投稿者:渡邉大輔 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除) 堀井弘一郎様、本教材をご覧になりコメントを下さり、ありがとうございました。歴史総合を学んでいる前提で作りましたので、歴史総合で活用される際にはフランスにおける宗教的要因による社会的排除や政教分離の文脈についてもう少し丁寧な説明が必要かもしれません。また、アプロプリアシオンの概念につきましては、ロジェ・シャルチエが代表的でありますが、ここでは摂取ー利用という意味で、スカーフを独自の意味で利用することについて用いております。すなわち、歴史は一方的な上からの押し付けだけではないし、生きている主体の営みがありそのことが次なる変化に繋がる、という当たり前のことを生徒たちに考えてもらう教材としております。機会がありましたらまたご助言ください。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/05/01 at 12:46 pm 投稿者:山田 道行 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 山田道行(京華高等学校)です。帝国主義の資料を探していて、神永先生の教材を拝見し、授業で使おうと考えております。ロシアのウクライナ侵攻の正当化、そしてヘイトスピーチの独善性という現代の課題を導入教材として、そこからジグソー活動を通して「植民地を獲得するための行動は、どのような理屈で正当化されたのか?」「血を流してまで植民地を望んだのは誰か?」「帝国主義が「発展させたあげた」結果、現地の人々はどのような経験をしたのか?」という3つの側面から生徒が活動できるように構成されていて、とても活用しやすい教材です。特に♡パートの「血を流してまで植民地を求めたのは誰か」の問いに関しては、先に教科書の第二次産業革命を資料として提示し、経済的な側面から帝国主義が進展したことが「教科書には書かれている」けれども、後半ではシジウィックや福沢諭吉の資料を通して、「誰が」と問うことで、教科書に書かれている以外の視点を考えさせようとしている点がとても興味深く読み取れました。国民国家の形成や「大衆化」にもつながる視点として優れた教材かと思います。ありがとうございました。 さて、2点ほど質問というか、実際の授業で活用する際のことを教えてください。(1)導入で紹介されるロシアによる正当化、そしてヘイトスピーチですが、ごく一部の生徒は、この正当化を「正当化」してしまうことや、ネットの情報だけでヘイトスピーチ(的な主張)を「支持する」立場をとることがあります。そのような意見を直接授業中に書いてくることは少なくても、生徒の言動を見ていると「そっちに寄っている」と感じられる場合もあります。そう考えると、ロシアの正当化が「間違っている」と言える論拠、あるいは最初のジグソー教材に出てく人種論、社会ダーウィニズム等が明らかに「誤った考え方である」ことはどこかで伝えなければいかないのかと思います。その一方で、教師が「解釈」を規定してしまうことで教室内の自由な言論が制限されるという懸念もあるのですが。そのあたりが自分で授業をしていて迷う場面です。神永先生はいかがでしょうか。 (2)これも導入教材につながることですが、ジグソー活動、クロストークを経た上で、最後にMQを考える上で、導入とどのように結びつけるかということです。「教材のねらい」で書かれているように「積極的に行動し、間違える大衆」をテーマにするのならば、やはり最後にもう1度、冒頭の課題について考えさせ、教材を学んだ前と後で自分のイメージや意見がどう変化したという個人内評価を問うことも意味があるかと思いました。 実際に使ってみて、また感想を書かせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/06/04 at 6:06 pm 投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。 ⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。 ⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。 まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/06/07 at 8:18 pm 投稿者:中村 翼 日本文化のあけぼの 反応が遅くなり、失礼しました。講義資料、大変興味深く拝読しました。 「稲作」に伴う生活の変化は、私も授業で取り上げていますが、縄文時代における地域的人口分布(東高西低)は、稲作の受容のありかた(今では、私が習った20年前とは違って、短期間で列島各地に広まったとは説明されないようですし)を考えるヒントにもなるものと思い、私も使わせてもらおうと思いました(土偶の表情の変化については、恥ずかしながら始めて知りました)。植生の問題も重要ですね。 なお、稲作の開始に伴う女性の地位変化については、出産サイクルの変化に注目させる点はきわめて有意義と考える反面、だから女性が子育ての負担が増す・・・というのは、授乳や産前産後の行動力の問題などのフォローをしておかないと(常識の範囲なのかもしれませんが)、子育ては超歴史的に女性(とりわけ母親)の仕事という誤解が深まるかもしれません。先生には余計なお世話でしょうが、他の方が活用される場合の注意事項として記す次第です。 また、私が見逃しているのかもしれないのですが、これは何時間でされる授業でしょうか?ご教示いただけると幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/06/21 at 2:07 pm 投稿者:中村 翼 東アジア古代国家の形成 今更のコメントで失礼します。 授業のねらいに共感します。古い時代の方がなにかとシンプルなので、そこでしっかりと国際的視野を鍛える練習・習慣づけをしておくことは重要と思います。以下、些細なところもありますが、コメントします。 ・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。 ・金印の使い方の図解は重要です。ただし、この福岡市博物館の説明は、《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》という疑問に答えたものかと思います。したがって、「あなたの国が奴国から手紙を受け取ったときに・・・」というのは、状況設定として問題があります(もっとも、中国をバックにしている、「グローバル」な政権として自国の権威を誇示するというのが想定回答と考えられますが、その点は重要な問いかけと思います)。 ・隋との推古朝の関係ですが、最初の問いかけで、倭国の自立性を(通念通り?)前面に出すと、先生がサジェストしている中国文明の受容(官位制・法文化・宗教)が後継に退くように思います。私は、あくまでも推古朝と隋の関係は、《中国に学びに行く倭国》を基本線として、強調しています(非礼な文書を送ったことをことさら重視しない)。このあたりはどうでしょうか? ・白村江の戦いをめぐる国際関係を(結果を知る立場から?)考察する試みも興味深く思いました。ただし、一点。「もしあなたたちがヤマト政権の有力者であったなら、倭国の独立を保つためにどのように立ち回りますか?」という問いかけは、「倭国の独立を保つ」まで出してしまうと、生徒の思考を縛るかも知れません。白村江の戦いに倭国が参戦した理由を、自衛(ないし独立を保つため)とみるか、朝鮮半島権益拡張のためとみるかも大きく分かれる点だと考えるからです(もちろん、両者を折衷したり、第三、第四のの視点もあるでしょう)。 的外れの指摘もあろうかと思います。あくまで一見解として、ご参考になれば幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/06/21 at 2:33 pm 投稿者:高瀬邦彦 東アジア古代国家の形成 中村先生 貴重なご意見ありがとうございます。 ・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。 ⇒ここは教員になってから何回か変更を加えている箇所でして、もともとは『漢書』地理志と表記していたのですが、書籍などでは『漢書〇〇志』『漢書〇〇伝』みたいになっていることも多いので、最近ではまとめてしまっています。 ただ、『漢書』の中の地理志という部分なので、正確には『漢書』地理志にした方が良いというのは理解しています。 ・金印の使い方 ご指摘ありがとうございます。封泥を図で説明してくれている他の資料があればよいのですが・・・。 ちなみに、この部分で私が生徒に疑問点について話をするのですが、中村先生がご存じのことがあればご教授いただければ幸いです。 《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》 弥生時代のまとまった文書は見つかっていないので、歴史学的には弥生時代の日本には「文字文化が定着していない」ということになるのですが、個人的に以下の疑問があります。 ①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。 ②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか? ③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか? 稚拙な質問で申し訳ございません。 ・隋と推古朝の関係 この教材だけでは説明足らずであり、申し訳ございません。 非礼な文書を送ったことをことさら重視しない、というのは私も同じ考えです。 私は隋への国書を「中華思想の導入」という観点でとらえています。倭国が朝鮮半島諸国との交渉を「三韓の貢」とみなし、朝貢を受ける中華を自負して冊封体制から脱しようとしていた、と生徒には説明しています。加えて、実際は遣隋使・遣唐使ともに朝貢や留学を兼ねており、日本は(表向き)自立性を主張しつつも、実際は中国に朝貢して学ぶ立場であった、という説明をしています(奈良時代の新羅との元日朝賀の争いなどの話もつなげていきます)。 ・白村江の戦いをめぐる国際関係 これはなるほど、と思いました。ありがとうございます。 唐の出現後、高句麗では642年に大臣の泉蓋蘇文が国王を廃して実権を掌握し、新羅では647年に唐が廃位を求めた女王に対して国内で反乱が起こり、百済では643年に王族の義慈王がクーデタを起こしたわけですが、これらを「唐に対抗するために権力を集中するための動き」と捉え、乙巳の変もその一連の動きの一部であった、と説明しています(プリントの「遣隋使から帰国した南淵請安の塾に通っていた中大兄皇子と中臣鎌足が大陸情勢を学び」という部分との関連)。 そのため、白村江の戦いでも「唐から東アジアへの圧力をどう乗り越えるか」という観点で見てしまったため、「独立」という点に至っています。 他にも様々な歴史のIF的思考から始まる活動(私は歴史推論と呼んでいます)をしていますが、それらに活かしていきたいと思います。 コメントへ移動▶ 2023/06/22 at 10:14 pm 投稿者:中村 翼 東アジア古代国家の形成 中村です。頂戴したご質問への回答をします。 以下の見解は、市大樹「日本列島における漢字使用の始まりと東アジア」『グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育』に依っています。詳細はこちらを御覧いただけるとよいかと思います。 ①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。 →「文字」の書かれた弥生土器の出土例があります。ただし「文章」ではなく、「(不思議な呪力を持つ)記号」として記されたと考えた方が合理的とされます。下の②についても、同様の観点から説明できると思います。 ②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか? ③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか? →②・③はまとめてお答えします。まず、③については、たとえば卑弥呼の場合、上表文の作成を倭国側ではなく、外交を仲介した帯方郡が行ったのではないかという説があります。実際、後の時代には漢文作成能力(=中国のルールに基づいた漢文なので相当高度なスキル)を十分にもたない各国・地域の使者がもたらした文書を、中国の当局がリライトして、立派な上表文に書き換える(→さらには、貿易目的の使者を立派な朝貢使に仕立て直す)こともあり(最近では、『アジア遊学277 宋代とは何か』に気鋭の学振PDの遠藤総史さんが宋代の例を紹介しています)、この仮説は説得力があるものと考えています。また、そうでない場合でも、倭国内で外交文書が書けたのはごく一握りの渡来系の人々であり、②とも関わって、倭国内の交渉は、文字よりは口頭(使者に話させる)でなされたとみるのが穏当だと思われます(5世紀には一定の交渉がなされたが、鉄剣に彫るといった行為に象徴されるように記念的な要素が顕著であり、文字使用は相当に特殊とみるべきで、普及は7世紀頃と考えられる=この頃には木簡が普及し、行政に使用されている)。 以上となります。文章が不躾なものになっていないか、とても心配なのですが、とりいそぎ、お答え致します。 コメントへ移動▶ 2023/06/23 at 11:23 am 投稿者:中村 翼 国風文化 大変アカデミックな内容で、挙げられている資料など、苦労されたのではないかと拝察します。 平安時代の日中関係については論文も書いたことがあり(https://hdl.handle.net/11094/61303)、平安時代の地方支配と国風文化、対外関係は相互に結びつけないと逆に教科書記述の理解が難しくなり、多くの生徒がここでドロップアウトするおそれがあると考えています。 具体的な実践はこの教材共有サイトにも挙げている「日本史概論」の関連項目を御覧いただけると幸いです。 先生の授業に関して、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルは、ことに「国風文化」に関しては有益と思います。 