投稿者:三谷 博 「鎖国」から開国へ(18世紀のアジアとヨーロッパ、産業革命、アヘン戦争と日本) 「鎖国」から開国へのWork3について。回答例のなかに、「貿易統制「鎖国」を緩くする」とあるのですが、「他の西洋諸国とも貿易すれば、戦争が避けられる」と具体的に書いた方が分りやすいでしょう。それまで続いた対日貿易の独占を破るので直接にはオランダにとって不利だったので、親切な忠告だったと言えます(日本の安全が保てれば、貿易を続けられるというメリットもありますが)。なお、鎖国にわざわざ「」をつけるのはなぜでしょうか。以前の学界では「江戸時代は鎖国でなかった」との理解が流行りましたが、私は大局的には間違いと思います。国境を出入りするものを、人とモノと情報とに分けると、江戸時代はモノと情報は制限付ながら通過していましたが、人の出入り制限は厳しく、とくに日本人は列島から出ることを禁じられていました。漂流民はともかく、自分の意志で出国し、帰ってきた人はいなかったのです。この点は、同時代の世界では珍しいことでした(朝鮮は朝貢使節が清に定期往復)。これに似た体制は少し前までのアルバニアやミャンマーくらいにしか見られなかったはずです。日本史の中でも、戦国や明治以降と比べてみると、江戸時代は明らかに閉鎖的です。歴史総合ではつねに世界と比較して考えるが重要と思います。 コメントへ移動▶ 2023/03/07 at 10:46 am 投稿者:小林克史 「鎖国」から開国へ(18世紀のアジアとヨーロッパ、産業革命、アヘン戦争と日本) 三谷先生、ありがとうございます。 回答例の分かりやすい例示、ありがとうございます。 私の「鎖国」へのこだわりがあふれました。 「鎖国」については、30年前に高校時代までに習った「交流を閉じた」鎖国イメージに対して、大学時代に習った「貿易統制」の視点にびっくりした経験から「鎖国」としています。教科書や副教材の流行に乗る前から「貿易統制」で説明していました。人の出入り制限の厳しさは、確かに特筆すべきものなので、言われてみれば鎖国でいいのかと。でも、モノや情報の出入りもなかったイメージが30年前にはあったので、それに対するならば「鎖国」か。現在はもはや完全に閉じたイメージがないから鎖国でいいのか。などと考えてしまいます。アルバニアやミャンマーの鎖国のころ、人だけでなく情報やモノも制限されたので、そのイメージが逆に一般的な江戸時代の鎖国理解(誤解)につながったのではないかとも思えるのですが。 大学2年のときの田代和生先生の「日本史概論」で、鎖国の初期は貿易統制の目的が強かったという説明(だったと思います。間違っていたら田代先生ごめんなさい。)、それに感銘を受けたのがきっかけです。宗氏の文書からの日韓交流の話も面白かったです。 世界との比較で考えると、明・清の海禁と同列に語られるのではないかと、数年前にどの教科書か忘れましたが、ありました。どうなのでしょう。 たくさんのご指摘、本当にありがとうございました。 楽しかったです。 コメントへ移動▶ 2023/03/09 at 12:30 am 投稿者:三谷 博 アジアは「遅れていた」といえるのか? 三谷 博(19世紀史)です。ここで気になるのは、「では、19世紀ではどうなったのか」、「そもそも「進んでいる」「遅れている」というのは、何が基準なのか、一列上下に位置づけるのは意味があるのか」という点です。 アジアへのマイナス・イメージを払拭する。大事な課題と思います。ただ、18世紀までの一部社会をとりあげ、それを「進んでいる」と持上げることには違和感があります。 学習指導要領は最初の柱に「近代化」を設けていますが、私はそこにも違和感も持っています。。「近代化」を「市民革命」から始めること、西ヨーロッパを基準に設定していることです。この語の下位には、工業化・国民国家化・科学技術の発展・民主化といった趨勢が含まれるはずですが、これらは常に同居するわけではありません。とくに、現代世界の半分以上は民主化を拒否しています。それら、代表的には中国やロシアを、民主化していないがゆえに「近代化」していない、「遅れている」と判定できるでしょうか。それらは日本や欧米とは異なるし、私は民主化した方が良いと思いますが、差異を問うのでなく、時間軸上の先進・後進に位置づけるのは無理があるように思います。「経済面はともかく、政治面ではどうしてこんな違いが生じてきたのか」。そう問う方が有効ではないでしょうか。 18世紀までの非西洋世界の一部に優れた文明があったのは確かですが、それが持続したとして、現代人がそこに住みたいと思うようなことがあるでしょうか。19世紀以後に生れた欧米主導世界への反感を語る。そこにどんな意味があるのでしょうか。「虐げられたアジア人よ、ずっと前の歴史を振返り、自信を取戻せ」。こうした訴えに共感するアジア人は、いまどれほどいるでしょうか。今はそんな時代ではないように思います。 議論がずれているかも知れませんが、ご海容を 参考書 ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』日経BP社 三谷 博「19世紀グローバル化への対応-日本・中国・朝鮮」、『日本史からの問い』白水社。 コメントへ移動▶ 2023/03/07 at 11:32 am 投稿者:小林克史 アジアは「遅れていた」といえるのか? 30年前にイスラーム史を専攻した小林です。 30年前はイスラームやオリエンタリズムに対する誤解や偏見と戦うのに精いっぱいだったので、イスラーム史の先生方が教科書執筆したりして、プラスイメージを強調し、だいぶ変わってきたと思います。 もう、そろそろ三谷先生の言うように、どうしてそのような差異が生まれてきたのかを問いかけてもいいのかもしれません。ただ、生徒と会話して誤解や偏見、差別の根深さ、ネットによるそれの拡大再生産を感じます。 コメントへ移動▶ 2023/03/09 at 12:44 am 投稿者:清川 洋 日中戦争は、なぜ終わりの見えない戦争になったのか? よくできた授業案ですね。コミンテルンや中国共産党の策動を言及しないと理解できないところがあると思います。高校生には少し難しいかもしれませんが。 コメントへ移動▶ 2023/03/15 at 10:09 am 投稿者:佐伯 佳祐 日中戦争は、なぜ終わりの見えない戦争になったのか? 清川先生 コメントをありがとうございます。 歴史総合において事実関係をどの程度精選して教えるかが難しいところだと感じております。なお、この次の授業「なぜ、第二次世界大戦は複合的な戦争と呼ばれるのか?」では、コミンテルンと声明と中国共産党の宣言を併置して考察させる課題も入れております。 コメントへ移動▶ 2023/03/15 at 12:16 pm 投稿者:貴子 神﨑 メソポタミア文明・エジプト文明 高校卒業以来何年もたって世界史を勉強します。楽しみに拝見します。 コメントへ移動▶ 2023/03/15 at 3:21 pm 投稿者:八本侑士 メソポタミア文明・エジプト文明 コメントありがとうございます。なかなかこれといったものが見つけられない試行錯誤の日々ですが、研究を続けていきたいですね。 コメントへ移動▶ 2023/03/21 at 10:12 pm 投稿者:貴子 神﨑 カレーから見る日本と世界の歴史 カレーの広まり方について複数の問いがあり、この授業をやってみたいと思いました。とくにハウス食品の資料に心惹かれました。 コメントへ移動▶ 2023/03/15 at 3:37 pm 投稿者:小林克史 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 神奈川県立厚木清南高等学校の小林です。 大学時代の専攻がイスラーム史だったので、よく勉強されていて、よく練られていると感心しました。授業でここまで詳しくやろうと考えたことはなかったです。 様々なイスラームへの偏見に対して、考えさせるものとなっていると思います。佐伯先生の思いがあふれている記述に感じ入りました。 わずかに気になった点は、スーフィーとウラマーの関係ですが、知的なスーフィーもいたとしていますが、スーフィー的な取り組みをしたウラマーもいたようです。湯川武先生の本文からも、そう読み取れます。京都大学イスラーム地域研究センター(KIAS) (kyoto-u.ac.jp) 「EQ 私たちは、「原理主義」的過激派の暴力や抑圧に抗議・反論しうるか?」という問いや「→一方で、「イスラーム原理主義」が台頭する様々要因にも問題があり、それらは「近代化」以降の世界によって形成されています。私たちは彼らを批判するだけに終わってはいけません。」という表現は、生徒に伝わりやすいとは思うのですが、私としてはそれよりも「なぜ暴力的な手段に出るのか?」「どうすればこんなことにならなかったのか?」「仲良くするために私たちは何をするべきか?」という問いが好ましいです。 過激派は分けて考えるべきだということも、私も授業でさんざん言っていましたが、現在私の勤務校で生徒にムスリムがいる状況で、どのような配慮をしながら授業をするのか、悩みながら授業をしています。過激派が生まれる原因、他宗教の過激派や原理主義との比較、穏健なイスラーム主義、そもそも政治的経済的状況からおこる紛争を安易に宗教と結びつけた解説をしてよいのか、などなど。かといって、限られた授業時間(と生徒の能力)のなかで何に重点を置くのか、何を一番伝えたいのか、ブラッシュアップしなければ、伝わらない、あるいは生徒が情報の海に溺れるのではないかと思っています。 まあ、佐伯先生の熱意は生徒に伝わるので、それで十分、それが一番かもしれません。 コメントへ移動▶ 2023/03/17 at 9:45 pm 投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 小林先生 返信が大変遅くなりまして申し訳ありません。 コメントをいただき大変光栄です。ありがとうございます。 私もいつも先生の教材から勉強させていただいております。 さて、ウラマーの方もスーフィー的な取組をしていたという点は興味深く読ませていただきました。と言いますのも、私はこの資料を通じて「スーフィーは邪道ではない」ということよりも、「信仰心に正道・邪道はない」というようなことを伝えたかったので、その点においては先生にご教示いただいたウラマーの側がスーフィズムにも肯定的な意味を見出していたことを発見させる学習の方が適切だったかと思いました。 次に、EQについてです。 3月21日の日大シンポでもご報告させていただいたのですが、イスラーム過激派について、「なぜ暴力的な手段にでるのか」「どうすればこんなことにならなかったのか?」といった問いは、近現代のナショナリストや国民国家、資本主義や格差の問題を扱わなければ答えることが困難な問いになるかと思います。それらは非常に重要な問いでありつつも、実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。近現代を通じた分析的な視点をもった問いは近現代でもう一度問べきだと考えています。今回は、大項目Cの「交流・再編」の視点から構成した単元なので、イスラームが柔軟に寛容に変化しながら繁栄してきた千年以上の歴史を知ることが、それを切り捨てようとする「原理主義」的過激派への反論になりうる(ムスリムではなくとも反論しうる)ことに焦点をあてて伝えられたらとの思いでこのEQとしております。多くの学校で2年間かけて学習する世界史探究だからこそ、古代中世を学ぶ意義の視点と現代の課題の形成過程という視点を往還するようなカリキュラムにできたらと思います。 