投稿者:粟屋 祐作 東アジアと中央ユーラシア 永福永伍先生 素晴らしい教材を拝見いたしました。 ぜひ参考にさせていただきます。 コメントへ移動▶ 2024/02/03 at 9:41 am 投稿者:永福永伍 東アジアと中央ユーラシア 粟屋祐作先生 拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/02/05 at 12:36 pm 投稿者:藤本 博 42_日本撤退後のアジアにとって、「冷戦」は「冷たい戦争」だったといえるだろうか? 「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。 ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。 とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員) コメントへ移動▶ 2024/03/25 at 11:21 am 投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く 広島の地域性と、学校という生徒の置かれた場を教員側が強く意識し、「校則」(のなかでもおそらくは高校性が関心を持ちやすい制服問題)という生徒にとって身近な論題から、歴史とは、事実とは?といった本質的(哲学的?)なテーマに迫っていこうとする魅力的な教材と拝察しました。 もし差し支えなければ、京都教育大学の日本史ゼミ(大学3・4年生対象:15人)での授業研究素材として紹介・検討すること(ダウンロードして、GoogleClassroomで共有する)をお認めいただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。 授業は連休明けを予定しているので、急ぎませんので、お手すきの際にお返事頂戴できると幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/04/25 at 4:58 pm 投稿者:佐伯 佳祐 「校則」から歴史の扉を開く 中村先生 お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。 授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2024/04/25 at 10:38 pm 投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く 佐伯先生 中村です。ご快諾くださり、ありがとうございます。改めて授業での話など、お知らせ致します。とりいそぎ、まずはお礼申し上げます。 コメントへ移動▶ 2024/04/26 at 6:08 pm 投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。 1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。 2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/07/07 at 7:43 pm 投稿者:徳原 拓哉 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) 徳原です。本設問は、以前にアップしている「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」「「せかい」と「せかい」が結びつくって?<2>」で身につけることを狙った、「せかい」「ちいき」概念の問い直し、についての考え方を基本として初見資料等を用いて作成しています。前掲の2つの教材単元については、拙稿「問いのフラクタル構造」に基づいて、概念の立体的把握を目指した再帰的な構造体をとっています。本考査においては、それら単元の学びを踏まえ、おおよそ55~60%程度の得点率になるように設計しました。結果としては全体として62%の得点率であり、難易度コントロールとしてはやや失敗しました。一方で、生徒の思考過程をその後インタビューを通じて追跡した結果は、上述したアプローチをとっている生徒も多く、ある程度の成果を見込んでいます。これ以降の分析は、引き続きとなります。2点目について、これは「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」で引用している、羽田正らの「イスラームは”世界”なのか」論争に接続することを狙った設問です。つまりは,あるひとまとまりのイスラームを考察するにあたってはその流動性、多元性といった点を踏まえた時に、「世界」という枠に落とし込むことには課題(教育的”便利さ”はおいておくとしても)、その際に、この地域における「せかい」概念を脱臼させるには、イスラームの多元化と合わせて考察することを重要と考え、資料として教材に盛り込んだものです。本設問では、直接授業で取り上げた史料ではありませんが、上述の点を踏まえると、イスラームの多元化、カリフ権力の変容、地方の変容、仰るところの観点を踏まえて、考察が可能だと思い、取り上げた次第です。 コメントへ移動▶ 2024/07/09 at 8:43 am 投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) 寺前です。徳原先生ご返信ありがとうございます。 ご紹介いただいた分析の続きについて、もしどこかでご報告されるときがありましたら楽しみにしております。 私自身、現在主義の視点から「イスラーム世界」という言葉を安易に使ってしまうことを反省しました。「せかい」概念の立体的把握を目指すための授業内容そして考査内容と接続がされていること、つまり、目標論と教材論の接続がなされており、とても私自身の今後の学びの参考になりました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/07/09 at 11:26 pm 投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。 