その場合、提示されたA)「国風文化」は閉鎖的な文化ではなく、東アジアの影響を受け様々なものが移り変わる時代、B)やっぱり閉鎖的な時代、という選択肢のうち、Bが旧説回帰ではないことをしっかりと説明する必要があり、そこが難しさでしょうか。 最近の論調も一見すると、B(閉鎖的)と読めるかも知れませんが、あくまでも唐文化はもちろん宋文化の影響も受けていることを前提にして、どのあたりがどう影響をうけているのか、いないのかを追究し、日本の国際的位置(政治的・文化的)をとらえようとしていると理解できます。 今回の資料では、提示された資料と学説とのリンクが(おそらく口頭で補っているのでしょうが)十分には見えにくいので、改善点があるとすれば、その点にあろうかと思います。 また、遣唐使以後の貿易活動については、文字資料では伝わりにくいかもしれません(どうしても統制する方向の資料になる上、なかなか難しい漢文資料ですので・・・)。このあたりは、教科書でも紹介されている(出版社によって軽重はありますが)、博多の状況を紹介するのがよいと思います。 なお、朝鮮観については、最近、渡邊誠『王朝貴族と外交』(http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b618489.html)が上梓されました。大いに参考になるのではと思います。 コメントへ移動▶ 2023/06/21 at 3:57 pm 投稿者:中村 翼 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?- 平家と日宋貿易に関して、コンパクトかつ内容の濃い資料であると受けとめました。 また、修学旅行とリンクさせて学びを深めるというのも、生徒にとって良い経験であると思います。 ただし、私自身は、平家が大輪田泊を拠点に日宋貿易に関わり、経済基盤にしたという理解には懐疑的です。 その観点からすれば、①平家の経済基盤は、資料にもある知行国と荘園に求める方が無難であるし、反平家の機運も、知行国・荘園をめぐる権益をめぐって起こっていることと整合的かと思います。 ②日宋貿易の基幹線は、遣唐使以後から一貫して〈博多―(東シナ海)―寧波〉においた方が、戦国時代の〈南九州など九州各地―(東シナ海/南シナ海)―中国〔密貿易拠点〕・東南アジア〉の対比が生きています(→なぜ種子島や鹿児島が鉄砲・キリスト教伝来で重要か、など)。また、教科書で紹介される博多の状況とも整合的だと思います。 ③大輪田泊は、日宋貿易のルートというよりは、博多~各地の地方都市~京都をつなぐ瀬戸内海流通の動脈として理解した方が、平家が西国を拠点に生き延びようとした戦略をよりうまく説明できると思います(西国は、貿易以上に国内流通・生産のレベルで豊かであった)。厳島神社も貿易と言うよりは(それもあるかもしれませんが)、瀬戸内海流通の拠点として考えればよいと思います。 もちろん、国際貿易と国内通流は択一的な問題ではないのですが、貿易に傾きすぎるとかえって平家の基盤を矮小化するように思え、以上のように考えることで、西国と平家の関係性がよりクリアになるのではと考える次第で、コメントさせていただきました。 コメントへ移動▶ 2023/06/21 at 4:13 pm 投稿者:阿久津 祐一 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?- 中村先生 コメントありがとうございました。先生のご指摘は西日本と東アジアの交流と平氏権力の拡大と衰退をいかに単元化しうるかということにつながるものと理解しました。 大輪田泊に関してのご指摘は日本史探究のWGでも懸案事項として表出されたものでした。私の授業案では博多の存在を軽視していたことは否めません。「日本史探究」において東アジア交易の実態に迫る単元をどこにすえつけて展開することが単元設計上効果的なのか改めて考える機会となりました。 日本史探究の教科書では厳島神社を瀬戸内海流通の拠点とする視点はほとんど掲載されていないと思います。厳島神社が担っていた複数の役割や東アジアの結節点である博多、これらの地域を題材にして政治(平氏政権)と経済(知行国・荘園制を含む)を結び付けた授業を今後作成していきたいと思いました。 また、本校の生徒にとって“博多”という地はイメージしにくい地です(海なし県ですとなおさらです。)博多をテーマにして中世を貫く単元も作れると感じました。 ご助言ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/06/25 at 10:34 pm 投稿者:中村 翼 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?- 中村です。近年は、アジア交流史が重視されているので、博多に注目する教科書が増えてきたようですが(ある世界史探究の教科書で、鎌倉から四国の南、南九州を経由して中国方面に伸びる不思議な航路が書かれていたことには驚きましたが・・・)、「本校の生徒にとって“博多”という地はイメージしにくい地です」というのは、忘れていたポイントでした。 私自身、千葉県で高校まで過ごしてきたので、アジアとの窓口としての博多のイメージは希薄で、大学での学びで強く意識するようになった次第です。生徒の持っている認識などを考慮した教材作りは、全国一律のオンデマンド授業ではなかなか難しい、その学校の教師のなせる技かも知れません。今度とも、ご教示下さい。 コメントへ移動▶ 2023/06/29 at 1:10 pm 投稿者:中村 翼 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?― 京都教育大、中村翼です。 飢餓ゼロがSDGsの一つになっているように、極めて現代的な課題に即した有意義な授業実践であると考えました。 『方丈記』の五大災厄は歴史資料としてもよく利用されますが、古典学習と歴史学習の架橋という意味でも意義深い取り組みであると思います(あとは、飢饉と都市の関係などは、地理でしょうか)。 全体像に関わるものと言うよりは、些細な点ですが、博士論文のテーマが鎌倉時代で、友人が平家政権論を研究しているもので、コメントをしておきます。 Q4の想定解答に、飢饉の対応策(というか日常の五穀豊穣)として、古代なら加持祈祷というものがあります。この書き方だと、中世は違うという誤解を招くかも知れません。中世(とくに院政・鎌倉時代)に天台真言の旧仏教(顕密仏教)が最盛期を迎え、モンゴル襲来時に各地の寺社が異国降伏祈祷に熱をあげたように、困ったときの仏神頼みは古代に限るものではありません(むしろ中世の方が熱狂的)。関連して、異国降伏祈祷には幕府も積極的だったように(この点は、教科書ではあまり強調されませんが)、鎌倉幕府の「徳政」(この場合は北条泰時の政治)と古代の祈祷を対置するのも問題です。事実、蒙古襲来後の「徳政」は寺社に(御家人を犠牲にしてでも)「恩賞」を与えることでもありました(より詳しくは、海津一朗『〈新〉神風と悪党の世紀』などを参照)。 Q7の人身売買と飢饉の関係性について、「なぜそのような命令を出したのか?(=なぜ人身売買が飢饉のときに限って許されたのか?)」という問いかけの答えが、「人身売買が出来なければさらに死者が増えると考えられる」とあったので、ここをどう説明されたのかが気になります。当時の飢饉や社会のあり方、人身売買を考える上でキイとなる問いかけだと思うからです。なお、この点については平雅行『歴史のなかに見る親鸞』の「東国の伝道」という章に、寛喜の飢饉と親鸞の思想の関係を含め、壮絶な解説があります。ぜひ、ご一読いただけるとよいかと思います。同著『〈日本史リブレット人〉法然』も単なる人物伝にくわえ、中世仏教の全般の解説を含みます。あわせてお薦めしておきます。 コメントへ移動▶ 2023/06/21 at 5:51 pm 投稿者:阿久津 祐一 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?― 中村先生 コメント及び参考図書のご紹介ありがとうございます。まず、この教材案では実践をしておりませんので、今回は想定されるコメントを掲載したものでございますのでご了承ください。 Q4では既習事項を踏まえ生徒が発言(記述)しそうな内容を掲載しました。祈禱に関しては、奈良時代の天然痘をはじめとした疫病が広がった時代と鎌倉時代とを比較することで仏教に対する考え方や「祈る」という行為について生徒に考えさせる授業が構想できそうです。近世及び現在のコロナのアマビエ信仰などにも通ずるところがあるかと思いますので、今後の教材案作成の1つのテーマになりえそうです。ただ、古代の祈りと中世における祈りと現在の祈りを同一視することは危険だと思いますので、何かよい観点があればお教えいただけると幸いです。 Q7については、現在の世界では人身売買は絶対悪として見られる風潮が強いかと思います(あくまで私見ですが)。現在の生徒が持っている価値観を揺さぶるためQ7を設定した次第です。生徒のもっている価値観を揺さぶり、厳しい社会状況であったことを理解させるための文章資料と考え配置しました。 中村先生、コメントありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/06/25 at 10:36 pm 投稿者:中村 翼 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?― 中村です。 時代ごとの「祈り」の持つ意味の違いは、なかなかやっかいな問題だと思いますが(現代でも人によって様々ですし)、宗教勢力の持つ社会的な機能の多様性と大きさ(一般的には、中世に肥大化し、近世に世俗するイメージでしょうか)をしっかりおさえながら説明することが、「観点」という意味では重要だと思います。 人身売買のことは、日本中世において〈当時において生きていくためのやむを得ない選択〉という側面が確かにありますが、「自助」のウェイトが大きい時代はともかく、現代は先生のおっしゃる通り、それでやむなしとするわけにはいかないので、「公共」で習う社会保障制度の問題(とくに公的扶助・社会福祉)との橋渡しが欠かせないところでしょうか。 コメントへ移動▶ 2023/06/29 at 1:02 pm 投稿者:阿久津 祐一 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?― 中村先生 日本史探究の科目テーマとなっている、”祈り”という「概念」や自助等の公民的内容との科目間の立てつけが実践していて難しいなと考えております。抽象概念をいかに生徒の知識理解につなげていくのが今後の課題であり、先生からいただいたご助言を踏まえて再考していかなければならないなと感じています。 コメントへ移動▶ 2023/07/03 at 9:43 pm 投稿者:横井永孚 東アジア古代国家の形成 今年度から始まった日本史探究の序盤を進める上で、大変参考にさせていただいております。全て手探りであるため、先生が指し示してくださる教材に大いに助けられました。 今年度は進路先がほとんど就職や専門学校のクラスで授業を行っておりますが、このクラスにおいては「倭国の独立」というゴールを示した時に議論が活発化しました。中村先生のご指摘もその通りでして、クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません(外交政策についての意見ばかりになってしまったのは、私の指導の反省点です…)。 また「蘇我氏を倒して早急に天皇中心の国づくりをしなければならない」という部分に関しては、東アジアの情勢だけでなく、国内における蘇我氏の専横的な振る舞い(馬子の崇峻天皇暗殺、入鹿の山背大兄王暗殺、皇極天皇との愛人問題など…)を、バイアスと承知で提示することで、より天皇中心の国づくりの必要性がイメージしやすいようにしてみました。 いずれにせよ高瀬先生の教材あっての応用であります。本当にありがとうございます。お恥ずかしい話ではございますが、もしよろしければまた教材をご提示していただけましたら幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/06/22 at 6:50 pm 投稿者:高瀬邦彦 東アジア古代国家の形成 横井先生 コメントいただきありがとうございます。楽しい授業になったようで、とてもうれしく思います。 「クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません」というのはその通りだと思います。 今回の白村江の戦いのような活動を他の時代でも組み込んでいるのですが、中村先生のご指摘のようにすると、グループごとに論点を変えることで様々な視点から意見が出て学びが広がるような気もします。 「バイアスと承知で提示すること」 これは歴史という科目を教える中でうまく活用したいですね。 私の場合だと、ステレオタイプの理解や教科書的な理解を崩すことで生徒の興味関心を引くことも多いです。 今回の範囲だと、崇仏論争は実は崇峻と穴穂部皇子の継承争いだった、崇峻天皇や山背大兄は王の器ではないとみなされ群臣の協議によって殺された、乙巳の変は蘇我氏中心の国づくりを目指す皇極と、王族中心の国づくりを目指す軽皇子(孝徳)の対立だった、などがあるでしょうか。 コメントへ移動▶ 2023/06/22 at 10:28 pm 投稿者:山田 貴志 国風文化 中村先生 コメントをいただきましてありがとうございます。大変参考になりました。特に、旧説回帰にならないようにしないように気をつけなければならないという御指摘は、本当にそのとおりだと思いました。どう工夫するか考えたいと思います。 また、様々な文献を御紹介いただきありがとうございます。しっかりあたって、さらに授業を深めていきたいと思います。 なお、先生に記していただいた、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルですが、自分の一つの形にできないかと考えています(もちろん毎回ではありませんが)。このスタイルに関しまして、近世でも既に挑戦しています。