貴重なご意見をありがとうございました。 佐伯佳祐 コメントへ移動▶ 2023/04/04 at 6:42 pm 投稿者:小林克史 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 佐伯先生 非常に丁寧なお返事に恐縮してしまいます。EQについて、違和感を感じたので、思うままに書いてしまい、1年間での全体の流れなどを考えない発言だったと思います。すみませんでした。書いた後で2、3日経ってから違和感は何だったのだろうと考えたところ、私が設問から感じたのは、「私たちは正しい、多くの穏健なイスラーム教徒も正しい」という「前提」があったところだと気づきました。生徒たちに自分たちの価値観が、(私の価値観も含めて)絶対ではないと気づいてもらうことが、おそらく私が授業をしていくうえで大切にしていたことだったのだと、改めて気づかせてもらいました。ロシアの侵攻も、イスラーム過激派もとんでもない、ふざけるな、と私も思っていますが、自分たちの前提を疑う、あるいは客観視する作業は、忘れてはいけないと考えています。おそらく、佐伯先生も授業ではそのような態度で生徒たちに臨まれていたと思います。それにもかかわらず、わざわざ言葉尻をとらえたことは、申し訳なかったと思っております。 >実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。 この文章には、生徒とともに深く取り組まれていることが分かりました。「あいつらおかしい」という生徒の回答から、一歩でも進めばいいという私の授業より、はるかに先を行かれているなと。大学時代、近現代レバノンを卒論で扱ったのですが、「レバノン内戦」に関してジャーナリスティックな書物や、社会学・政治学的なアプローチの本や論文の多くは、「多宗派が混在していたから、内戦がおこった」と分析的?なことをいかにもな感じで書いていました。生徒と同じです。しかし、多宗派が混在していても共存していた時代があったことを考えるならば(実際にあった)、なぜ共存できたのか、なぜそれが破綻したのか、を考えないことは、いかにも「他人事」であり、当人たちの努力や当時の共存を保つ社会システムを無視した「上から目線」を感じずにはいられませんでした。それに物申したかったことが、今でも続いています。 生徒が自力でなにかにたどり着けるように試行錯誤される佐伯先生の態度は尊敬すべきものです。そこまでいけない私の実践としては、ありきたりな回答を生徒にさせたうえで、違う視点を提示するという手法をとることがあります。ちなみに、それを以前研修先の模擬授業で社会科の先生方にしたところ、ものすごく嫌がられました。さんざん教科書を読み取らせ、考えさせた挙句、「答えはありません。よく分かっていません。実は分かってないから教科書もぼかしていて書いていないんですよ。」としたところ、「気持ち悪かった」「ちっとも面白いと思えない」「生徒に通じない」という評価をいただきました。生徒たちと人間関係を作ればいけると思うのですけどね。 自分語りが多いですね。またもや失礼しました。このコメントを通して勉強させていただきました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/04/05 at 10:00 pm 投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 小林先生 ご丁寧な返信をありがとうございます。 「言葉尻をとらえられた」などとは全く思っておりません。単元の内容と本質的な問いを実際上どのように結びつけていくのかというのは、非常に重要な観点であり、私の教材だけではその説明になっていないので、先生のご質問は大変ありがたいものでした。 先生のご指摘されるように、多くの専門的な書物や論文は、事象の原因や背景を詳細に説明しているものの、「私たち」がそのような問題や地球社会にどのように向き合っていくべきかという視点ではあまりヒントが得られないものが多いのではないかと思っていました。今回は、あえて近現代の詳細の経緯を学ぶ前に、「イスラームはどのように在ったか」を根拠に原理主義的言説と対話できるかを問うものです。 「他人事」や「上から目線」を乗り越えるにはどうしたらよいかを考えての今回のご提案ですが、実際にこれでうまくいくのかどうかはやってみないとわかりません。ぜひ今後ともご意見アドバイスを頂戴しながらよりよい実践を目指していきたいと思います。よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/04/10 at 12:59 pm 投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望 実際に授業を終えての感触ですが、 歴史的経緯を探る(近代化・大衆化・グローバル化)と仮説は順序を逆にしたほうがよかったと感じました。 生徒が、手ぶらで本やネットをただまとめるだけの調べ学習にならないために、個人内思考によって、探究する方向性を固めることを目的に仮説を先に持ってきましたが、 本校の生徒の場合は、ある程度思考する習慣が確立してたために、この順番はかえってやりにくくさせてしまいました。 ①トピック(課題)の設定→問いとして表現 ②課題の歴史的経緯を学んだ知識を元に考察 ③解決へ向けた仮説 ④文献・資料調査 ⑤考察 ⑥結論 という流れのほうが、無理なくスムーズに運ぶように思います。 コメントへ移動▶ 2023/03/21 at 1:14 pm 投稿者:野々山 新 D4 現代的諸課題の形成と展望 大項目D(4)の事例を紹介くださり、大変参考になります。 本校でも探究学習を実施しましたが、本事例のように書籍への接近を十分に果たせなかったので反省させられました。ちなみに私はこの探究学習の時間(計4時間)が刺激溢れる学びの空間となっていたと感じ、歴史総合って面白いなぁと改めて思いました!本間さんもきっとそう感じていたのではないかと推察します。 ところで私は近代化・大衆化・グローバル化と結びつけることは必ずしも求める必要がないのではないかと考えていました。というのも、1年間の授業で一貫して扱ってきた上記転換点に対して学習者が賛同するならば関連するであろうし、そうでなければ学習者自身の課題意識を表出させることも有意義だろうと感じていたためです。もちろん、歴史を扱うという大前提は要求しましたが。この点について本間さんとの違いを感じたところです。本間さんが3つの転換点と結びつけることが肝と考える意図を聞いてみたいと思いました。 コメントへ移動▶ 2023/03/22 at 2:19 pm 投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望 野々山先生、コメントありがとうございます。 大項目D(4)を実際にやってみて、この部分こそが本当の意味での歴史総合の核心なんだと再確認しました。最後にミニ報告会を行ったのですが、生徒の語りによって私自身気づかされることも多かったです。終わった後、生徒から「自分の関心があったことに対してより理解を深められた、やってよかった」と言ってもらえたことが本当に嬉しかったです。 さて、この歴史の転換点との結びつきなのですが、これは何に力点を置いて探究活動を行うかによって変わってくる部分であり、「正解」のようなものはないと思います。私の意図を理解していただくために、思考のプロセスをたどると、まず第一に「歴史総合固有の探究活動」とは何かを考えるところから始まりました。今学習指導要領では、様々な教科・科目で生徒の探究的な学びが求められています。その中で、「地理総合」や「公共」における探究活動との違いとは何かを考えている中で、歴史総合の学習指導要領にも書かれている「現代的な諸課題の形成にかかわる近現代の歴史を理解する」の部分を重要視しました。自分はこの部分を、現代的な諸課題が近代化→大衆化→グローバル化という転換の中で、歴史の中にどのように表れてきたのか、を定点観測的に追っていく方法を考えたのです。この考え方と考え方に基づく歴史総合トピック集は東京学芸大学の高校探究プロジェクトの地理歴史ツールキットにアップしています(https://g-tanq.jp/history)。このような枠組みを設定しないで、生徒の自由な発想を重視するのも大事かと思いますが、私は思考の枠組みを設定して、「歴史総合の探究活動」となることをより重要視したのですね。私の1年間の授業だと、「歴史を扱う」という示し方だとおそらく「どう扱えば良いのかわからない」状態になり、現代の課題に対する調べ学習に終わってしまう生徒が出るだろうという予測ですね。結果としては、やや苦労をする生徒もいましたが、自分は設定してよかったと思っています。学んだことをいかに活かすか、という活動を通して学びの振り返りも可能になりましたし、このように活用できる知識は概念化されて抽象化された知識なので、考察を通して理解をより深められた生徒も出たと感じています。 長々書いた割に、明確な答えになっていなくて申し訳ありません。D4については、これから議論を深めて行けるといいですね。 コメントへ移動▶ 2023/03/22 at 8:11 pm 投稿者:野々山 新 D4 現代的諸課題の形成と展望 本間先生ありがとうございます!私も正解がないものだと思っている、いや確信していますので、私との相違はむしろ好ましいことだと感じるのです。そしてご意見を聞いて、1年間での授業デザインそのものと密接に関連して、大項目Dの(4)が立ち上がってくるのだなと感じさせられました。本間先生の目標論と授業方法論に依拠した時、本事例のように展開するのがまさに適切なのだろうと認識することができました。すごく鮮明に語ってくださって、深く感謝申し上げます。 ところで、他の先生方が大項目Dの(4)をどのような目標を据えながら実施していったのかも気になります。議論を深めたいところですよね。正解がないことが前提ですので、ぜひご紹介くださると嬉しいです! コメントへ移動▶ 2023/03/24 at 5:44 pm 投稿者:山田 道行 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 京華高等学校の山田と申します。 3月21日の日大シンポジウムにおいて、佐伯先生のご報告を拝聴し、たいへん感銘いたしました。綿密に構成された単元構成はもちろんですが、大項目C「諸地域の交流・変容」という視点からイスラームの宗教的な寛容さはもちろん、他民族との融合や変容、交易ネットワークを通じた文化の伝播などの本質を考えさせる問いとなっていて、それが単元全体を通して明確に構成されている点が素晴らしいです。私自身が従来の世界史Bを教えていた際に、細かい用語やアッバース朝以降のさまざまなイスラーム政権を系統立てて教えることに四苦八苦してしまい、イスラーム全体の特質や世界史全体における当該時代の位置づけが曖昧になっていたことを反省しています。「探究」では、1つの単元だけでなく、年間の授業を通して生徒に獲得して欲しい資質・能力を明確にし、生徒がどのように育っていくのかを考えて授業を構成することを共通認識にすべきですが、その点で佐伯先生の教材は秀逸だと思います。加えて、先生の語り口や授業中のエピソードなど、とても親しみやすい授業を展開されていて、参加している生徒たちにとって本当に意味のある学びが獲得されていることが推し量れました。 さて、「過激派」についての議論ですが、シンポジウムの報告でもおっしゃっていたように、大項目Cの段階ではこれがちょうどよい塩梅なのかと思います。