2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 7:33 pm 投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 寺前先生 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。 〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。 コメントへ移動▶ 2024/07/22 at 6:09 pm 投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 今村先生、ありがとうございます。 1つ目のところは、私であれば破壊活動を起こす人々がなぜそういった行動にいたったのかの背景を考える時間を多く取りたいと思いました。奴隷商人の銅像の破壊のところだけを切り取るのではなく、それまでのBLMの経緯を取り上げることをしたいと思いました。ただ今村先生の意図は周りの人々がどう受け取るのかというところですので、私が考えるところとずれるかもしれません。 また羽村高校という文脈を踏まえた「ミセス」の件を受けての生徒の受け止め方について大変参考になりました。ありがとうございます! コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 8:04 am 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 恐れ入ります。横浜国際高等学校、徳原と申します。アメリカ黒人史を末席で学ぶ身として、お伺いしたいことがございます。この教材が内包する歴史観において、ムーヴメントにおけるVandalism(破壊行為)、また「暴力」は、どう位置づけられているのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 8:59 pm 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 連投大変失礼いたします。これはまた、先生の中ではいかなる意味でPublic Historyなのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 9:22 pm 投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 徳原先生 ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。 〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。 不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 5:59 pm 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。 ①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。 ②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等) 先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/07/25 at 5:37 am 投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。 1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/07/22 at 2:23 pm 投稿者:福崎 泰規 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 寺前先生、コメントありがとうございます(色々教材をアップしていますが、初めてコメントいただくのでとても嬉しいです笑)。 さてご質問への回答ですが、まず拙稿で述べている「課題」は、「授業を通して育成を目指してきた資質・能力と、定期考査を通して測定する資質・能力との間にギャップがあると一定数の生徒が感じていたこと」でした。この点については、昨年度そして今年度と教科内で議論しながら作問を重ねることで、教科内で「歴史総合の考査問題とはこういうものだ」という共通認識を持つことができ、初年度に比べればかなり授業と考査のギャップは小さくなっています。 一方で、今回のような実践で育成を目指す資質・能力(三観点にあてはめると「主体的に学習に取り組む態度」の範疇に入るかと思います)を、定期考査で測ることはそもそも想定していません。そもそも筆記テストでの測定が馴染まない資質・能力だと考えており、学習者が持つ資質・能力を発揮した成果物を見取ることでそれは測れるわけですから、筆記テストで「主体的に学習に取り組む態度」(あるいは本実践に即せばエージェンシー)を無理に測ろうとしなくてもよいと考えています。 なお、「主体的に学習に取り組む態度」を最終的に観点別学習状況として生徒に返す際には、拙稿にも挙げましたが鈴木(2021)を参考に、①「知識・技能」と「思考・判断・表現」の観点別学習状況を定期考査や単元ごとのワークシートなどから見取り、②その二観点をもとにして機械的に暫定的な「主体的に学習に取り組む態度」の観点別学習状況を定めた上で、③本実践の成果物に対する評価(中学生のコメントやスライドの出来栄え)のうち顕著に良い/悪いものがあれば「主体的に学習に取り組む態度」の暫定評価に反映させる、という形で成績処理を行っており、このような形で本実践を年間の観点別学習状況の評価に組み込んでいます。 コメントへ移動▶ 2024/07/23 at 9:42 pm 投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 福崎先生、ありがとうございます。 「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法についてどうすれば良いのか、多くの人数を評価することの業務の多忙さとの兼ね合いもありながらの参考にとてもなりました。 コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 10:46 pm 投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」 寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/08/25 at 9:00 am 投稿者:髙野晃多 原爆投下と「ワタシタチ」 ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 下記、ご質問への返答になります。 ①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。 ②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。 髙野 晃多 (KOTA TAKANO) - マイポータル - researchmap http://researchmap.jp また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html ③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。 ④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。 コメントへ移動▶ 2024/09/08 at 11:40 am 投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」 返信が遅れてしまい申し訳ございません。 ご質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。私自身、無意識のうちに(私のこれまでの経験が影響を受けて)「被害」の側面を多く取り上げる授業実践をしていました。「「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要」との言葉にとても共感しました。自身が「加害に加担している」と自覚することはとても辛く、希死念慮をもつこともありますが、それでも丁寧に聴くことが大切だと改めて強く思いました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2024/10/08 at 9:13 am 投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 寺前駿です。博物館所蔵資料に関する教材ということでMLA機関に所属する私としてもとても参考になりました。また高大連携の視点も昨年度まで大学教員と連携していた者としても今後の活動の参考になりました。 私は古代オリエント史を学ぶ必要はないとは考えていませんが、「ねらいについての議論」は重要だと思うので、1つ質問させてください。 丸小野先生が考える、今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史を学ぶ必要性を教えてください。学習指導要領が改正され、「世界史」が必修から選択になり、「世界史」における古代史を学ぶ生徒が減ったと思います。新たに生まれた歴史総合は、私自身とても重要な科目だと思っているのですが、生徒たちから空間的にも時間的にも遠く離れた歴史を学ぶ機会が減少することには少し危機感をもっています。そこでアッシリア史を専門とされる丸小野先生からみた古代オリエント史を高校生が学ぶ理由を教えていただければと思います。私の中では、現在主義や西洋中心主義からの脱却や「国」のあり方、人々の移動の視点かとは思っていますが、古代オリエント史である必要性という点からしっくりくる答えが持てていません。もしくは、アッシリア史を専門とされている丸小野先生だからこその授業として古代オリエント史に重点が置かれるということなのでしょうか。 教材の中身というよりも大きな範囲かつとても重たい質問で申し訳ございません。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/08/26 at 2:36 pm 投稿者:壮太 丸小野 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 寺前先生 お世話になっております。常磐大学高等学校の丸小野壮太です。ご質問ありがとうございました。お返事が遅くなり申し訳ありません。高大連携歴史教育研究会第2部会「ねらいについての議論」にも関連し、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけ(今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史、特にアッシリア史を学ぶ必要性)について重要な問いですね。なお、古代オリエント史は多様なテーマを内包しているのでアッシリアに特化して論じたいと思います。例えば、最近出版された山田重郎(2024)『アッシリア帝国 人類最古の帝国』筑摩書房, pp.19-22. において以下のような興味深い記述がありました。以下、一部引用します。「アッシリアは、ヨーロッパ世界の東隣に位置する、古代ギリシアに時間的に先行する西欧文明の源の一部として認識されることが多い。そのために、時間的にも空間的にも隔てられた西欧的な脈絡に属するものとして、いわば「他人事」のように考えられがちである。」(p.20.) ここからも欧米ではなく日本で生活する生徒たちにとってアッシリアは「自分事」ではなく「他人事」であることは明らかです。そこで、山田重郎(2024)は「アッシリアはアケメネス朝ペルシアに先立ち西アジアに成立した帝国の原型として人類史における注目すべき国家であり、古代世界にあって、きわめて多くの考古遺物と文書を通じて、驚くべき詳細さでその個性的な歴史と文化を知ることのできる出色の歴史的事象である。」(p.20.)と主張しています。一方、これだけでは、今を生きる生徒たちが、他の地域・時代ではなくアッシリアを学ぶ必要性は感じられないでしょう。私見ですが、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけは以下の2点にように考えています。