト問題があり、評価のあり方を知ることができて参考になりました。
    質問ですが、採点基準のところで「自らの問題意識を反映できている。」とありますが、これはどういったものを想定されているのでしょうか。また、これは正答が多様なものとなると思いますがどの程度、点数を振り分けながら採点しているのでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:05 pm
    • 投稿者:壮太 丸小野  2024年度「世界史探究」定期考査

      寺前先生、メッセージありがとうございます。日々の授業における歴史実践を評価できる定期考査を目指しています。ご質問の「自らの問題意識を反映できている」について以下のようにご回答させていただきます。「自らの問題意識を反映できている」は生徒の歴史実践に関するオリジナリティを評価する観点になります。すなわち、「正答」が多様になります。最後の25点の条件が「自らの問題意識を反映できている」になります。その前提20点までとして複数の歴史資料の使い方等のルーブリック評価(25,20,15,10,5,0点)を設定しています。上記は高校における定期考査ですが、大学の定期考査が参考になりそうです。どうぞよろしくお願いいたします。

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      2025/04/28 at 9:53 pm
      • 投稿者:寺前 駿  2024年度「世界史探究」定期考査

        ご返信ありがとうございます。自らの問題意識を反映させただけの回答では、5点は入らないということがとても興味深く思いました。私の経験として、歴史のでの学びを踏まえずに、自らの考えを記す生徒の評価をどうするべきか悩んでいたことがあったので、とても参考になりました。この姿勢が、丸小野先生の歴史教育観が反映されているように思い、その点でも「日々の授業における歴史実践を評価できる定期考査」の形になっていると思いました。

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        2025/04/29 at 7:10 pm
        • 投稿者:壮太 丸小野  2024年度「世界史探究」定期考査

          寺前先生、お返事ありがとうございました。「歴史のでの学びを踏まえずに、自らの考えを記す生徒の評価」は私の課題でもあります。寺前先生との対話の中で私自身の歴史教育観も見えてきました。改めまして感謝申し上げます。

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          2025/04/29 at 8:10 pm
        • 投稿者:徳原 拓哉  2024年度「世界史探究」定期考査

          寺前先生の議論を受けて、僕も3点質問していいでしょうか。

          一つに、この考査問題は、日常授業の延長の中としてどのように位置づいていますか?
          そして二つに、生徒と問題や評価の視点について、どのように合意形成を図っていますか?
          最後に、評価を返却した先で、生徒は教員に対してどのようなフィードバックをくれましたか?

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          2025/04/29 at 7:19 pm
          • 投稿者:壮太 丸小野  2024年度「世界史探究」定期考査

            徳原先生、ご質問ありがとうございます。1、定期考査は生徒の自己調整学習の場かつ日々の授業のまとめと位置づけています。その他、定期考査以外にもレポート課題、プレゼンテーション、パフォーマンス課題など多様なタスクを課しています。そこで、生徒には定期考査を通して日々の授業、レポート課題、プレゼンテーション、パフォーマンス課題を踏まえた自らの歴史実践をまとめる機会として活用していただきたいと考えています。2、生徒のとの合意形成は丁寧に行っています。はじめに、定期考査の25~50%はルーブリック評価を含めて事前予告問題です。一部は引用する資料のみの予告です。次に、定期考査の採点ですが、約5回の採点を経て、採点基準/ルーブリック評価を作成します。最後に、定期考査の返却時ですが、一人ずつ「点数」の根拠を説明する簡単な個人面談を行います。ちなみに、定期考査の返却には個人面談と全体レスポンスを含めて約1週間かかります。3、生徒の反応ですが、以下のようなものがありました。生徒A「世界史は自分の言葉で説明することや歴史と結びつけることが楽しかった。」、生徒B「様々な探究活動、発表、グループワークなど、授業スタイルが豊富で、とても楽しく授業を受けられた。定期考査でも色々な力が身についたと思う。」、生徒C「世界史だけ、定期考査のスタイルを変えるべきだと思う。力にはなるが難易度が高い。」。引き続き、生徒とともによりより定期考査を探究できればと思います。よろしくお願いいたします。

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            2025/04/29 at 8:35 pm
  • 投稿者:寺前 駿  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

    寺前です。生徒向けの教材としても、私自身が文章を執筆する際の参考にもなりました。

    1点質問があります。執筆用ハンドブックでレヴィ=ストロースのこの文章の引用をされた理由を教えてください。意図はなんとなくわかる気がするのですが、上手く言葉に表現できないため質問しました。
    私の感覚的な表現になりますが、このハンドブックの全体としては、いわゆる実用的な?文章の書き方が記されていると私は捉えました。一方、レヴィ=ストロースの引用は、比喩表現が多く用いられており、読み手の情意面に働きかけているような印象を受けました。そこに何か両面性があるような気がして、違和感をおぼえたため、気になりました。