やがて大項目DやEを通して、改めて現代的な課題として、「過激化」について考えることになるはずです。これはさまざまな観点に共通することですが、大項目BやCで生徒が得た認識や深めた問いが、大項目D以降で変容したり、異なる事実と向き合って悩んだり、(歴史総合で獲得した「近代化以降の私たち」と比較しながら改めて「私とは何か」と問うてみたり・・・年間を通して生徒が試行錯誤しながら成長していける、そんな展開が理想的ではないでしょうか。その意味で、イスラームの原理主義や過激化という問題も、佐伯先生の教材に繋がるような提案が、教材共有サイトで他の先生方から投稿されて、議論が活性化されていくことを期待します。 コメントへ移動▶ 2023/03/25 at 5:15 pm 投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」 山田先生 返信が遅くなり申し訳ございません。 また、身にあまるお言葉を頂戴し大変恐縮しています。 私は2月の合同研究会で先生のキリスト教の教材を拝見し、自分が発表してよいものかと落ち込むほど先生の教材に感銘を受けました。 大項目の中のどの部分をどの程度のスケール感で単元化するべきかという点において、私の今回の教材は既存の教科書的なまとまりの範囲を構造的に抜け出せていないのではないかという葛藤がありました。先生のように特定のテーマで長期的なスパンを貫いたり、片桐先生の単元案のような空間をダイナミックにとらえさせるような単元案になっていないのではないかという不安がありました。先生のお言葉により、私の提案にもいくらかの意義があったものと振り返ることができ、ほっとしたのが正直なところです。 さて、皆様からやはり寄せていただける「過激派」に関する議論ですが、私の意図するところをそのまま表現していただいたような文章で、こちらがすっきりした思いです。近現代を学ばなければ「過激派」は理解できない。しかし、近現代を学ばなければ「過激派」について考えてはいなけいわけではない。むしろ、詳細な背景事情を抜きにして、イスラームとはどのような宗教であり、ムスリムはどのような歴史を築いてきたのかを知ることで、私たちもイスラームの問題について考え、発言することは可能である。というようなことが生徒に伝わればと思っております。実際には近現代史を学んだところで、問題への具体的な提言をすることは難しいので、だからこそこの段階で後付けEQという形で投げかけて、先生のおっしゃるようにその後生徒自身の知識習得と変容の過程を大事にしてあげるのがいいのではないかと思っています。当日の会場でもなかなかニュアンスを伝えきれていないのではないかと思っておりましたが、このようなコメントをいただけて心強く感じております。今後ともよろしくお願いいたします。 佐伯佳祐 コメントへ移動▶ 2023/04/04 at 6:55 pm 投稿者:堀井 弘一郎 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除) 帝国主義とは何かを問い、考える豊富且つ貴重な教材資料、大いに勉強させていただきます。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/03/27 at 9:18 pm 投稿者:清川 洋 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか) 学ばせていた大来ます。 コメントへ移動▶ 2023/03/29 at 9:49 pm 投稿者:清川 洋 単元「男女の「平等」って何なの!?」 学ばせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/03/29 at 10:17 pm 投稿者:武井 寛太 D4 現代的諸課題の形成と展望 貴重な大項目(D)4の実践共有ありがとうございます。 私は今年度取り組んでみて大きな挫折を覚えたため、先生のお知恵を借りたくコメントさせて頂きます。 先生は実感として、 ①生徒の問い(テーマ)が「現代的諸課題」になっていないケースが多い →教科担任の声かけで、深化 と挙げておりますが、この点、どのような声掛けで、どの程度深まったでしょうか。 私の生徒の場合、生徒は現代的な諸課題をほとんど知っておらず、また関心も薄いと見えました。これも1年間の指導の結果なのだと受け止めてはおりますが、たとえば円安、給料が低い(←無理やり産業革命と結び付きはしますが)、(老人は)安楽死ができない(某成田の影響?)、などが挙がるばかりで、それを一つ一つ声を掛けましたが(その日にフォームで集めてすべてにコメント)、なかなか深まらなかった印象です。 また、「近現代の歴史を理解する」ことが目的で、「現代的な諸課題の形成過程の歴史」を叙述するよう促したのですが、歴史はフォーカスが向かず、たとえば円安のメカニズムとか女性差別の現状とか、歴史の授業としてはイマイチな考察が大半を占めました(これも毎時間フィードバックしていたのですが……)。 以上二つの悩みがあります。これらに関する先生のご意見を、ご実践の経験から何か頂戴できましたら幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/03/31 at 11:48 am 投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望 武井先生コメントありがとうございます。 私も大してうまくいったわけではないので、お貸しするほどの知恵は持ち合わせていないのですが… 「現代の諸課題」については、生徒の問いが課題になるようにガイドするのに本当に苦労しました。 様々なパターンがあったのですが、共通して言えることは「課題というのは、解決すべき問題であるということ」という視点ですね。「あなたはその事象に対して、何を問題とし何を解決したいのか」というベースに基づいて、生徒の思考が解決すべき課題に行き当たるように、なぜなぜ攻撃をしました。 2時間目の問いを立てる時間、3時間目の図書室訪問、4時間目くらいまではひたすら巡回して気になった生徒に声をかける(質問攻めにする)状態でしたね。授業内ですべての生徒に声をかけたと思います。一見成り立っていないように見えても、生徒と話してみると課題意識を持っているということもありましたので、会話によって生徒が言語化することを助けるつもりでいました。 本校で多かった課題は、「ジェンダー問題」「難民の受け入れ」「国家間の経済格差」「日韓関係」で、この辺りは調べ学習になりそうな問いになっていた場合に、「それの何が問題なの」だとか、「自分はその問題の特にどのあたりにフォーカスして考えたいのか、自分がどうかかわるかという視点から考えてみたら」などのアドバイスで修正できた生徒が多かったです。 「日本はなぜ経済成長しないのか」のような、超ショートスパンの問いが出たケースもありましたが、「そもそもなんで経済成長ってしなければならないの」という問いによって思考が一面的であることに気が付かせたりということもありました。どこまでが生徒に気づきを促す指導(声かけ)で、どこからが生徒の思考を方向付ける誘導になるのか、活動を終えた後でも、自分の中では答えが分かりません。 自分の関心から生徒が出した問いが、現代の課題と結びついていない場合もあったのですが、それはかなり時間をかけて声掛けをしました。ラップミュージックが好きな生徒は、ラップのルーツを探ることで人種差別に至り、自分の好きなラップミュージックをより深く理解し、今まで以上に好きになったと言ってくれました。 生徒が出すものは、一発で「探究に値する問い」や「解決すべき課題が明確な問い」になるケースは稀で、生徒が出した問いの原型に対し、どうすればそこから課題を見出せるか頭をフル回転させて、対話を行った次第です。 2時間目の終盤でも、なかなか問いを作れない生徒がいたため、2時間目の終盤にこれから解決すべき課題が集約されたものとしてSDGsがあるので、課題からトピックを見直してみるのもいいだろうという指示を出したら、作業が進む生徒が増えたように思います。 ちなみに、探究活動については最初から一貫してデバイスの使用をオッケーとしています。新聞(ネットニュースですが)やネット上の言論をきっかけにそこから深めていった生徒もいるようです。 歴史的経緯についても、苦労した生徒が多かったです。これはあらかじめ予想されたことだったので、ワークシートに3つの時代の転換点を示し、それぞれの「現れ方」を考えるという形をとりました。 最初、なかなかうまくいかず(書いているけど的外れなど)、ワークシートを見ていたところ、うまくいっていない生徒は、それぞれの転換点の具体的事象で考えようとしている生徒が多かったので、「〇〇化を構成する概念がいくつかあったけど、その概念で考えてみたらどうか」というアドバイスを全体に出したところ、大幅に改善しました。 自分の授業では、4~5時間をつらぬく単元の問いで、生徒が獲得すべき歴史分析概念がはっきりわかるように構成しています。それも最後の探究を見据えてのことだったのですが、これがまあまあうまくいきました。単元の問いや本時の問いを提示するときに、可能な限り現在生じている事象から入るようにしていたのも影響しているかもしれません。 それでも、近代化の欄に全然近代化と関係のない事象を書いている生徒などが結構出てしまい、指導不足を痛感しました。 活動の後半の声掛けは、ほぼこの部分でした。 考察の際に、本または論文を必ず読むということを課していましたが、卒業式&入試で一週間ほど休みとなる期間に文献調査を出来るよう、その前に問いや仮説を出すところまでは進められるようスケジューリングしたのはよかったと思います。 課題の歴史的な形成過程を明確にするのが、他の科目や総探での探究活動と歴史総合における探究活動の一番の違いであると考えていたため、3つの転換点における現れ方という示し方はよかったのかな、と思っています。個人的にはこの部分を次年度以降もこだわりたいと考えています。 まとまりなく長々書いてしまいました。 答えになっておらず、申し訳ありません。 コメントへ移動▶ 2023/03/31 at 5:54 pm 投稿者:渡邉大輔 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除) 堀井弘一郎様、本教材をご覧になりコメントを下さり、ありがとうございました。歴史総合を学んでいる前提で作りましたので、歴史総合で活用される際にはフランスにおける宗教的要因による社会的排除や政教分離の文脈についてもう少し丁寧な説明が必要かもしれません。また、アプロプリアシオンの概念につきましては、ロジェ・シャルチエが代表的でありますが、ここでは摂取ー利用という意味で、スカーフを独自の意味で利用することについて用いております。すなわち、歴史は一方的な上からの押し付けだけではないし、生きている主体の営みがありそのことが次なる変化に繋がる、という当たり前のことを生徒たちに考えてもらう教材としております。機会がありましたらまたご助言ください。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/05/01 at 12:46 pm 投稿者:山田 道行 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 山田道行(京華高等学校)です。帝国主義の資料を探していて、神永先生の教材を拝見し、授業で使おうと考えております。