第一に、現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリアです。例えば、筑波大学西アジア文明研究センター編(2014)『西アジア文明学への招待』悠書館でも古代オリエント世界/古代西アジア世界は都市、文字、国家、宗教、法律、食物などが誕生した時代・地域のように現代文明の基層になります。特にアッシリアは数多くの資料が現存するかつ文明の成熟期であることから現代文明の基層としての特色がより鮮明に読み取ることができます。これは山田重郎(2024)の主張とも重なります。第二に、アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたことです。例えば、佐藤育子・丸小野壮太(2024)「歴史学と歴史教育の対話に基づいた開かれた古代地中海世界史研究の構築」『ヘレニズム〜イスラーム考古学研究2023』pp.9-14.ではアッシリア帝国も含まれる開かれた古代地中海世界史研究の枠組みでまとめました。特に本授業実践の主題:近現代史と古代史の越境について以下のような方法論と内容論の意義を考えています。まず、方法論としては身近にある事例について比較することを通して歴史的特色をより鮮明に浮かび上がらせ、相対化を可能にしていく時空間拡大作用の対話[小川幸司(2023)『シリーズ歴史総合を学ぶ③世界史とは何か―「歴史実践のために―」』岩波新書]を行います。これを継続することでシティズンシップ教育にもつながる視点を育成できます。また、内容論としては人々の移動にともなう他者との協働によって生じた文化交流・文化変容が移住・移民・難民などの今日的問題とも深く連関することを想起させ、現代社会において古代オリエント史を考える意義を問題提起できます。これは寺前先生のお考えの「「国」のあり方や人々の移動の視点」とも重なります。いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。丸小野壮太 コメントへ移動▶ 2024/08/30 at 10:16 pm 投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 返信が遅れてしまい申し訳ございません。回答ありがとうございます。「現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリア」「アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたこと」との視点、大変参考になりました。特にアイデンティティの構築の視点について詳しく学びたいと思いました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/10/08 at 9:13 am 投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 和歌山県立文書館の寺前駿です。 「歴史にはない」との点について質問をさせてください。現在、参加している第2部会の授業理論WGにおいて、大学時代に歴史学を専攻していた教員は、歴史のifを授業のなかで用いることに抵抗感があるとの話題が上がりました。私自身、この抵抗感の正体について、様々な先生方の意見を伺いたいと感じていました。 そこで、テキストのなかで「 ◯「もし」の問いについて、考えてみよう。 ・歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか? ・歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」の部分の中村先生の想定していた答えは何か教えてください。 また、今回では「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由もあわせて教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/10/27 at 12:52 pm 投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? ❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。 大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」 このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。 ❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。 ❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。 ❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。 コメントへ移動▶ 2024/10/30 at 1:24 pm 投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 中村先生、丁寧な返信ありがとうございます。とても参考になりました。特に、「「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。」や「事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です」の部分がとても共感しました。一方で、高校生に向けた授業でどのように落とし込むかと考えると、とても難しいとの印象も抱きました。 ただ、中村先生が取り上げていらっしゃる「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」を見て、具体的な例の1つを知ることができ、非常に参考になりました。また、私自身が授業に落とし込む際に難しいと考えてしまっているのは、近現代の単発の事例だけを考えていたせいなのかとも思いました。中村先生のように前近代の授業のときから近現代のことを視野に入れた取り組みをとりいれ、年間の授業計画をつくることによって、近現代の事例でも、授業に上手く落とし込むことができるヒントがあるように思いました。 