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    2025/04/28 at 5:06 pm
    • 投稿者:徳原 拓哉  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

      徳原です。コメントをありがとうございます。
      レヴィ=ストロースの引用については、僕自身が「書く」ということの本質だと考えているためです。
      このハンドブックは、IBバカロレアのエッセイ執筆に最適化しているわけですが、的確に読み解かれている通り、それはバカロレア(ないし渡辺雅子のいうアメリカ的論理思考)に最適化されています。
      阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社, 2024)でもそうですが、あるエッセーや論文執筆の思考体系は、ある言語文化世界に規定されていることを踏まえて読む必要があります。特にあの本を松沢裕作さんの『歴史学はこう考える』と比較しながら読むとわかりやすいですが、これら「アカデミックライティング」とされる「書くこと」の論理様式・思考様式が、必ずしも全てではない。
      それが歴史学や歴史の執筆、思考様式と全く重なるわけではないと考えていますし、重ならないからどちらが良い・悪い、という話でもないと考えています。松沢さんの、歴史の場合は素材を素材のままごろっと提示しちゃうこともありますよね、というところがまさしく、という感じですね。
      諸々の執筆ハンドブックやエッセーの書き方の本などを読むと、あたかも論理的思考なるものは論理統御のもとで目的に最適されて記述できるように書かれていることが多いのですが、僕自身はむしろ、レヴィ=ストロースのように、思考の奔流をそのままに書き出して、その中から彫刻をいだすように削り出していく思考のあり方に書くことの重みを見出しています。本書では、バカロレアの求める思考様式に一定の適用を見せつつ、レヴィ=ストロースの文章によってそれらを書き手の姿勢の部分において相対・対峙することを目指して執筆しました。
      生徒に渡したver.には、実際の僕の原稿の推敲の様子(つまり膨大な赤入れと修正の繰り返しの様子)を入れて、「消すこと」がいかに思考を促すのか、について考察するワーキングのページを入れています。

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      2025/04/28 at 5:21 pm
      • 投稿者:寺前 駿  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

        ご返信ありがとうございます。私が持った違和感は、思考体系の違いにあったということなのかと捉えました。私も文章を書くときには、「思考の奔流をそのままに書き出して、その中から彫刻をいだすように削り出していく思考のあり方に書く」に近い方法をとっています。ただ、これは消極的な理由でして、私は「頭」の中で流れているもの(思考)を書き留めないとすぐに記憶の彼方へと飛んでしまうからです。(だから対話による議論は苦手です。)そのため、初めに私の論理的でないものも含めて思考を筆写して、そこから、他者に誤解されずに伝わるように文章をコラージュしているという感覚です。この私のコラージュの感覚が、彫刻との違いがあるようにも感じて興味深く思いました。

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        2025/04/29 at 6:55 pm
        • 投稿者:徳原 拓哉  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

          ところで最初の質問にも感じたのですが、「実用的」またここでいう「論理的でない」は何を指すのでしょうか。

          渡辺の議論を読むとわかる通り、あの本は「論理的」とされる思考様式自体がある文化体系に依拠していることを述べている:つまり例えば特定の思考体系のみが「論理的」とされることに対して慎重になることができると論じていると考えています。僕がレヴィ=ストロースを置くのは、それが論理(とされるもの)の本質を捉えているためだと考えるからなのですが、先生のおっしゃるところでは、「思考の奔流」と「論理」は別のものとして整理されているように見えます。先生はどこに立脚して議論をなさっているのですか。

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          2025/04/29 at 7:09 pm
          • 投稿者:寺前 駿  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

            渡辺さんの論理的思考について、理解せずに文章を書いていました。

            「実用的」は、課題に対して役に立つという意味で記しています。今そのように考えれば、レヴィ=ストロースの引用も「実用的」だったと思います。

            「論理的でないもの」は、私の「頭」の中で流れているもの(これを私は思考だと考えていました。)を書き起こしたものともののつながりの意味が、私が想像する他者に対して、異なって伝わってしまうと予想する順序になっているものというつもりで記しています。

            「私が想像する他者」がどういった文化体系に依拠しているのかが、大事なのだと思いますが、私は渡辺さんの論理的思考について理解できていないので、明言できません。たぶん、私は他者に伝わりやすいことを意識して自らの結論から記して文章を書くことが多いため、そういったものを私は論理的だと考えているのかもしれません。