ロシアのウクライナ侵攻の正当化、そしてヘイトスピーチの独善性という現代の課題を導入教材として、そこからジグソー活動を通して「植民地を獲得するための行動は、どのような理屈で正当化されたのか?」「血を流してまで植民地を望んだのは誰か?」「帝国主義が「発展させたあげた」結果、現地の人々はどのような経験をしたのか?」という3つの側面から生徒が活動できるように構成されていて、とても活用しやすい教材です。特に♡パートの「血を流してまで植民地を求めたのは誰か」の問いに関しては、先に教科書の第二次産業革命を資料として提示し、経済的な側面から帝国主義が進展したことが「教科書には書かれている」けれども、後半ではシジウィックや福沢諭吉の資料を通して、「誰が」と問うことで、教科書に書かれている以外の視点を考えさせようとしている点がとても興味深く読み取れました。国民国家の形成や「大衆化」にもつながる視点として優れた教材かと思います。ありがとうございました。 さて、2点ほど質問というか、実際の授業で活用する際のことを教えてください。(1)導入で紹介されるロシアによる正当化、そしてヘイトスピーチですが、ごく一部の生徒は、この正当化を「正当化」してしまうことや、ネットの情報だけでヘイトスピーチ(的な主張)を「支持する」立場をとることがあります。そのような意見を直接授業中に書いてくることは少なくても、生徒の言動を見ていると「そっちに寄っている」と感じられる場合もあります。そう考えると、ロシアの正当化が「間違っている」と言える論拠、あるいは最初のジグソー教材に出てく人種論、社会ダーウィニズム等が明らかに「誤った考え方である」ことはどこかで伝えなければいかないのかと思います。その一方で、教師が「解釈」を規定してしまうことで教室内の自由な言論が制限されるという懸念もあるのですが。そのあたりが自分で授業をしていて迷う場面です。神永先生はいかがでしょうか。 (2)これも導入教材につながることですが、ジグソー活動、クロストークを経た上で、最後にMQを考える上で、導入とどのように結びつけるかということです。「教材のねらい」で書かれているように「積極的に行動し、間違える大衆」をテーマにするのならば、やはり最後にもう1度、冒頭の課題について考えさせ、教材を学んだ前と後で自分のイメージや意見がどう変化したという個人内評価を問うことも意味があるかと思いました。 実際に使ってみて、また感想を書かせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/06/04 at 6:06 pm 投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。 ⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。 ⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。 まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/06/07 at 8:18 pm 1 2 3 … 5 次へ »
「鎖国」から開国へのWork3について。回答例のなかに、「貿易統制「鎖国」を緩くする」とあるのですが、「他の西洋諸国とも貿易すれば、戦争が避けられる」と具体的に書いた方が分りやすいでしょう。それまで続いた対日貿易の独占を破るので直接にはオランダにとって不利だったので、親切な忠告だったと言えます(日本の安全が保てれば、貿易を続けられるというメリットもありますが)。なお、鎖国にわざわざ「」をつけるのはなぜでしょうか。以前の学界では「江戸時代は鎖国でなかった」との理解が流行りましたが、私は大局的には間違いと思います。国境を出入りするものを、人とモノと情報とに分けると、江戸時代はモノと情報は制限付ながら通過していましたが、人の出入り制限は厳しく、とくに日本人は列島から出ることを禁じられていました。漂流民はともかく、自分の意志で出国し、帰ってきた人はいなかったのです。この点は、同時代の世界では珍しいことでした(朝鮮は朝貢使節が清に定期往復)。これに似た体制は少し前までのアルバニアやミャンマーくらいにしか見られなかったはずです。日本史の中でも、戦国や明治以降と比べてみると、江戸時代は明らかに閉鎖的です。歴史総合ではつねに世界と比較して考えるが重要と思います。
三谷先生、ありがとうございます。 回答例の分かりやすい例示、ありがとうございます。 私の「鎖国」へのこだわりがあふれました。 「鎖国」については、30年前に高校時代までに習った「交流を閉じた」鎖国イメージに対して、大学時代に習った「貿易統制」の視点にびっくりした経験から「鎖国」としています。教科書や副教材の流行に乗る前から「貿易統制」で説明していました。人の出入り制限の厳しさは、確かに特筆すべきものなので、言われてみれば鎖国でいいのかと。でも、モノや情報の出入りもなかったイメージが30年前にはあったので、それに対するならば「鎖国」か。現在はもはや完全に閉じたイメージがないから鎖国でいいのか。などと考えてしまいます。アルバニアやミャンマーの鎖国のころ、人だけでなく情報やモノも制限されたので、そのイメージが逆に一般的な江戸時代の鎖国理解(誤解)につながったのではないかとも思えるのですが。 大学2年のときの田代和生先生の「日本史概論」で、鎖国の初期は貿易統制の目的が強かったという説明(だったと思います。間違っていたら田代先生ごめんなさい。)、それに感銘を受けたのがきっかけです。宗氏の文書からの日韓交流の話も面白かったです。 世界との比較で考えると、明・清の海禁と同列に語られるのではないかと、数年前にどの教科書か忘れましたが、ありました。どうなのでしょう。 たくさんのご指摘、本当にありがとうございました。 楽しかったです。
三谷先生、ありがとうございます。 回答例の分かりやすい例示、ありがとうございます。 私の「鎖国」へのこだわりがあふれました。
「鎖国」については、30年前に高校時代までに習った「交流を閉じた」鎖国イメージに対して、大学時代に習った「貿易統制」の視点にびっくりした経験から「鎖国」としています。教科書や副教材の流行に乗る前から「貿易統制」で説明していました。人の出入り制限の厳しさは、確かに特筆すべきものなので、言われてみれば鎖国でいいのかと。でも、モノや情報の出入りもなかったイメージが30年前にはあったので、それに対するならば「鎖国」か。現在はもはや完全に閉じたイメージがないから鎖国でいいのか。などと考えてしまいます。アルバニアやミャンマーの鎖国のころ、人だけでなく情報やモノも制限されたので、そのイメージが逆に一般的な江戸時代の鎖国理解(誤解)につながったのではないかとも思えるのですが。
大学2年のときの田代和生先生の「日本史概論」で、鎖国の初期は貿易統制の目的が強かったという説明(だったと思います。間違っていたら田代先生ごめんなさい。)、それに感銘を受けたのがきっかけです。宗氏の文書からの日韓交流の話も面白かったです。 世界との比較で考えると、明・清の海禁と同列に語られるのではないかと、数年前にどの教科書か忘れましたが、ありました。どうなのでしょう。
たくさんのご指摘、本当にありがとうございました。 楽しかったです。
三谷 博(19世紀史)です。ここで気になるのは、「では、19世紀ではどうなったのか」、「そもそも「進んでいる」「遅れている」というのは、何が基準なのか、一列上下に位置づけるのは意味があるのか」という点です。 アジアへのマイナス・イメージを払拭する。大事な課題と思います。ただ、18世紀までの一部社会をとりあげ、それを「進んでいる」と持上げることには違和感があります。 学習指導要領は最初の柱に「近代化」を設けていますが、私はそこにも違和感も持っています。。「近代化」を「市民革命」から始めること、西ヨーロッパを基準に設定していることです。この語の下位には、工業化・国民国家化・科学技術の発展・民主化といった趨勢が含まれるはずですが、これらは常に同居するわけではありません。とくに、現代世界の半分以上は民主化を拒否しています。それら、代表的には中国やロシアを、民主化していないがゆえに「近代化」していない、「遅れている」と判定できるでしょうか。それらは日本や欧米とは異なるし、私は民主化した方が良いと思いますが、差異を問うのでなく、時間軸上の先進・後進に位置づけるのは無理があるように思います。「経済面はともかく、政治面ではどうしてこんな違いが生じてきたのか」。そう問う方が有効ではないでしょうか。 18世紀までの非西洋世界の一部に優れた文明があったのは確かですが、それが持続したとして、現代人がそこに住みたいと思うようなことがあるでしょうか。19世紀以後に生れた欧米主導世界への反感を語る。そこにどんな意味があるのでしょうか。「虐げられたアジア人よ、ずっと前の歴史を振返り、自信を取戻せ」。こうした訴えに共感するアジア人は、いまどれほどいるでしょうか。今はそんな時代ではないように思います。 議論がずれているかも知れませんが、ご海容を 参考書 ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』日経BP社 三谷 博「19世紀グローバル化への対応-日本・中国・朝鮮」、『日本史からの問い』白水社。
30年前にイスラーム史を専攻した小林です。 30年前はイスラームやオリエンタリズムに対する誤解や偏見と戦うのに精いっぱいだったので、イスラーム史の先生方が教科書執筆したりして、プラスイメージを強調し、だいぶ変わってきたと思います。 もう、そろそろ三谷先生の言うように、どうしてそのような差異が生まれてきたのかを問いかけてもいいのかもしれません。ただ、生徒と会話して誤解や偏見、差別の根深さ、ネットによるそれの拡大再生産を感じます。
よくできた授業案ですね。コミンテルンや中国共産党の策動を言及しないと理解できないところがあると思います。高校生には少し難しいかもしれませんが。
清川先生 コメントをありがとうございます。 歴史総合において事実関係をどの程度精選して教えるかが難しいところだと感じております。なお、この次の授業「なぜ、第二次世界大戦は複合的な戦争と呼ばれるのか?」では、コミンテルンと声明と中国共産党の宣言を併置して考察させる課題も入れております。
清川先生
コメントをありがとうございます。 歴史総合において事実関係をどの程度精選して教えるかが難しいところだと感じております。なお、この次の授業「なぜ、第二次世界大戦は複合的な戦争と呼ばれるのか?」では、コミンテルンと声明と中国共産党の宣言を併置して考察させる課題も入れております。
高校卒業以来何年もたって世界史を勉強します。楽しみに拝見します。
コメントありがとうございます。なかなかこれといったものが見つけられない試行錯誤の日々ですが、研究を続けていきたいですね。
カレーの広まり方について複数の問いがあり、この授業をやってみたいと思いました。とくにハウス食品の資料に心惹かれました。
