投稿者:堀井 弘一郎 仏教は世界宗教になったのに、なぜ南アジアで浸透しなかったのだろう? 私自身疑問に思っていることに答えて頂いた教材で、大変有益でした。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/07/01 at 5:59 pm 投稿者:三谷 博 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) ポイントを突いた教材と思います。二点、追加しますと、1)なぜ日本が「文明」と言えるのかですが、直前に国会を開いて西洋最先端の立憲政を始め、工業も勃興し始めた自負があって、それが朝鮮への「革命の輸出」を促したことを、まず説明しておいた方がよいのではと思います。2)この戦争への熱狂の先頭に小学生がいた(凱旋行進への小旗歓迎)ことも追加すると良いかも知れません(金山泰志「戦争と日本民衆の中国観ー様々のメディアと資料として」、三谷・張・朴編『響き合う東アジア史』東京大学出版会、2019年。金山さんには単著もあります)。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 11:17 am 投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?) 三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。 こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 5:34 pm 投稿者:三谷 博 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 「帝国主義」は、近代史上の難題ですが、神永先生の教材はよく考え抜かれていると拝見します。その上で、若干の補足を。1)なぜ植民地を獲得しようとしたのか。これは、今の日本人にはなかなか理解が難しいことと思います。より一般化すれば、なぜ人は他人の土地を奪い、他人を支配しようとするのかという問題です。いま、我々がそれを考えないで済んでいるのは、モノやサーヴィスを提供すれば、自らの生活を豊かにできると知っているからだと考えます。植民地を手放した後の日本が戦前よりずっと豊かな社会になった経験がものを言っているのではないでしょうか。それ以前は逆だったし、戦国時代では土地争いれ自体が秩序のルールになっていました。これらや今のロシアとの違いを意識し、その正当化根拠を考えるのは大事なことと考えます。2)その上で、「帝国主義の時代」の特徴を考えると、「強国同士の陣取りゲーム」の発生が重要と思います。教材で教えていただいた福澤の議論はそれを先取している観があります。現地民の意志は無論、そこにどんな資源があるのか、衛生状態は大丈夫か、そんなことはお構いなしに、大国は、隣国に負けまいと、陣取りゲームに突進したのではないでしょうか。蒸気船・鉄道・兵器などのテクノロジーが発達したせいで、「土地」に執着する限り、陣取り競争から逃げられなくなった。そんな印象です。3)最後の資料が語る問題はとても大事と思います。支配された側の記憶がいまの日本が抱える難題の一つとなっているからです。帝国崩壊から約80年、何世代も経ったったいま、この「傷」を考えるだけでことが解決するはずはありませんが、隣国とのもつれを解きほぐすには、まず日本側が20世紀前半にしたことを事実として認めることを出発点とせざるを得ないと考えます。その場合、教科書が書いているのは日本側の行動だけで、相手側のつらい経験は見えません。この教材はそれを可視化するもので、とても有用と思います。無論、その場合、生徒側に山田先生が懸念されるような思い・発言が生ずるはずですが、それに対しては、「君がこのときの朝鮮人や中国人の立場にいたら、どう思うだろうか」と尋ねてはどうでしょうか。「視点の移動」。それは、同じ日本の中であっても、別の時代を理解するのに必要なことですし、歴史教育が生徒に与えうる最大の贈り物の一つではないかと考えます。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 12:25 pm 投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?) 三谷先生 こちらにもコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、過分なお言葉まで頂戴し、恐悦しております。補足事項の三つ目で指摘されている、支配された側の記憶の問題については、とくに戦後の単元でどれだけ迫れるかが課題だと思っております。 問題が巨大だからこそ、教材化する行為が問題の矮小化にならぬよう、真摯に向き合わねばなりません。独りでは困難ですから、全国の先生方のお知恵を拝借しながら一つずつ、より良い歴史教育に向けて積み上げていければと考えております。 今後とも、よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 5:44 pm 投稿者:三谷 博 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 三谷博の感想を記します。文学作品に限らず、自伝や記録を授業に使うのは、とても有意義と思います。ただ、「こころ」は、高校時代に読まされて難渋した記憶がありますので、今回はややひるんだのですが、ともかく拝見しました。 さて、この教材は「先生」の地主や金利生活者としての姿を探り出し、当時の日本の経済・社会格差を考えるよう誘うことに成功していると思います。(ただ、もう少し注釈を。漱石の「学生」は、大学生、それも当時はただ一つしかなかった「帝国大学」の学生を指しています[京都帝大は明治30年創立]。むかし調べたところでは卒業年齢は平均26歳でした。大学卒業までには大変なお金と時間がかかったわけです)。他方、疑問3については、かなり当惑しました。妻に遺書を遺さなかった理由については、「先生」自身が、「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいて遣りたい」と書いています。小説の肝ながら、怖い話しなので、あまり触れたくありません。 なお、私が定年後に勤めた大学での経験では、高校卒業までに本を丸々読んだことのある学生は稀でした。その場合、こうした「資料」に接したとき、その文字は人間の生き様を表現しているという想像力がなかなか働かないようです。歴史は特殊な「単語」を憶えるものと思い込んでいて、そこに生きていた人々の生活が思い浮かばない。でも、もしそこに「物語」を見つけるなら、それは深い印象を与え、忘れようとしても忘れられなくなるはずです。 ご参考までに、そのとき、私が対策として使ったテキストは、福澤諭吉『福翁自伝』(岩波文庫の外に、慶應義塾大学出版会が刊行した註釈付本があり、『新日本古典文学大系』には松沢弘陽先生が詳細・綿密な考証を施した本もある)。もう一つは、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫)。女子には前者はあまり受けず、後者では何とか幕末の世界に入り込んでもらうことができました。 ともかく、こうした作品を使った授業が増えるなら、歴史の勉強はとても楽しくなるはずなので、ぜひ続けていただきたいと思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/17 at 4:28 pm 投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 三谷 博 先生 貴重なご意見をありがとうございます。三谷先生のお言葉から数多くのご示唆を頂きました。また、今後に向けての大きな励みになりました。 今回の授業を構想したのは、「こころ」が、今も高校生を惹きつける魅力的な小説であると感じたからです。国語で「こころ」を学習している時期に教室に行くと、生徒たちはこの小説の登場人物や展開についてよく話をしていました。小説のバックグラウンドとなる「明治」という時代をよく知れば、より深く、より楽しく「こころ」を読めるようになり、歴史を学ぶことにももっと関心を持てるのではないか。国語を教える同僚と話をする中で、そう思いました。現代の高校生と近い世代の若者が、100年以上も前の東京で、どう生活していたのか。何を思って生きていたのか。その<物語>を知ることで、歴史の教科書に書かれた「明治」がより鮮明な印象を伴って生徒たちに迫ってくる。三谷先生が言われるように、もしも、そこに<物語>を見つけられれば、「明治」は生徒たちにとって、もはや「遠い昔」ではなくなるのだと思います。 先生がご指摘下さいましたように、当時の「大学」を現在の「大学」に単純に置き換えることはできず、あくまでも「明治」という時代に即して理解すべきなのだと反省しました。「先生」が入学した当時、大学は一つであったこと、日清戦争の賠償金で京都帝大が創られたことについても補足すべきでした。さらに、資料1―②「上級学校進学の割合(明治時代末期)」についても、先生が入学した時期の十数年後のデータであることを付記すべきだったと気づきました。授業では、「先生」が卒業したと思われる明治31年の東京帝国大学卒業生名簿(国立国会図書館デジタルアーカイブス)も閲覧しましたが、今後、提示する資料を精選したいと思います。その他の点に関しましても、三谷先生から頂いたお言葉をふまえて授業のあり方を見直したいと思います。 歴史の授業で、いかに生徒の想像力を膨らませられるか。三谷先生から頂いたお言葉やご紹介頂いた参考文献を頼りに授業の改善や工夫をしていきたいと思います。浅学の身ではございますが、今後も引き続きご指導とご鞭撻を賜れれば幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/07/19 at 9:59 am 投稿者:三谷 博 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか) 素人なので、参考書の紹介に留めます。ウポポイができる前だったので、その紹介はありませんが、とても丁寧な解説をしています。 坂田美奈子『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』(歴史総合パートナーズ5)清水書院、2018年。 なお、「近代化」はとても曖昧な概念なので、先生がおっしゃるとおり、それをもっと具体的な産業化・世界市場化や国民国家化・民主化、あるいは科学技術結合などに分解すると、汎用性が高まるように思います。これを「市民革命」から始めると、中国やロシアが歴史から消えてしまいますが、ここまで分解するとちゃんと共通性も出てきて、比較可能となるいように思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:00 am 投稿者:三谷 博 「近代化」できないアジア諸国は「劣った国」といえるのだろうか 三谷です。この三国の比較はとても意義深いものと考えます。ただ、おっしゃるとおり、とても難しいですね。資料を拝見した限り、「近代化」でなく、「立憲主義」の導入に絞ると、違いがくっきりみえると思います。ずばり、三国の君主が「君権の制限」を受け入れたか否かが分かれ目になったようです。日本の場合、たまたま室町以来、天皇が決定権を持たないという伝統があったので、伊藤のような発言も可能となったのでした。お隣の朝鮮の場合、それができなかったのが致命的だったようです(森万佑子『韓国併合』中公新書)。 この軌道の相違は今でも大きな影響を遺していて、例えば中国で政治的自由が定着する可能性はとても小さいように思います(かつて私はそれを期待して編著を編んだこともあったのですが)。この差異を、成功・失敗という枠で捉えると、生徒に隣国への偏見を押しつけることになって、確かにまずい。しかし、この差異自体は今の世界にとって、けっしてゆるがせにできないことと考えます。生徒に事実を見せ、決まった結論に誘導するのではなくて、いろいろ考えてもらうなら、意義深い授業になるように思います。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:20 am 投稿者:三谷 博 なぜ日本は日清戦争を起こし、アジア諸国を領有する植民地帝国となったのか。 三谷です。この分野は素人ですが、少しコメントします。日清対立の焦点は朝鮮にありましたが、1880年代の日本は二度の事変に拘わらず、不関与政策をとりました。山県の演説はその最終局面で行われています。他方、同時代の陸軍幹部(川上操六・桂太郎)は対清戦争の準備を進めており、伊藤内閣を無理矢理戦争に追い込んだのでした(高橋秀直)。ただ、伊藤や井上馨も、朝鮮に「自強」を促すため改革を強制するという政策をとっていました。維新で成功したと自負する「革命の輸出」を試みたわけです。清朝側の動きも重要で、袁世凱の駐在とともに「属国・自主」を否定するようになりました。日・清双方で、朝鮮で衝突するコースを選んでいったように見えます。 これらの事情は、以前の編著『大人のための近現代史』東京大学出版会に、専門家に書いてもらいました。また、次の本は、朝鮮側の史料にもとづいて丁寧な説明をしていて、このあたりの知識を一新した観があります。森万佑子『韓国併合』中公新書。 コメントへ移動▶ 2023/07/18 at 11:41 am 投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる? お世話になっております。滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 「プラスαで理解したい人,読んでみてください」のところに掲載されている文章の出典を教えていただけますか? コメントへ移動▶ 2023/07/27 at 2:29 pm 投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる? 上記、牧原憲夫(2006)『シリーズ日本近現代史② 民権と憲法』(岩波新書)P.192 と判明しました。 コメントへ移動▶ 2023/07/27 at 4:56 pm 投稿者:徳原 拓哉 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 濱田文 先生 いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。 コメントへ移動▶ 2023/07/29 at 9:46 am 投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 徳原拓哉 先生 こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。 〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。 〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。 今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/08/01 at 1:05 pm 投稿者:三谷 博 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? 三谷 博(もと東大教養学部)です。いくつも重要な問題を扱う授業案がアップされました。とりあえず、私の専門に近いものから意見を申し上げます。前もって申し上げると、歴史総合の抽象レヴェルは、我々研究者が史料に即して書く論文をはるかに越えたものがあるので、以下に記す意見も、下手をすると「見解の相違に過ぎない」となりかねません。他方、研究の学界でいま定説と信じられているものも、いつ覆るか分からないの研究世界jの現実で、あまり頼りにはなりません。 その上で申し上げると、教案の内容と趣旨とがかなりずれているように思います。内容は近世初期の農業発展はその通りで、教育の普及も19世紀のこととすれば妥当と思います。しかし、「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?」という課題設定は適切でしょうか。「遅れていた近世日本」という解釈は、いわゆる戦後、今から70年ほど前のものです。それが今なお常識として生きているとすると驚くべきことではないでしょうか。ただ、それ以上に問題なのは、どうして、ある社会が〈まるごと〉「進んでいるか、遅れているか」が大事なのでしょう。例えば、今の中国は経済的には大いに発展していますが、政治的自由は皆無に近くなりつつある。基準ごとにそれぞれの社会の位置は違って見えるはずです。他方、19世紀の半ばをみると、イギリスを先頭に欧米社会は科学技術を「体化」し、他の地域を置き去りにし始めました。ポメランツが書いたように、18世紀の半ばまで、中国の長江流域や日本列島は西欧とあまり違わない経済水準にあったものの、19世紀には欧米のスパートによって一旦は置き去りにされたのです。この激変の姿は、20世紀の後半に日本が「追いつき、追い越せ」とスパートした後、その末には韓国・中国が同じ努力を始め、いまや日本をいろんな面で追い抜いたことと似ています。単に、「進んでいるか、遅れているか」を語るのは、まずい。それぞれの国が、「いま吾が国に必要なことは何か」、それにいつ気づいて改革の努力を始めたかが、決定的に重要だったのではないでしょうか。 私見をあえて率直に申し上げました。先生の問題提起はいずれも重要で、先生方の間で多くの議論を巻き起こすと予想します。歴史研究者の立場から、自身の見解と最近の学界の傾向をもとに、忌憚ない意見を申し上げました。失礼の段、ご海容を。 コメントへ移動▶ 2023/07/31 at 9:50 pm 投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? コメントありがとうございます。 >「遅れていた近世日本」という解釈は、いわゆる戦後、今から70年ほど前のものです。