恥ずかしながら、授業実践として投稿していますので、こちらも御批判いただけると、大変幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/06/25 at 1:55 pm 投稿者:堀井 弘一郎 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) 私には初めて見る史資料が多く、大いに参考になりました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/07/01 at 5:42 pm 投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) 堀井先生 コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/07/02 at 5:29 pm 投稿者:堀井 弘一郎 仏教は世界宗教になったのに、なぜ南アジアで浸透しなかったのだろう? 私自身疑問に思っていることに答えて頂いた教材で、大変有益でした。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/07/01 at 5:59 pm 投稿者:三谷 博 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) ポイントを突いた教材と思います。二点、追加しますと、1)なぜ日本が「文明」と言えるのかですが、直前に国会を開いて西洋最先端の立憲政を始め、工業も勃興し始めた自負があって、それが朝鮮への「革命の輸出」を促したことを、まず説明しておいた方がよいのではと思います。2)この戦争への熱狂の先頭に小学生がいた(凱旋行進への小旗歓迎)ことも追加すると良いかも知れません(金山泰志「戦争と日本民衆の中国観ー様々のメディアと資料として」、三谷・張・朴編『響き合う東アジア史』東京大学出版会、2019年。金山さんには単著もあります)。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 11:17 am 投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) 三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。 こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 5:34 pm 投稿者:三谷 博 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 「帝国主義」は、近代史上の難題ですが、神永先生の教材はよく考え抜かれていると拝見します。その上で、若干の補足を。1)なぜ植民地を獲得しようとしたのか。これは、今の日本人にはなかなか理解が難しいことと思います。より一般化すれば、なぜ人は他人の土地を奪い、他人を支配しようとするのかという問題です。いま、我々がそれを考えないで済んでいるのは、モノやサーヴィスを提供すれば、自らの生活を豊かにできると知っているからだと考えます。植民地を手放した後の日本が戦前よりずっと豊かな社会になった経験がものを言っているのではないでしょうか。それ以前は逆だったし、戦国時代では土地争いれ自体が秩序のルールになっていました。これらや今のロシアとの違いを意識し、その正当化根拠を考えるのは大事なことと考えます。2)その上で、「帝国主義の時代」の特徴を考えると、「強国同士の陣取りゲーム」の発生が重要と思います。教材で教えていただいた福澤の議論はそれを先取している観があります。現地民の意志は無論、そこにどんな資源があるのか、衛生状態は大丈夫か、そんなことはお構いなしに、大国は、隣国に負けまいと、陣取りゲームに突進したのではないでしょうか。蒸気船・鉄道・兵器などのテクノロジーが発達したせいで、「土地」に執着する限り、陣取り競争から逃げられなくなった。そんな印象です。3)最後の資料が語る問題はとても大事と思います。支配された側の記憶がいまの日本が抱える難題の一つとなっているからです。帝国崩壊から約80年、何世代も経ったったいま、この「傷」を考えるだけでことが解決するはずはありませんが、隣国とのもつれを解きほぐすには、まず日本側が20世紀前半にしたことを事実として認めることを出発点とせざるを得ないと考えます。その場合、教科書が書いているのは日本側の行動だけで、相手側のつらい経験は見えません。この教材はそれを可視化するもので、とても有用と思います。無論、その場合、生徒側に山田先生が懸念されるような思い・発言が生ずるはずですが、それに対しては、「君がこのときの朝鮮人や中国人の立場にいたら、どう思うだろうか」と尋ねてはどうでしょうか。「視点の移動」。それは、同じ日本の中であっても、別の時代を理解するのに必要なことですし、歴史教育が生徒に与えうる最大の贈り物の一つではないかと考えます。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 12:25 pm 投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 三谷先生 こちらにもコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、過分なお言葉まで頂戴し、恐悦しております。補足事項の三つ目で指摘されている、支配された側の記憶の問題については、とくに戦後の単元でどれだけ迫れるかが課題だと思っております。 問題が巨大だからこそ、教材化する行為が問題の矮小化にならぬよう、真摯に向き合わねばなりません。独りでは困難ですから、全国の先生方のお知恵を拝借しながら一つずつ、より良い歴史教育に向けて積み上げていければと考えております。 今後とも、よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 5:44 pm 投稿者:三谷 博 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 三谷博の感想を記します。文学作品に限らず、自伝や記録を授業に使うのは、とても有意義と思います。ただ、「こころ」は、高校時代に読まされて難渋した記憶がありますので、今回はややひるんだのですが、ともかく拝見しました。 さて、この教材は「先生」の地主や金利生活者としての姿を探り出し、当時の日本の経済・社会格差を考えるよう誘うことに成功していると思います。(ただ、もう少し注釈を。漱石の「学生」は、大学生、それも当時はただ一つしかなかった「帝国大学」の学生を指しています[京都帝大は明治30年創立]。むかし調べたところでは卒業年齢は平均26歳でした。大学卒業までには大変なお金と時間がかかったわけです)。他方、疑問3については、かなり当惑しました。妻に遺書を遺さなかった理由については、「先生」自身が、「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいて遣りたい」と書いています。小説の肝ながら、怖い話しなので、あまり触れたくありません。 なお、私が定年後に勤めた大学での経験では、高校卒業までに本を丸々読んだことのある学生は稀でした。その場合、こうした「資料」に接したとき、その文字は人間の生き様を表現しているという想像力がなかなか働かないようです。歴史は特殊な「単語」を憶えるものと思い込んでいて、そこに生きていた人々の生活が思い浮かばない。でも、もしそこに「物語」を見つけるなら、それは深い印象を与え、忘れようとしても忘れられなくなるはずです。 ご参考までに、そのとき、私が対策として使ったテキストは、福澤諭吉『福翁自伝』(岩波文庫の外に、慶應義塾大学出版会が刊行した註釈付本があり、『新日本古典文学大系』には松沢弘陽先生が詳細・綿密な考証を施した本もある)。もう一つは、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫)。女子には前者はあまり受けず、後者では何とか幕末の世界に入り込んでもらうことができました。 ともかく、こうした作品を使った授業が増えるなら、歴史の勉強はとても楽しくなるはずなので、ぜひ続けていただきたいと思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 4:28 pm 投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 三谷 博 先生 貴重なご意見をありがとうございます。三谷先生のお言葉から数多くのご示唆を頂きました。また、今後に向けての大きな励みになりました。 今回の授業を構想したのは、「こころ」が、今も高校生を惹きつける魅力的な小説であると感じたからです。国語で「こころ」を学習している時期に教室に行くと、生徒たちはこの小説の登場人物や展開についてよく話をしていました。小説のバックグラウンドとなる「明治」という時代をよく知れば、より深く、より楽しく「こころ」を読めるようになり、歴史を学ぶことにももっと関心を持てるのではないか。国語を教える同僚と話をする中で、そう思いました。現代の高校生と近い世代の若者が、100年以上も前の東京で、どう生活していたのか。何を思って生きていたのか。その<物語>を知ることで、歴史の教科書に書かれた「明治」がより鮮明な印象を伴って生徒たちに迫ってくる。三谷先生が言われるように、もしも、そこに<物語>を見つけられれば、「明治」は生徒たちにとって、もはや「遠い昔」ではなくなるのだと思います。 先生がご指摘下さいましたように、当時の「大学」を現在の「大学」に単純に置き換えることはできず、あくまでも「明治」という時代に即して理解すべきなのだと反省しました。「先生」が入学した当時、大学は一つであったこと、日清戦争の賠償金で京都帝大が創られたことについても補足すべきでした。さらに、資料1―②「上級学校進学の割合(明治時代末期)」についても、先生が入学した時期の十数年後のデータであることを付記すべきだったと気づきました。授業では、「先生」が卒業したと思われる明治31年の東京帝国大学卒業生名簿(国立国会図書館デジタルアーカイブス)も閲覧しましたが、今後、提示する資料を精選したいと思います。その他の点に関しましても、三谷先生から頂いたお言葉をふまえて授業のあり方を見直したいと思います。 歴史の授業で、いかに生徒の想像力を膨らませられるか。三谷先生から頂いたお言葉やご紹介頂いた参考文献を頼りに授業の改善や工夫をしていきたいと思います。浅学の身ではございますが、今後も引き続きご指導とご鞭撻を賜れれば幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/07/19 at 9:59 am 投稿者:三谷 博 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか) 素人なので、参考書の紹介に留めます。ウポポイができる前だったので、その紹介はありませんが、とても丁寧な解説をしています。 坂田美奈子『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』(歴史総合パートナーズ5)清水書院、2018年。 なお、「近代化」はとても曖昧な概念なので、先生がおっしゃるとおり、それをもっと具体的な産業化・世界市場化や国民国家化・民主化、あるいは科学技術結合などに分解すると、汎用性が高まるように思います。これを「市民革命」から始めると、中国やロシアが歴史から消えてしまいますが、ここまで分解するとちゃんと共通性も出てきて、比較可能となるいように思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:00 am 投稿者:三谷 博 「近代化」できないアジア諸国は「劣った国」といえるのだろうか 三谷です。この三国の比較はとても意義深いものと考えます。ただ、おっしゃるとおり、とても難しいですね。資料を拝見した限り、「近代化」でなく、「立憲主義」の導入に絞ると、違いがくっきりみえると思います。ずばり、三国の君主が「君権の制限」を受け入れたか否かが分かれ目になったようです。日本の場合、たまたま室町以来、天皇が決定権を持たないという伝統があったので、伊藤のような発言も可能となったのでした。お隣の朝鮮の場合、それができなかったのが致命的だったようです(森万佑子『韓国併合』中公新書)。 この軌道の相違は今でも大きな影響を遺していて、例えば中国で政治的自由が定着する可能性はとても小さいように思います(かつて私はそれを期待して編著を編んだこともあったのですが)。この差異を、成功・失敗という枠で捉えると、生徒に隣国への偏見を押しつけることになって、確かにまずい。しかし、この差異自体は今の世界にとって、けっしてゆるがせにできないことと考えます。生徒に事実を見せ、決まった結論に誘導するのではなくて、いろいろ考えてもらうなら、意義深い授業になるように思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:20 am 投稿者:三谷 博 なぜ日本は日清戦争を起こし、アジア諸国を領有する植民地帝国となったのか。 三谷です。この分野は素人ですが、少しコメントします。日清対立の焦点は朝鮮にありましたが、1880年代の日本は二度の事変に拘わらず、不関与政策をとりました。山県の演説はその最終局面で行われています。他方、同時代の陸軍幹部(川上操六・桂太郎)は対清戦争の準備を進めており、伊藤内閣を無理矢理戦争に追い込んだのでした(高橋秀直)。ただ、伊藤や井上馨も、朝鮮に「自強」を促すため改革を強制するという政策をとっていました。維新で成功したと自負する「革命の輸出」を試みたわけです。清朝側の動きも重要で、袁世凱の駐在とともに「属国・自主」を否定するようになりました。日・清双方で、朝鮮で衝突するコースを選んでいったように見えます。 これらの事情は、以前の編著『大人のための近現代史』東京大学出版会に、専門家に書いてもらいました。また、次の本は、朝鮮側の史料にもとづいて丁寧な説明をしていて、このあたりの知識を一新した観があります。森万佑子『韓国併合』中公新書。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:41 am 投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる? お世話になっております。滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 「プラスαで理解したい人,読んでみてください」のところに掲載されている文章の出典を教えていただけますか? コメントへ移動▶ 2023/07/27 at 2:29 pm 投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる? 上記、牧原憲夫(2006)『シリーズ日本近現代史② 民権と憲法』(岩波新書)P.192 と判明しました。 コメントへ移動▶ 2023/07/27 at 4:56 pm 投稿者:徳原 拓哉 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 濱田文 先生 いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。 コメントへ移動▶ 2023/07/29 at 9:46 am 投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 徳原拓哉 先生 こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。 〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。 〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。 今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/08/01 at 1:05 pm « 前へ 1 2 3 4 5 … 7 次へ »