神奈川県立厚木清南高等学校の小林です。 大学時代の専攻がイスラーム史だったので、よく勉強されていて、よく練られていると感心しました。授業でここまで詳しくやろうと考えたことはなかったです。 様々なイスラームへの偏見に対して、考えさせるものとなっていると思います。佐伯先生の思いがあふれている記述に感じ入りました。 わずかに気になった点は、スーフィーとウラマーの関係ですが、知的なスーフィーもいたとしていますが、スーフィー的な取り組みをしたウラマーもいたようです。湯川武先生の本文からも、そう読み取れます。京都大学イスラーム地域研究センター(KIAS) (kyoto-u.ac.jp) 「EQ 私たちは、「原理主義」的過激派の暴力や抑圧に抗議・反論しうるか?」という問いや「→一方で、「イスラーム原理主義」が台頭する様々要因にも問題があり、それらは「近代化」以降の世界によって形成されています。私たちは彼らを批判するだけに終わってはいけません。」という表現は、生徒に伝わりやすいとは思うのですが、私としてはそれよりも「なぜ暴力的な手段に出るのか?」「どうすればこんなことにならなかったのか?」「仲良くするために私たちは何をするべきか?」という問いが好ましいです。 過激派は分けて考えるべきだということも、私も授業でさんざん言っていましたが、現在私の勤務校で生徒にムスリムがいる状況で、どのような配慮をしながら授業をするのか、悩みながら授業をしています。過激派が生まれる原因、他宗教の過激派や原理主義との比較、穏健なイスラーム主義、そもそも政治的経済的状況からおこる紛争を安易に宗教と結びつけた解説をしてよいのか、などなど。かといって、限られた授業時間(と生徒の能力)のなかで何に重点を置くのか、何を一番伝えたいのか、ブラッシュアップしなければ、伝わらない、あるいは生徒が情報の海に溺れるのではないかと思っています。 まあ、佐伯先生の熱意は生徒に伝わるので、それで十分、それが一番かもしれません。
神奈川県立厚木清南高等学校の小林です。 大学時代の専攻がイスラーム史だったので、よく勉強されていて、よく練られていると感心しました。授業でここまで詳しくやろうと考えたことはなかったです。 様々なイスラームへの偏見に対して、考えさせるものとなっていると思います。佐伯先生の思いがあふれている記述に感じ入りました。
わずかに気になった点は、スーフィーとウラマーの関係ですが、知的なスーフィーもいたとしていますが、スーフィー的な取り組みをしたウラマーもいたようです。湯川武先生の本文からも、そう読み取れます。京都大学イスラーム地域研究センター(KIAS) (kyoto-u.ac.jp)
「EQ 私たちは、「原理主義」的過激派の暴力や抑圧に抗議・反論しうるか?」という問いや「→一方で、「イスラーム原理主義」が台頭する様々要因にも問題があり、それらは「近代化」以降の世界によって形成されています。私たちは彼らを批判するだけに終わってはいけません。」という表現は、生徒に伝わりやすいとは思うのですが、私としてはそれよりも「なぜ暴力的な手段に出るのか?」「どうすればこんなことにならなかったのか?」「仲良くするために私たちは何をするべきか?」という問いが好ましいです。
過激派は分けて考えるべきだということも、私も授業でさんざん言っていましたが、現在私の勤務校で生徒にムスリムがいる状況で、どのような配慮をしながら授業をするのか、悩みながら授業をしています。過激派が生まれる原因、他宗教の過激派や原理主義との比較、穏健なイスラーム主義、そもそも政治的経済的状況からおこる紛争を安易に宗教と結びつけた解説をしてよいのか、などなど。かといって、限られた授業時間(と生徒の能力)のなかで何に重点を置くのか、何を一番伝えたいのか、ブラッシュアップしなければ、伝わらない、あるいは生徒が情報の海に溺れるのではないかと思っています。
まあ、佐伯先生の熱意は生徒に伝わるので、それで十分、それが一番かもしれません。
小林先生 返信が大変遅くなりまして申し訳ありません。 コメントをいただき大変光栄です。ありがとうございます。 私もいつも先生の教材から勉強させていただいております。 さて、ウラマーの方もスーフィー的な取組をしていたという点は興味深く読ませていただきました。と言いますのも、私はこの資料を通じて「スーフィーは邪道ではない」ということよりも、「信仰心に正道・邪道はない」というようなことを伝えたかったので、その点においては先生にご教示いただいたウラマーの側がスーフィズムにも肯定的な意味を見出していたことを発見させる学習の方が適切だったかと思いました。 次に、EQについてです。 3月21日の日大シンポでもご報告させていただいたのですが、イスラーム過激派について、「なぜ暴力的な手段にでるのか」「どうすればこんなことにならなかったのか?」といった問いは、近現代のナショナリストや国民国家、資本主義や格差の問題を扱わなければ答えることが困難な問いになるかと思います。それらは非常に重要な問いでありつつも、実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。近現代を通じた分析的な視点をもった問いは近現代でもう一度問べきだと考えています。今回は、大項目Cの「交流・再編」の視点から構成した単元なので、イスラームが柔軟に寛容に変化しながら繁栄してきた千年以上の歴史を知ることが、それを切り捨てようとする「原理主義」的過激派への反論になりうる(ムスリムではなくとも反論しうる)ことに焦点をあてて伝えられたらとの思いでこのEQとしております。多くの学校で2年間かけて学習する世界史探究だからこそ、古代中世を学ぶ意義の視点と現代の課題の形成過程という視点を往還するようなカリキュラムにできたらと思います。 貴重なご意見をありがとうございました。 佐伯佳祐
小林先生
返信が大変遅くなりまして申し訳ありません。 コメントをいただき大変光栄です。ありがとうございます。 私もいつも先生の教材から勉強させていただいております。
さて、ウラマーの方もスーフィー的な取組をしていたという点は興味深く読ませていただきました。と言いますのも、私はこの資料を通じて「スーフィーは邪道ではない」ということよりも、「信仰心に正道・邪道はない」というようなことを伝えたかったので、その点においては先生にご教示いただいたウラマーの側がスーフィズムにも肯定的な意味を見出していたことを発見させる学習の方が適切だったかと思いました。
次に、EQについてです。 3月21日の日大シンポでもご報告させていただいたのですが、イスラーム過激派について、「なぜ暴力的な手段にでるのか」「どうすればこんなことにならなかったのか?」といった問いは、近現代のナショナリストや国民国家、資本主義や格差の問題を扱わなければ答えることが困難な問いになるかと思います。それらは非常に重要な問いでありつつも、実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。近現代を通じた分析的な視点をもった問いは近現代でもう一度問べきだと考えています。今回は、大項目Cの「交流・再編」の視点から構成した単元なので、イスラームが柔軟に寛容に変化しながら繁栄してきた千年以上の歴史を知ることが、それを切り捨てようとする「原理主義」的過激派への反論になりうる(ムスリムではなくとも反論しうる)ことに焦点をあてて伝えられたらとの思いでこのEQとしております。多くの学校で2年間かけて学習する世界史探究だからこそ、古代中世を学ぶ意義の視点と現代の課題の形成過程という視点を往還するようなカリキュラムにできたらと思います。
貴重なご意見をありがとうございました。
佐伯佳祐
佐伯先生 非常に丁寧なお返事に恐縮してしまいます。EQについて、違和感を感じたので、思うままに書いてしまい、1年間での全体の流れなどを考えない発言だったと思います。すみませんでした。書いた後で2、3日経ってから違和感は何だったのだろうと考えたところ、私が設問から感じたのは、「私たちは正しい、多くの穏健なイスラーム教徒も正しい」という「前提」があったところだと気づきました。生徒たちに自分たちの価値観が、(私の価値観も含めて)絶対ではないと気づいてもらうことが、おそらく私が授業をしていくうえで大切にしていたことだったのだと、改めて気づかせてもらいました。ロシアの侵攻も、イスラーム過激派もとんでもない、ふざけるな、と私も思っていますが、自分たちの前提を疑う、あるいは客観視する作業は、忘れてはいけないと考えています。おそらく、佐伯先生も授業ではそのような態度で生徒たちに臨まれていたと思います。それにもかかわらず、わざわざ言葉尻をとらえたことは、申し訳なかったと思っております。 >実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。 この文章には、生徒とともに深く取り組まれていることが分かりました。「あいつらおかしい」という生徒の回答から、一歩でも進めばいいという私の授業より、はるかに先を行かれているなと。大学時代、近現代レバノンを卒論で扱ったのですが、「レバノン内戦」に関してジャーナリスティックな書物や、社会学・政治学的なアプローチの本や論文の多くは、「多宗派が混在していたから、内戦がおこった」と分析的?なことをいかにもな感じで書いていました。生徒と同じです。しかし、多宗派が混在していても共存していた時代があったことを考えるならば(実際にあった)、なぜ共存できたのか、なぜそれが破綻したのか、を考えないことは、いかにも「他人事」であり、当人たちの努力や当時の共存を保つ社会システムを無視した「上から目線」を感じずにはいられませんでした。それに物申したかったことが、今でも続いています。 生徒が自力でなにかにたどり着けるように試行錯誤される佐伯先生の態度は尊敬すべきものです。そこまでいけない私の実践としては、ありきたりな回答を生徒にさせたうえで、違う視点を提示するという手法をとることがあります。ちなみに、それを以前研修先の模擬授業で社会科の先生方にしたところ、ものすごく嫌がられました。さんざん教科書を読み取らせ、考えさせた挙句、「答えはありません。よく分かっていません。実は分かってないから教科書もぼかしていて書いていないんですよ。」としたところ、「気持ち悪かった」「ちっとも面白いと思えない」「生徒に通じない」という評価をいただきました。生徒たちと人間関係を作ればいけると思うのですけどね。 自分語りが多いですね。またもや失礼しました。このコメントを通して勉強させていただきました。ありがとうございました。
佐伯先生 非常に丁寧なお返事に恐縮してしまいます。EQについて、違和感を感じたので、思うままに書いてしまい、1年間での全体の流れなどを考えない発言だったと思います。すみませんでした。書いた後で2、3日経ってから違和感は何だったのだろうと考えたところ、私が設問から感じたのは、「私たちは正しい、多くの穏健なイスラーム教徒も正しい」という「前提」があったところだと気づきました。生徒たちに自分たちの価値観が、(私の価値観も含めて)絶対ではないと気づいてもらうことが、おそらく私が授業をしていくうえで大切にしていたことだったのだと、改めて気づかせてもらいました。ロシアの侵攻も、イスラーム過激派もとんでもない、ふざけるな、と私も思っていますが、自分たちの前提を疑う、あるいは客観視する作業は、忘れてはいけないと考えています。おそらく、佐伯先生も授業ではそのような態度で生徒たちに臨まれていたと思います。それにもかかわらず、わざわざ言葉尻をとらえたことは、申し訳なかったと思っております。 >実際に現代の授業で扱うと、「〇〇という背景があったから過激派が生まれた」という分析的な視点になりがちであり、ともすると、「〇〇な状況だったから過激派が生まれるのも仕方ない」といった結論に陥りがちであった点が悩みでした。 この文章には、生徒とともに深く取り組まれていることが分かりました。「あいつらおかしい」という生徒の回答から、一歩でも進めばいいという私の授業より、はるかに先を行かれているなと。大学時代、近現代レバノンを卒論で扱ったのですが、「レバノン内戦」に関してジャーナリスティックな書物や、社会学・政治学的なアプローチの本や論文の多くは、「多宗派が混在していたから、内戦がおこった」と分析的?なことをいかにもな感じで書いていました。生徒と同じです。しかし、多宗派が混在していても共存していた時代があったことを考えるならば(実際にあった)、なぜ共存できたのか、なぜそれが破綻したのか、を考えないことは、いかにも「他人事」であり、当人たちの努力や当時の共存を保つ社会システムを無視した「上から目線」を感じずにはいられませんでした。それに物申したかったことが、今でも続いています。 生徒が自力でなにかにたどり着けるように試行錯誤される佐伯先生の態度は尊敬すべきものです。そこまでいけない私の実践としては、ありきたりな回答を生徒にさせたうえで、違う視点を提示するという手法をとることがあります。ちなみに、それを以前研修先の模擬授業で社会科の先生方にしたところ、ものすごく嫌がられました。さんざん教科書を読み取らせ、考えさせた挙句、「答えはありません。よく分かっていません。実は分かってないから教科書もぼかしていて書いていないんですよ。」としたところ、「気持ち悪かった」「ちっとも面白いと思えない」「生徒に通じない」という評価をいただきました。生徒たちと人間関係を作ればいけると思うのですけどね。