それが今なお常識として生きているとすると驚くべきことではないでしょうか。 だとすれば、驚くべきことに、生徒たちの多くはナチュラルに「遅れていた近世日本」という解釈を素朴概念として持っています。 閉鎖的で他の国のことを知らず、技術的・文化的にも遅れていたし、国内の統治体制も農民は虐げられ、飢餓で苦しんでいた、といったイメージは大変強固なものです。 もちろん、高校で日本史など学ぶとこれが変わっていくこともありますが、個別の暗記に必死な場合、「え? でも五街道があるよね」とか「寺子屋はどうだろう?」と言われると「確かに」となる一方で、自分のイメージとそれらが結びつかず、「ともかく明治維新まで日本は遅れていて、閉鎖的だった」と結論付けていることはよくあります。 この授業では、あえて極端な(と言いつつ、なんだかんだ多くの生徒が漠然と持っている)イメージを提示し、それを吟味する過程で、知識の定着と以下に述べる歴史を学ぶうえでの姿勢(要は見方考え方)を育むことを意図したものです。 育みたい姿勢は、たとえば「そもそも全般的に遅れている/進んでいると判定するのは無理があるのではないか?」「視点の置き方(注目する分野、現在を基準にするのか?など)でも変わりそう」「他の国のことを知らないのに「遅れているかどうか?」は相対的なものだから分からないのでは」「提示される史資料によっても変わりそう」といった批判的思考です。 この授業では「歴史の扉」も意識した旨を書きましたが、それはこの点についてです。 特に知識構成型ジグソー法では、どうしても史資料の選定と提示、その読み解きの視点の設定は、教員側が担うこととなります。だからこそ、初期の時点でこうした批判的思考を念頭に置いてほしいと思っています。 実際に授業では上に挙げたような指摘が起こり、これをあえて全体に取り上げて「鋭い! その視点を持ちながら、この後の授業をやっていけるといいよね」と確認しました。 長くなりましたが、あくまでも「歴史学として評価の結論を出す」研究活動ではなく、「歴史を学ぶうえでの見方考え方を身につける」高校の歴史学習の教材であるという点を、強調しておきたいと思います。 コメントへ移動▶ 2023/08/01 at 6:55 pm 投稿者:三谷 博 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? 真摯なお答えをいただき、ありがとうございました。生徒を批判的思考に導くきっかけを与えようとのご趣旨、よく分かりました。 それにしても、江戸時代のイメージがこれほど固定されて語られてきたとは驚きです。中学校の教育が更新されていないとすれば、どうしたら良いのでしょう。高校から変えるのが手っ取り早いのは確かですが。 他方、江戸時代の閉鎖性は、最近数十年の学説と異なり、私はかなり深刻な事実と考えます。「鎖国」は、これまた、「閉じていたのか、開いていたのか」の二項対立で語られる傾向があったのですが、当時の国境通過は、モノと情報は可能だが、人は不可能という状態でした。これは実は、最近、人類のほとんどが経験したことです。新コロナ禍のもと、経済は国境閉鎖で決定的な打撃を受けずに済みましたが、人の往来は強く制限されました。いまの人々は近世の「鎖国」がどんなものだったか、よく理解できるようになっているはずです。多くの人は国境を往来ができないことを何とも思っていませんでしたが、一部の知識人は強烈な不満を持ちながら口外はできませんでした。それが、ペリー来航を機として「爆発」し、激変をもたらしたのです。とはいえ、この二百年以上の閉鎖経験は、未だに日本人の中に深い根を下ろしていて、「日本は世界の外にある」という思い込みを維持しているように思います。最近、話題になった入管問題もその断面の一つではないでしょうか。 先生の提起された問題は、いずれも深い、価値判断に関わるもので、容易にコメントできるものではありません。少しずつ、時間をかけ、ある程度自信があるものから書き込んでゆきたいと存じます。よろしく コメントへ移動▶ 2023/08/03 at 5:12 pm 投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? >未だに日本人の中に深い根を下ろしていて、「日本は世界の外にある」という思い込みを維持しているように思います。 全くの同意見です。 そもそもの国民国家を単位として語ること自体への違和感は、いったんおいておくとしても、 日本が国際社会に貢献できること、日本が責任を果たすべきことを含めて、「世界の中に日本がある」「世界の中で我々は生きている」という感覚をもって、前向きに現在を考えることができたらと思っています。そういう意味では、歴史総合が最後に「グローバル化と私たち」から現代的な諸課題の考察・構想へと結んでいるのは、担当する教員がいかにその場面を効果的に設計するか?を問われているように思えてなりません。 昨年度、「1945年8月15日をもって「戦後」が始まったととらえているけど、"元・日本"の朝鮮半島や台湾や東南アジアの「戦後」は「戦後」と言えるのか?」といったテーマで授業を行いました。これもある意味で、三谷さんのご指摘の"思い込み"と絡んでいることかもしれません。 コメントへ移動▶ 2023/08/03 at 8:21 pm 投稿者:山田 道行 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? 京華高等学校の山田です。 濵野先生、三谷先生、興味深い問題提起、議論をありがとうございます。濵野先生の教材を読み、三谷先生のご指摘を受けていろいろと考えさせられました。三谷先生のご指摘にある通り、①江戸時代の日本は閉鎖的で遅れていたとする「言説」を前提にすることは妥当なのか、②そもそもある社会が「進んでいるか・遅れているか」と議論することは妥当なのか、の2点が重要かと思いました。 ①について、濵野先生のコメントにある通り、私の実感としても「江戸時代は遅れていた」と素朴概念をもっている生徒が多いように思います。ただし、中学の教科書にそう書かれていたわけでもないし、それまでの歴史教育で「遅れている」と教わったわけでもないと思うのです。単純な理由ですが、小学校や中学校で明治維新を学習し、「近代化」について素朴に学んできた高校生たちは、あまり疑問をもたず(批判的な考察を経ず)「近代化=優れている=それ以前の社会=劣っている=遅れている」という図式を抱くのではないでしょうか(そもそも我々の社会が「近代化」を前提とする言説に立っているとも言えます)。だからこそ、敢えてそのような「言説がある」という条件設定を授業の中に持ち込み、その考えが妥当かどうかを「資料をもとに考える」ことは、歴史総合の「近代化と私たち」において重要な課題かと思いました。「近代化」とは何か、そこに含まれている「私」や「私たち=近代化された私たち」を批判的、相対的に捉えなおすことが歴史総合の重要な役割だと思うからです。この議論を授業でより生かすために、事前に「江戸時代のイメージ」のようなものをアンケートで回答してもらっておくことのもいいかなと思いました。 ②についても同様ですが、三谷先生の最初のご指摘にある通り、「進んでいる・遅れている」を総体的に論じることはできないかと思います。その点で、濵野先生の「視点の置き方」「他国との比較、相対化」「提示される史資料による違い」など、授業で挑戦すべき課題が多くあることが理解されました。この点は、歴史教師は特に考えていくべき課題かと思っています。と言うのも、三谷先生の最初のご指摘に「歴史総合の抽象レヴェルは、我々研究者が史料に即して書く論文をはるかに超えたものがある」とある通り、「授業」として成立させるために時に強引な「抽象化」をしてしまうことが、歴史学からは批判の対象になることや、事実に立脚しない議論となってしまう可能性もあるからです。例えば、私などは「産業革命によって世界は豊かになったのだろうか」という問いを立てたくなるのですが、そこには「産業革命で社会が便利になる=豊かになる」という前提が(生徒の中にあるものと仮定して)、批判的、相対的に考察しましょう、と短絡的に考えてしまったりします。しかしはたして、この問題設定が妥当なのか。「産業革命」と一言で説明できるものではないですし、「社会」も世界全体を視野に入れると、個別的には考察できても、結論を述べることはできなくなります。そもそも「豊かさ」を論じる(価値判断に介入する)ことができるのだろうか、ということになるわけです。 うまく表現できないのですが、このような「歴史総合」について考え、議論が深まっていくことは、今までのAやB科目にはなかったことかと思います。今後も考えていければと思っております。 コメントへ移動▶ 2023/08/17 at 2:38 pm 投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? コメントありがとうございます。 >批判的、相対的に捉えなおすことが歴史総合の重要な役割だと思うからです。この議論を授業でより生かすために、事前に「江戸時代のイメージ」のようなものをアンケートで回答してもらっておくことのもいいかなと思いました その点では、スタンダードな知識構成型ジグソー法の授業では、最初に素朴概念を記述させる(授業前の理解で、まずはMQについての自分の考えを書く)展開があります。 私は授業時間の関係で、省略してしまっていますが、山田様のご助言を踏まえると、学習前のプレ記述が効果を発揮しそうですね。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 2:23 pm 投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か? 続けてのリプライになりますが、産業革命については、「08_産業革命は、人々をどの程度「豊か」にしたといえるだろうか?」という授業を実践しています。 これも山田様のおっしゃるように、「そもそも「豊か」とは何なのか?」「「人々」とは誰なのか?」、突き詰めていくと「「産業革命」とは何なのか?」という根本的な疑問が現れます。 基準によって違う、立場によって違う、というのは第8回の授業にもなると、最初からある程度予想がつくのですが、そのうえで「この基準に立てば○○」「この立場に立てば○○」というレベルまで深めることを目指しています。 そのうえで、では相対主義でいいのか?という段階まで深めようとしているのが第8回です。 具体的には、「イギリスの労働者の立場に立てば、産業革命は生活の苦しさを生んでおり、気の毒だ」という論と、「インドの綿織物業従事者の立場に立てば、産業革命は自分たちの生活基盤を壊したきっかけだ」という論を理解したときに、「インドで劣悪な環境で働くこととなった人やその家族に「イギリス国民全員に責任があるわけではない。仕方ない」と言うのは妥当か?」という追加発問をしています。 「立場によって解釈が異なる」を理解した先に「だから、歴史は色んな見方があるよね、で終わっていいのか?」という次の段階があります。 年間を通じて少しずつ見方考え方を深めていければと思っています。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 6:30 pm 投稿者:大房 信幸 日本文化のあけぼの 中村翼先生 コメントをいただきありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。ジェンダーの視点については生徒の思考が「~についてはこういう見方もできるよね」といった段階にとどまってしまっている課題を個人的には感じており(視点の問題ではなく私の授業の問題なのですが)、今もしくはこれからの自分を想像させる(考えさせる)上で先生のご指摘はとても重要なものだと感じました。実際の授業ですが今年度は4時間で行いました。 コメントへ移動▶ 2023/08/01 at 3:34 pm 投稿者:中村 翼 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 京都教育大学、中村翼です。 三谷先生・徳原先生のコメントに続けるのは恐れ多く、また屋上屋の感がぬぐえないのですが、私も結婚観などに関するジェンダー関係で『こころ』を教材に使うことがあり(先生も注目されているように、結婚観、男女間の相互認識、兄弟間の関係など)、長文失礼します。 まず、『こころ』は多くの高校性に少なくないインパクトを与える小説だけに(私の高校時代の教師は「『こころ』を読むためにこれまでの現代文の授業があった」とまで言っていた)、歴史の教材としてうまく使えば、国語・歴史双方の理解につながるものと思います(先生の狙いもまさにその点と拝察しました)。 さて、三谷先生がおっしゃるように制度上、大正7(1918)までの「大学」が「帝国大学」を指すことは『こころ』に限らず、漱石(と同時代の作家)の作品を理解する上で、誤解しやすいポイントなのですが、すると、漱石文学がかなり(東京)帝国大学の学生(三四郎・『こころ』の私など)・卒業生(『こころ』の先生、『それから』の代助など)の物語であることに改めて気づかされます(しかも「落ちぶれ」卒業生が多い)。すると、この小説が連載された新聞の読者層とはどのあたりなのか(→はっきり分かれるものではないですが、「近代化」の時代と「大衆化」の時代の距離感?)なども素材になるでしょうか。あわせて何気なく出てくる「中学生」も、現代人がイメージするそれとは社会的地位が異なるので、やはり要注意ですね。 また、『こころ』の先生の生計(学生時代と作品中の現在)の問題は、迂闊ながら今回の教材ではじめて(教材につかえるのだと)気づかされました。その上で、叔父にだまされて財産を失ったという先生の設定を考えるのも面白いかも知れないと考えました(叔父にだまされてから、人を信じなくなった「先生」は冷徹な資産運営者になったのでしょうか?投資に失敗する人も当然多くおり、過酷な競争とセーフティネットの弱さは明治時代の一つの特徴でも有るので〔作品中の現在の先生について〕あまり「安泰」なイメージを強調すると危ないかもしれません)。また「遊んでいられる」という言葉の語感は、現在の高校性のイメージと、漱石の用法は少し違うかもしれません。 第3題は、まさに国語・歴史の総合問題ですが、これは難しいです。これを論じた「解説」(文庫巻末など)や論文も少なくないようですが、これらも補助材料にするとより深い学びにつながりそうです。時間はなかなか許さないでしょうが、国語・歴史双方の教員で講評できるとなおよいですね。 最後に余談ですが、『こころ』を6年前の夏に読みなおしたとき(職が得られたことに安堵して漱石をまとめて読みました・・・)、「先生」と「お嬢さん」と「私」の年齢が気になり、驚いたことがあります。 国語(現代文・古典・漢文)でしっかり読んだ作品を歴史で取り上げると、定着もよくなり、まさに多面的にみる力の養成に役立つと思います。今後ともご教示下さい。 コメントへ移動▶ 2023/08/02 at 4:35 pm 投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く 京都教育大学 中村翼 先生 貴重なご助言を誠にありがとうございました。中村先生にご指摘いただきましたように、漱石の作品に登場する主要な登場人物の多くは「(東京)帝国大学」の学生や卒業生であり、彼らは卒業後に定職に就かなくとも世間から後ろ指を指されることなどない、前途有望な「知識人」として描かれています。彼らの立場を現代の若者の境遇と同様に捉えてはいけないのだと思います。「こころ」の「私」が「先生」を尊敬し慕ったのは、「先生」が大学を出たごく少数のエリートであり、「私」の故郷(田舎)では出会うことのできない人物であったからだと思います。また、「こころ」の奥さんが、お嬢さんを「先生」と結婚させることに躊躇なく同意したのも、このような背景があってのことだと考えます。三谷先生からもご教示いただきましたが、授業の中で、この点について丁寧に説明すべきだったと感じております。漱石作品には、現代の私たちが違和感なく作中に入り込めるような「魅力」があるため、こうした点には注意が必要だと改めて感じました。 また、次に中村先生がご指摘くださった「過酷な競争とセーフティネットの弱さは明治時代の一つの特徴でもある」というお言葉からも多くの示唆をいただきました。「こころ」の中で使われている「遊んでいられる」という言葉を現代の文脈にそのまま置き換えてはいけないのですね。生徒の感想にも 「夏目漱石の描く『こころ』には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった」 とあり、まさに中村先生がご指摘くださった点について、明瞭な形で言語化はできずとも生徒たちが少しく違和感を抱いたことがわかります。貴重なご助言をありがとうございます。 ところで、ご助言を念頭に読み返してみると、漱石作品には、このような明治時代の「危うさ」がよく描かれていることに思い至りました。例えば、「それから」の代助の父についてですが、 「代助の父は長井得といって、御維新の時、戦争に出た経験のあるくらいな老人であるが、今でも至極達者に生きている。役人を已めてから、実業界に這入って、何か彼かしているうちに、自然に金が貯まって、この十四五年来は大分財産家になった」 とあります。「それから」が新聞に連載された1909年の14,5年前には日清戦争があったことから、日清戦争で財産ができたことを暗に示しています。代助は、このような父の援助のもと高等遊民として暮らしているのですね。反対に、エリートが道を外れると「門」の主人公の宗助のようになってしまいます。明治時代のダイナミズムと危うさについて、もっと勉強しなければならないと思いました。 問3は「先生が妻ではなく、若い友人の「私」に遺書を残したのはなぜか」でした。 この遺書は明治という時代そのものを生きた「先生」から「私」への手紙という形式をとっています。「先生」は遺書を若い世代の友人である「私」に向けて書くことにより共感や励ましの気持ちを伝えたかったのだと思います。明治という時代を「近代の黎明期」と一括りには言えないように、「先生」の生きた明治と「私」の生きている明治には隔たりがあると考えます。