堀井弘一郎様、本教材をご覧になりコメントを下さり、ありがとうございました。歴史総合を学んでいる前提で作りましたので、歴史総合で活用される際にはフランスにおける宗教的要因による社会的排除や政教分離の文脈についてもう少し丁寧な説明が必要かもしれません。また、アプロプリアシオンの概念につきましては、ロジェ・シャルチエが代表的でありますが、ここでは摂取ー利用という意味で、スカーフを独自の意味で利用することについて用いております。すなわち、歴史は一方的な上からの押し付けだけではないし、生きている主体の営みがありそのことが次なる変化に繋がる、という当たり前のことを生徒たちに考えてもらう教材としております。機会がありましたらまたご助言ください。ありがとうございました。
山田道行(京華高等学校)です。帝国主義の資料を探していて、神永先生の教材を拝見し、授業で使おうと考えております。ロシアのウクライナ侵攻の正当化、そしてヘイトスピーチの独善性という現代の課題を導入教材として、そこからジグソー活動を通して「植民地を獲得するための行動は、どのような理屈で正当化されたのか?」「血を流してまで植民地を望んだのは誰か?」「帝国主義が「発展させたあげた」結果、現地の人々はどのような経験をしたのか?」という3つの側面から生徒が活動できるように構成されていて、とても活用しやすい教材です。特に♡パートの「血を流してまで植民地を求めたのは誰か」の問いに関しては、先に教科書の第二次産業革命を資料として提示し、経済的な側面から帝国主義が進展したことが「教科書には書かれている」けれども、後半ではシジウィックや福沢諭吉の資料を通して、「誰が」と問うことで、教科書に書かれている以外の視点を考えさせようとしている点がとても興味深く読み取れました。国民国家の形成や「大衆化」にもつながる視点として優れた教材かと思います。ありがとうございました。 さて、2点ほど質問というか、実際の授業で活用する際のことを教えてください。(1)導入で紹介されるロシアによる正当化、そしてヘイトスピーチですが、ごく一部の生徒は、この正当化を「正当化」してしまうことや、ネットの情報だけでヘイトスピーチ(的な主張)を「支持する」立場をとることがあります。そのような意見を直接授業中に書いてくることは少なくても、生徒の言動を見ていると「そっちに寄っている」と感じられる場合もあります。そう考えると、ロシアの正当化が「間違っている」と言える論拠、あるいは最初のジグソー教材に出てく人種論、社会ダーウィニズム等が明らかに「誤った考え方である」ことはどこかで伝えなければいかないのかと思います。その一方で、教師が「解釈」を規定してしまうことで教室内の自由な言論が制限されるという懸念もあるのですが。そのあたりが自分で授業をしていて迷う場面です。神永先生はいかがでしょうか。 (2)これも導入教材につながることですが、ジグソー活動、クロストークを経た上で、最後にMQを考える上で、導入とどのように結びつけるかということです。「教材のねらい」で書かれているように「積極的に行動し、間違える大衆」をテーマにするのならば、やはり最後にもう1度、冒頭の課題について考えさせ、教材を学んだ前と後で自分のイメージや意見がどう変化したという個人内評価を問うことも意味があるかと思いました。 実際に使ってみて、また感想を書かせていただきます。
山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。 ⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。 ⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。 まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。
山田先生、ご無沙汰しております。コメントありがとうございました。
⑴について 私の勤務校では幸いなことに、生徒がヘイトを支持するようなシチュエーションに遭遇したことはありませんし、対話を聞いていても直接的に排外主義的な主張をする生徒は見かけません。ただ、ご指摘のケースに近しい事例は確認したことがあります。 年度当初、「歴史の扉」の単元でNHKのBS1スペシャル「ジャパニ ~ネパール村の出稼ぎ村の子どもたち~」を視聴してコメントを提出させたのですが、苦境に立たされる移民労働者や本国に取り残される子供たちに対して、「日本に出稼ぎに来るのは自分で決めた道なのだから、不平不満を言うべきでない」や「ネパールに生まれたのはしかたがないことで、それは運命として受け入れるべき」のようなコメントが寄せられました。 私は良い機会だと思い、次の授業の冒頭で、ネパールの状況に同情的なコメントと併記してそれを他の生徒に紹介しました。あわせて、ロールズの「無知のベール」の話を紹介し、グローバル正義論について数分だけ話をしました。 話をご質問の点に戻しますと、教師の解釈が規定されることへの懸念について、個人的には恐れずに生徒へボールを投げ続けるのが良いのではないかと思っています。それがなぜ不正義かについては教師側がしっかりと主張していって良いのではないでしょうか。もちろん、その場で生徒と議論が白熱してしまうとカリキュラムが消化できませんので、次回以降の教材にも同じ論点を別の素材で問いかけ続け、コメントシートで生徒が考えたことを吸い上げるような仕掛けを何度か繰り返すことで、「教師」という他者と出会って自己の理解を振り返る機会になるのではないかと考えています。 もちろん、教師それ自体がもつ権威性には自覚的であるべきですので、授業冒頭でコメントを紹介するときには、該当生徒を議論の相手として十分にリスペクトすることを心がけています。指導は学校や学年や学級などの雰囲気によってさまざまに形を変えるものですので、一概には言えないということを含みつつも、私の考えているところを書かせていただきました。
⑵について ご指摘、ご尤もだと思います。一方で、一つの授業の中で「授業前の思考」→「授業を受けた後の思考」を求めると、いささか学びが”機械的”になりやすい気もしています。きれいにパッケージされすぎていて、臨場感に欠けると言い換えてもいいかもしれません・・・(うまく言語化できませんが)。その意味で、帝国主義で「何か民主主義ってドウナノ?」という漠然としたモヤモヤを抱かせ、その「考えたい欲求」を熟成させ、大衆化の単元で思う存分議論させる、というのもいいかもしれません。 もっとも、その場合にも生徒の頭の中の大衆像についてコメントシートなどで外化させ、変容を評価することが必要になるのは変わらないと思います。
まとまりのない乱文、失礼いたしました。今後とも、よろしくお願いいたします。
反応が遅くなり、失礼しました。講義資料、大変興味深く拝読しました。 「稲作」に伴う生活の変化は、私も授業で取り上げていますが、縄文時代における地域的人口分布(東高西低)は、稲作の受容のありかた(今では、私が習った20年前とは違って、短期間で列島各地に広まったとは説明されないようですし)を考えるヒントにもなるものと思い、私も使わせてもらおうと思いました(土偶の表情の変化については、恥ずかしながら始めて知りました)。植生の問題も重要ですね。 なお、稲作の開始に伴う女性の地位変化については、出産サイクルの変化に注目させる点はきわめて有意義と考える反面、だから女性が子育ての負担が増す・・・というのは、授乳や産前産後の行動力の問題などのフォローをしておかないと(常識の範囲なのかもしれませんが)、子育ては超歴史的に女性(とりわけ母親)の仕事という誤解が深まるかもしれません。先生には余計なお世話でしょうが、他の方が活用される場合の注意事項として記す次第です。 また、私が見逃しているのかもしれないのですが、これは何時間でされる授業でしょうか?ご教示いただけると幸いです。
反応が遅くなり、失礼しました。講義資料、大変興味深く拝読しました。
「稲作」に伴う生活の変化は、私も授業で取り上げていますが、縄文時代における地域的人口分布(東高西低)は、稲作の受容のありかた(今では、私が習った20年前とは違って、短期間で列島各地に広まったとは説明されないようですし)を考えるヒントにもなるものと思い、私も使わせてもらおうと思いました(土偶の表情の変化については、恥ずかしながら始めて知りました)。植生の問題も重要ですね。
なお、稲作の開始に伴う女性の地位変化については、出産サイクルの変化に注目させる点はきわめて有意義と考える反面、だから女性が子育ての負担が増す・・・というのは、授乳や産前産後の行動力の問題などのフォローをしておかないと(常識の範囲なのかもしれませんが)、子育ては超歴史的に女性(とりわけ母親)の仕事という誤解が深まるかもしれません。先生には余計なお世話でしょうが、他の方が活用される場合の注意事項として記す次第です。 また、私が見逃しているのかもしれないのですが、これは何時間でされる授業でしょうか?ご教示いただけると幸いです。
今更のコメントで失礼します。 授業のねらいに共感します。古い時代の方がなにかとシンプルなので、そこでしっかりと国際的視野を鍛える練習・習慣づけをしておくことは重要と思います。以下、些細なところもありますが、コメントします。 ・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。 ・金印の使い方の図解は重要です。ただし、この福岡市博物館の説明は、《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》という疑問に答えたものかと思います。したがって、「あなたの国が奴国から手紙を受け取ったときに・・・」というのは、状況設定として問題があります(もっとも、中国をバックにしている、「グローバル」な政権として自国の権威を誇示するというのが想定回答と考えられますが、その点は重要な問いかけと思います)。 ・隋との推古朝の関係ですが、最初の問いかけで、倭国の自立性を(通念通り?)前面に出すと、先生がサジェストしている中国文明の受容(官位制・法文化・宗教)が後継に退くように思います。私は、あくまでも推古朝と隋の関係は、《中国に学びに行く倭国》を基本線として、強調しています(非礼な文書を送ったことをことさら重視しない)。このあたりはどうでしょうか? ・白村江の戦いをめぐる国際関係を(結果を知る立場から?)考察する試みも興味深く思いました。ただし、一点。「もしあなたたちがヤマト政権の有力者であったなら、倭国の独立を保つためにどのように立ち回りますか?」という問いかけは、「倭国の独立を保つ」まで出してしまうと、生徒の思考を縛るかも知れません。白村江の戦いに倭国が参戦した理由を、自衛(ないし独立を保つため)とみるか、朝鮮半島権益拡張のためとみるかも大きく分かれる点だと考えるからです(もちろん、両者を折衷したり、第三、第四のの視点もあるでしょう)。 的外れの指摘もあろうかと思います。あくまで一見解として、ご参考になれば幸いです。
今更のコメントで失礼します。
授業のねらいに共感します。古い時代の方がなにかとシンプルなので、そこでしっかりと国際的視野を鍛える練習・習慣づけをしておくことは重要と思います。以下、些細なところもありますが、コメントします。
・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。
・金印の使い方の図解は重要です。ただし、この福岡市博物館の説明は、《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》という疑問に答えたものかと思います。したがって、「あなたの国が奴国から手紙を受け取ったときに・・・」というのは、状況設定として問題があります(もっとも、中国をバックにしている、「グローバル」な政権として自国の権威を誇示するというのが想定回答と考えられますが、その点は重要な問いかけと思います)。
・隋との推古朝の関係ですが、最初の問いかけで、倭国の自立性を(通念通り?)前面に出すと、先生がサジェストしている中国文明の受容(官位制・法文化・宗教)が後継に退くように思います。私は、あくまでも推古朝と隋の関係は、《中国に学びに行く倭国》を基本線として、強調しています(非礼な文書を送ったことをことさら重視しない)。このあたりはどうでしょうか?