自分語りが多いですね。またもや失礼しました。このコメントを通して勉強させていただきました。ありがとうございました。
小林先生 ご丁寧な返信をありがとうございます。 「言葉尻をとらえられた」などとは全く思っておりません。単元の内容と本質的な問いを実際上どのように結びつけていくのかというのは、非常に重要な観点であり、私の教材だけではその説明になっていないので、先生のご質問は大変ありがたいものでした。 先生のご指摘されるように、多くの専門的な書物や論文は、事象の原因や背景を詳細に説明しているものの、「私たち」がそのような問題や地球社会にどのように向き合っていくべきかという視点ではあまりヒントが得られないものが多いのではないかと思っていました。今回は、あえて近現代の詳細の経緯を学ぶ前に、「イスラームはどのように在ったか」を根拠に原理主義的言説と対話できるかを問うものです。 「他人事」や「上から目線」を乗り越えるにはどうしたらよいかを考えての今回のご提案ですが、実際にこれでうまくいくのかどうかはやってみないとわかりません。ぜひ今後ともご意見アドバイスを頂戴しながらよりよい実践を目指していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
ご丁寧な返信をありがとうございます。 「言葉尻をとらえられた」などとは全く思っておりません。単元の内容と本質的な問いを実際上どのように結びつけていくのかというのは、非常に重要な観点であり、私の教材だけではその説明になっていないので、先生のご質問は大変ありがたいものでした。
先生のご指摘されるように、多くの専門的な書物や論文は、事象の原因や背景を詳細に説明しているものの、「私たち」がそのような問題や地球社会にどのように向き合っていくべきかという視点ではあまりヒントが得られないものが多いのではないかと思っていました。今回は、あえて近現代の詳細の経緯を学ぶ前に、「イスラームはどのように在ったか」を根拠に原理主義的言説と対話できるかを問うものです。 「他人事」や「上から目線」を乗り越えるにはどうしたらよいかを考えての今回のご提案ですが、実際にこれでうまくいくのかどうかはやってみないとわかりません。ぜひ今後ともご意見アドバイスを頂戴しながらよりよい実践を目指していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
実際に授業を終えての感触ですが、 歴史的経緯を探る(近代化・大衆化・グローバル化)と仮説は順序を逆にしたほうがよかったと感じました。 生徒が、手ぶらで本やネットをただまとめるだけの調べ学習にならないために、個人内思考によって、探究する方向性を固めることを目的に仮説を先に持ってきましたが、 本校の生徒の場合は、ある程度思考する習慣が確立してたために、この順番はかえってやりにくくさせてしまいました。 ①トピック(課題)の設定→問いとして表現 ②課題の歴史的経緯を学んだ知識を元に考察 ③解決へ向けた仮説 ④文献・資料調査 ⑤考察 ⑥結論 という流れのほうが、無理なくスムーズに運ぶように思います。
実際に授業を終えての感触ですが、 歴史的経緯を探る(近代化・大衆化・グローバル化)と仮説は順序を逆にしたほうがよかったと感じました。
生徒が、手ぶらで本やネットをただまとめるだけの調べ学習にならないために、個人内思考によって、探究する方向性を固めることを目的に仮説を先に持ってきましたが、 本校の生徒の場合は、ある程度思考する習慣が確立してたために、この順番はかえってやりにくくさせてしまいました。 ①トピック(課題)の設定→問いとして表現 ②課題の歴史的経緯を学んだ知識を元に考察 ③解決へ向けた仮説 ④文献・資料調査 ⑤考察 ⑥結論 という流れのほうが、無理なくスムーズに運ぶように思います。
大項目D(4)の事例を紹介くださり、大変参考になります。 本校でも探究学習を実施しましたが、本事例のように書籍への接近を十分に果たせなかったので反省させられました。ちなみに私はこの探究学習の時間(計4時間)が刺激溢れる学びの空間となっていたと感じ、歴史総合って面白いなぁと改めて思いました!本間さんもきっとそう感じていたのではないかと推察します。 ところで私は近代化・大衆化・グローバル化と結びつけることは必ずしも求める必要がないのではないかと考えていました。というのも、1年間の授業で一貫して扱ってきた上記転換点に対して学習者が賛同するならば関連するであろうし、そうでなければ学習者自身の課題意識を表出させることも有意義だろうと感じていたためです。もちろん、歴史を扱うという大前提は要求しましたが。この点について本間さんとの違いを感じたところです。本間さんが3つの転換点と結びつけることが肝と考える意図を聞いてみたいと思いました。
野々山先生、コメントありがとうございます。 大項目D(4)を実際にやってみて、この部分こそが本当の意味での歴史総合の核心なんだと再確認しました。最後にミニ報告会を行ったのですが、生徒の語りによって私自身気づかされることも多かったです。終わった後、生徒から「自分の関心があったことに対してより理解を深められた、やってよかった」と言ってもらえたことが本当に嬉しかったです。 さて、この歴史の転換点との結びつきなのですが、これは何に力点を置いて探究活動を行うかによって変わってくる部分であり、「正解」のようなものはないと思います。私の意図を理解していただくために、思考のプロセスをたどると、まず第一に「歴史総合固有の探究活動」とは何かを考えるところから始まりました。今学習指導要領では、様々な教科・科目で生徒の探究的な学びが求められています。その中で、「地理総合」や「公共」における探究活動との違いとは何かを考えている中で、歴史総合の学習指導要領にも書かれている「現代的な諸課題の形成にかかわる近現代の歴史を理解する」の部分を重要視しました。自分はこの部分を、現代的な諸課題が近代化→大衆化→グローバル化という転換の中で、歴史の中にどのように表れてきたのか、を定点観測的に追っていく方法を考えたのです。この考え方と考え方に基づく歴史総合トピック集は東京学芸大学の高校探究プロジェクトの地理歴史ツールキットにアップしています(https://g-tanq.jp/history)。このような枠組みを設定しないで、生徒の自由な発想を重視するのも大事かと思いますが、私は思考の枠組みを設定して、「歴史総合の探究活動」となることをより重要視したのですね。私の1年間の授業だと、「歴史を扱う」という示し方だとおそらく「どう扱えば良いのかわからない」状態になり、現代の課題に対する調べ学習に終わってしまう生徒が出るだろうという予測ですね。結果としては、やや苦労をする生徒もいましたが、自分は設定してよかったと思っています。学んだことをいかに活かすか、という活動を通して学びの振り返りも可能になりましたし、このように活用できる知識は概念化されて抽象化された知識なので、考察を通して理解をより深められた生徒も出たと感じています。 長々書いた割に、明確な答えになっていなくて申し訳ありません。D4については、これから議論を深めて行けるといいですね。
野々山先生、コメントありがとうございます。 大項目D(4)を実際にやってみて、この部分こそが本当の意味での歴史総合の核心なんだと再確認しました。最後にミニ報告会を行ったのですが、生徒の語りによって私自身気づかされることも多かったです。終わった後、生徒から「自分の関心があったことに対してより理解を深められた、やってよかった」と言ってもらえたことが本当に嬉しかったです。
さて、この歴史の転換点との結びつきなのですが、これは何に力点を置いて探究活動を行うかによって変わってくる部分であり、「正解」のようなものはないと思います。私の意図を理解していただくために、思考のプロセスをたどると、まず第一に「歴史総合固有の探究活動」とは何かを考えるところから始まりました。今学習指導要領では、様々な教科・科目で生徒の探究的な学びが求められています。その中で、「地理総合」や「公共」における探究活動との違いとは何かを考えている中で、歴史総合の学習指導要領にも書かれている「現代的な諸課題の形成にかかわる近現代の歴史を理解する」の部分を重要視しました。自分はこの部分を、現代的な諸課題が近代化→大衆化→グローバル化という転換の中で、歴史の中にどのように表れてきたのか、を定点観測的に追っていく方法を考えたのです。この考え方と考え方に基づく歴史総合トピック集は東京学芸大学の高校探究プロジェクトの地理歴史ツールキットにアップしています(https://g-tanq.jp/history)。このような枠組みを設定しないで、生徒の自由な発想を重視するのも大事かと思いますが、私は思考の枠組みを設定して、「歴史総合の探究活動」となることをより重要視したのですね。私の1年間の授業だと、「歴史を扱う」という示し方だとおそらく「どう扱えば良いのかわからない」状態になり、現代の課題に対する調べ学習に終わってしまう生徒が出るだろうという予測ですね。結果としては、やや苦労をする生徒もいましたが、自分は設定してよかったと思っています。学んだことをいかに活かすか、という活動を通して学びの振り返りも可能になりましたし、このように活用できる知識は概念化されて抽象化された知識なので、考察を通して理解をより深められた生徒も出たと感じています。
長々書いた割に、明確な答えになっていなくて申し訳ありません。D4については、これから議論を深めて行けるといいですね。
本間先生ありがとうございます!私も正解がないものだと思っている、いや確信していますので、私との相違はむしろ好ましいことだと感じるのです。そしてご意見を聞いて、1年間での授業デザインそのものと密接に関連して、大項目Dの(4)が立ち上がってくるのだなと感じさせられました。本間先生の目標論と授業方法論に依拠した時、本事例のように展開するのがまさに適切なのだろうと認識することができました。すごく鮮明に語ってくださって、深く感謝申し上げます。 ところで、他の先生方が大項目Dの(4)をどのような目標を据えながら実施していったのかも気になります。議論を深めたいところですよね。正解がないことが前提ですので、ぜひご紹介くださると嬉しいです!