このことは、2人が「近代」に対してどれだけ自覚的であるかにも関わっているように思います。この問題について、文学の文献なども参考に勉強していきたいと思います。最後に、問3に関する生徒の感想を2つご紹介させて頂きます。 〇 先生は自分が生きた過去を、「私」という若者にだけ打ち明けた。明治を生き、明治の精神に殉死した「先生」は“過去(明治)の象徴”であり、「私」は“未来の象徴”として漱石は描いたのではないか。私は父重篤の中、先生からの遺書が届き、東京行きの列車に飛び乗って先生のもとへ向かう。この私の行動は「忠孝の道」に逸れた行動かもしれない。“世間体”というものを気にしていた先生と私の大きな違いであると思った。今までの価値観にとらわれないような新しさや、明治が終わり新しい時代を生きていく「私」から力強さのようなものを感じた。 〇 先生はお金に困っているわけではないにも関わらず、常に幸せではなかったと思う。全体を通して先生は誰かからの理解をずっと求めていたのではないかと思った。その「誰か」がずっと自分を「先生」と呼び慕ってくれた「私」であり、先生はその心の荷を第3者に預けたことでようやく解放を感じられたのではないだろうか。 「こころ」は生徒だけでなく国語の教員にとっても特別な小説のようですね。先生がご助言くださったように、国語の教員と連携した歴史の授業ができたなら、と考えています。今回、諸先生方からいただいたご教示をもとに授業を改善し、国語の教員にも見てもらおうと思っています。今後もお気づきの点などありましたら、ご教示いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。 コメントへ移動▶ 2023/08/04 at 10:49 am 投稿者:中村 翼 渡来人の与えた影響 京都教育大、中村翼です。 東アジアの交流史を専門で勉強しながらも、正直、「渡来人」は十分な認識を持てないで居ます。その上でのコメントにて、的外れな点があるかも知れません。ご容赦ください。 「渡来人」は、(たまたまかもしれませんが)勤務先の学生に関心を持つ者が多くいて、少しびっくりしていたところです。 さて、スライド5「渡来人の規模」ですが、その他の部分で先生は「渡来人」の時期設定を主に4~7世紀にしており(教科書もそうだと思います)、ここだけ縄文・弥生移行期がクローズアップされていると読めてしまいました。なお、この人口増は、農耕の本格的な開始による人口増加が加味されておらず、縄文~弥生の人口増がそのまま「渡来人の規模」とする誤解を与えそうです(酷い蛇足ですが、「日本人は、古来より列島外からの影響をほとんど血統的に受けていないのだ!」といいたいのではありません。沖縄でも濃厚開始によって人口が増えますが、その差分を(稲作をもたらした)「ヤマト人」の規模としないことと同じです)。 また、4~7世紀の「渡来人」は、教科書では〈すぐれた技術・文化の持ち主としてヤマト王権の支配などを支えた」という文脈で出てくるので、(日朝間の政治関係を背景とした)技術交流のイメージが先行するところ、先生の教材では、もっと幅広い人々を想定しているように読めました。実際、秦氏などは伝承では万単位での渡来といわれるので、前者のイメージだけでは難しいのですが、どこまでの裾野を想定すべきかは正直悩ましくもあります(当然地域差もあるはずで、九州は「渡来」にとどまらない双方向性や、裾野の広い交流があったにせよ、他の地域はどうなのか??)。このあたりはどのように授業では展開されているのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2023/08/02 at 5:07 pm 投稿者:大橋 康一 渡来人の与えた影響 中村先生、ありがとうございます。 先生のおっしゃりたいことはよく分かります。この授業の内容の細部が、いろいろ問題を孕んでいることは重々承知しております。ただ、現在この授業案で悩んでいることのうち、最大の課題は、いかに50分以内に収めるか、という点にあります。 私自身、まだこの授業を一度(原型を含めれば2度)しかやっていませんが、知識構成型ジグソー法について1年しか経験が無いからかもしれませんが、授業展開が必ずしもスムーズにいかず、3~4分オーバーしてしまった次第です。もちろん、無理をせずに2時間掛けてやれば、もっとスムーズにいったのでしょうが、実際の年間授業計画の中では1時間がせいぜいでしょう。2時間も費やすのでは、普段用の授業として使ってもらえないと思います。 できれば次回は5分、できれば7分ほど内容を削らねばならないと思っています。そうすれば、多少の解説の時間がとれて、先生のおっしゃったような解説が可能になります。 特に、この授業案の中で、最も時間が読めないのが「渡来人の規模」のパートです。突然歴史の授業でExcelを使えるか、シミュレーションをやったことのない生徒が時間内に理解して計算してくれるか。自分が普段教えている生徒ならだいたい予想は付きますが、他校の生徒までは自信がありません。 この授業は一昨年に作ったものですが、ここに公開するまで、そうしたことに悩んでいるうちに1年以上かかってしまいました。アップロードするかどうか、最後まで悩んだのですが、第一・第三部会で提案している概念にもとづく授業のイメージをもってもらうため、「民族移動(集団移動)」という概念を理解するための教材として、たとえ内容的に不備があったとしても、そのイメージを理解してもらうものとして公開させて頂きました。このコメントを読んで頂いている先生方も、その点をご了解下さい。 なお、同時に公開した古代オリエントの民族移動の授業も、同様な「不正確さ」を含んでおります。その点につきましても、ご理解下さい。 順番が逆になってしまいましたが、教材の表現について具体的にご指摘いただき、助かりました。すべて納得できるご指摘です。授業時間とのバランスが許す限り、誤解を減らせるように改善したいと思います。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/08/02 at 7:41 pm 投稿者:三谷 博 06_「国民」とは、どのような人同士のことを指すのだろうか? 三谷 博です。ナショナリズムをどう理解するかは、近代史中のもっとも重要なテーマの一つですが、この教材はフランスを例として明解なガイドを与えていると思います。その上で、2点、付け加えます。私の見るところ、ナショナリズムとは、「ある国家を単位として「内」と「外」を峻別する思考慣習」であって、それが住民に浸透させられたあと、「国民としての一体性」ができます。教科書では「国民としての一体性や均質性」と書かれることが多いようですが、歴史的には順序が逆です。実際、アメリカやインドや中国には均質性がなくても、ナショナリズムが存在します。いまでも常に見られるように、政治家は国民の支持を取り付けるため、外部に「敵」をフレームアップします。ネイションとは言語や生活習慣や伝統などを共有する集団と語られることがしばしばですが、教材にあるように、それは後から作られます。(拙著では、『日本史のなかの「普遍」』第3章、原2008年)。 他方、ナショナリズムの脱構築にあたっては、一つ留意すべきことがあります。「国民国家」を警戒対象とするとき、人々は国家との関係を断ち切りがちとなります。その時、国の政策はどのように立てれば良いのでしょうか。良い政策、この文脈では外国との敵対関係を作らないようにするには、むしろ国家に積極的に関わらねばなりません。私見では、その時、「市民」と自らを意識すれば良い。これは、外部を意識して使われる「国民」と違って、国家の内部に向かって使われる語です。フランス革命時には両方とも使われたようですが、文脈が違ったはずです。「国民」と「市民」は人口集団としてはほぼ同じで、包摂を拒む/拒まれる少数派が生ずるのも同じですが、「市民」は自動的には外部との敵対関係を生み出さない概念のはずです。残念ながら、日本と韓国では「国民」が常用されるので、「市民」間の議論がすぐ国家間の議論に引きずられるという弱点があるように見えます。 コメントへ移動▶ 2023/08/04 at 4:02 pm 投稿者:濵野 優貴 06_「国民」とは、どのような人同士のことを指すのだろうか? コメントありがとうございます。 大変興味深く拝読しました。 >良い政策、この文脈では外国との敵対関係を作らないようにするには、むしろ国家に積極的に関わらねばなりません。 この点、特に興味深いです。 2学期以降の授業で、この点を扱いたいと思います。 大正デモクラシー、ロシア革命あたりの単元で、問いを投げかけられるかなと思いました。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 2:25 pm 投稿者:三谷 博 15_「植民地支配は、植民地の人々を救った」という言説は、どの程度妥当だろうか? 三谷 博です。植民地支配の中に二義性も組み込んだ結果、生徒の感想も散らばっているのが興味深く感じました。 もっぱら植民地にされた地域が対象ですが、されなかった地域のことも合わせ考えてはいかがでしょう。つまり、日本との対照です。例えば鉄道建設などの開発は日本より先行した土地が多かったようですが、中長期的にはどうだったでしょう。かつ、教科書などではあまり取り上げられていないようですが、「現地民のプライド」問題はいまに至る大問題です。植民地支配による伝統的エリートの没落、知識人の台頭といった長期的変化の中で、それがどう変化したのか、素人の私として、ぜひ知りたいところです。 コメントへ移動▶ 2023/08/04 at 4:30 pm 投稿者:濵野 優貴 15_「植民地支配は、植民地の人々を救った」という言説は、どの程度妥当だろうか? 非常に興味深いテーマだと思います。 ただ自分自身も、そうした点については、有り体に言って素人です。 そうした点を知ることのできる文献などはご存じでしょうか? これをテーマにしたウェビナー等あれば、ぜひ参加したいテーマです。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 2:27 pm 投稿者:山田 道行 「歴史総合」前期期末試験 出崎幸史先生 京華高等学校の山田と申します。 とても参考になりました。歴史総合の定期試験について、図版や史資料を数多く使用しながら、19世紀のヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本の開国までを幅広く扱われています。問題の形式も、提示された史資料に対して「メモ」を提示する設定によって読み取り問題としたり、用語の説明や論述問題を織り交ぜられたりと、とても工夫を感じました。特に、大問1の問5(2)『最後の授業』を資料として挙げ、「フランスの人の言語を題材とするナショナリズムを批判せよ」という問いには深く考えさせられました。 以下、2点ほど質問をさせてください。 1.出崎先生の教材説明にもあったように、「歴史用語そのもの」と「資史料を用いて比較・考察する」ことの「バランス」(「知識・技能」と「思考・判断・表現」)ですが、このテストではどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、テスト作成時に一番苦慮するところです。(できることなら、論述1題だけ!という究極の作問をしたいですが、それは難しいので・・・) 2.上記の「歴史用語」に関連しますが、それなりに授業で歴史用語の解説をされているのかと思いますが、授業における上記の「バランス」はどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、史資料の比較・考察、話し合いなどとのバランスに苦しんでいます。 2.試験内で使用されている史資料は授業中に学習されたものでしょうか。それとも「初見資料」も混ざっているでしょうか。特に、第1問の問5(2)『最後の授業』は、「言語」を通してナショナリズムや国民国家を多面的に考えさせる良問かと思いますが、これは授業中に何らかの形で議論されたものなのでしょうか。 以上、私の問題意識で質問をしてしまいましたが、お時間のあるときにご返答いただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/08/17 at 12:30 pm 投稿者:出﨑 幸史 「歴史総合」前期期末試験 山田 道行先生 出崎です。夏休み中での返答ができず、コメントが遅れましてすみません。 授業よりもテストの方が本気で向き合うと思うため(悲しいことですが)、ある程度大学入試問題の形式を意識しながら生徒に負荷をかける定期試験を作ったつもりです。残念ながら普段の授業ではそれほど資料・史料を扱えなかったりしています(1時間に2・3ワークくらいです)。 さて、先生からのコメントに対して回答させていただきます。 1.試験問題中の設問のバランスですが、純粋な「知識・技能」部分と「思考・判断・表現」部分の配分は38:57となっています(その他「主体的に学習に取り組む態度」部分が5点あります)。これは作成時にこの配分にするということを意識したわけではなく、配点をつけていたらたまたまこうなったというもので、作成時には3:7くらいの意識でした。どれくらいの配分が良いのか分かりかねています。先生の理想に挙げられました、1問で書き上げるタイプは、私もできることならやってみたいものです。 2.歴史用語の解説については、従来の「世界史A」と比べて同じくらい説明はしています。ですが、「歴史総合」の授業ではそもそもの歴史用語をあまり使用しないよう心がけています。固有名詞は仕方ないですが、言い換えられる言葉であれば、内容が理解できるのであれば、用語そのものは伝えますが、状況が分かればそれでよしという考え方でやっています。これについては、私が歴史学を専門に学習してこなかったこともありますので、歴史を専門とされた先生方にとっては否定的に見えるかもしれません。そのあたりについて、様々な先生方と意見交換してみたいところです。 授業内ではある程度の歴史の流れをプリントで解説をし(その際に歴史用語を穴埋めするようなことはしていません)、その中で一部の場面に関する資料を見せて、この時代の人々の価値観や取るべき行動などについて一人で考える→机をつけて3~4人で確認しあうということを繰り返しています。なので、歴史用語についてはあまり重視せず、考えて他人に伝える行動がメインかと思います。 3.試験内で使用した資料・史料は、初見のものと、授業内で見せたものが混在しています。初見は『最後の授業』と、日米和親条約・修好通商条約に関する部分だけです。フランスのナショナリズムについては、授業内で『国民国家とナショナリズム』内の文章を使ってドイツ人のナショナリズムについて考えることをしていますので(ドイツ語を話す人達がドイツ人で、その人たちが住んでいる場所が統一されたドイツの領域とすること、1848年以降の小ドイツ主義でオーストリアを排除した理由を考えるディスカッション・ワークをしています)、授業の経験を別の形で応用できるかということを試しました。歴史用語に関する部分の解説が不徹底だったため、アルザスの位置が問題では分からない・地図から推測できない生徒がそれなりにいたので、地図にアルザスの位置を囲むなどした方が良かったように思います。日米和親条約・修好通商条約に関する資料は条約の内容やアヘン戦争・アロー戦争との対比などについては授業内で扱っており、それを史料を参照して確認ができているかを問う形となっています。その他の問題の資料は一度見たもので、問い方を変えているものもあります。 きれいにまとめられていない文ですが、回答させていただきました。ご不明点などありましたら、ぜひコメントをいただければと存じます。また、定期テストについても研究会などで意見交換ができる機会があれば、他の先生も交えてそこで話をしてみたいものです。コメントいただきましてありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/09/01 at 5:15 pm 投稿者:山田 道行 12_第2次産業革命は、どのような特質を持ち、なぜ独占資本の強大化を招いたのだろうか? 京華高等学校の山田です。 第2次産業革命と独占資本の強大化について、ジグソー法を用いて3つの資料から考察させる授業構成になっており、3つのエキスパート資料はどれも生徒が取り組みやすく構成されているので、多くの学校で使用しやすい教材かと思いました。私も19世紀後半を扱う際に参考にしたいと思います。 さて、濵野先生が教材説明で挙げられている「生徒の感想」を読むと、中国系の「移民」への差別について関心を持った生徒がいるようです。これは資料♠「19世紀後半の第2次産業革命は、どのような人々が担ったのだろうか?」に取り組んだ結果なのかと思います。そこで考えたのですが、授業全体のメインクエスチョンを「第2次産業革命は、どのような人々が担ったのか?」としてもいいのかと思いました。なぜなら、「独占資本主義の強大化」という問題がこの資料だと少し不明瞭(用語や知識として入れることはできるかと思いますし、帝国主義との関連でその「問題点」を考える必要もあるかとは思いますが)なので、第二次産業革命の「担い手」を考えることの方が焦点がはっきりするかと考えたからです。この「担い手」には、労働力としての移民も入りますし、独占資本となっていく巨大企業も含まれます。また、南北戦争後に「解放」された奴隷がどのような生き方を強いられたのか、という点でも意味があるため、「担い手」を追究することで、第2次産業革命および19世紀~20世紀初頭についての議論が深まるのかと考えました。 コメントへ移動▶ 2023/08/17 at 1:20 pm 投稿者:濵野 優貴 12_第2次産業革命は、どのような特質を持ち、なぜ独占資本の強大化を招いたのだろうか? コメントありがとうございます。 実践してみて、同じような印象でした。 「独占資本主義」という概念キーワードは触れたいところですが、MQはおっしゃるように「第2次産業革命は、どのような人々が担ったのか?」