・白村江の戦いをめぐる国際関係を(結果を知る立場から?)考察する試みも興味深く思いました。ただし、一点。「もしあなたたちがヤマト政権の有力者であったなら、倭国の独立を保つためにどのように立ち回りますか?」という問いかけは、「倭国の独立を保つ」まで出してしまうと、生徒の思考を縛るかも知れません。白村江の戦いに倭国が参戦した理由を、自衛(ないし独立を保つため)とみるか、朝鮮半島権益拡張のためとみるかも大きく分かれる点だと考えるからです(もちろん、両者を折衷したり、第三、第四のの視点もあるでしょう)。
的外れの指摘もあろうかと思います。あくまで一見解として、ご参考になれば幸いです。
中村先生 貴重なご意見ありがとうございます。 ・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。 ⇒ここは教員になってから何回か変更を加えている箇所でして、もともとは『漢書』地理志と表記していたのですが、書籍などでは『漢書〇〇志』『漢書〇〇伝』みたいになっていることも多いので、最近ではまとめてしまっています。 ただ、『漢書』の中の地理志という部分なので、正確には『漢書』地理志にした方が良いというのは理解しています。 ・金印の使い方 ご指摘ありがとうございます。封泥を図で説明してくれている他の資料があればよいのですが・・・。 ちなみに、この部分で私が生徒に疑問点について話をするのですが、中村先生がご存じのことがあればご教授いただければ幸いです。 《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》 弥生時代のまとまった文書は見つかっていないので、歴史学的には弥生時代の日本には「文字文化が定着していない」ということになるのですが、個人的に以下の疑問があります。 ①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。 ②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか? ③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか? 稚拙な質問で申し訳ございません。 ・隋と推古朝の関係 この教材だけでは説明足らずであり、申し訳ございません。 非礼な文書を送ったことをことさら重視しない、というのは私も同じ考えです。 私は隋への国書を「中華思想の導入」という観点でとらえています。倭国が朝鮮半島諸国との交渉を「三韓の貢」とみなし、朝貢を受ける中華を自負して冊封体制から脱しようとしていた、と生徒には説明しています。加えて、実際は遣隋使・遣唐使ともに朝貢や留学を兼ねており、日本は(表向き)自立性を主張しつつも、実際は中国に朝貢して学ぶ立場であった、という説明をしています(奈良時代の新羅との元日朝賀の争いなどの話もつなげていきます)。 ・白村江の戦いをめぐる国際関係 これはなるほど、と思いました。ありがとうございます。 唐の出現後、高句麗では642年に大臣の泉蓋蘇文が国王を廃して実権を掌握し、新羅では647年に唐が廃位を求めた女王に対して国内で反乱が起こり、百済では643年に王族の義慈王がクーデタを起こしたわけですが、これらを「唐に対抗するために権力を集中するための動き」と捉え、乙巳の変もその一連の動きの一部であった、と説明しています(プリントの「遣隋使から帰国した南淵請安の塾に通っていた中大兄皇子と中臣鎌足が大陸情勢を学び」という部分との関連)。 そのため、白村江の戦いでも「唐から東アジアへの圧力をどう乗り越えるか」という観点で見てしまったため、「独立」という点に至っています。 他にも様々な歴史のIF的思考から始まる活動(私は歴史推論と呼んでいます)をしていますが、それらに活かしていきたいと思います。
中村先生
貴重なご意見ありがとうございます。
・『漢書地理志』は、『漢書』地理志とする方がよいです。 ⇒ここは教員になってから何回か変更を加えている箇所でして、もともとは『漢書』地理志と表記していたのですが、書籍などでは『漢書〇〇志』『漢書〇〇伝』みたいになっていることも多いので、最近ではまとめてしまっています。 ただ、『漢書』の中の地理志という部分なので、正確には『漢書』地理志にした方が良いというのは理解しています。
・金印の使い方 ご指摘ありがとうございます。封泥を図で説明してくれている他の資料があればよいのですが・・・。 ちなみに、この部分で私が生徒に疑問点について話をするのですが、中村先生がご存じのことがあればご教授いただければ幸いです。 《文字文化が定着していない(つまり文書の交換をしない)日本で、どうやって(本来、文書に捺すはずの)印を使うの?》 弥生時代のまとまった文書は見つかっていないので、歴史学的には弥生時代の日本には「文字文化が定着していない」ということになるのですが、個人的に以下の疑問があります。 ①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。 ②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか? ③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか? 稚拙な質問で申し訳ございません。
・隋と推古朝の関係 この教材だけでは説明足らずであり、申し訳ございません。 非礼な文書を送ったことをことさら重視しない、というのは私も同じ考えです。 私は隋への国書を「中華思想の導入」という観点でとらえています。倭国が朝鮮半島諸国との交渉を「三韓の貢」とみなし、朝貢を受ける中華を自負して冊封体制から脱しようとしていた、と生徒には説明しています。加えて、実際は遣隋使・遣唐使ともに朝貢や留学を兼ねており、日本は(表向き)自立性を主張しつつも、実際は中国に朝貢して学ぶ立場であった、という説明をしています(奈良時代の新羅との元日朝賀の争いなどの話もつなげていきます)。
・白村江の戦いをめぐる国際関係 これはなるほど、と思いました。ありがとうございます。 唐の出現後、高句麗では642年に大臣の泉蓋蘇文が国王を廃して実権を掌握し、新羅では647年に唐が廃位を求めた女王に対して国内で反乱が起こり、百済では643年に王族の義慈王がクーデタを起こしたわけですが、これらを「唐に対抗するために権力を集中するための動き」と捉え、乙巳の変もその一連の動きの一部であった、と説明しています(プリントの「遣隋使から帰国した南淵請安の塾に通っていた中大兄皇子と中臣鎌足が大陸情勢を学び」という部分との関連)。 そのため、白村江の戦いでも「唐から東アジアへの圧力をどう乗り越えるか」という観点で見てしまったため、「独立」という点に至っています。 他にも様々な歴史のIF的思考から始まる活動(私は歴史推論と呼んでいます)をしていますが、それらに活かしていきたいと思います。
中村です。頂戴したご質問への回答をします。 以下の見解は、市大樹「日本列島における漢字使用の始まりと東アジア」『グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育』に依っています。詳細はこちらを御覧いただけるとよいかと思います。 ①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。 →「文字」の書かれた弥生土器の出土例があります。ただし「文章」ではなく、「(不思議な呪力を持つ)記号」として記されたと考えた方が合理的とされます。下の②についても、同様の観点から説明できると思います。 ②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか? ③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか? →②・③はまとめてお答えします。まず、③については、たとえば卑弥呼の場合、上表文の作成を倭国側ではなく、外交を仲介した帯方郡が行ったのではないかという説があります。実際、後の時代には漢文作成能力(=中国のルールに基づいた漢文なので相当高度なスキル)を十分にもたない各国・地域の使者がもたらした文書を、中国の当局がリライトして、立派な上表文に書き換える(→さらには、貿易目的の使者を立派な朝貢使に仕立て直す)こともあり(最近では、『アジア遊学277 宋代とは何か』に気鋭の学振PDの遠藤総史さんが宋代の例を紹介しています)、この仮説は説得力があるものと考えています。また、そうでない場合でも、倭国内で外交文書が書けたのはごく一握りの渡来系の人々であり、②とも関わって、倭国内の交渉は、文字よりは口頭(使者に話させる)でなされたとみるのが穏当だと思われます(5世紀には一定の交渉がなされたが、鉄剣に彫るといった行為に象徴されるように記念的な要素が顕著であり、文字使用は相当に特殊とみるべきで、普及は7世紀頃と考えられる=この頃には木簡が普及し、行政に使用されている)。 以上となります。文章が不躾なものになっていないか、とても心配なのですが、とりいそぎ、お答え致します。
中村です。頂戴したご質問への回答をします。 以下の見解は、市大樹「日本列島における漢字使用の始まりと東アジア」『グローバルヒストリーから考える新しい大学歴史教育』に依っています。詳細はこちらを御覧いただけるとよいかと思います。
①弥生時代に日本列島にやってきた人々は、稲作や金属器などは持ち込んだのに、漢字は持ち込まなかったのか?漢字の成立は紀元前10世紀頃なので、前漢や後漢、魏の時代の日本列島に持ち込まれて使われていてもおかしくないように思います。
→「文字」の書かれた弥生土器の出土例があります。ただし「文章」ではなく、「(不思議な呪力を持つ)記号」として記されたと考えた方が合理的とされます。下の②についても、同様の観点から説明できると思います。
②文字文化が定着していなければ「漢委奴国王」の金印も相手国が読めない可能性があり、意味がないのではないか?
③手紙などが書けないのに、中国王朝との交渉は可能だったのか?