大変、参考になりました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/11/02 at 1:16 pm 投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。 これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。 ❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。 個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。 コメントへ移動▶ 2024/10/29 at 10:13 am 投稿者:寺前 駿 ギリシア人の都市国家 和歌山県立文書館の寺前駿と申します。 歴史総合を学習した上での世界史探究の授業を行うという新学習指導要領の特徴を生かした実践であり、大変興味深く読ませていただきました。 2つ、質問があります。 1つ目は、単元を貫く問いがありますが、この場合の「単元」とは今回投稿された2時間の授業のことでしょうか。もし違いましたら、授業時数と学習する範囲を教えてください。 2つ目は、今回投稿された授業の後に学ぶと考えられる衆愚政治やヘレニズム文化、古代ローマはどのように位置付けて授業をされますでしょうか。「市民」という視点を取り入れた授業をなさるのでしょうか。 お手数をおかけしますが、お答えいただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/11/28 at 12:57 pm 投稿者:加藤 隆浩 ギリシア人の都市国家 和歌山県立文書館 寺前 駿 様 こんにちは。返信が遅くなり,大変申し訳ございません。 貴重なご質問,誠にありがとうございます。 ①この単元を貫く問いというのは,詳説世界史探究(山川出版社)第4章西アジアと地中海周辺の国家形成の「2ギリシア人の都市国家」における問いです。 第1時:【ポリスの成立と発展】【市民と奴隷】【アテネとスパルタ】 第2・3時:本時【民主政への歩み】 第4時:【ペルシア戦争と民主政】【ポリス社会の変容】 第5時:【ヘレニズム時代】 ※文化史はローマの文化史とセットで行う。 これらを学習後,OPPAシートというものを通じて単元を貫く問いに答えます。 いわゆる学習前の仮設を素朴概念として明記させてありますが,これらの学習を通じて歴史的・科学的な概念として論述ができます。この変容を特に私は世界史探究の授業で意識しています。 ②はい。「市民」は意識して授業を行います。「民主政の歩み」において重装歩兵が生徒の「市民同士の相互的な団結を要請した」という理解を大事にし,それがペルシア戦争の三段櫂船という形で無産市民にも拡大していくことで民主政の拡散を実感させます。ここでも生徒は「市民団協調の誇示があった」と語ります。この「誇示」というのは近代的な「革命」のエネルギーと似ている,もしくは目的が異なるから似ていないなど,生徒の反応は様々です。古代ギリシアの文化史を見てみても,例えばソクラテスのような無知の無自覚というのはある種「市民」再考のきっかけを与えてくれるようなものであると感じます。ヘレニズム時代を通して,市民をはじめ「個」や「協働」という考えが輸出されると,例えばインドにおいて「菩薩信仰」が生まれるところにも起因しているのではないだろうかと感じます。 古代ローマ市では「共和政」の在り方の授業までは意識しています(ポエニ戦争ぐらいまでいくと,もうこの「市民」というのは授業のメインとしては据えません。)。 聖山事件などローマ共和政のところではギリシア史との連綿性を意識して,市民団協調のエネルギーをテーマにしています。 ご質問にお答えできているか不明であり,自信はあまりないのですが,少しでもご理解いただけたらと思います。 加藤隆浩(都桜町) コメントへ移動▶ 2024/11/29 at 5:54 pm 投稿者:寺前 駿 ギリシア人の都市国家 加藤先生、ご返信ありがとうございます。生徒の反応も教えていただき大変勉強になりました。 古代ローマのところでの共和政を取り上げる事とても共感しました。私はここから、民主政と共和政の比較や、近代のヨーロッパだけでなく、アメリカ独立革命のところまで考えることができそうと思いました。大変、面白い教材、そしてご返信ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2024/12/06 at 1:32 pm 投稿者:寺前 駿 日本の人種差別撤廃条項案には、どのような問題があったのだろうか? 和歌山県立文書館の寺前駿と申します。 私は昨年度まで高校の教員をしていましたので、その目線から質問になるかと思います。 1つ目の質問ですが、この教材のMQ「日本の人種差別撤廃案は、現代的な価値観からすれば十分に肯定されうる内容だと思われる。それにもかかわらず、なぜ当時の世界においては却下されたのだろうか?SQでの議論を踏まえて考えなさい。」に対する想定される解答はどのようなものでしょうか。特に「SQでの議論を踏まえて」とのことで、私はSQ2の「日本の人種差別撤廃案には、どのような問題があったのだろうか?」の議論を踏まえた場合、どのような答えを想定されるのかが気になりました。 2つ目は、この題材のときには「人種差別撤廃条項案を早い時期から提出した日本スゴイ」として、当時の日本の植民地支配を軽くみる(美化する)発言が学生から生まれる気がします。私自身、この向き合い方がとても難しく感じています。このようなとき、北村先生はどのように向き合われますでしょうか。上記のSQ2が、1つの答えのような気もしますが、お考えを教えてください。 私自身、日本の人種差別撤廃条項案について不勉強なせいで未熟な質問かとは思いますが、お教えいただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/12/06 at 1:52 pm 投稿者:寺前 駿 賊って何だ? 和歌山県立文書館の寺前駿です。 単元の構想の起点が、生徒たちが自身を立脚点として歴史的事象を善と悪で区分しながら学んでいるとのことでした。そこで「賊」というキーワードを設定されて、様々な「賊」に対する価値判断を生徒に求める問いをされていると思います。 