京華高等学校の山田と申します。 3月21日の日大シンポジウムにおいて、佐伯先生のご報告を拝聴し、たいへん感銘いたしました。綿密に構成された単元構成はもちろんですが、大項目C「諸地域の交流・変容」という視点からイスラームの宗教的な寛容さはもちろん、他民族との融合や変容、交易ネットワークを通じた文化の伝播などの本質を考えさせる問いとなっていて、それが単元全体を通して明確に構成されている点が素晴らしいです。私自身が従来の世界史Bを教えていた際に、細かい用語やアッバース朝以降のさまざまなイスラーム政権を系統立てて教えることに四苦八苦してしまい、イスラーム全体の特質や世界史全体における当該時代の位置づけが曖昧になっていたことを反省しています。「探究」では、1つの単元だけでなく、年間の授業を通して生徒に獲得して欲しい資質・能力を明確にし、生徒がどのように育っていくのかを考えて授業を構成することを共通認識にすべきですが、その点で佐伯先生の教材は秀逸だと思います。加えて、先生の語り口や授業中のエピソードなど、とても親しみやすい授業を展開されていて、参加している生徒たちにとって本当に意味のある学びが獲得されていることが推し量れました。 さて、「過激派」についての議論ですが、シンポジウムの報告でもおっしゃっていたように、大項目Cの段階ではこれがちょうどよい塩梅なのかと思います。やがて大項目DやEを通して、改めて現代的な課題として、「過激化」について考えることになるはずです。これはさまざまな観点に共通することですが、大項目BやCで生徒が得た認識や深めた問いが、大項目D以降で変容したり、異なる事実と向き合って悩んだり、(歴史総合で獲得した「近代化以降の私たち」と比較しながら改めて「私とは何か」と問うてみたり・・・年間を通して生徒が試行錯誤しながら成長していける、そんな展開が理想的ではないでしょうか。その意味で、イスラームの原理主義や過激化という問題も、佐伯先生の教材に繋がるような提案が、教材共有サイトで他の先生方から投稿されて、議論が活性化されていくことを期待します。
山田先生 返信が遅くなり申し訳ございません。 また、身にあまるお言葉を頂戴し大変恐縮しています。 私は2月の合同研究会で先生のキリスト教の教材を拝見し、自分が発表してよいものかと落ち込むほど先生の教材に感銘を受けました。 大項目の中のどの部分をどの程度のスケール感で単元化するべきかという点において、私の今回の教材は既存の教科書的なまとまりの範囲を構造的に抜け出せていないのではないかという葛藤がありました。先生のように特定のテーマで長期的なスパンを貫いたり、片桐先生の単元案のような空間をダイナミックにとらえさせるような単元案になっていないのではないかという不安がありました。先生のお言葉により、私の提案にもいくらかの意義があったものと振り返ることができ、ほっとしたのが正直なところです。 さて、皆様からやはり寄せていただける「過激派」に関する議論ですが、私の意図するところをそのまま表現していただいたような文章で、こちらがすっきりした思いです。近現代を学ばなければ「過激派」は理解できない。しかし、近現代を学ばなければ「過激派」について考えてはいなけいわけではない。むしろ、詳細な背景事情を抜きにして、イスラームとはどのような宗教であり、ムスリムはどのような歴史を築いてきたのかを知ることで、私たちもイスラームの問題について考え、発言することは可能である。というようなことが生徒に伝わればと思っております。実際には近現代史を学んだところで、問題への具体的な提言をすることは難しいので、だからこそこの段階で後付けEQという形で投げかけて、先生のおっしゃるようにその後生徒自身の知識習得と変容の過程を大事にしてあげるのがいいのではないかと思っています。当日の会場でもなかなかニュアンスを伝えきれていないのではないかと思っておりましたが、このようなコメントをいただけて心強く感じております。今後ともよろしくお願いいたします。 佐伯佳祐
山田先生
返信が遅くなり申し訳ございません。 また、身にあまるお言葉を頂戴し大変恐縮しています。
私は2月の合同研究会で先生のキリスト教の教材を拝見し、自分が発表してよいものかと落ち込むほど先生の教材に感銘を受けました。 大項目の中のどの部分をどの程度のスケール感で単元化するべきかという点において、私の今回の教材は既存の教科書的なまとまりの範囲を構造的に抜け出せていないのではないかという葛藤がありました。先生のように特定のテーマで長期的なスパンを貫いたり、片桐先生の単元案のような空間をダイナミックにとらえさせるような単元案になっていないのではないかという不安がありました。先生のお言葉により、私の提案にもいくらかの意義があったものと振り返ることができ、ほっとしたのが正直なところです。
さて、皆様からやはり寄せていただける「過激派」に関する議論ですが、私の意図するところをそのまま表現していただいたような文章で、こちらがすっきりした思いです。近現代を学ばなければ「過激派」は理解できない。しかし、近現代を学ばなければ「過激派」について考えてはいなけいわけではない。むしろ、詳細な背景事情を抜きにして、イスラームとはどのような宗教であり、ムスリムはどのような歴史を築いてきたのかを知ることで、私たちもイスラームの問題について考え、発言することは可能である。というようなことが生徒に伝わればと思っております。実際には近現代史を学んだところで、問題への具体的な提言をすることは難しいので、だからこそこの段階で後付けEQという形で投げかけて、先生のおっしゃるようにその後生徒自身の知識習得と変容の過程を大事にしてあげるのがいいのではないかと思っています。当日の会場でもなかなかニュアンスを伝えきれていないのではないかと思っておりましたが、このようなコメントをいただけて心強く感じております。今後ともよろしくお願いいたします。
帝国主義とは何かを問い、考える豊富且つ貴重な教材資料、大いに勉強させていただきます。ありがとうございました。
学ばせていた大来ます。
学ばせていただきます。
貴重な大項目(D)4の実践共有ありがとうございます。 私は今年度取り組んでみて大きな挫折を覚えたため、先生のお知恵を借りたくコメントさせて頂きます。 先生は実感として、 ①生徒の問い(テーマ)が「現代的諸課題」になっていないケースが多い →教科担任の声かけで、深化 と挙げておりますが、この点、どのような声掛けで、どの程度深まったでしょうか。 私の生徒の場合、生徒は現代的な諸課題をほとんど知っておらず、また関心も薄いと見えました。これも1年間の指導の結果なのだと受け止めてはおりますが、たとえば円安、給料が低い(←無理やり産業革命と結び付きはしますが)、(老人は)安楽死ができない(某成田の影響?)、などが挙がるばかりで、それを一つ一つ声を掛けましたが(その日にフォームで集めてすべてにコメント)、なかなか深まらなかった印象です。 また、「近現代の歴史を理解する」ことが目的で、「現代的な諸課題の形成過程の歴史」を叙述するよう促したのですが、歴史はフォーカスが向かず、たとえば円安のメカニズムとか女性差別の現状とか、歴史の授業としてはイマイチな考察が大半を占めました(これも毎時間フィードバックしていたのですが……)。 以上二つの悩みがあります。これらに関する先生のご意見を、ご実践の経験から何か頂戴できましたら幸いです。
武井先生コメントありがとうございます。 私も大してうまくいったわけではないので、お貸しするほどの知恵は持ち合わせていないのですが… 「現代の諸課題」については、生徒の問いが課題になるようにガイドするのに本当に苦労しました。 様々なパターンがあったのですが、共通して言えることは「課題というのは、解決すべき問題であるということ」という視点ですね。「あなたはその事象に対して、何を問題とし何を解決したいのか」というベースに基づいて、生徒の思考が解決すべき課題に行き当たるように、なぜなぜ攻撃をしました。 2時間目の問いを立てる時間、3時間目の図書室訪問、4時間目くらいまではひたすら巡回して気になった生徒に声をかける(質問攻めにする)状態でしたね。授業内ですべての生徒に声をかけたと思います。一見成り立っていないように見えても、生徒と話してみると課題意識を持っているということもありましたので、会話によって生徒が言語化することを助けるつもりでいました。 本校で多かった課題は、「ジェンダー問題」「難民の受け入れ」「国家間の経済格差」「日韓関係」で、この辺りは調べ学習になりそうな問いになっていた場合に、「それの何が問題なの」だとか、「自分はその問題の特にどのあたりにフォーカスして考えたいのか、自分がどうかかわるかという視点から考えてみたら」などのアドバイスで修正できた生徒が多かったです。 「日本はなぜ経済成長しないのか」のような、超ショートスパンの問いが出たケースもありましたが、「そもそもなんで経済成長ってしなければならないの」という問いによって思考が一面的であることに気が付かせたりということもありました。どこまでが生徒に気づきを促す指導(声かけ)で、どこからが生徒の思考を方向付ける誘導になるのか、活動を終えた後でも、自分の中では答えが分かりません。 自分の関心から生徒が出した問いが、現代の課題と結びついていない場合もあったのですが、それはかなり時間をかけて声掛けをしました。ラップミュージックが好きな生徒は、ラップのルーツを探ることで人種差別に至り、自分の好きなラップミュージックをより深く理解し、今まで以上に好きになったと言ってくれました。 生徒が出すものは、一発で「探究に値する問い」や「解決すべき課題が明確な問い」になるケースは稀で、生徒が出した問いの原型に対し、どうすればそこから課題を見出せるか頭をフル回転させて、対話を行った次第です。 2時間目の終盤でも、なかなか問いを作れない生徒がいたため、2時間目の終盤にこれから解決すべき課題が集約されたものとしてSDGsがあるので、課題からトピックを見直してみるのもいいだろうという指示を出したら、作業が進む生徒が増えたように思います。 ちなみに、探究活動については最初から一貫してデバイスの使用をオッケーとしています。新聞(ネットニュースですが)やネット上の言論をきっかけにそこから深めていった生徒もいるようです。 歴史的経緯についても、苦労した生徒が多かったです。これはあらかじめ予想されたことだったので、ワークシートに3つの時代の転換点を示し、それぞれの「現れ方」を考えるという形をとりました。 最初、なかなかうまくいかず(書いているけど的外れなど)、ワークシートを見ていたところ、うまくいっていない生徒は、それぞれの転換点の具体的事象で考えようとしている生徒が多かったので、「〇〇化を構成する概念がいくつかあったけど、その概念で考えてみたらどうか」というアドバイスを全体に出したところ、大幅に改善しました。 自分の授業では、4~5時間をつらぬく単元の問いで、生徒が獲得すべき歴史分析概念がはっきりわかるように構成しています。それも最後の探究を見据えてのことだったのですが、これがまあまあうまくいきました。単元の問いや本時の問いを提示するときに、可能な限り現在生じている事象から入るようにしていたのも影響しているかもしれません。 それでも、近代化の欄に全然近代化と関係のない事象を書いている生徒などが結構出てしまい、指導不足を痛感しました。 活動の後半の声掛けは、ほぼこの部分でした。 考察の際に、本または論文を必ず読むということを課していましたが、卒業式&入試で一週間ほど休みとなる期間に文献調査を出来るよう、その前に問いや仮説を出すところまでは進められるようスケジューリングしたのはよかったと思います。 課題の歴史的な形成過程を明確にするのが、他の科目や総探での探究活動と歴史総合における探究活動の一番の違いであると考えていたため、3つの転換点における現れ方という示し方はよかったのかな、と思っています。個人的にはこの部分を次年度以降もこだわりたいと考えています。 まとまりなく長々書いてしまいました。 答えになっておらず、申し訳ありません。
武井先生コメントありがとうございます。
私も大してうまくいったわけではないので、お貸しするほどの知恵は持ち合わせていないのですが…
「現代の諸課題」については、生徒の問いが課題になるようにガイドするのに本当に苦労しました。 様々なパターンがあったのですが、共通して言えることは「課題というのは、解決すべき問題であるということ」という視点ですね。「あなたはその事象に対して、何を問題とし何を解決したいのか」というベースに基づいて、生徒の思考が解決すべき課題に行き当たるように、なぜなぜ攻撃をしました。 2時間目の問いを立てる時間、3時間目の図書室訪問、4時間目くらいまではひたすら巡回して気になった生徒に声をかける(質問攻めにする)状態でしたね。授業内ですべての生徒に声をかけたと思います。一見成り立っていないように見えても、生徒と話してみると課題意識を持っているということもありましたので、会話によって生徒が言語化することを助けるつもりでいました。