→②・③はまとめてお答えします。まず、③については、たとえば卑弥呼の場合、上表文の作成を倭国側ではなく、外交を仲介した帯方郡が行ったのではないかという説があります。実際、後の時代には漢文作成能力(=中国のルールに基づいた漢文なので相当高度なスキル)を十分にもたない各国・地域の使者がもたらした文書を、中国の当局がリライトして、立派な上表文に書き換える(→さらには、貿易目的の使者を立派な朝貢使に仕立て直す)こともあり(最近では、『アジア遊学277 宋代とは何か』に気鋭の学振PDの遠藤総史さんが宋代の例を紹介しています)、この仮説は説得力があるものと考えています。また、そうでない場合でも、倭国内で外交文書が書けたのはごく一握りの渡来系の人々であり、②とも関わって、倭国内の交渉は、文字よりは口頭(使者に話させる)でなされたとみるのが穏当だと思われます(5世紀には一定の交渉がなされたが、鉄剣に彫るといった行為に象徴されるように記念的な要素が顕著であり、文字使用は相当に特殊とみるべきで、普及は7世紀頃と考えられる=この頃には木簡が普及し、行政に使用されている)。
以上となります。文章が不躾なものになっていないか、とても心配なのですが、とりいそぎ、お答え致します。
大変アカデミックな内容で、挙げられている資料など、苦労されたのではないかと拝察します。 平安時代の日中関係については論文も書いたことがあり(https://hdl.handle.net/11094/61303)、平安時代の地方支配と国風文化、対外関係は相互に結びつけないと逆に教科書記述の理解が難しくなり、多くの生徒がここでドロップアウトするおそれがあると考えています。 具体的な実践はこの教材共有サイトにも挙げている「日本史概論」の関連項目を御覧いただけると幸いです。 先生の授業に関して、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルは、ことに「国風文化」に関しては有益と思います。 その場合、提示されたA)「国風文化」は閉鎖的な文化ではなく、東アジアの影響を受け様々なものが移り変わる時代、B)やっぱり閉鎖的な時代、という選択肢のうち、Bが旧説回帰ではないことをしっかりと説明する必要があり、そこが難しさでしょうか。 最近の論調も一見すると、B(閉鎖的)と読めるかも知れませんが、あくまでも唐文化はもちろん宋文化の影響も受けていることを前提にして、どのあたりがどう影響をうけているのか、いないのかを追究し、日本の国際的位置(政治的・文化的)をとらえようとしていると理解できます。 今回の資料では、提示された資料と学説とのリンクが(おそらく口頭で補っているのでしょうが)十分には見えにくいので、改善点があるとすれば、その点にあろうかと思います。 また、遣唐使以後の貿易活動については、文字資料では伝わりにくいかもしれません(どうしても統制する方向の資料になる上、なかなか難しい漢文資料ですので・・・)。このあたりは、教科書でも紹介されている(出版社によって軽重はありますが)、博多の状況を紹介するのがよいと思います。 なお、朝鮮観については、最近、渡邊誠『王朝貴族と外交』(http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b618489.html)が上梓されました。大いに参考になるのではと思います。
大変アカデミックな内容で、挙げられている資料など、苦労されたのではないかと拝察します。 平安時代の日中関係については論文も書いたことがあり(https://hdl.handle.net/11094/61303)、平安時代の地方支配と国風文化、対外関係は相互に結びつけないと逆に教科書記述の理解が難しくなり、多くの生徒がここでドロップアウトするおそれがあると考えています。 具体的な実践はこの教材共有サイトにも挙げている「日本史概論」の関連項目を御覧いただけると幸いです。
先生の授業に関して、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルは、ことに「国風文化」に関しては有益と思います。 その場合、提示されたA)「国風文化」は閉鎖的な文化ではなく、東アジアの影響を受け様々なものが移り変わる時代、B)やっぱり閉鎖的な時代、という選択肢のうち、Bが旧説回帰ではないことをしっかりと説明する必要があり、そこが難しさでしょうか。 最近の論調も一見すると、B(閉鎖的)と読めるかも知れませんが、あくまでも唐文化はもちろん宋文化の影響も受けていることを前提にして、どのあたりがどう影響をうけているのか、いないのかを追究し、日本の国際的位置(政治的・文化的)をとらえようとしていると理解できます。 今回の資料では、提示された資料と学説とのリンクが(おそらく口頭で補っているのでしょうが)十分には見えにくいので、改善点があるとすれば、その点にあろうかと思います。
また、遣唐使以後の貿易活動については、文字資料では伝わりにくいかもしれません(どうしても統制する方向の資料になる上、なかなか難しい漢文資料ですので・・・)。このあたりは、教科書でも紹介されている(出版社によって軽重はありますが)、博多の状況を紹介するのがよいと思います。
なお、朝鮮観については、最近、渡邊誠『王朝貴族と外交』(http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b618489.html)が上梓されました。大いに参考になるのではと思います。
平家と日宋貿易に関して、コンパクトかつ内容の濃い資料であると受けとめました。 また、修学旅行とリンクさせて学びを深めるというのも、生徒にとって良い経験であると思います。 ただし、私自身は、平家が大輪田泊を拠点に日宋貿易に関わり、経済基盤にしたという理解には懐疑的です。 その観点からすれば、①平家の経済基盤は、資料にもある知行国と荘園に求める方が無難であるし、反平家の機運も、知行国・荘園をめぐる権益をめぐって起こっていることと整合的かと思います。 ②日宋貿易の基幹線は、遣唐使以後から一貫して〈博多―(東シナ海)―寧波〉においた方が、戦国時代の〈南九州など九州各地―(東シナ海/南シナ海)―中国〔密貿易拠点〕・東南アジア〉の対比が生きています(→なぜ種子島や鹿児島が鉄砲・キリスト教伝来で重要か、など)。また、教科書で紹介される博多の状況とも整合的だと思います。 ③大輪田泊は、日宋貿易のルートというよりは、博多~各地の地方都市~京都をつなぐ瀬戸内海流通の動脈として理解した方が、平家が西国を拠点に生き延びようとした戦略をよりうまく説明できると思います(西国は、貿易以上に国内流通・生産のレベルで豊かであった)。厳島神社も貿易と言うよりは(それもあるかもしれませんが)、瀬戸内海流通の拠点として考えればよいと思います。 もちろん、国際貿易と国内通流は択一的な問題ではないのですが、貿易に傾きすぎるとかえって平家の基盤を矮小化するように思え、以上のように考えることで、西国と平家の関係性がよりクリアになるのではと考える次第で、コメントさせていただきました。
平家と日宋貿易に関して、コンパクトかつ内容の濃い資料であると受けとめました。 また、修学旅行とリンクさせて学びを深めるというのも、生徒にとって良い経験であると思います。
ただし、私自身は、平家が大輪田泊を拠点に日宋貿易に関わり、経済基盤にしたという理解には懐疑的です。
その観点からすれば、①平家の経済基盤は、資料にもある知行国と荘園に求める方が無難であるし、反平家の機運も、知行国・荘園をめぐる権益をめぐって起こっていることと整合的かと思います。
②日宋貿易の基幹線は、遣唐使以後から一貫して〈博多―(東シナ海)―寧波〉においた方が、戦国時代の〈南九州など九州各地―(東シナ海/南シナ海)―中国〔密貿易拠点〕・東南アジア〉の対比が生きています(→なぜ種子島や鹿児島が鉄砲・キリスト教伝来で重要か、など)。また、教科書で紹介される博多の状況とも整合的だと思います。
③大輪田泊は、日宋貿易のルートというよりは、博多~各地の地方都市~京都をつなぐ瀬戸内海流通の動脈として理解した方が、平家が西国を拠点に生き延びようとした戦略をよりうまく説明できると思います(西国は、貿易以上に国内流通・生産のレベルで豊かであった)。厳島神社も貿易と言うよりは(それもあるかもしれませんが)、瀬戸内海流通の拠点として考えればよいと思います。
もちろん、国際貿易と国内通流は択一的な問題ではないのですが、貿易に傾きすぎるとかえって平家の基盤を矮小化するように思え、以上のように考えることで、西国と平家の関係性がよりクリアになるのではと考える次第で、コメントさせていただきました。
中村先生 コメントありがとうございました。先生のご指摘は西日本と東アジアの交流と平氏権力の拡大と衰退をいかに単元化しうるかということにつながるものと理解しました。 大輪田泊に関してのご指摘は日本史探究のWGでも懸案事項として表出されたものでした。私の授業案では博多の存在を軽視していたことは否めません。「日本史探究」において東アジア交易の実態に迫る単元をどこにすえつけて展開することが単元設計上効果的なのか改めて考える機会となりました。 日本史探究の教科書では厳島神社を瀬戸内海流通の拠点とする視点はほとんど掲載されていないと思います。厳島神社が担っていた複数の役割や東アジアの結節点である博多、これらの地域を題材にして政治(平氏政権)と経済(知行国・荘園制を含む)を結び付けた授業を今後作成していきたいと思いました。 また、本校の生徒にとって“博多”という地はイメージしにくい地です(海なし県ですとなおさらです。)博多をテーマにして中世を貫く単元も作れると感じました。 ご助言ありがとうございました。
中村先生 コメントありがとうございました。先生のご指摘は西日本と東アジアの交流と平氏権力の拡大と衰退をいかに単元化しうるかということにつながるものと理解しました。
大輪田泊に関してのご指摘は日本史探究のWGでも懸案事項として表出されたものでした。私の授業案では博多の存在を軽視していたことは否めません。「日本史探究」において東アジア交易の実態に迫る単元をどこにすえつけて展開することが単元設計上効果的なのか改めて考える機会となりました。 日本史探究の教科書では厳島神社を瀬戸内海流通の拠点とする視点はほとんど掲載されていないと思います。厳島神社が担っていた複数の役割や東アジアの結節点である博多、これらの地域を題材にして政治(平氏政権)と経済(知行国・荘園制を含む)を結び付けた授業を今後作成していきたいと思いました。 また、本校の生徒にとって“博多”という地はイメージしにくい地です(海なし県ですとなおさらです。)博多をテーマにして中世を貫く単元も作れると感じました。 ご助言ありがとうございました。
中村です。近年は、アジア交流史が重視されているので、博多に注目する教科書が増えてきたようですが(ある世界史探究の教科書で、鎌倉から四国の南、南九州を経由して中国方面に伸びる不思議な航路が書かれていたことには驚きましたが・・・)、「本校の生徒にとって“博多”という地はイメージしにくい地です」というのは、忘れていたポイントでした。 私自身、千葉県で高校まで過ごしてきたので、アジアとの窓口としての博多のイメージは希薄で、大学での学びで強く意識するようになった次第です。生徒の持っている認識などを考慮した教材作りは、全国一律のオンデマンド授業ではなかなか難しい、その学校の教師のなせる技かも知れません。今度とも、ご教示下さい。
京都教育大、中村翼です。 飢餓ゼロがSDGsの一つになっているように、極めて現代的な課題に即した有意義な授業実践であると考えました。 『方丈記』の五大災厄は歴史資料としてもよく利用されますが、古典学習と歴史学習の架橋という意味でも意義深い取り組みであると思います(あとは、飢饉と都市の関係などは、地理でしょうか)。 全体像に関わるものと言うよりは、些細な点ですが、博士論文のテーマが鎌倉時代で、友人が平家政権論を研究しているもので、コメントをしておきます。 Q4の想定解答に、飢饉の対応策(というか日常の五穀豊穣)として、古代なら加持祈祷というものがあります。この書き方だと、中世は違うという誤解を招くかも知れません。中世(とくに院政・鎌倉時代)に天台真言の旧仏教(顕密仏教)が最盛期を迎え、モンゴル襲来時に各地の寺社が異国降伏祈祷に熱をあげたように、困ったときの仏神頼みは古代に限るものではありません(むしろ中世の方が熱狂的)。関連して、異国降伏祈祷には幕府も積極的だったように(この点は、教科書ではあまり強調されませんが)、鎌倉幕府の「徳政」(この場合は北条泰時の政治)と古代の祈祷を対置するのも問題です。事実、蒙古襲来後の「徳政」は寺社に(御家人を犠牲にしてでも)「恩賞」を与えることでもありました(より詳しくは、海津一朗『〈新〉神風と悪党の世紀』などを参照)。 Q7の人身売買と飢饉の関係性について、「なぜそのような命令を出したのか?(=なぜ人身売買が飢饉のときに限って許されたのか?)」という問いかけの答えが、「人身売買が出来なければさらに死者が増えると考えられる」とあったので、ここをどう説明されたのかが気になります。当時の飢饉や社会のあり方、人身売買を考える上でキイとなる問いかけだと思うからです。なお、この点については平雅行『歴史のなかに見る親鸞』の「東国の伝道」という章に、寛喜の飢饉と親鸞の思想の関係を含め、壮絶な解説があります。ぜひ、ご一読いただけるとよいかと思います。同著『〈日本史リブレット人〉法然』も単なる人物伝にくわえ、中世仏教の全般の解説を含みます。あわせてお薦めしておきます。
京都教育大、中村翼です。 飢餓ゼロがSDGsの一つになっているように、極めて現代的な課題に即した有意義な授業実践であると考えました。 『方丈記』の五大災厄は歴史資料としてもよく利用されますが、古典学習と歴史学習の架橋という意味でも意義深い取り組みであると思います(あとは、飢饉と都市の関係などは、地理でしょうか)。
全体像に関わるものと言うよりは、些細な点ですが、博士論文のテーマが鎌倉時代で、友人が平家政権論を研究しているもので、コメントをしておきます。
Q4の想定解答に、飢饉の対応策(というか日常の五穀豊穣)として、古代なら加持祈祷というものがあります。この書き方だと、中世は違うという誤解を招くかも知れません。中世(とくに院政・鎌倉時代)に天台真言の旧仏教(顕密仏教)が最盛期を迎え、モンゴル襲来時に各地の寺社が異国降伏祈祷に熱をあげたように、困ったときの仏神頼みは古代に限るものではありません(むしろ中世の方が熱狂的)。関連して、異国降伏祈祷には幕府も積極的だったように(この点は、教科書ではあまり強調されませんが)、鎌倉幕府の「徳政」(この場合は北条泰時の政治)と古代の祈祷を対置するのも問題です。事実、蒙古襲来後の「徳政」は寺社に(御家人を犠牲にしてでも)「恩賞」を与えることでもありました(より詳しくは、海津一朗『〈新〉神風と悪党の世紀』などを参照)。