として、そのうえで最後に、「独占資本主義」のキーワードやそれと移民労働者や重化学工業化のつながりについて、資料集の図を使って確認するような流れがおさまりがよさそうに思います。 中国系の「移民」への差別について関心を持った生徒は、複数おりましたが、中国にルーツを持つ生徒が特に思うところがあったようで、授業後に話しに来てくれました。 岩波新書『シリーズ歴史総合を学ぶ 世界史の考え方』で、ヨーロッパ系移民と、アジア系移民の間でも、法的な扱いや制度に差があったことが述べられていました。 そうした点も史料に盛り込むと、より深まりそうだと思いました。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 2:31 pm 投稿者:濵野 優貴 10_1848年の革命は、どのような人々を、どの程度自由にしたといえるだろうか? 自分の備忘録を兼ねますが、『世界史の考え方』P.121~130に、1848年革命を「専制vs自由」以外の、ナショナリズムからはじき出され、経済的に貧しい立ち位置にあった少数民族の、ナショナリズムの内側に入ろうとする渇望をもとに分析する考察が示されています。 資料♠はそちらで作成した方が、統一感が出たように思います。それに応じて、資料♥・♦もこの視点から再編成できそうです。 コメントへ移動▶ 2023/08/18 at 6:37 pm 投稿者:寺前 駿 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? 和歌山県立和歌山北高等学校の寺前駿です。 武井先生の教材、興味深く、私の授業や『私の授業理論』の形成で活用できるところはないかと考えながら、拝見させていただきました。メッセージのなかで「「目標論、単元構成、授業方法論、内容の精選原理、扱うべき史資料の特性といった諸要素の関係性から成り立つ『私の授業理論』」をわかりやすく形にした教材」との話に興味をそそられ、コメントさせていただいております。 メッセージの意図を踏まえると今回の授業であれば、第一次世界大戦期の女性の解放という学習内容をもとに、生徒たちが”ジェンダー差別”という現代的な諸課題を考え、”多様性の尊重”する姿勢を身につけることを目標として置き、「知識構成型ジグソー法」を用いて「法律が整備されれば差別はなくなったといえる」という素朴概念からの変化を、♧では国民(ネイション)の面、♡では参政権の面、♤では雇用の面から、依然として「女性らしさ」というものが人々の考えのなかに存在し、無意識のうちにジェンダー差別がうまれているという概念変化へと協調学習を通じて、深める授業方法を設定したものだと捉えました。 そこでいくつかの質問があります。 1.この捉え方に対する訂正や補足があれば教えてください。 2.この授業は、単元を通して生徒たちに学ばせたい概念と、どのような関係になっているのでしょうか。 3.問いの構造化にあたって資料の配列、精選等、具体的に意識した点があれば教えていただければありがたいです。 (私自身の不勉強もあり、どの配列がどの理論と合わさるのか気になったためです。) 4.全体を通して武井先生の『私の授業理論』と今回の教材との関係を教えてください。 教材共有サイトのコメントとしてはズレた質問かもしれず、また、他の先生方からすると当たり前のことかもしれませんが、武井先生の『私の授業理論』について詳しく知りたいと思い、恥を忍んで質問させていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/08/28 at 7:29 pm 投稿者:武井 寛太 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? コメントありがとうございます。 「私の授業理論」につきましては、授業理論WGのドライブの「キックオフミーティング」内に収めておりますので、ご確認いただけますと幸いです。 ご質問につきまして、 ①「多様性の尊重」はもちろんそうですが、女性差別については、そもそも現代社会において女性は抑圧された構造のもと差別されているという認識を前提としており、言うなれば「差別された女性をこそ尊重せよ」という「差別の撤廃」を訴えるものあることを付言しておきます。 ②学ばせたい概念は「第一次世界大戦を通じて女性の権利は大きく認められるようになったとはいえ、女性を差別する価値観は今もなお残っており、その価値観のもと社会が作られている」といったところでしょうか。歴史総合の目標に照らして抽象化すれば「現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史」ということになります。 ③より、国民・参政権・雇用、という側面から学ぶことができるように配列をしました。なお、知識構成型ジグソー法(三宅なほみ,学習科学)の教材作成原理は、問いの構造化(渡部竜也,社会科教育学)とは関係があるわけではないので、「問いを構造化してエキスパート資料を配列、精選する」ことは、知識構成型ジグソー法の教材作成の一つのヒントにはなりますが、必要条件ではないことに注意して下さると幸いです。 ④公民としての資質・能力の一つをより良い社会の形成を担う市民の歴史認識及び社会認識と捉えたうえで、その認識を獲得させるという「目標」を据えた時、経験則としての差別意識や無意識のうちの差別を概念変化させ、科学的な理解に到達させることを得意とするKCJという「方法」が効果的だと判断した、というものです。そしてこの「目標」をこの「方法」で実現するための「教材精選原理」がアップロードしたエキスパート資料であり、素朴概念をより明示するための工夫としてのアンケート結果の配置、ということになります。 コメントへ移動▶ 2023/08/28 at 10:42 pm 投稿者:寺前 駿 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? 多くの質問にご返信ありがとうございます。キックオフミーティング内の資料、見させていただきました。問いの構造化について学びつつ、武井先生の資料の精選、配列について理解したいと思います。また、KCJの良さというものを活かした授業案、「目標」の達成に向けた効果的な「方法」についても、一層学んでいきたいと思うようになりました。 コメントへ移動▶ 2023/08/30 at 7:53 am « 前へ 1 2 3 4 … 6 次へ »
私自身疑問に思っていることに答えて頂いた教材で、大変有益でした。ありがとうございました。
ポイントを突いた教材と思います。二点、追加しますと、1)なぜ日本が「文明」と言えるのかですが、直前に国会を開いて西洋最先端の立憲政を始め、工業も勃興し始めた自負があって、それが朝鮮への「革命の輸出」を促したことを、まず説明しておいた方がよいのではと思います。2)この戦争への熱狂の先頭に小学生がいた(凱旋行進への小旗歓迎)ことも追加すると良いかも知れません(金山泰志「戦争と日本民衆の中国観ー様々のメディアと資料として」、三谷・張・朴編『響き合う東アジア史』東京大学出版会、2019年。金山さんには単著もあります)。
三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。 こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。
三谷先生 補足の情報をいただき、ありがとうございます。小学生の小旗歓迎の話、とても興味深く思いました。次年度の実践に反映させられるか、検討してみます。 また、朝鮮への「革命の輸出」についても、大単元B⑶の復習を兼ねつつ、近代日本の朝鮮認識を補強することが出来る視点だと感じました。あわせて、次年度の実践に反映させられるか、検討してみようと思います。
こうして当該分野の第一人者の先生に教材を見ていただき、コメントをいただけるのはとても素晴らしい仕組みですね。関連する文献をご教示いただける点も、非常に有難いことだと感じました。コメント、ありがとうございました。
「帝国主義」は、近代史上の難題ですが、神永先生の教材はよく考え抜かれていると拝見します。その上で、若干の補足を。1)なぜ植民地を獲得しようとしたのか。これは、今の日本人にはなかなか理解が難しいことと思います。より一般化すれば、なぜ人は他人の土地を奪い、他人を支配しようとするのかという問題です。いま、我々がそれを考えないで済んでいるのは、モノやサーヴィスを提供すれば、自らの生活を豊かにできると知っているからだと考えます。植民地を手放した後の日本が戦前よりずっと豊かな社会になった経験がものを言っているのではないでしょうか。それ以前は逆だったし、戦国時代では土地争いれ自体が秩序のルールになっていました。これらや今のロシアとの違いを意識し、その正当化根拠を考えるのは大事なことと考えます。2)その上で、「帝国主義の時代」の特徴を考えると、「強国同士の陣取りゲーム」の発生が重要と思います。教材で教えていただいた福澤の議論はそれを先取している観があります。現地民の意志は無論、そこにどんな資源があるのか、衛生状態は大丈夫か、そんなことはお構いなしに、大国は、隣国に負けまいと、陣取りゲームに突進したのではないでしょうか。蒸気船・鉄道・兵器などのテクノロジーが発達したせいで、「土地」に執着する限り、陣取り競争から逃げられなくなった。そんな印象です。3)最後の資料が語る問題はとても大事と思います。支配された側の記憶がいまの日本が抱える難題の一つとなっているからです。帝国崩壊から約80年、何世代も経ったったいま、この「傷」を考えるだけでことが解決するはずはありませんが、隣国とのもつれを解きほぐすには、まず日本側が20世紀前半にしたことを事実として認めることを出発点とせざるを得ないと考えます。その場合、教科書が書いているのは日本側の行動だけで、相手側のつらい経験は見えません。この教材はそれを可視化するもので、とても有用と思います。無論、その場合、生徒側に山田先生が懸念されるような思い・発言が生ずるはずですが、それに対しては、「君がこのときの朝鮮人や中国人の立場にいたら、どう思うだろうか」と尋ねてはどうでしょうか。「視点の移動」。それは、同じ日本の中であっても、別の時代を理解するのに必要なことですし、歴史教育が生徒に与えうる最大の贈り物の一つではないかと考えます。
三谷先生 こちらにもコメントをいただきまして、ありがとうございます。また、過分なお言葉まで頂戴し、恐悦しております。補足事項の三つ目で指摘されている、支配された側の記憶の問題については、とくに戦後の単元でどれだけ迫れるかが課題だと思っております。 問題が巨大だからこそ、教材化する行為が問題の矮小化にならぬよう、真摯に向き合わねばなりません。独りでは困難ですから、全国の先生方のお知恵を拝借しながら一つずつ、より良い歴史教育に向けて積み上げていければと考えております。 今後とも、よろしくお願いいたします。
三谷博の感想を記します。文学作品に限らず、自伝や記録を授業に使うのは、とても有意義と思います。ただ、「こころ」は、高校時代に読まされて難渋した記憶がありますので、今回はややひるんだのですが、ともかく拝見しました。 さて、この教材は「先生」の地主や金利生活者としての姿を探り出し、当時の日本の経済・社会格差を考えるよう誘うことに成功していると思います。(ただ、もう少し注釈を。漱石の「学生」は、大学生、それも当時はただ一つしかなかった「帝国大学」の学生を指しています[京都帝大は明治30年創立]。むかし調べたところでは卒業年齢は平均26歳でした。大学卒業までには大変なお金と時間がかかったわけです)。他方、疑問3については、かなり当惑しました。妻に遺書を遺さなかった理由については、「先生」自身が、「妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいて遣りたい」と書いています。小説の肝ながら、怖い話しなので、あまり触れたくありません。 なお、私が定年後に勤めた大学での経験では、高校卒業までに本を丸々読んだことのある学生は稀でした。その場合、こうした「資料」に接したとき、その文字は人間の生き様を表現しているという想像力がなかなか働かないようです。歴史は特殊な「単語」を憶えるものと思い込んでいて、そこに生きていた人々の生活が思い浮かばない。でも、もしそこに「物語」を見つけるなら、それは深い印象を与え、忘れようとしても忘れられなくなるはずです。 ご参考までに、そのとき、私が対策として使ったテキストは、福澤諭吉『福翁自伝』(岩波文庫の外に、慶應義塾大学出版会が刊行した註釈付本があり、『新日本古典文学大系』には松沢弘陽先生が詳細・綿密な考証を施した本もある)。もう一つは、山川菊栄『武家の女性』(岩波文庫)。女子には前者はあまり受けず、後者では何とか幕末の世界に入り込んでもらうことができました。 ともかく、こうした作品を使った授業が増えるなら、歴史の勉強はとても楽しくなるはずなので、ぜひ続けていただきたいと思います。
三谷 博 先生 貴重なご意見をありがとうございます。三谷先生のお言葉から数多くのご示唆を頂きました。また、今後に向けての大きな励みになりました。 今回の授業を構想したのは、「こころ」が、今も高校生を惹きつける魅力的な小説であると感じたからです。国語で「こころ」を学習している時期に教室に行くと、生徒たちはこの小説の登場人物や展開についてよく話をしていました。小説のバックグラウンドとなる「明治」という時代をよく知れば、より深く、より楽しく「こころ」を読めるようになり、歴史を学ぶことにももっと関心を持てるのではないか。国語を教える同僚と話をする中で、そう思いました。現代の高校生と近い世代の若者が、100年以上も前の東京で、どう生活していたのか。何を思って生きていたのか。その<物語>を知ることで、歴史の教科書に書かれた「明治」がより鮮明な印象を伴って生徒たちに迫ってくる。三谷先生が言われるように、もしも、そこに<物語>を見つけられれば、「明治」は生徒たちにとって、もはや「遠い昔」ではなくなるのだと思います。 先生がご指摘下さいましたように、当時の「大学」を現在の「大学」に単純に置き換えることはできず、あくまでも「明治」という時代に即して理解すべきなのだと反省しました。「先生」が入学した当時、大学は一つであったこと、日清戦争の賠償金で京都帝大が創られたことについても補足すべきでした。さらに、資料1―②「上級学校進学の割合(明治時代末期)」についても、先生が入学した時期の十数年後のデータであることを付記すべきだったと気づきました。授業では、「先生」が卒業したと思われる明治31年の東京帝国大学卒業生名簿(国立国会図書館デジタルアーカイブス)も閲覧しましたが、今後、提示する資料を精選したいと思います。その他の点に関しましても、三谷先生から頂いたお言葉をふまえて授業のあり方を見直したいと思います。 歴史の授業で、いかに生徒の想像力を膨らませられるか。三谷先生から頂いたお言葉やご紹介頂いた参考文献を頼りに授業の改善や工夫をしていきたいと思います。浅学の身ではございますが、今後も引き続きご指導とご鞭撻を賜れれば幸いです。
素人なので、参考書の紹介に留めます。ウポポイができる前だったので、その紹介はありませんが、とても丁寧な解説をしています。 坂田美奈子『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』(歴史総合パートナーズ5)清水書院、2018年。 なお、「近代化」はとても曖昧な概念なので、先生がおっしゃるとおり、それをもっと具体的な産業化・世界市場化や国民国家化・民主化、あるいは科学技術結合などに分解すると、汎用性が高まるように思います。これを「市民革命」から始めると、中国やロシアが歴史から消えてしまいますが、ここまで分解するとちゃんと共通性も出てきて、比較可能となるいように思います。
三谷です。この三国の比較はとても意義深いものと考えます。ただ、おっしゃるとおり、とても難しいですね。資料を拝見した限り、「近代化」でなく、「立憲主義」の導入に絞ると、違いがくっきりみえると思います。ずばり、三国の君主が「君権の制限」を受け入れたか否かが分かれ目になったようです。日本の場合、たまたま室町以来、天皇が決定権を持たないという伝統があったので、伊藤のような発言も可能となったのでした。お隣の朝鮮の場合、それができなかったのが致命的だったようです(森万佑子『韓国併合』中公新書)。 この軌道の相違は今でも大きな影響を遺していて、例えば中国で政治的自由が定着する可能性はとても小さいように思います(かつて私はそれを期待して編著を編んだこともあったのですが)。この差異を、成功・失敗という枠で捉えると、生徒に隣国への偏見を押しつけることになって、確かにまずい。しかし、この差異自体は今の世界にとって、けっしてゆるがせにできないことと考えます。生徒に事実を見せ、決まった結論に誘導するのではなくて、いろいろ考えてもらうなら、意義深い授業になるように思います。
三谷です。この分野は素人ですが、少しコメントします。日清対立の焦点は朝鮮にありましたが、1880年代の日本は二度の事変に拘わらず、不関与政策をとりました。山県の演説はその最終局面で行われています。他方、同時代の陸軍幹部(川上操六・桂太郎)は対清戦争の準備を進めており、伊藤内閣を無理矢理戦争に追い込んだのでした(高橋秀直)。ただ、伊藤や井上馨も、朝鮮に「自強」を促すため改革を強制するという政策をとっていました。維新で成功したと自負する「革命の輸出」を試みたわけです。清朝側の動きも重要で、袁世凱の駐在とともに「属国・自主」を否定するようになりました。日・清双方で、朝鮮で衝突するコースを選んでいったように見えます。 これらの事情は、以前の編著『大人のための近現代史』東京大学出版会に、専門家に書いてもらいました。また、次の本は、朝鮮側の史料にもとづいて丁寧な説明をしていて、このあたりの知識を一新した観があります。森万佑子『韓国併合』中公新書。
お世話になっております。滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 「プラスαで理解したい人,読んでみてください」のところに掲載されている文章の出典を教えていただけますか?