            言葉の定義を理解しないままに文章を書くことに慎重にならなければならないことを理解しました。私の文章の曖昧さを最大限に汲んでいただき、ありがとうございます。

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            2025/04/29 at 10:29 pm
      • 投稿者:徳原 拓哉  チョウのように書き、レヴィ=ストロースのように推敲せよ!IBDP歴史エセー執筆小ハンドブック

        【追記】ですから、このハンドブックも上述の点を引き算しながらみる必要があるかと思います。

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        2025/04/28 at 5:40 pm
  • 投稿者:寺前 駿  夷酋列像はなぜフランスで発見されたか ー仮説を立てる力を育成するためにー

    和歌山県立文書館の寺前と申します。高大研の大会での講演とても面白く聞いていました。私は現在アーカイブズ機関に所属していることもあり、史料の来歴を探る授業を出前授業等で私もしてみたいと思っていたので、本教材も興味深く読みました。
    1点質問です。高大研会報13号へ掲載されています渡邉先生の論文には、世界史探究と日本史探究では、世界史探究の「仮説」という言葉の使用回数が少ないと記されていました。それでも渡邉先生が、あえて世界史探究において「仮説力」鍛えることを授業のねらいにおくことの理由を教えてください。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:07 pm
    • 投稿者:渡邉大輔  夷酋列像はなぜフランスで発見されたか ー仮説を立てる力を育成するためにー

      寺前さま

      先生の質問のおかげで、私自身おぼろげだった事柄について自分なりに整理し直すことができました。本当にありがとうございました!いずれ是非対面でお話したいなと思います。よろしくお願いします。

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      2025/04/29 at 9:13 pm
    • 投稿者:渡邉大輔  夷酋列像はなぜフランスで発見されたか ー仮説を立てる力を育成するためにー

      寺前駿さま

       ご質問ありがとうございます。
       ご質問に対する回答になりますが、マルク=ブロックの言葉を借りるならば、「いかなる史料も、それに問いかけるすべを知らなければ何も語ってはくれない」からです。
       私は、歴史を探究/研究する際には二種類の問いがあると考えております。一つはテーマに基づいて研究するための問いであり、二つ目は問いに対する仮説としての問いになります。仮説としての問いがあるからこそ、検証するためにどのような史料が必要なのか考えることができますし、史料は語ってくれると思います(レンズの解像度が上がる感じです)。そしてそのことによって、史料の事実立脚性に基づきながら、歴史は論理整合的に紡がれる、と考えます。すなわち、歴史を論理整合的に紡ぐ力を鍛える場として、仮説〜史料収集〜検証というプロセスが一つの最適な場になるということです(そのうち仮説〜資料収集の史料を考えるまでを今回の授業としました)。
       例を出すと、「近代化と私たち」において、「フランスの公初等教育」をテーマに、「フランスの公初等教育の進展はどのようにしてもたらされたのだろうか」という問いを立てたときに、「国家(立法とそれを浸透させるための行政(教育行政含む)がイニシアティブを握っていたのではないか」という仮説を立てたならば、検証するための史料は当時の立法や王令、通達や議会や行政の記録などになるでしょうし、「地域民衆は受動的に高初等教育を受け入れるだけの存在だったのではなく、選択・翻訳しながら受容(非需要)していたのではないか」という仮説を立てたならば、視学官の視察の記録や個人の日記などに当たる必要が出てきます。あるいは「中央の立法や行政と地方の行政と地域民衆がせめぎあいながら相互に影響を与え相互変容しながら進展していったのではないか」という仮説を立てたならば、ネゴシエーティングバワーとしての存在(教育に関する協議会や視学官や学校教師)の言説全体を探ることになってきます。
       そのような意味で、仮説を立てる力は世界史探究においても(日本史探究と同様に)重要であり、その力を育成する必要がある(歴史的な探究ができるようになることは歴史総合の目標でもあり世界史探究の目標でもあるため)と考えております。 

      渡邉大輔

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      2025/04/29 at 9:10 pm
  • 投稿者:寺前 駿  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

    寺前です。福崎先生が作られるプリントは、私の主観ですが、プリントの構造がとても論理的で問いや資料選定の意図がはっきり伝わるという印象を受けて、この考え方をもとに私のオリジナルの要素を入れて教材作成することがあり、参考になっています。
    日本史探究の授業をしたことが無いのですが、質問です。
    日本史探究の「時代を通観する問い」を踏まえて「仮説を表現すること」には、中学までの学習内容や資料をもとに表現できるかが重視されているように私は思います。本授業を行うなかで、中学までの学習内容を意識した問いかけや解説などは行いましたでしょうか。また、中学までの学習内容や「身近な」資料を用いたことによる効果はありましたでしょうか。
    よろしくお願いします。