Q7の人身売買と飢饉の関係性について、「なぜそのような命令を出したのか?(=なぜ人身売買が飢饉のときに限って許されたのか?)」という問いかけの答えが、「人身売買が出来なければさらに死者が増えると考えられる」とあったので、ここをどう説明されたのかが気になります。当時の飢饉や社会のあり方、人身売買を考える上でキイとなる問いかけだと思うからです。なお、この点については平雅行『歴史のなかに見る親鸞』の「東国の伝道」という章に、寛喜の飢饉と親鸞の思想の関係を含め、壮絶な解説があります。ぜひ、ご一読いただけるとよいかと思います。同著『〈日本史リブレット人〉法然』も単なる人物伝にくわえ、中世仏教の全般の解説を含みます。あわせてお薦めしておきます。
中村先生 コメント及び参考図書のご紹介ありがとうございます。まず、この教材案では実践をしておりませんので、今回は想定されるコメントを掲載したものでございますのでご了承ください。 Q4では既習事項を踏まえ生徒が発言(記述)しそうな内容を掲載しました。祈禱に関しては、奈良時代の天然痘をはじめとした疫病が広がった時代と鎌倉時代とを比較することで仏教に対する考え方や「祈る」という行為について生徒に考えさせる授業が構想できそうです。近世及び現在のコロナのアマビエ信仰などにも通ずるところがあるかと思いますので、今後の教材案作成の1つのテーマになりえそうです。ただ、古代の祈りと中世における祈りと現在の祈りを同一視することは危険だと思いますので、何かよい観点があればお教えいただけると幸いです。 Q7については、現在の世界では人身売買は絶対悪として見られる風潮が強いかと思います(あくまで私見ですが)。現在の生徒が持っている価値観を揺さぶるためQ7を設定した次第です。生徒のもっている価値観を揺さぶり、厳しい社会状況であったことを理解させるための文章資料と考え配置しました。 中村先生、コメントありがとうございました。
中村先生 コメント及び参考図書のご紹介ありがとうございます。まず、この教材案では実践をしておりませんので、今回は想定されるコメントを掲載したものでございますのでご了承ください。 Q4では既習事項を踏まえ生徒が発言(記述)しそうな内容を掲載しました。祈禱に関しては、奈良時代の天然痘をはじめとした疫病が広がった時代と鎌倉時代とを比較することで仏教に対する考え方や「祈る」という行為について生徒に考えさせる授業が構想できそうです。近世及び現在のコロナのアマビエ信仰などにも通ずるところがあるかと思いますので、今後の教材案作成の1つのテーマになりえそうです。ただ、古代の祈りと中世における祈りと現在の祈りを同一視することは危険だと思いますので、何かよい観点があればお教えいただけると幸いです。 Q7については、現在の世界では人身売買は絶対悪として見られる風潮が強いかと思います(あくまで私見ですが)。現在の生徒が持っている価値観を揺さぶるためQ7を設定した次第です。生徒のもっている価値観を揺さぶり、厳しい社会状況であったことを理解させるための文章資料と考え配置しました。
中村先生、コメントありがとうございました。
中村です。 時代ごとの「祈り」の持つ意味の違いは、なかなかやっかいな問題だと思いますが(現代でも人によって様々ですし)、宗教勢力の持つ社会的な機能の多様性と大きさ(一般的には、中世に肥大化し、近世に世俗するイメージでしょうか)をしっかりおさえながら説明することが、「観点」という意味では重要だと思います。 人身売買のことは、日本中世において〈当時において生きていくためのやむを得ない選択〉という側面が確かにありますが、「自助」のウェイトが大きい時代はともかく、現代は先生のおっしゃる通り、それでやむなしとするわけにはいかないので、「公共」で習う社会保障制度の問題(とくに公的扶助・社会福祉)との橋渡しが欠かせないところでしょうか。
中村先生 日本史探究の科目テーマとなっている、”祈り”という「概念」や自助等の公民的内容との科目間の立てつけが実践していて難しいなと考えております。抽象概念をいかに生徒の知識理解につなげていくのが今後の課題であり、先生からいただいたご助言を踏まえて再考していかなければならないなと感じています。
今年度から始まった日本史探究の序盤を進める上で、大変参考にさせていただいております。全て手探りであるため、先生が指し示してくださる教材に大いに助けられました。 今年度は進路先がほとんど就職や専門学校のクラスで授業を行っておりますが、このクラスにおいては「倭国の独立」というゴールを示した時に議論が活発化しました。中村先生のご指摘もその通りでして、クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません(外交政策についての意見ばかりになってしまったのは、私の指導の反省点です…)。 また「蘇我氏を倒して早急に天皇中心の国づくりをしなければならない」という部分に関しては、東アジアの情勢だけでなく、国内における蘇我氏の専横的な振る舞い(馬子の崇峻天皇暗殺、入鹿の山背大兄王暗殺、皇極天皇との愛人問題など…)を、バイアスと承知で提示することで、より天皇中心の国づくりの必要性がイメージしやすいようにしてみました。 いずれにせよ高瀬先生の教材あっての応用であります。本当にありがとうございます。お恥ずかしい話ではございますが、もしよろしければまた教材をご提示していただけましたら幸いです。
今年度から始まった日本史探究の序盤を進める上で、大変参考にさせていただいております。全て手探りであるため、先生が指し示してくださる教材に大いに助けられました。
今年度は進路先がほとんど就職や専門学校のクラスで授業を行っておりますが、このクラスにおいては「倭国の独立」というゴールを示した時に議論が活発化しました。中村先生のご指摘もその通りでして、クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません(外交政策についての意見ばかりになってしまったのは、私の指導の反省点です…)。
また「蘇我氏を倒して早急に天皇中心の国づくりをしなければならない」という部分に関しては、東アジアの情勢だけでなく、国内における蘇我氏の専横的な振る舞い(馬子の崇峻天皇暗殺、入鹿の山背大兄王暗殺、皇極天皇との愛人問題など…)を、バイアスと承知で提示することで、より天皇中心の国づくりの必要性がイメージしやすいようにしてみました。
いずれにせよ高瀬先生の教材あっての応用であります。本当にありがとうございます。お恥ずかしい話ではございますが、もしよろしければまた教材をご提示していただけましたら幸いです。
横井先生 コメントいただきありがとうございます。楽しい授業になったようで、とてもうれしく思います。 「クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません」というのはその通りだと思います。 今回の白村江の戦いのような活動を他の時代でも組み込んでいるのですが、中村先生のご指摘のようにすると、グループごとに論点を変えることで様々な視点から意見が出て学びが広がるような気もします。 「バイアスと承知で提示すること」 これは歴史という科目を教える中でうまく活用したいですね。 私の場合だと、ステレオタイプの理解や教科書的な理解を崩すことで生徒の興味関心を引くことも多いです。 今回の範囲だと、崇仏論争は実は崇峻と穴穂部皇子の継承争いだった、崇峻天皇や山背大兄は王の器ではないとみなされ群臣の協議によって殺された、乙巳の変は蘇我氏中心の国づくりを目指す皇極と、王族中心の国づくりを目指す軽皇子(孝徳)の対立だった、などがあるでしょうか。
横井先生
コメントいただきありがとうございます。楽しい授業になったようで、とてもうれしく思います。 「クラスによってここは“どこまで情報を提示するか?”という点について融通が利かせられるのかもしれません」というのはその通りだと思います。 今回の白村江の戦いのような活動を他の時代でも組み込んでいるのですが、中村先生のご指摘のようにすると、グループごとに論点を変えることで様々な視点から意見が出て学びが広がるような気もします。
「バイアスと承知で提示すること」 これは歴史という科目を教える中でうまく活用したいですね。 私の場合だと、ステレオタイプの理解や教科書的な理解を崩すことで生徒の興味関心を引くことも多いです。 今回の範囲だと、崇仏論争は実は崇峻と穴穂部皇子の継承争いだった、崇峻天皇や山背大兄は王の器ではないとみなされ群臣の協議によって殺された、乙巳の変は蘇我氏中心の国づくりを目指す皇極と、王族中心の国づくりを目指す軽皇子(孝徳)の対立だった、などがあるでしょうか。
中村先生 コメントをいただきましてありがとうございます。大変参考になりました。特に、旧説回帰にならないようにしないように気をつけなければならないという御指摘は、本当にそのとおりだと思いました。どう工夫するか考えたいと思います。 また、様々な文献を御紹介いただきありがとうございます。しっかりあたって、さらに授業を深めていきたいと思います。 なお、先生に記していただいた、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルですが、自分の一つの形にできないかと考えています(もちろん毎回ではありませんが)。このスタイルに関しまして、近世でも既に挑戦しています。恥ずかしながら、授業実践として投稿していますので、こちらも御批判いただけると、大変幸いです。
中村先生 コメントをいただきましてありがとうございます。大変参考になりました。特に、旧説回帰にならないようにしないように気をつけなければならないという御指摘は、本当にそのとおりだと思いました。どう工夫するか考えたいと思います。
また、様々な文献を御紹介いただきありがとうございます。しっかりあたって、さらに授業を深めていきたいと思います。
なお、先生に記していただいた、①学説史の流れを認識しながら、②それぞれの根拠をおさえていくというスタイルですが、自分の一つの形にできないかと考えています(もちろん毎回ではありませんが)。このスタイルに関しまして、近世でも既に挑戦しています。恥ずかしながら、授業実践として投稿していますので、こちらも御批判いただけると、大変幸いです。
私には初めて見る史資料が多く、大いに参考になりました。ありがとうございました。
堀井先生 コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
私自身疑問に思っていることに答えて頂いた教材で、大変有益でした。ありがとうございました。
ポイントを突いた教材と思います。二点、追加しますと、1)なぜ日本が「文明」と言えるのかですが、直前に国会を開いて西洋最先端の立憲政を始め、工業も勃興し始めた自負があって、それが朝鮮への「革命の輸出」を促したことを、まず説明しておいた方がよいのではと思います。2)この戦争への熱狂の先頭に小学生がいた(凱旋行進への小旗歓迎)ことも追加すると良いかも知れません(金山泰志「戦争と日本民衆の中国観ー様々のメディアと資料として」、三谷・張・朴編『響き合う東アジア史』東京大学出版会、2019年。金山さんには単著もあります)。
三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。 こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。
三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。
こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。
「帝国主義」は、近代史上の難題ですが、神永先生の教材はよく考え抜かれていると拝見します。その上で、若干の補足を。1)なぜ植民地を獲得しようとしたのか。これは、今の日本人にはなかなか理解が難しいことと思います。より一般化すれば、なぜ人は他人の土地を奪い、他人を支配しようとするのかという問題です。いま、我々がそれを考えないで済んでいるのは、モノやサーヴィスを提供すれば、自らの生活を豊かにできると知っているからだと考えます。植民地を手放した後の日本が戦前よりずっと豊かな社会になった経験がものを言っているのではないでしょうか。それ以前は逆だったし、戦国時代では土地争いれ自体が秩序のルールになっていました。これらや今のロシアとの違いを意識し、その正当化根拠を考えるのは大事なことと考えます。2)その上で、「帝国主義の時代」の特徴を考えると、「強国同士の陣取りゲーム」の発生が重要と思います。教材で教えていただいた福澤の議論はそれを先取している観があります。現地民の意志は無論、そこにどんな資源があるのか、衛生状態は大丈夫か、そんなことはお構いなしに、大国は、隣国に負けまいと、陣取りゲームに突進したのではないでしょうか。蒸気船・鉄道・兵器などのテクノロジーが発達したせいで、「土地」に執着する限り、陣取り競争から逃げられなくなった。そんな印象です。3)最後の資料が語る問題はとても大事と思います。支配された側の記憶がいまの日本が抱える難題の一つとなっているからです。帝国崩壊から約80年、何世代も経ったったいま、この「傷」を考えるだけでことが解決するはずはありませんが、隣国とのもつれを解きほぐすには、まず日本側が20世紀前半にしたことを事実として認めることを出発点とせざるを得ないと考えます。その場合、教科書が書いているのは日本側の行動だけで、相手側のつらい経験は見えません。この教材はそれを可視化するもので、とても有用と思います。無論、その場合、生徒側に山田先生が懸念されるような思い・発言が生ずるはずですが、それに対しては、「君がこのときの朝鮮人や中国人の立場にいたら、どう思うだろうか」と尋ねてはどうでしょうか。「視点の移動」。それは、同じ日本の中であっても、別の時代を理解するのに必要なことですし、歴史教育が生徒に与えうる最大の贈り物の一つではないかと考えます。
三谷先生 こちらにもコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、過分なお言葉まで頂戴し、恐悦しております。補足事項の三つ目で指摘されている、支配された側の記憶の問題については、とくに戦後の単元でどれだけ迫れるかが課題だと思っております。 問題が巨大だからこそ、教材化する行為が問題の矮小化にならぬよう、真摯に向き合わねばなりません。独りでは困難ですから、全国の先生方のお知恵を拝借しながら一つずつ、より良い歴史教育に向けて積み上げていければと考えております。 今後とも、よろしくお願いいたします。