上記、牧原憲夫(2006)『シリーズ日本近現代史② 民権と憲法』(岩波新書)P.192 と判明しました。
濱田文 先生 いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。
濱田文 先生
いつもお世話になっております。時代にいかに近接していくのかという意味において、小説・文学を取り上げながら緻密に教材を構築されていてとても刺激をいただきます。いつも勉強になります。 今回の教材について、「こころ」を取り上げていらっしゃったので、国語科等との教科連携や、ないしこの教材で学んだ生徒たちが国語の授業でどんなことを感じるのかな、という点にとても関心を持ちました。
徳原拓哉 先生 こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。 〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。 〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。 今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
徳原拓哉 先生
こちらこそ、いつもお世話になっております。私の拙い実践に目を通して下さり、感謝申し上げます。また、貴重なコメントを頂き、ありがとうございます。 国語の授業と関連させた歴史学習について、生徒たちがどのように感じたか。授業後の生徒たちの感想をいくつかご紹介しますね。
〇夏目漱石の描く「こころ」には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった。疑問1や2は特に時代の違いが感じられ、「こころ」という文学作品ではあるけれど、読み方を少し変えると明治について知れる教科書みたいなものになり、文学作品はそのような価値の一つでもあると思った。 〇現代文の授業では時代背景まで学ばなかったし、なぜお金に困っていないかと疑問に思った事がなかったからみんなとグループワークができてよかった。教科書には少ししか出なかった「私」の立ち位置も最後の問で確認することができた。「私」へは、過去と無関係で先生を慕っているからこそ同じ道を歩まないように未来へ残したメッセージだと考えた。今までよりも更に、詳しい展開や時代背景を知りたくなった。
〇物語でありながらも、当時の日本の法律のレールの上で作られていた。つまり歴史を知っていると、多角的な目線から(「こころ」という小説を)味わうことができより楽しめるようになると感じた。(世界史をやっていたから「ソクラテスの弁明」が面白いのと同じように) 〇現代文の授業で疑問に思っていたことが沢山あったので知ることができてよかった。しかし、先生の心情や事情ばかりだったので、お嬢さんが結婚することや先生が自殺したことについてどう思っていたのかとても気になった。若い友人の私が自殺することについて、どう思っていたのかとても気になった。先生は、Kの死に対して罪悪感を感じていて、Kが死んだその時からずっと自分も死ぬ機会を待っていたかのように思えた。
今週末の「青少年からみた歴史学習メディアとしての漫画と教育実践」のご講演も楽しみにしております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
三谷 博(もと東大教養学部)です。いくつも重要な問題を扱う授業案がアップされました。とりあえず、私の専門に近いものから意見を申し上げます。前もって申し上げると、歴史総合の抽象レヴェルは、我々研究者が史料に即して書く論文をはるかに越えたものがあるので、以下に記す意見も、下手をすると「見解の相違に過ぎない」となりかねません。他方、研究の学界でいま定説と信じられているものも、いつ覆るか分からないの研究世界jの現実で、あまり頼りにはなりません。 その上で申し上げると、教案の内容と趣旨とがかなりずれているように思います。内容は近世初期の農業発展はその通りで、教育の普及も19世紀のこととすれば妥当と思います。しかし、「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?」という課題設定は適切でしょうか。「遅れていた近世日本」という解釈は、いわゆる戦後、今から70年ほど前のものです。それが今なお常識として生きているとすると驚くべきことではないでしょうか。ただ、それ以上に問題なのは、どうして、ある社会が〈まるごと〉「進んでいるか、遅れているか」が大事なのでしょう。例えば、今の中国は経済的には大いに発展していますが、政治的自由は皆無に近くなりつつある。基準ごとにそれぞれの社会の位置は違って見えるはずです。他方、19世紀の半ばをみると、イギリスを先頭に欧米社会は科学技術を「体化」し、他の地域を置き去りにし始めました。ポメランツが書いたように、18世紀の半ばまで、中国の長江流域や日本列島は西欧とあまり違わない経済水準にあったものの、19世紀には欧米のスパートによって一旦は置き去りにされたのです。この激変の姿は、20世紀の後半に日本が「追いつき、追い越せ」とスパートした後、その末には韓国・中国が同じ努力を始め、いまや日本をいろんな面で追い抜いたことと似ています。単に、「進んでいるか、遅れているか」を語るのは、まずい。それぞれの国が、「いま吾が国に必要なことは何か」、それにいつ気づいて改革の努力を始めたかが、決定的に重要だったのではないでしょうか。 私見をあえて率直に申し上げました。先生の問題提起はいずれも重要で、先生方の間で多くの議論を巻き起こすと予想します。歴史研究者の立場から、自身の見解と最近の学界の傾向をもとに、忌憚ない意見を申し上げました。失礼の段、ご海容を。
コメントありがとうございます。 >「遅れていた近世日本」という解釈は、いわゆる戦後、今から70年ほど前のものです。それが今なお常識として生きているとすると驚くべきことではないでしょうか。 だとすれば、驚くべきことに、生徒たちの多くはナチュラルに「遅れていた近世日本」という解釈を素朴概念として持っています。 閉鎖的で他の国のことを知らず、技術的・文化的にも遅れていたし、国内の統治体制も農民は虐げられ、飢餓で苦しんでいた、といったイメージは大変強固なものです。 もちろん、高校で日本史など学ぶとこれが変わっていくこともありますが、個別の暗記に必死な場合、「え? でも五街道があるよね」とか「寺子屋はどうだろう?」と言われると「確かに」となる一方で、自分のイメージとそれらが結びつかず、「ともかく明治維新まで日本は遅れていて、閉鎖的だった」と結論付けていることはよくあります。 この授業では、あえて極端な(と言いつつ、なんだかんだ多くの生徒が漠然と持っている)イメージを提示し、それを吟味する過程で、知識の定着と以下に述べる歴史を学ぶうえでの姿勢(要は見方考え方)を育むことを意図したものです。 育みたい姿勢は、たとえば「そもそも全般的に遅れている/進んでいると判定するのは無理があるのではないか?」「視点の置き方(注目する分野、現在を基準にするのか?など)でも変わりそう」「他の国のことを知らないのに「遅れているかどうか?」は相対的なものだから分からないのでは」「提示される史資料によっても変わりそう」といった批判的思考です。 この授業では「歴史の扉」も意識した旨を書きましたが、それはこの点についてです。 特に知識構成型ジグソー法では、どうしても史資料の選定と提示、その読み解きの視点の設定は、教員側が担うこととなります。だからこそ、初期の時点でこうした批判的思考を念頭に置いてほしいと思っています。 実際に授業では上に挙げたような指摘が起こり、これをあえて全体に取り上げて「鋭い! その視点を持ちながら、この後の授業をやっていけるといいよね」と確認しました。 長くなりましたが、あくまでも「歴史学として評価の結論を出す」研究活動ではなく、「歴史を学ぶうえでの見方考え方を身につける」高校の歴史学習の教材であるという点を、強調しておきたいと思います。
コメントありがとうございます。
>「遅れていた近世日本」という解釈は、いわゆる戦後、今から70年ほど前のものです。それが今なお常識として生きているとすると驚くべきことではないでしょうか。
だとすれば、驚くべきことに、生徒たちの多くはナチュラルに「遅れていた近世日本」という解釈を素朴概念として持っています。 閉鎖的で他の国のことを知らず、技術的・文化的にも遅れていたし、国内の統治体制も農民は虐げられ、飢餓で苦しんでいた、といったイメージは大変強固なものです。 もちろん、高校で日本史など学ぶとこれが変わっていくこともありますが、個別の暗記に必死な場合、「え? でも五街道があるよね」とか「寺子屋はどうだろう?」と言われると「確かに」となる一方で、自分のイメージとそれらが結びつかず、「ともかく明治維新まで日本は遅れていて、閉鎖的だった」と結論付けていることはよくあります。
この授業では、あえて極端な(と言いつつ、なんだかんだ多くの生徒が漠然と持っている)イメージを提示し、それを吟味する過程で、知識の定着と以下に述べる歴史を学ぶうえでの姿勢(要は見方考え方)を育むことを意図したものです。
育みたい姿勢は、たとえば「そもそも全般的に遅れている/進んでいると判定するのは無理があるのではないか?」「視点の置き方(注目する分野、現在を基準にするのか?など)でも変わりそう」「他の国のことを知らないのに「遅れているかどうか?」は相対的なものだから分からないのでは」「提示される史資料によっても変わりそう」といった批判的思考です。
この授業では「歴史の扉」も意識した旨を書きましたが、それはこの点についてです。 特に知識構成型ジグソー法では、どうしても史資料の選定と提示、その読み解きの視点の設定は、教員側が担うこととなります。だからこそ、初期の時点でこうした批判的思考を念頭に置いてほしいと思っています。
実際に授業では上に挙げたような指摘が起こり、これをあえて全体に取り上げて「鋭い! その視点を持ちながら、この後の授業をやっていけるといいよね」と確認しました。
長くなりましたが、あくまでも「歴史学として評価の結論を出す」研究活動ではなく、「歴史を学ぶうえでの見方考え方を身につける」高校の歴史学習の教材であるという点を、強調しておきたいと思います。
真摯なお答えをいただき、ありがとうございました。生徒を批判的思考に導くきっかけを与えようとのご趣旨、よく分かりました。 それにしても、江戸時代のイメージがこれほど固定されて語られてきたとは驚きです。中学校の教育が更新されていないとすれば、どうしたら良いのでしょう。高校から変えるのが手っ取り早いのは確かですが。 他方、江戸時代の閉鎖性は、最近数十年の学説と異なり、私はかなり深刻な事実と考えます。「鎖国」は、これまた、「閉じていたのか、開いていたのか」の二項対立で語られる傾向があったのですが、当時の国境通過は、モノと情報は可能だが、人は不可能という状態でした。これは実は、最近、人類のほとんどが経験したことです。新コロナ禍のもと、経済は国境閉鎖で決定的な打撃を受けずに済みましたが、人の往来は強く制限されました。いまの人々は近世の「鎖国」がどんなものだったか、よく理解できるようになっているはずです。多くの人は国境を往来ができないことを何とも思っていませんでしたが、一部の知識人は強烈な不満を持ちながら口外はできませんでした。それが、ペリー来航を機として「爆発」し、激変をもたらしたのです。とはいえ、この二百年以上の閉鎖経験は、未だに日本人の中に深い根を下ろしていて、「日本は世界の外にある」という思い込みを維持しているように思います。最近、話題になった入管問題もその断面の一つではないでしょうか。 先生の提起された問題は、いずれも深い、価値判断に関わるもので、容易にコメントできるものではありません。少しずつ、時間をかけ、ある程度自信があるものから書き込んでゆきたいと存じます。よろしく
>未だに日本人の中に深い根を下ろしていて、「日本は世界の外にある」という思い込みを維持しているように思います。 全くの同意見です。 そもそもの国民国家を単位として語ること自体への違和感は、いったんおいておくとしても、 日本が国際社会に貢献できること、日本が責任を果たすべきことを含めて、「世界の中に日本がある」「世界の中で我々は生きている」という感覚をもって、前向きに現在を考えることができたらと思っています。そういう意味では、歴史総合が最後に「グローバル化と私たち」から現代的な諸課題の考察・構想へと結んでいるのは、担当する教員がいかにその場面を効果的に設計するか?を問われているように思えてなりません。 昨年度、「1945年8月15日をもって「戦後」が始まったととらえているけど、"元・日本"の朝鮮半島や台湾や東南アジアの「戦後」は「戦後」と言えるのか?」といったテーマで授業を行いました。これもある意味で、三谷さんのご指摘の"思い込み"と絡んでいることかもしれません。
>未だに日本人の中に深い根を下ろしていて、「日本は世界の外にある」という思い込みを維持しているように思います。
全くの同意見です。 そもそもの国民国家を単位として語ること自体への違和感は、いったんおいておくとしても、 日本が国際社会に貢献できること、日本が責任を果たすべきことを含めて、「世界の中に日本がある」「世界の中で我々は生きている」という感覚をもって、前向きに現在を考えることができたらと思っています。そういう意味では、歴史総合が最後に「グローバル化と私たち」から現代的な諸課題の考察・構想へと結んでいるのは、担当する教員がいかにその場面を効果的に設計するか?を問われているように思えてなりません。
昨年度、「1945年8月15日をもって「戦後」が始まったととらえているけど、"元・日本"の朝鮮半島や台湾や東南アジアの「戦後」は「戦後」と言えるのか?」といったテーマで授業を行いました。これもある意味で、三谷さんのご指摘の"思い込み"と絡んでいることかもしれません。
京華高等学校の山田です。 濵野先生、三谷先生、興味深い問題提起、議論をありがとうございます。濵野先生の教材を読み、三谷先生のご指摘を受けていろいろと考えさせられました。三谷先生のご指摘にある通り、①江戸時代の日本は閉鎖的で遅れていたとする「言説」を前提にすることは妥当なのか、②そもそもある社会が「進んでいるか・遅れているか」と議論することは妥当なのか、の2点が重要かと思いました。 ①について、濵野先生のコメントにある通り、私の実感としても「江戸時代は遅れていた」と素朴概念をもっている生徒が多いように思います。ただし、中学の教科書にそう書かれていたわけでもないし、それまでの歴史教育で「遅れている」と教わったわけでもないと思うのです。単純な理由ですが、小学校や中学校で明治維新を学習し、「近代化」について素朴に学んできた高校生たちは、あまり疑問をもたず(批判的な考察を経ず)「近代化=優れている=それ以前の社会=劣っている=遅れている」という図式を抱くのではないでしょうか(そもそも我々の社会が「近代化」を前提とする言説に立っているとも言えます)。だからこそ、敢えてそのような「言説がある」という条件設定を授業の中に持ち込み、その考えが妥当かどうかを「資料をもとに考える」ことは、歴史総合の「近代化と私たち」において重要な課題かと思いました。「近代化」とは何か、そこに含まれている「私」や「私たち=近代化された私たち」を批判的、相対的に捉えなおすことが歴史総合の重要な役割だと思うからです。この議論を授業でより生かすために、事前に「江戸時代のイメージ」のようなものをアンケートで回答してもらっておくことのもいいかなと思いました。 ②についても同様ですが、三谷先生の最初のご指摘にある通り、「進んでいる・遅れている」を総体的に論じることはできないかと思います。その点で、濵野先生の「視点の置き方」「他国との比較、相対化」「提示される史資料による違い」など、授業で挑戦すべき課題が多くあることが理解されました。この点は、歴史教師は特に考えていくべき課題かと思っています。と言うのも、三谷先生の最初のご指摘に「歴史総合の抽象レヴェルは、我々研究者が史料に即して書く論文をはるかに超えたものがある」とある通り、「授業」として成立させるために時に強引な「抽象化」をしてしまうことが、歴史学からは批判の対象になることや、事実に立脚しない議論となってしまう可能性もあるからです。例えば、私などは「産業革命によって世界は豊かになったのだろうか」という問いを立てたくなるのですが、そこには「産業革命で社会が便利になる=豊かになる」という前提が(生徒の中にあるものと仮定して)、批判的、相対的に考察しましょう、と短絡的に考えてしまったりします。しかしはたして、この問題設定が妥当なのか。「産業革命」と一言で説明できるものではないですし、「社会」も世界全体を視野に入れると、個別的には考察できても、結論を述べることはできなくなります。そもそも「豊かさ」を論じる(価値判断に介入する)ことができるのだろうか、ということになるわけです。 うまく表現できないのですが、このような「歴史総合」について考え、議論が深まっていくことは、今までのAやB科目にはなかったことかと思います。今後も考えていければと思っております。