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    2025/04/28 at 5:10 pm
    • 投稿者:福崎 泰規  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

      寺前先生、コメントありがとうございます。教材づくりにおいて意識している点をほめていただき、とても嬉しいです笑

       さて、中学までの学習内容を意識した問いかけや解説に関するご質問ですが、まずは本単元内での学習内容を扱う中で、どの学習内容を中学校で学んだかの確認はこまめに入れました。ただこれは「時代を通観する問い」を表現することを見越したものというよりも、学習者のレディネスの把握が主眼であり、他の授業でも日々行っていることなので、この単元だから特別に行ったわけではありません。
       一方、中学までの学習内容を生徒に意識させるための仕掛けとして意識的に配置したのが、プリントNo.4の資料1~3です。生徒に対して「中学校で古代についてどんなことを学んできましたか」と問うても漠然としていて生徒は答えづらいと思い、ある程度特徴はわかるが具体的すぎない文章を読ませることで、その内容を理解しようする過程で学習が持っている古代に対する理解を引き出したり、学習者間での対話を促したりすることを意図しました。その中で析出された古代に対する理解が、今回の問いや仮説につながっているのではないかと捉えています。

       また、「身近な」資料を用いたことによる効果ですが、これに対しては「身近でない」資料を使って同様の学習をしたわけではないので、一概に比較はできません。ただ、西新町遺跡について説明する際の生徒の食いつきは極めて良かったですし、「身近な」資料だからこそより深く資料を読もうとする姿勢は見られたのではないかと個人的には思っています。

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      2025/05/01 at 10:46 pm
      • 投稿者:寺前 駿  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

        福崎先生、ご返信ありがとうございます。上から目線になった表現で大変恐縮です。
        大変参考になりました。特に「「中学校で古代についてどんなことを学んできましたか」と問うても漠然としていて生徒は答えづらい」この考え方にとても共感しました。問いをつくる時には、このような生徒から見えるものを丁寧にみとることが重要だと改めて感じました。

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        2025/05/06 at 11:34 am
        • 投稿者:福崎 泰規  原始・古代の「時代を通観する問い」を表現する

          いえいえ全くお気になさらないでください。問いや仮説を表現する場面だけでなく、最終的に生徒の「古代とはどういう時代か」への理解を見取る場面においても、生徒が表現をすれば何でもいいわけではなく、そこには一定の方向性が必要だろうと思います。授業者が意図する方向へと自然に持っていける仕掛けが求められているような気がしますね。

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          2025/05/06 at 7:03 pm
  • 投稿者:弘人 岸本  なぜ1930年代に戦争はジェノサイド化したのだろうか?

    はじめまして。沖縄県立宜野湾高等学校通信制課程の岸本と申します。
    私は歴史専門ではないので、「教科書の記述を生徒が理解しやすい言葉で解説するだけの授業」をするのが精一杯でした。しかし今日、単なる日本史A+世界史Aではない授業が求められる中、教育書籍や関連サイトを参考にする中で北村先生の実践に強い関心を持ちました。いくつか教えて頂きたく連絡を差し上げております。

    ①   アクティブラーニングの実施前に、関連事項の講義をどの様に行っているのですか?行っているとすれば前時に行っているのですか?その講義にかける時間はどのくらいですか?あるいは、『20世紀のグローバル・ヒストリー』の該当箇所を事前に読んでおくように指示しているのですか?

    ②   プリントの資料をもとに当時の状況を考察したり当時の人々の考えを想像したりするとなると、資料選択が大きなポイントになるのかなと思います。提示する資料によって学生(生徒)自身の考えや意見に大きな違いが生じるのではないか?とも思ったりしますが、どの様な基準で資料を選んでいるのですか?また、歴史専門ではない高校教師が年間で70時間分の資料(各種データや当時の人々が記した日記等)探しをするときのコツを教えていただけると幸いです。

    ③ 今回のアクティブラーニングの評価基準(ルーブリック)があれば教えて欲しいです。また、学生(生徒)の代表的な回答と、それに対する北村先生の補足と評価を見てみたいです。

    以上、突然で不躾なコメントでありますがご教授いただけると幸いに存じます。よろしくお願い致します。

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    2025/05/01 at 3:28 am
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