三谷博の感想を記します。文学作品に限らず、自伝や記録を授業に使うのは、とても有意義と思います。ただ、「こころ」は、高校時代に読まされて難渋した記憶がありますので、今回はややひるんだのですが、ともかく拝見しました。 さて、この教材は「先生」の地主や金利生活者としての姿を探り出し、当時の日本の経済・社会格差を考えるよう誘うことに成功していると思います。(ただ、もう少し注釈を。漱石の「学生」は、大学生、それも当時はただ一つしかなかった「帝国大学」の学生を指しています[京都帝大は明治30年創立]。むかし調べたところでは卒業年齢は平均26歳でした。大学卒業までには大変なお金と時間がかかったわけです)。他方、疑問3については、かなり当惑しました。妻に遺書を遺さなかった理由については、「先生」自身が、「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいて遣りたい」と書いています。小説の肝ながら、怖い話しなので、あまり触れたくありません。 なお、私が定年後に勤めた大学での経験では、高校卒業までに本を丸々読んだことのある学生は稀でした。その場合、こうした「資料」に接したとき、その文字は人間の生き様を表現しているという想像力がなかなか働かないようです。歴史は特殊な「単語」を憶えるものと思い込んでいて、そこに生きていた人々の生活が思い浮かばない。でも、もしそこに「物語」を見つけるなら、それは深い印象を与え、忘れようとしても忘れられなくなるはずです。 ご参考までに、そのとき、私が対策として使ったテキストは、福澤諭吉『福翁自伝』(岩波文庫の外に、慶應義塾大学出版会が刊行した註釈付本があり、『新日本古典文学大系』には松沢弘陽先生が詳細・綿密な考証を施した本もある)。もう一つは、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫)。女子には前者はあまり受けず、後者では何とか幕末の世界に入り込んでもらうことができました。 ともかく、こうした作品を使った授業が増えるなら、歴史の勉強はとても楽しくなるはずなので、ぜひ続けていただきたいと思います。
三谷 博 先生 貴重なご意見をありがとうございます。三谷先生のお言葉から数多くのご示唆を頂きました。また、今後に向けての大きな励みになりました。 今回の授業を構想したのは、「こころ」が、今も高校生を惹きつける魅力的な小説であると感じたからです。国語で「こころ」を学習している時期に教室に行くと、生徒たちはこの小説の登場人物や展開についてよく話をしていました。小説のバックグラウンドとなる「明治」という時代をよく知れば、より深く、より楽しく「こころ」を読めるようになり、歴史を学ぶことにももっと関心を持てるのではないか。国語を教える同僚と話をする中で、そう思いました。現代の高校生と近い世代の若者が、100年以上も前の東京で、どう生活していたのか。何を思って生きていたのか。その<物語>を知ることで、歴史の教科書に書かれた「明治」がより鮮明な印象を伴って生徒たちに迫ってくる。三谷先生が言われるように、もしも、そこに<物語>を見つけられれば、「明治」は生徒たちにとって、もはや「遠い昔」ではなくなるのだと思います。 先生がご指摘下さいましたように、当時の「大学」を現在の「大学」に単純に置き換えることはできず、あくまでも「明治」という時代に即して理解すべきなのだと反省しました。「先生」が入学した当時、大学は一つであったこと、日清戦争の賠償金で京都帝大が創られたことについても補足すべきでした。さらに、資料1―②「上級学校進学の割合(明治時代末期)」についても、先生が入学した時期の十数年後のデータであることを付記すべきだったと気づきました。授業では、「先生」が卒業したと思われる明治31年の東京帝国大学卒業生名簿(国立国会図書館デジタルアーカイブス)も閲覧しましたが、今後、提示する資料を精選したいと思います。その他の点に関しましても、三谷先生から頂いたお言葉をふまえて授業のあり方を見直したいと思います。 歴史の授業で、いかに生徒の想像力を膨らませられるか。三谷先生から頂いたお言葉やご紹介頂いた参考文献を頼りに授業の改善や工夫をしていきたいと思います。浅学の身ではございますが、今後も引き続きご指導とご鞭撻を賜れれば幸いです。
素人なので、参考書の紹介に留めます。ウポポイができる前だったので、その紹介はありませんが、とても丁寧な解説をしています。 坂田美奈子『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』(歴史総合パートナーズ5)清水書院、2018年。 なお、「近代化」はとても曖昧な概念なので、先生がおっしゃるとおり、それをもっと具体的な産業化・世界市場化や国民国家化・民主化、あるいは科学技術結合などに分解すると、汎用性が高まるように思います。これを「市民革命」から始めると、中国やロシアが歴史から消えてしまいますが、ここまで分解するとちゃんと共通性も出てきて、比較可能となるいように思います。
三谷です。この三国の比較はとても意義深いものと考えます。ただ、おっしゃるとおり、とても難しいですね。資料を拝見した限り、「近代化」でなく、「立憲主義」の導入に絞ると、違いがくっきりみえると思います。ずばり、三国の君主が「君権の制限」を受け入れたか否かが分かれ目になったようです。日本の場合、たまたま室町以来、天皇が決定権を持たないという伝統があったので、伊藤のような発言も可能となったのでした。お隣の朝鮮の場合、それができなかったのが致命的だったようです(森万佑子『韓国併合』中公新書)。 この軌道の相違は今でも大きな影響を遺していて、例えば中国で政治的自由が定着する可能性はとても小さいように思います(かつて私はそれを期待して編著を編んだこともあったのですが)。この差異を、成功・失敗という枠で捉えると、生徒に隣国への偏見を押しつけることになって、確かにまずい。しかし、この差異自体は今の世界にとって、けっしてゆるがせにできないことと考えます。生徒に事実を見せ、決まった結論に誘導するのではなくて、いろいろ考えてもらうなら、意義深い授業になるように思います。
三谷です。この分野は素人ですが、少しコメントします。日清対立の焦点は朝鮮にありましたが、1880年代の日本は二度の事変に拘わらず、不関与政策をとりました。山県の演説はその最終局面で行われています。他方、同時代の陸軍幹部(川上操六・桂太郎)は対清戦争の準備を進めており、伊藤内閣を無理矢理戦争に追い込んだのでした(高橋秀直)。ただ、伊藤や井上馨も、朝鮮に「自強」を促すため改革を強制するという政策をとっていました。維新で成功したと自負する「革命の輸出」を試みたわけです。清朝側の動きも重要で、袁世凱の駐在とともに「属国・自主」を否定するようになりました。日・清双方で、朝鮮で衝突するコースを選んでいったように見えます。 これらの事情は、以前の編著『大人のための近現代史』東京大学出版会に、専門家に書いてもらいました。また、次の本は、朝鮮側の史料にもとづいて丁寧な説明をしていて、このあたりの知識を一新した観があります。森万佑子『韓国併合』中公新書。
お世話になっております。滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 「プラスαで理解したい人,読んでみてください」のところに掲載されている文章の出典を教えていただけますか?
上記、牧原憲夫(2006)『シリーズ日本近現代史② 民権と憲法』(岩波新書)P.192 と判明しました。
濱田文 先生 いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。
濱田文 先生
いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。
徳原拓哉 先生 こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。 〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。 〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。 今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
徳原拓哉 先生
こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。
〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。
〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。
今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿者:渡邉大輔 帝国主義とは何か、ヨーロッパの帝国主義(新たな包摂と排除)
コメントへ移動▶2023/05/01 at 12:46 pm
投稿者:山田 道行 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/06/04 at 6:06 pm
投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/06/07 at 8:18 pm
投稿者:中村 翼 日本文化のあけぼの
コメントへ移動▶2023/06/21 at 2:07 pm
投稿者:中村 翼 東アジア古代国家の形成
コメントへ移動▶2023/06/21 at 2:33 pm
投稿者:高瀬邦彦 東アジア古代国家の形成
コメントへ移動▶2023/06/22 at 10:14 pm
投稿者:中村 翼 東アジア古代国家の形成
コメントへ移動▶2023/06/23 at 11:23 am
投稿者:中村 翼 国風文化
コメントへ移動▶2023/06/21 at 3:57 pm
投稿者:中村 翼 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?-
コメントへ移動▶2023/06/21 at 4:13 pm
投稿者:阿久津 祐一 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?-
コメントへ移動▶2023/06/25 at 10:34 pm
投稿者:中村 翼 平氏政権の誕生と武士の政治進出-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?-
コメントへ移動▶2023/06/29 at 1:10 pm
投稿者:中村 翼 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?―
コメントへ移動▶2023/06/21 at 5:51 pm
投稿者:阿久津 祐一 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?―
コメントへ移動▶2023/06/25 at 10:36 pm
投稿者:中村 翼 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?―
コメントへ移動▶2023/06/29 at 1:02 pm
投稿者:阿久津 祐一 執権による政治-鎌倉時代で力を持っていた者はだれか?―
コメントへ移動▶2023/07/03 at 9:43 pm
投稿者:横井永孚 東アジア古代国家の形成
コメントへ移動▶2023/06/22 at 6:50 pm
投稿者:高瀬邦彦 東アジア古代国家の形成
コメントへ移動▶2023/06/22 at 10:28 pm
投稿者:山田 貴志 国風文化
コメントへ移動▶2023/06/25 at 1:55 pm
投稿者:堀井 弘一郎 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/01 at 5:42 pm
投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/02 at 5:29 pm
投稿者:堀井 弘一郎 仏教は世界宗教になったのに、なぜ南アジアで浸透しなかったのだろう?
コメントへ移動▶2023/07/01 at 5:59 pm
投稿者:三谷 博 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 11:17 am
投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 5:34 pm
投稿者:三谷 博 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 12:25 pm
投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 5:44 pm
投稿者:三谷 博 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/17 at 4:28 pm
投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/19 at 9:59 am
投稿者:三谷 博 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか)
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:00 am
投稿者:三谷 博 「近代化」できないアジア諸国は「劣った国」といえるのだろうか
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:20 am
投稿者:三谷 博 なぜ日本は日清戦争を起こし、アジア諸国を領有する植民地帝国となったのか。
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:41 am
投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる?
コメントへ移動▶2023/07/27 at 2:29 pm
投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる?
コメントへ移動▶2023/07/27 at 4:56 pm
投稿者:徳原 拓哉 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/29 at 9:46 am
投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/08/01 at 1:05 pm