コメントありがとうございます。 >批判的、相対的に捉えなおすことが歴史総合の重要な役割だと思うからです。この議論を授業でより生かすために、事前に「江戸時代のイメージ」のようなものをアンケートで回答してもらっておくことのもいいかなと思いました その点では、スタンダードな知識構成型ジグソー法の授業では、最初に素朴概念を記述させる(授業前の理解で、まずはMQについての自分の考えを書く)展開があります。 私は授業時間の関係で、省略してしまっていますが、山田様のご助言を踏まえると、学習前のプレ記述が効果を発揮しそうですね。
>批判的、相対的に捉えなおすことが歴史総合の重要な役割だと思うからです。この議論を授業でより生かすために、事前に「江戸時代のイメージ」のようなものをアンケートで回答してもらっておくことのもいいかなと思いました
その点では、スタンダードな知識構成型ジグソー法の授業では、最初に素朴概念を記述させる(授業前の理解で、まずはMQについての自分の考えを書く)展開があります。 私は授業時間の関係で、省略してしまっていますが、山田様のご助言を踏まえると、学習前のプレ記述が効果を発揮しそうですね。
続けてのリプライになりますが、産業革命については、「08_産業革命は、人々をどの程度「豊か」にしたといえるだろうか?」という授業を実践しています。 これも山田様のおっしゃるように、「そもそも「豊か」とは何なのか?」「「人々」とは誰なのか?」、突き詰めていくと「「産業革命」とは何なのか?」という根本的な疑問が現れます。 基準によって違う、立場によって違う、というのは第8回の授業にもなると、最初からある程度予想がつくのですが、そのうえで「この基準に立てば○○」「この立場に立てば○○」というレベルまで深めることを目指しています。 そのうえで、では相対主義でいいのか?という段階まで深めようとしているのが第8回です。 具体的には、「イギリスの労働者の立場に立てば、産業革命は生活の苦しさを生んでおり、気の毒だ」という論と、「インドの綿織物業従事者の立場に立てば、産業革命は自分たちの生活基盤を壊したきっかけだ」という論を理解したときに、「インドで劣悪な環境で働くこととなった人やその家族に「イギリス国民全員に責任があるわけではない。仕方ない」と言うのは妥当か?」という追加発問をしています。 「立場によって解釈が異なる」を理解した先に「だから、歴史は色んな見方があるよね、で終わっていいのか?」という次の段階があります。 年間を通じて少しずつ見方考え方を深めていければと思っています。
続けてのリプライになりますが、産業革命については、「08_産業革命は、人々をどの程度「豊か」にしたといえるだろうか?」という授業を実践しています。
これも山田様のおっしゃるように、「そもそも「豊か」とは何なのか?」「「人々」とは誰なのか?」、突き詰めていくと「「産業革命」とは何なのか?」という根本的な疑問が現れます。 基準によって違う、立場によって違う、というのは第8回の授業にもなると、最初からある程度予想がつくのですが、そのうえで「この基準に立てば○○」「この立場に立てば○○」というレベルまで深めることを目指しています。 そのうえで、では相対主義でいいのか?という段階まで深めようとしているのが第8回です。 具体的には、「イギリスの労働者の立場に立てば、産業革命は生活の苦しさを生んでおり、気の毒だ」という論と、「インドの綿織物業従事者の立場に立てば、産業革命は自分たちの生活基盤を壊したきっかけだ」という論を理解したときに、「インドで劣悪な環境で働くこととなった人やその家族に「イギリス国民全員に責任があるわけではない。仕方ない」と言うのは妥当か?」という追加発問をしています。 「立場によって解釈が異なる」を理解した先に「だから、歴史は色んな見方があるよね、で終わっていいのか?」という次の段階があります。
年間を通じて少しずつ見方考え方を深めていければと思っています。
中村翼先生 コメントをいただきありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。ジェンダーの視点については生徒の思考が「~についてはこういう見方もできるよね」といった段階にとどまってしまっている課題を個人的には感じており(視点の問題ではなく私の授業の問題なのですが)、今もしくはこれからの自分を想像させる(考えさせる)上で先生のご指摘はとても重要なものだと感じました。実際の授業ですが今年度は4時間で行いました。
京都教育大学、中村翼です。 三谷先生・徳原先生のコメントに続けるのは恐れ多く、また屋上屋の感がぬぐえないのですが、私も結婚観などに関するジェンダー関係で『こころ』を教材に使うことがあり(先生も注目されているように、結婚観、男女間の相互認識、兄弟間の関係など)、長文失礼します。 まず、『こころ』は多くの高校性に少なくないインパクトを与える小説だけに(私の高校時代の教師は「『こころ』を読むためにこれまでの現代文の授業があった」とまで言っていた)、歴史の教材としてうまく使えば、国語・歴史双方の理解につながるものと思います(先生の狙いもまさにその点と拝察しました)。 さて、三谷先生がおっしゃるように制度上、大正7(1918)までの「大学」が「帝国大学」を指すことは『こころ』に限らず、漱石(と同時代の作家)の作品を理解する上で、誤解しやすいポイントなのですが、すると、漱石文学がかなり(東京)帝国大学の学生(三四郎・『こころ』の私など)・卒業生(『こころ』の先生、『それから』の代助など)の物語であることに改めて気づかされます(しかも「落ちぶれ」卒業生が多い)。すると、この小説が連載された新聞の読者層とはどのあたりなのか(→はっきり分かれるものではないですが、「近代化」の時代と「大衆化」の時代の距離感?)なども素材になるでしょうか。あわせて何気なく出てくる「中学生」も、現代人がイメージするそれとは社会的地位が異なるので、やはり要注意ですね。 また、『こころ』の先生の生計(学生時代と作品中の現在)の問題は、迂闊ながら今回の教材ではじめて(教材につかえるのだと)気づかされました。その上で、叔父にだまされて財産を失ったという先生の設定を考えるのも面白いかも知れないと考えました(叔父にだまされてから、人を信じなくなった「先生」は冷徹な資産運営者になったのでしょうか?投資に失敗する人も当然多くおり、過酷な競争とセーフティネットの弱さは明治時代の一つの特徴でも有るので〔作品中の現在の先生について〕あまり「安泰」なイメージを強調すると危ないかもしれません)。また「遊んでいられる」という言葉の語感は、現在の高校性のイメージと、漱石の用法は少し違うかもしれません。 第3題は、まさに国語・歴史の総合問題ですが、これは難しいです。これを論じた「解説」(文庫巻末など)や論文も少なくないようですが、これらも補助材料にするとより深い学びにつながりそうです。時間はなかなか許さないでしょうが、国語・歴史双方の教員で講評できるとなおよいですね。 最後に余談ですが、『こころ』を6年前の夏に読みなおしたとき(職が得られたことに安堵して漱石をまとめて読みました・・・)、「先生」と「お嬢さん」と「私」の年齢が気になり、驚いたことがあります。 国語(現代文・古典・漢文)でしっかり読んだ作品を歴史で取り上げると、定着もよくなり、まさに多面的にみる力の養成に役立つと思います。今後ともご教示下さい。
京都教育大学、中村翼です。 三谷先生・徳原先生のコメントに続けるのは恐れ多く、また屋上屋の感がぬぐえないのですが、私も結婚観などに関するジェンダー関係で『こころ』を教材に使うことがあり(先生も注目されているように、結婚観、男女間の相互認識、兄弟間の関係など)、長文失礼します。
まず、『こころ』は多くの高校性に少なくないインパクトを与える小説だけに(私の高校時代の教師は「『こころ』を読むためにこれまでの現代文の授業があった」とまで言っていた)、歴史の教材としてうまく使えば、国語・歴史双方の理解につながるものと思います(先生の狙いもまさにその点と拝察しました)。
さて、三谷先生がおっしゃるように制度上、大正7(1918)までの「大学」が「帝国大学」を指すことは『こころ』に限らず、漱石(と同時代の作家)の作品を理解する上で、誤解しやすいポイントなのですが、すると、漱石文学がかなり(東京)帝国大学の学生(三四郎・『こころ』の私など)・卒業生(『こころ』の先生、『それから』の代助など)の物語であることに改めて気づかされます(しかも「落ちぶれ」卒業生が多い)。すると、この小説が連載された新聞の読者層とはどのあたりなのか(→はっきり分かれるものではないですが、「近代化」の時代と「大衆化」の時代の距離感?)なども素材になるでしょうか。あわせて何気なく出てくる「中学生」も、現代人がイメージするそれとは社会的地位が異なるので、やはり要注意ですね。
また、『こころ』の先生の生計(学生時代と作品中の現在)の問題は、迂闊ながら今回の教材ではじめて(教材につかえるのだと)気づかされました。その上で、叔父にだまされて財産を失ったという先生の設定を考えるのも面白いかも知れないと考えました(叔父にだまされてから、人を信じなくなった「先生」は冷徹な資産運営者になったのでしょうか?投資に失敗する人も当然多くおり、過酷な競争とセーフティネットの弱さは明治時代の一つの特徴でも有るので〔作品中の現在の先生について〕あまり「安泰」なイメージを強調すると危ないかもしれません)。また「遊んでいられる」という言葉の語感は、現在の高校性のイメージと、漱石の用法は少し違うかもしれません。
第3題は、まさに国語・歴史の総合問題ですが、これは難しいです。これを論じた「解説」(文庫巻末など)や論文も少なくないようですが、これらも補助材料にするとより深い学びにつながりそうです。時間はなかなか許さないでしょうが、国語・歴史双方の教員で講評できるとなおよいですね。
最後に余談ですが、『こころ』を6年前の夏に読みなおしたとき(職が得られたことに安堵して漱石をまとめて読みました・・・)、「先生」と「お嬢さん」と「私」の年齢が気になり、驚いたことがあります。
国語(現代文・古典・漢文)でしっかり読んだ作品を歴史で取り上げると、定着もよくなり、まさに多面的にみる力の養成に役立つと思います。今後ともご教示下さい。
京都教育大学 中村翼 先生 貴重なご助言を誠にありがとうございました。中村先生にご指摘いただきましたように、漱石の作品に登場する主要な登場人物の多くは「(東京)帝国大学」の学生や卒業生であり、彼らは卒業後に定職に就かなくとも世間から後ろ指を指されることなどない、前途有望な「知識人」として描かれています。彼らの立場を現代の若者の境遇と同様に捉えてはいけないのだと思います。「こころ」の「私」が「先生」を尊敬し慕ったのは、「先生」が大学を出たごく少数のエリートであり、「私」の故郷(田舎)では出会うことのできない人物であったからだと思います。また、「こころ」の奥さんが、お嬢さんを「先生」と結婚させることに躊躇なく同意したのも、このような背景があってのことだと考えます。三谷先生からもご教示いただきましたが、授業の中で、この点について丁寧に説明すべきだったと感じております。漱石作品には、現代の私たちが違和感なく作中に入り込めるような「魅力」があるため、こうした点には注意が必要だと改めて感じました。 また、次に中村先生がご指摘くださった「過酷な競争とセーフティネットの弱さは明治時代の一つの特徴でもある」というお言葉からも多くの示唆をいただきました。「こころ」の中で使われている「遊んでいられる」という言葉を現代の文脈にそのまま置き換えてはいけないのですね。生徒の感想にも 「夏目漱石の描く『こころ』には現代の私たちには理解しにくいような点がいくつかあったが、今回の授業を通して、理解しにくい点というのは、先生やKが生きた明治という時代を忠実に表現していたからだとわかった」 とあり、まさに中村先生がご指摘くださった点について、明瞭な形で言語化はできずとも生徒たちが少しく違和感を抱いたことがわかります。貴重なご助言をありがとうございます。 ところで、ご助言を念頭に読み返してみると、漱石作品には、このような明治時代の「危うさ」がよく描かれていることに思い至りました。例えば、「それから」の代助の父についてですが、 「代助の父は長井得といって、御維新の時、戦争に出た経験のあるくらいな老人であるが、今でも至極達者に生きている。役人を已めてから、実業界に這入って、何か彼かしているうちに、自然に金が貯まって、この十四五年来は大分財産家になった」 とあります。「それから」が新聞に連載された1909年の14,5年前には日清戦争があったことから、日清戦争で財産ができたことを暗に示しています。代助は、このような父の援助のもと高等遊民として暮らしているのですね。反対に、エリートが道を外れると「門」の主人公の宗助のようになってしまいます。明治時代のダイナミズムと危うさについて、もっと勉強しなければならないと思いました。 問3は「先生が妻ではなく、若い友人の「私」に遺書を残したのはなぜか」でした。 この遺書は明治という時代そのものを生きた「先生」から「私」への手紙という形式をとっています。「先生」は遺書を若い世代の友人である「私」に向けて書くことにより共感や励ましの気持ちを伝えたかったのだと思います。明治という時代を「近代の黎明期」と一括りには言えないように、「先生」の生きた明治と「私」の生きている明治には隔たりがあると考えます。このことは、2人が「近代」に対してどれだけ自覚的であるかにも関わっているように思います。この問題について、文学の文献なども参考に勉強していきたいと思います。最後に、問3に関する生徒の感想を2つご紹介させて頂きます。 〇 先生は自分が生きた過去を、「私」という若者にだけ打ち明けた。明治を生き、明治の精神に殉死した「先生」は“過去(明治)の象徴”であり、「私」は“未来の象徴”として漱石は描いたのではないか。私は父重篤の中、先生からの遺書が届き、東京行きの列車に飛び乗って先生のもとへ向かう。この私の行動は「忠孝の道」に逸れた行動かもしれない。“世間体”というものを気にしていた先生と私の大きな違いであると思った。今までの価値観にとらわれないような新しさや、明治が終わり新しい時代を生きていく「私」から力強さのようなものを感じた。 〇 先生はお金に困っているわけではないにも関わらず、常に幸せではなかったと思う。全体を通して先生は誰かからの理解をずっと求めていたのではないかと思った。その「誰か」がずっと自分を「先生」と呼び慕ってくれた「私」であり、先生はその心の荷を第3者に預けたことでようやく解放を感じられたのではないだろうか。 「こころ」は生徒だけでなく国語の教員にとっても特別な小説のようですね。先生がご助言くださったように、国語の教員と連携した歴史の授業ができたなら、と考えています。今回、諸先生方からいただいたご教示をもとに授業を改善し、国語の教員にも見てもらおうと思っています。今後もお気づきの点などありましたら、ご教示いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
京都教育大、中村翼です。 東アジアの交流史を専門で勉強しながらも、正直、「渡来人」は十分な認識を持てないで居ます。その上でのコメントにて、的外れな点があるかも知れません。ご容赦ください。 「渡来人」は、(たまたまかもしれませんが)勤務先の学生に関心を持つ者が多くいて、少しびっくりしていたところです。 さて、スライド5「渡来人の規模」ですが、その他の部分で先生は「渡来人」の時期設定を主に4~7世紀にしており(教科書もそうだと思います)、ここだけ縄文・弥生移行期がクローズアップされていると読めてしまいました。なお、この人口増は、農耕の本格的な開始による人口増加が加味されておらず、縄文~弥生の人口増がそのまま「渡来人の規模」とする誤解を与えそうです(酷い蛇足ですが、「日本人は、古来より列島外からの影響をほとんど血統的に受けていないのだ!」といいたいのではありません。沖縄でも濃厚開始によって人口が増えますが、その差分を(稲作をもたらした)「ヤマト人」の規模としないことと同じです)。 また、4~7世紀の「渡来人」は、教科書では〈すぐれた技術・文化の持ち主としてヤマト王権の支配などを支えた」という文脈で出てくるので、(日朝間の政治関係を背景とした)技術交流のイメージが先行するところ、先生の教材では、もっと幅広い人々を想定しているように読めました。実際、秦氏などは伝承では万単位での渡来といわれるので、前者のイメージだけでは難しいのですが、どこまでの裾野を想定すべきかは正直悩ましくもあります(当然地域差もあるはずで、九州は「渡来」にとどまらない双方向性や、裾野の広い交流があったにせよ、他の地域はどうなのか??)。このあたりはどのように授業では展開されているのでしょうか。