本校で多かった課題は、「ジェンダー問題」「難民の受け入れ」「国家間の経済格差」「日韓関係」で、この辺りは調べ学習になりそうな問いになっていた場合に、「それの何が問題なの」だとか、「自分はその問題の特にどのあたりにフォーカスして考えたいのか、自分がどうかかわるかという視点から考えてみたら」などのアドバイスで修正できた生徒が多かったです。 「日本はなぜ経済成長しないのか」のような、超ショートスパンの問いが出たケースもありましたが、「そもそもなんで経済成長ってしなければならないの」という問いによって思考が一面的であることに気が付かせたりということもありました。どこまでが生徒に気づきを促す指導(声かけ)で、どこからが生徒の思考を方向付ける誘導になるのか、活動を終えた後でも、自分の中では答えが分かりません。 自分の関心から生徒が出した問いが、現代の課題と結びついていない場合もあったのですが、それはかなり時間をかけて声掛けをしました。ラップミュージックが好きな生徒は、ラップのルーツを探ることで人種差別に至り、自分の好きなラップミュージックをより深く理解し、今まで以上に好きになったと言ってくれました。 生徒が出すものは、一発で「探究に値する問い」や「解決すべき課題が明確な問い」になるケースは稀で、生徒が出した問いの原型に対し、どうすればそこから課題を見出せるか頭をフル回転させて、対話を行った次第です。 2時間目の終盤でも、なかなか問いを作れない生徒がいたため、2時間目の終盤にこれから解決すべき課題が集約されたものとしてSDGsがあるので、課題からトピックを見直してみるのもいいだろうという指示を出したら、作業が進む生徒が増えたように思います。 ちなみに、探究活動については最初から一貫してデバイスの使用をオッケーとしています。新聞(ネットニュースですが)やネット上の言論をきっかけにそこから深めていった生徒もいるようです。
歴史的経緯についても、苦労した生徒が多かったです。これはあらかじめ予想されたことだったので、ワークシートに3つの時代の転換点を示し、それぞれの「現れ方」を考えるという形をとりました。 最初、なかなかうまくいかず(書いているけど的外れなど)、ワークシートを見ていたところ、うまくいっていない生徒は、それぞれの転換点の具体的事象で考えようとしている生徒が多かったので、「〇〇化を構成する概念がいくつかあったけど、その概念で考えてみたらどうか」というアドバイスを全体に出したところ、大幅に改善しました。 自分の授業では、4~5時間をつらぬく単元の問いで、生徒が獲得すべき歴史分析概念がはっきりわかるように構成しています。それも最後の探究を見据えてのことだったのですが、これがまあまあうまくいきました。単元の問いや本時の問いを提示するときに、可能な限り現在生じている事象から入るようにしていたのも影響しているかもしれません。 それでも、近代化の欄に全然近代化と関係のない事象を書いている生徒などが結構出てしまい、指導不足を痛感しました。 活動の後半の声掛けは、ほぼこの部分でした。 考察の際に、本または論文を必ず読むということを課していましたが、卒業式&入試で一週間ほど休みとなる期間に文献調査を出来るよう、その前に問いや仮説を出すところまでは進められるようスケジューリングしたのはよかったと思います。 課題の歴史的な形成過程を明確にするのが、他の科目や総探での探究活動と歴史総合における探究活動の一番の違いであると考えていたため、3つの転換点における現れ方という示し方はよかったのかな、と思っています。個人的にはこの部分を次年度以降もこだわりたいと考えています。
まとまりなく長々書いてしまいました。 答えになっておらず、申し訳ありません。
堀井弘一郎様、本教材をご覧になりコメントを下さり、ありがとうございました。歴史総合を学んでいる前提で作りましたので、歴史総合で活用される際にはフランスにおける宗教的要因による社会的排除や政教分離の文脈についてもう少し丁寧な説明が必要かもしれません。また、アプロプリアシオンの概念につきましては、ロジェ・シャルチエが代表的でありますが、ここでは摂取ー利用という意味で、スカーフを独自の意味で利用することについて用いております。すなわち、歴史は一方的な上からの押し付けだけではないし、生きている主体の営みがありそのことが次なる変化に繋がる、という当たり前のことを生徒たちに考えてもらう教材としております。機会がありましたらまたご助言ください。ありがとうございました。
山田道行(京華高等学校)です。帝国主義の資料を探していて、神永先生の教材を拝見し、授業で使おうと考えております。ロシアのウクライナ侵攻の正当化、そしてヘイトスピーチの独善性という現代の課題を導入教材として、そこからジグソー活動を通して「植民地を獲得するための行動は、どのような理屈で正当化されたのか?」「血を流してまで植民地を望んだのは誰か?」「帝国主義が「発展させたあげた」結果、現地の人々はどのような経験をしたのか?」という3つの側面から生徒が活動できるように構成されていて、とても活用しやすい教材です。特に♡パートの「血を流してまで植民地を求めたのは誰か」の問いに関しては、先に教科書の第二次産業革命を資料として提示し、経済的な側面から帝国主義が進展したことが「教科書には書かれている」けれども、後半ではシジウィックや福沢諭吉の資料を通して、「誰が」と問うことで、教科書に書かれている以外の視点を考えさせようとしている点がとても興味深く読み取れました。国民国家の形成や「大衆化」にもつながる視点として優れた教材かと思います。ありがとうございました。 さて、2点ほど質問というか、実際の授業で活用する際のことを教えてください。(1)導入で紹介されるロシアによる正当化、そしてヘイトスピーチですが、ごく一部の生徒は、この正当化を「正当化」してしまうことや、ネットの情報だけでヘイトスピーチ(的な主張)を「支持する」立場をとることがあります。そのような意見を直接授業中に書いてくることは少なくても、生徒の言動を見ていると「そっちに寄っている」と感じられる場合もあります。そう考えると、ロシアの正当化が「間違っている」と言える論拠、あるいは最初のジグソー教材に出てく人種論、社会ダーウィニズム等が明らかに「誤った考え方である」ことはどこかで伝えなければいかないのかと思います。その一方で、教師が「解釈」を規定してしまうことで教室内の自由な言論が制限されるという懸念もあるのですが。そのあたりが自分で授業をしていて迷う場面です。神永先生はいかがでしょうか。 (2)これも導入教材につながることですが、ジグソー活動、クロストークを経た上で、最後にMQを考える上で、導入とどのように結びつけるかということです。「教材のねらい」で書かれているように「積極的に行動し、間違える大衆」をテーマにするのならば、やはり最後にもう1度、冒頭の課題について考えさせ、教材を学んだ前と後で自分のイメージや意見がどう変化したという個人内評価を問うことも意味があるかと思いました。 実際に使ってみて、また感想を書かせていただきます。
山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。 ⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。 ⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。 まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。
山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。
⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。
⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。
まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。
投稿者:三谷 博 「鎖国」から開国へ(18世紀のアジアとヨーロッパ、産業革命、アヘン戦争と日本)
コメントへ移動▶2023/03/07 at 10:46 am
投稿者:小林克史 「鎖国」から開国へ(18世紀のアジアとヨーロッパ、産業革命、アヘン戦争と日本)
コメントへ移動▶2023/03/09 at 12:30 am
投稿者:三谷 博 アジアは「遅れていた」といえるのか?
コメントへ移動▶2023/03/07 at 11:32 am
投稿者:小林克史 アジアは「遅れていた」といえるのか?
コメントへ移動▶2023/03/09 at 12:44 am
投稿者:清川 洋 日中戦争は、なぜ終わりの見えない戦争になったのか?
コメントへ移動▶2023/03/15 at 10:09 am
投稿者:佐伯 佳祐 日中戦争は、なぜ終わりの見えない戦争になったのか?
コメントへ移動▶2023/03/15 at 12:16 pm
投稿者:貴子 神﨑 メソポタミア文明・エジプト文明
コメントへ移動▶2023/03/15 at 3:21 pm
投稿者:八本侑士 メソポタミア文明・エジプト文明
コメントへ移動▶2023/03/21 at 10:12 pm
投稿者:貴子 神﨑 カレーから見る日本と世界の歴史
コメントへ移動▶2023/03/15 at 3:37 pm
投稿者:小林克史 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/03/17 at 9:45 pm
投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/04/04 at 6:42 pm
投稿者:小林克史 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/04/05 at 10:00 pm
投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/04/10 at 12:59 pm
投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/21 at 1:14 pm
投稿者:野々山 新 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/22 at 2:19 pm
投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/22 at 8:11 pm
投稿者:野々山 新 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/24 at 5:44 pm
投稿者:山田 道行 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/03/25 at 5:15 pm
投稿者:佐伯 佳祐 大項目C「諸地域の交流・再編」の視点から構成した小単元「西アジア社会の動向とイスラームの伝播」
コメントへ移動▶2023/04/04 at 6:55 pm
投稿者:堀井 弘一郎 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除)
コメントへ移動▶2023/03/27 at 9:18 pm
投稿者:清川 洋 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか)
コメントへ移動▶2023/03/29 at 9:49 pm
投稿者:清川 洋 単元「男女の「平等」って何なの!?」
コメントへ移動▶2023/03/29 at 10:17 pm
投稿者:武井 寛太 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/31 at 11:48 am
投稿者:本間 靖章 D4 現代的諸課題の形成と展望
コメントへ移動▶2023/03/31 at 5:54 pm
投稿者:渡邉大輔 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除)
コメントへ移動▶2023/05/01 at 12:46 pm
投稿者:山田 道行 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/06/04 at 6:06 pm
投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/06/07 at 8:18 pm