京都教育大、中村翼です。
東アジアの交流史を専門で勉強しながらも、正直、「渡来人」は十分な認識を持てないで居ます。その上でのコメントにて、的外れな点があるかも知れません。ご容赦ください。
「渡来人」は、(たまたまかもしれませんが)勤務先の学生に関心を持つ者が多くいて、少しびっくりしていたところです。
さて、スライド5「渡来人の規模」ですが、その他の部分で先生は「渡来人」の時期設定を主に4~7世紀にしており(教科書もそうだと思います)、ここだけ縄文・弥生移行期がクローズアップされていると読めてしまいました。なお、この人口増は、農耕の本格的な開始による人口増加が加味されておらず、縄文~弥生の人口増がそのまま「渡来人の規模」とする誤解を与えそうです(酷い蛇足ですが、「日本人は、古来より列島外からの影響をほとんど血統的に受けていないのだ!」といいたいのではありません。沖縄でも濃厚開始によって人口が増えますが、その差分を(稲作をもたらした)「ヤマト人」の規模としないことと同じです)。
また、4~7世紀の「渡来人」は、教科書では〈すぐれた技術・文化の持ち主としてヤマト王権の支配などを支えた」という文脈で出てくるので、(日朝間の政治関係を背景とした)技術交流のイメージが先行するところ、先生の教材では、もっと幅広い人々を想定しているように読めました。実際、秦氏などは伝承では万単位での渡来といわれるので、前者のイメージだけでは難しいのですが、どこまでの裾野を想定すべきかは正直悩ましくもあります(当然地域差もあるはずで、九州は「渡来」にとどまらない双方向性や、裾野の広い交流があったにせよ、他の地域はどうなのか??)。このあたりはどのように授業では展開されているのでしょうか。
中村先生、ありがとうございます。 先生のおっしゃりたいことはよく分かります。この授業の内容の細部が、いろいろ問題を孕んでいることは重々承知しております。ただ、現在この授業案で悩んでいることのうち、最大の課題は、いかに50分以内に収めるか、という点にあります。 私自身、まだこの授業を一度(原型を含めれば2度)しかやっていませんが、知識構成型ジグソー法について1年しか経験が無いからかもしれませんが、授業展開が必ずしもスムーズにいかず、3~4分オーバーしてしまった次第です。もちろん、無理をせずに2時間掛けてやれば、もっとスムーズにいったのでしょうが、実際の年間授業計画の中では1時間がせいぜいでしょう。2時間も費やすのでは、普段用の授業として使ってもらえないと思います。 できれば次回は5分、できれば7分ほど内容を削らねばならないと思っています。そうすれば、多少の解説の時間がとれて、先生のおっしゃったような解説が可能になります。 特に、この授業案の中で、最も時間が読めないのが「渡来人の規模」のパートです。突然歴史の授業でExcelを使えるか、シミュレーションをやったことのない生徒が時間内に理解して計算してくれるか。自分が普段教えている生徒ならだいたい予想は付きますが、他校の生徒までは自信がありません。 この授業は一昨年に作ったものですが、ここに公開するまで、そうしたことに悩んでいるうちに1年以上かかってしまいました。アップロードするかどうか、最後まで悩んだのですが、第一・第三部会で提案している概念にもとづく授業のイメージをもってもらうため、「民族移動(集団移動)」という概念を理解するための教材として、たとえ内容的に不備があったとしても、そのイメージを理解してもらうものとして公開させて頂きました。このコメントを読んで頂いている先生方も、その点をご了解下さい。 なお、同時に公開した古代オリエントの民族移動の授業も、同様な「不正確さ」を含んでおります。その点につきましても、ご理解下さい。 順番が逆になってしまいましたが、教材の表現について具体的にご指摘いただき、助かりました。すべて納得できるご指摘です。授業時間とのバランスが許す限り、誤解を減らせるように改善したいと思います。ありがとうございました。
三谷 博です。ナショナリズムをどう理解するかは、近代史中のもっとも重要なテーマの一つですが、この教材はフランスを例として明解なガイドを与えていると思います。その上で、2点、付け加えます。私の見るところ、ナショナリズムとは、「ある国家を単位として「内」と「外」を峻別する思考慣習」であって、それが住民に浸透させられたあと、「国民としての一体性」ができます。教科書では「国民としての一体性や均質性」と書かれることが多いようですが、歴史的には順序が逆です。実際、アメリカやインドや中国には均質性がなくても、ナショナリズムが存在します。いまでも常に見られるように、政治家は国民の支持を取り付けるため、外部に「敵」をフレームアップします。ネイションとは言語や生活習慣や伝統などを共有する集団と語られることがしばしばですが、教材にあるように、それは後から作られます。(拙著では、『日本史のなかの「普遍」』第3章、原2008年)。 他方、ナショナリズムの脱構築にあたっては、一つ留意すべきことがあります。「国民国家」を警戒対象とするとき、人々は国家との関係を断ち切りがちとなります。その時、国の政策はどのように立てれば良いのでしょうか。良い政策、この文脈では外国との敵対関係を作らないようにするには、むしろ国家に積極的に関わらねばなりません。私見では、その時、「市民」と自らを意識すれば良い。これは、外部を意識して使われる「国民」と違って、国家の内部に向かって使われる語です。フランス革命時には両方とも使われたようですが、文脈が違ったはずです。「国民」と「市民」は人口集団としてはほぼ同じで、包摂を拒む/拒まれる少数派が生ずるのも同じですが、「市民」は自動的には外部との敵対関係を生み出さない概念のはずです。残念ながら、日本と韓国では「国民」が常用されるので、「市民」間の議論がすぐ国家間の議論に引きずられるという弱点があるように見えます。
コメントありがとうございます。 大変興味深く拝読しました。 >良い政策、この文脈では外国との敵対関係を作らないようにするには、むしろ国家に積極的に関わらねばなりません。 この点、特に興味深いです。 2学期以降の授業で、この点を扱いたいと思います。 大正デモクラシー、ロシア革命あたりの単元で、問いを投げかけられるかなと思いました。
コメントありがとうございます。 大変興味深く拝読しました。
>良い政策、この文脈では外国との敵対関係を作らないようにするには、むしろ国家に積極的に関わらねばなりません。
この点、特に興味深いです。 2学期以降の授業で、この点を扱いたいと思います。 大正デモクラシー、ロシア革命あたりの単元で、問いを投げかけられるかなと思いました。
三谷 博です。植民地支配の中に二義性も組み込んだ結果、生徒の感想も散らばっているのが興味深く感じました。 もっぱら植民地にされた地域が対象ですが、されなかった地域のことも合わせ考えてはいかがでしょう。つまり、日本との対照です。例えば鉄道建設などの開発は日本より先行した土地が多かったようですが、中長期的にはどうだったでしょう。かつ、教科書などではあまり取り上げられていないようですが、「現地民のプライド」問題はいまに至る大問題です。植民地支配による伝統的エリートの没落、知識人の台頭といった長期的変化の中で、それがどう変化したのか、素人の私として、ぜひ知りたいところです。
非常に興味深いテーマだと思います。 ただ自分自身も、そうした点については、有り体に言って素人です。 そうした点を知ることのできる文献などはご存じでしょうか? これをテーマにしたウェビナー等あれば、ぜひ参加したいテーマです。
出崎幸史先生 京華高等学校の山田と申します。 とても参考になりました。歴史総合の定期試験について、図版や史資料を数多く使用しながら、19世紀のヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本の開国までを幅広く扱われています。問題の形式も、提示された史資料に対して「メモ」を提示する設定によって読み取り問題としたり、用語の説明や論述問題を織り交ぜられたりと、とても工夫を感じました。特に、大問1の問5(2)『最後の授業』を資料として挙げ、「フランスの人の言語を題材とするナショナリズムを批判せよ」という問いには深く考えさせられました。 以下、2点ほど質問をさせてください。 1.出崎先生の教材説明にもあったように、「歴史用語そのもの」と「資史料を用いて比較・考察する」ことの「バランス」(「知識・技能」と「思考・判断・表現」)ですが、このテストではどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、テスト作成時に一番苦慮するところです。(できることなら、論述1題だけ!という究極の作問をしたいですが、それは難しいので・・・) 2.上記の「歴史用語」に関連しますが、それなりに授業で歴史用語の解説をされているのかと思いますが、授業における上記の「バランス」はどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、史資料の比較・考察、話し合いなどとのバランスに苦しんでいます。 2.試験内で使用されている史資料は授業中に学習されたものでしょうか。それとも「初見資料」も混ざっているでしょうか。特に、第1問の問5(2)『最後の授業』は、「言語」を通してナショナリズムや国民国家を多面的に考えさせる良問かと思いますが、これは授業中に何らかの形で議論されたものなのでしょうか。 以上、私の問題意識で質問をしてしまいましたが、お時間のあるときにご返答いただければ幸いです。
出崎幸史先生 京華高等学校の山田と申します。 とても参考になりました。歴史総合の定期試験について、図版や史資料を数多く使用しながら、19世紀のヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本の開国までを幅広く扱われています。問題の形式も、提示された史資料に対して「メモ」を提示する設定によって読み取り問題としたり、用語の説明や論述問題を織り交ぜられたりと、とても工夫を感じました。特に、大問1の問5(2)『最後の授業』を資料として挙げ、「フランスの人の言語を題材とするナショナリズムを批判せよ」という問いには深く考えさせられました。
以下、2点ほど質問をさせてください。
1.出崎先生の教材説明にもあったように、「歴史用語そのもの」と「資史料を用いて比較・考察する」ことの「バランス」(「知識・技能」と「思考・判断・表現」)ですが、このテストではどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、テスト作成時に一番苦慮するところです。(できることなら、論述1題だけ!という究極の作問をしたいですが、それは難しいので・・・)
2.上記の「歴史用語」に関連しますが、それなりに授業で歴史用語の解説をされているのかと思いますが、授業における上記の「バランス」はどのようにお考えでしょうか。 ⇒私自身も、史資料の比較・考察、話し合いなどとのバランスに苦しんでいます。
2.試験内で使用されている史資料は授業中に学習されたものでしょうか。それとも「初見資料」も混ざっているでしょうか。特に、第1問の問5(2)『最後の授業』は、「言語」を通してナショナリズムや国民国家を多面的に考えさせる良問かと思いますが、これは授業中に何らかの形で議論されたものなのでしょうか。
以上、私の問題意識で質問をしてしまいましたが、お時間のあるときにご返答いただければ幸いです。
山田 道行先生 出崎です。夏休み中での返答ができず、コメントが遅れましてすみません。 授業よりもテストの方が本気で向き合うと思うため(悲しいことですが)、ある程度大学入試問題の形式を意識しながら生徒に負荷をかける定期試験を作ったつもりです。残念ながら普段の授業ではそれほど資料・史料を扱えなかったりしています(1時間に2・3ワークくらいです)。 さて、先生からのコメントに対して回答させていただきます。 1.試験問題中の設問のバランスですが、純粋な「知識・技能」部分と「思考・判断・表現」部分の配分は38:57となっています(その他「主体的に学習に取り組む態度」部分が5点あります)。これは作成時にこの配分にするということを意識したわけではなく、配点をつけていたらたまたまこうなったというもので、作成時には3:7くらいの意識でした。どれくらいの配分が良いのか分かりかねています。先生の理想に挙げられました、1問で書き上げるタイプは、私もできることならやってみたいものです。 2.歴史用語の解説については、従来の「世界史A」と比べて同じくらい説明はしています。ですが、「歴史総合」の授業ではそもそもの歴史用語をあまり使用しないよう心がけています。固有名詞は仕方ないですが、言い換えられる言葉であれば、内容が理解できるのであれば、用語そのものは伝えますが、状況が分かればそれでよしという考え方でやっています。これについては、私が歴史学を専門に学習してこなかったこともありますので、歴史を専門とされた先生方にとっては否定的に見えるかもしれません。そのあたりについて、様々な先生方と意見交換してみたいところです。 授業内ではある程度の歴史の流れをプリントで解説をし(その際に歴史用語を穴埋めするようなことはしていません)、その中で一部の場面に関する資料を見せて、この時代の人々の価値観や取るべき行動などについて一人で考える→机をつけて3~4人で確認しあうということを繰り返しています。なので、歴史用語についてはあまり重視せず、考えて他人に伝える行動がメインかと思います。 3.試験内で使用した資料・史料は、初見のものと、授業内で見せたものが混在しています。初見は『最後の授業』と、日米和親条約・修好通商条約に関する部分だけです。フランスのナショナリズムについては、授業内で『国民国家とナショナリズム』内の文章を使ってドイツ人のナショナリズムについて考えることをしていますので(ドイツ語を話す人達がドイツ人で、その人たちが住んでいる場所が統一されたドイツの領域とすること、1848年以降の小ドイツ主義でオーストリアを排除した理由を考えるディスカッション・ワークをしています)、授業の経験を別の形で応用できるかということを試しました。歴史用語に関する部分の解説が不徹底だったため、アルザスの位置が問題では分からない・地図から推測できない生徒がそれなりにいたので、地図にアルザスの位置を囲むなどした方が良かったように思います。日米和親条約・修好通商条約に関する資料は条約の内容やアヘン戦争・アロー戦争との対比などについては授業内で扱っており、それを史料を参照して確認ができているかを問う形となっています。その他の問題の資料は一度見たもので、問い方を変えているものもあります。 きれいにまとめられていない文ですが、回答させていただきました。ご不明点などありましたら、ぜひコメントをいただければと存じます。また、定期テストについても研究会などで意見交換ができる機会があれば、他の先生も交えてそこで話をしてみたいものです。コメントいただきましてありがとうございました。
山田 道行先生
出崎です。夏休み中での返答ができず、コメントが遅れましてすみません。 授業よりもテストの方が本気で向き合うと思うため(悲しいことですが)、ある程度大学入試問題の形式を意識しながら生徒に負荷をかける定期試験を作ったつもりです。残念ながら普段の授業ではそれほど資料・史料を扱えなかったりしています(1時間に2・3ワークくらいです)。
さて、先生からのコメントに対して回答させていただきます。 1.試験問題中の設問のバランスですが、純粋な「知識・技能」部分と「思考・判断・表現」部分の配分は38:57となっています(その他「主体的に学習に取り組む態度」部分が5点あります)。これは作成時にこの配分にするということを意識したわけではなく、配点をつけていたらたまたまこうなったというもので、作成時には3:7くらいの意識でした。どれくらいの配分が良いのか分かりかねています。先生の理想に挙げられました、1問で書き上げるタイプは、私もできることならやってみたいものです。
2.歴史用語の解説については、従来の「世界史A」と比べて同じくらい説明はしています。ですが、「歴史総合」の授業ではそもそもの歴史用語をあまり使用しないよう心がけています。固有名詞は仕方ないですが、言い換えられる言葉であれば、内容が理解できるのであれば、用語そのものは伝えますが、状況が分かればそれでよしという考え方でやっています。これについては、私が歴史学を専門に学習してこなかったこともありますので、歴史を専門とされた先生方にとっては否定的に見えるかもしれません。そのあたりについて、様々な先生方と意見交換してみたいところです。 授業内ではある程度の歴史の流れをプリントで解説をし(その際に歴史用語を穴埋めするようなことはしていません)、その中で一部の場面に関する資料を見せて、この時代の人々の価値観や取るべき行動などについて一人で考える→机をつけて3~4人で確認しあうということを繰り返しています。なので、歴史用語についてはあまり重視せず、考えて他人に伝える行動がメインかと思います。
3.試験内で使用した資料・史料は、初見のものと、授業内で見せたものが混在しています。初見は『最後の授業』と、日米和親条約・修好通商条約に関する部分だけです。フランスのナショナリズムについては、授業内で『国民国家とナショナリズム』内の文章を使ってドイツ人のナショナリズムについて考えることをしていますので(ドイツ語を話す人達がドイツ人で、その人たちが住んでいる場所が統一されたドイツの領域とすること、1848年以降の小ドイツ主義でオーストリアを排除した理由を考えるディスカッション・ワークをしています)、授業の経験を別の形で応用できるかということを試しました。歴史用語に関する部分の解説が不徹底だったため、アルザスの位置が問題では分からない・地図から推測できない生徒がそれなりにいたので、地図にアルザスの位置を囲むなどした方が良かったように思います。日米和親条約・修好通商条約に関する資料は条約の内容やアヘン戦争・アロー戦争との対比などについては授業内で扱っており、それを史料を参照して確認ができているかを問う形となっています。その他の問題の資料は一度見たもので、問い方を変えているものもあります。
きれいにまとめられていない文ですが、回答させていただきました。ご不明点などありましたら、ぜひコメントをいただければと存じます。また、定期テストについても研究会などで意見交換ができる機会があれば、他の先生も交えてそこで話をしてみたいものです。コメントいただきましてありがとうございました。
京華高等学校の山田です。 第2次産業革命と独占資本の強大化について、ジグソー法を用いて3つの資料から考察させる授業構成になっており、3つのエキスパート資料はどれも生徒が取り組みやすく構成されているので、多くの学校で使用しやすい教材かと思いました。私も19世紀後半を扱う際に参考にしたいと思います。 さて、濵野先生が教材説明で挙げられている「生徒の感想」を読むと、中国系の「移民」への差別について関心を持った生徒がいるようです。これは資料♠「19世紀後半の第2次産業革命は、どのような人々が担ったのだろうか?」に取り組んだ結果なのかと思います。そこで考えたのですが、授業全体のメインクエスチョンを「第2次産業革命は、どのような人々が担ったのか?」としてもいいのかと思いました。なぜなら、「独占資本主義の強大化」という問題がこの資料だと少し不明瞭(用語や知識として入れることはできるかと思いますし、帝国主義との関連でその「問題点」を考える必要もあるかとは思いますが)なので、第二次産業革命の「担い手」を考えることの方が焦点がはっきりするかと考えたからです。この「担い手」には、労働力としての移民も入りますし、独占資本となっていく巨大企業も含まれます。また、南北戦争後に「解放」された奴隷がどのような生き方を強いられたのか、という点でも意味があるため、「担い手」を追究することで、第2次産業革命および19世紀~20世紀初頭についての議論が深まるのかと考えました。
コメントありがとうございます。 実践してみて、同じような印象でした。 「独占資本主義」という概念キーワードは触れたいところですが、MQはおっしゃるように「第2次産業革命は、どのような人々が担ったのか?」として、そのうえで最後に、「独占資本主義」のキーワードやそれと移民労働者や重化学工業化のつながりについて、資料集の図を使って確認するような流れがおさまりがよさそうに思います。 中国系の「移民」への差別について関心を持った生徒は、複数おりましたが、中国にルーツを持つ生徒が特に思うところがあったようで、授業後に話しに来てくれました。 岩波新書『シリーズ歴史総合を学ぶ 世界史の考え方』で、ヨーロッパ系移民と、アジア系移民の間でも、法的な扱いや制度に差があったことが述べられていました。 そうした点も史料に盛り込むと、より深まりそうだと思いました。
自分の備忘録を兼ねますが、『世界史の考え方』P.121~130に、1848年革命を「専制vs自由」以外の、ナショナリズムからはじき出され、経済的に貧しい立ち位置にあった少数民族の、ナショナリズムの内側に入ろうとする渇望をもとに分析する考察が示されています。 資料♠はそちらで作成した方が、統一感が出たように思います。それに応じて、資料♥・♦もこの視点から再編成できそうです。
和歌山県立和歌山北高等学校の寺前駿です。 武井先生の教材、興味深く、私の授業や『私の授業理論』の形成で活用できるところはないかと考えながら、拝見させていただきました。メッセージのなかで「「目標論、単元構成、授業方法論、内容の精選原理、扱うべき史資料の特性といった諸要素の関係性から成り立つ『私の授業理論』」をわかりやすく形にした教材」との話に興味をそそられ、コメントさせていただいております。 メッセージの意図を踏まえると今回の授業であれば、第一次世界大戦期の女性の解放という学習内容をもとに、生徒たちが”ジェンダー差別”という現代的な諸課題を考え、”多様性の尊重”する姿勢を身につけることを目標として置き、「知識構成型ジグソー法」を用いて「法律が整備されれば差別はなくなったといえる」という素朴概念からの変化を、♧では国民(ネイション)の面、♡では参政権の面、♤では雇用の面から、依然として「女性らしさ」というものが人々の考えのなかに存在し、無意識のうちにジェンダー差別がうまれているという概念変化へと協調学習を通じて、深める授業方法を設定したものだと捉えました。 そこでいくつかの質問があります。 1.この捉え方に対する訂正や補足があれば教えてください。 2.この授業は、単元を通して生徒たちに学ばせたい概念と、どのような関係になっているのでしょうか。 3.問いの構造化にあたって資料の配列、精選等、具体的に意識した点があれば教えていただければありがたいです。 (私自身の不勉強もあり、どの配列がどの理論と合わさるのか気になったためです。) 4.全体を通して武井先生の『私の授業理論』と今回の教材との関係を教えてください。 教材共有サイトのコメントとしてはズレた質問かもしれず、また、他の先生方からすると当たり前のことかもしれませんが、武井先生の『私の授業理論』について詳しく知りたいと思い、恥を忍んで質問させていただきます。
コメントありがとうございます。 「私の授業理論」につきましては、授業理論WGのドライブの「キックオフミーティング」内に収めておりますので、ご確認いただけますと幸いです。 ご質問につきまして、 ①「多様性の尊重」はもちろんそうですが、女性差別については、そもそも現代社会において女性は抑圧された構造のもと差別されているという認識を前提としており、言うなれば「差別された女性をこそ尊重せよ」という「差別の撤廃」を訴えるものあることを付言しておきます。 ②学ばせたい概念は「第一次世界大戦を通じて女性の権利は大きく認められるようになったとはいえ、女性を差別する価値観は今もなお残っており、その価値観のもと社会が作られている」といったところでしょうか。歴史総合の目標に照らして抽象化すれば「現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史」ということになります。 ③より、国民・参政権・雇用、という側面から学ぶことができるように配列をしました。なお、知識構成型ジグソー法(三宅なほみ,学習科学)の教材作成原理は、問いの構造化(渡部竜也,社会科教育学)とは関係があるわけではないので、「問いを構造化してエキスパート資料を配列、精選する」ことは、知識構成型ジグソー法の教材作成の一つのヒントにはなりますが、必要条件ではないことに注意して下さると幸いです。 ④公民としての資質・能力の一つをより良い社会の形成を担う市民の歴史認識及び社会認識と捉えたうえで、その認識を獲得させるという「目標」を据えた時、経験則としての差別意識や無意識のうちの差別を概念変化させ、科学的な理解に到達させることを得意とするKCJという「方法」が効果的だと判断した、というものです。そしてこの「目標」をこの「方法」で実現するための「教材精選原理」がアップロードしたエキスパート資料であり、素朴概念をより明示するための工夫としてのアンケート結果の配置、ということになります。
多くの質問にご返信ありがとうございます。キックオフミーティング内の資料、見させていただきました。問いの構造化について学びつつ、武井先生の資料の精選、配列について理解したいと思います。また、KCJの良さというものを活かした授業案、「目標」の達成に向けた効果的な「方法」についても、一層学んでいきたいと思うようになりました。
投稿者:堀井 弘一郎 仏教は世界宗教になったのに、なぜ南アジアで浸透しなかったのだろう?
コメントへ移動▶2023/07/01 at 5:59 pm
投稿者:三谷 博 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 11:17 am
投稿者:神永 卓弥 日清戦争(銃後の日本人は、戦争をどう見ていたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 5:34 pm
投稿者:三谷 博 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 12:25 pm
投稿者:神永 卓弥 帝国主義(なぜ、植民地の獲得は求められたのか?)
コメントへ移動▶2023/07/17 at 5:44 pm
投稿者:三谷 博 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/17 at 4:28 pm
投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/19 at 9:59 am
投稿者:三谷 博 近代化とは何か(現代においてアイヌ差別はもうなくなったのか)
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:00 am
投稿者:三谷 博 「近代化」できないアジア諸国は「劣った国」といえるのだろうか
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:20 am
投稿者:三谷 博 なぜ日本は日清戦争を起こし、アジア諸国を領有する植民地帝国となったのか。
コメントへ移動▶2023/07/18 at 11:41 am
投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる?
コメントへ移動▶2023/07/27 at 2:29 pm
投稿者:濵野 優貴 当時肯定的に評価されることもあった「大日本帝国憲法」を私たちはどう感じる?
コメントへ移動▶2023/07/27 at 4:56 pm
投稿者:徳原 拓哉 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/07/29 at 9:46 am
投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/08/01 at 1:05 pm
投稿者:三谷 博 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/07/31 at 9:50 pm
投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/01 at 6:55 pm
投稿者:三谷 博 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/03 at 5:12 pm
投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/03 at 8:21 pm
投稿者:山田 道行 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/17 at 2:38 pm
投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 2:23 pm
投稿者:濵野 優貴 02_「江戸時代の日本は、閉塞的で遅れていた」という言説は、妥当か?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 6:30 pm
投稿者:大房 信幸 日本文化のあけぼの
コメントへ移動▶2023/08/01 at 3:34 pm
投稿者:中村 翼 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/08/02 at 4:35 pm
投稿者:濱田文 小説「こころ」を通して「明治時代」を読み解く
コメントへ移動▶2023/08/04 at 10:49 am
投稿者:中村 翼 渡来人の与えた影響
コメントへ移動▶2023/08/02 at 5:07 pm
投稿者:大橋 康一 渡来人の与えた影響
コメントへ移動▶2023/08/02 at 7:41 pm
投稿者:三谷 博 06_「国民」とは、どのような人同士のことを指すのだろうか?
コメントへ移動▶2023/08/04 at 4:02 pm
投稿者:濵野 優貴 06_「国民」とは、どのような人同士のことを指すのだろうか?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 2:25 pm
投稿者:三谷 博 15_「植民地支配は、植民地の人々を救った」という言説は、どの程度妥当だろうか?
コメントへ移動▶2023/08/04 at 4:30 pm
投稿者:濵野 優貴 15_「植民地支配は、植民地の人々を救った」という言説は、どの程度妥当だろうか?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 2:27 pm
投稿者:山田 道行 「歴史総合」前期期末試験
コメントへ移動▶2023/08/17 at 12:30 pm
投稿者:出﨑 幸史 「歴史総合」前期期末試験
コメントへ移動▶2023/09/01 at 5:15 pm
投稿者:山田 道行 12_第2次産業革命は、どのような特質を持ち、なぜ独占資本の強大化を招いたのだろうか?
コメントへ移動▶2023/08/17 at 1:20 pm
投稿者:濵野 優貴 12_第2次産業革命は、どのような特質を持ち、なぜ独占資本の強大化を招いたのだろうか?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 2:31 pm
投稿者:濵野 優貴 10_1848年の革命は、どのような人々を、どの程度自由にしたといえるだろうか?
コメントへ移動▶2023/08/18 at 6:37 pm
投稿者:寺前 駿 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/08/28 at 7:29 pm
投稿者:武井 寛太 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/08/28 at 10:42 pm
投稿者:寺前 駿 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/08/30 at 7:53 am