ここで「賊」という語句に注目したいのですが、「賊」は必ずしもイコール「悪」にはならないと思います。例えば、「義賊」など国家の視点から見れば「悪」だが、人々の視点から見れば「善」といったように「賊」=「悪」と完全に一致しません。私は、この「賊」が視点によって価値判断が変化するという点に野々山先生がこの単元に「賊」をキーワードに置いた重要な理由があると思いました。 そこで、野々山先生がそのまま生徒に当時の人々の視点に立って歴史事象を「善か悪か」という価値判断を求めるのではなく、今村先生の教材も踏まえながら、あえて生徒に「賊」に対する価値判断を求めた理由をさらに詳しく教えていただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2025/01/25 at 6:34 pm 投稿者:寺前 駿 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか? 和歌山県立文書館の寺前駿です。 「記憶」の継承に関する実践ということで、アーカイブズ機関に所属する者として大変参考になりました。2点質問があります。 1つ目は、同じ学校の先輩の記憶を扱うことによって、例えば教科書に記されているような他者の記憶(太平洋戦争期の人々の暮らしの記述など)に対する生徒の反応と違ったことはみとれましたでしょうか? 2つ目は、3つのエキスパート資料でそれぞれ生徒との「距離感」が異なると私は感じましたが、読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違いはありましたでしょうか?(もちろん、エキスパート資料の『「誰か」の記憶』が朝鮮や台湾にルーツを持つ生徒の場合は「近く」、それ以外にルーツを持つ生徒の場合は「遠く」なるなど、生徒の背景によって「距離感」は異なりますが…) 山根先生がみとれた範囲でわかることがありましたらお教えいただけましたら幸いです。 コメントへ移動▶ 2025/01/25 at 6:35 pm 投稿者:山根友樹 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか? 寺前先生 こんにちは。コメントいただきありがとうございます。 ①これは明確に異なる反応を観測しています。 そもそものスタート(=プロジェクトを立ち上げた生徒からの要望)が、「教科書には書かれていない、”身近”な戦争の記憶を知りたい」というものでしたから、生徒たちは、自分たちの通っている学校、あるいは住んでいる地域と紐づく記憶に関する文章を、のめりこむようにして読んでいました。ジグソー活動中もさかんに対話していたと思います(内容が内容なだけに、「楽しそう」ではありませんでしたが)。反応としては、とにかく「全然知らなかった」という声が大きく、自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている様子でした。 ただ、通常の授業(興味のある生徒もない生徒も混在する時空間)ではなく、有志の生徒が集まった授業(そもそも関心が高い生徒が集まっている時空間)でしたから、当然といえば当然といえるかもしれません。 コメントへ移動▶ 2025/01/31 at 5:37 pm 投稿者:山根友樹 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか? ②「読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違い」があったかどうか、についてですが、エキスパート資料の違いに由来するというより、生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違いの方を強く感じました。これ以上は私も何とも言えないのですが、教室空間全体としては、実は『「誰か」の記憶』に関する資料が、生徒たちにとっては最も大きなインパクトを与えていたように感じています。ここからは完全な推測ですが、やはり自分たちの足元から、「被害」の記憶だけでなく「加害」の記憶が噴き出してきたことへの驚きが大きかったのではないかと思います。 ご質問への応答としてはいささか不足気味かもしれませんが、取り急ぎ。 コメントへ移動▶ 2025/01/31 at 5:42 pm 投稿者:寺前 駿 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか? 山根先生 ご返信ありがとうございます。 生徒の反応を教えていただきありがとうございます。私自身、地域の歴史を学ぶことの意義について関心があったため質問しました。失礼な言い方になってしまうかもしれないですが、私が高校生の頃の感覚を思い出して想定してみると、同じ高校の先輩の戦時中の生活の記録を見たとしても関心が持てない気がしました。(これは2つ目の「生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違い」とも関連すると思いますが、高校生の頃の私は歴史に関心が高い生徒ではなかったからだと思います。)生徒たちが「自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている」ことは記憶の継承という点でもとても意義のある実践だと感じました。 また2つ目の「加害」の記憶に関することは私自身が授業等でうまく扱うことの出来ていないと感じている視点のため、大変参考になりました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2025/02/01 at 2:45 pm 投稿者:野々山 新 賊って何だ? 寺前さん ご質問ありがとうございます。 まさにご指摘の通りに、生徒たちは「賊」と表現される存在の多面性を掴んでいくことを通して、「賊」(≒敵)という言葉が為政者の立場性を帯びる傾向があること、その側面に自身が無自覚であったことに少しずつ気付いていってくれました。 この気付きを持つ中で、改めて善か悪かを問うてしまうと、「これは立場によって決まるのでどっちともいえない」と表現せざるを得なくなります。この学びは、ひいては相対主義につながるものと考えています。だからこそ、「「賊」って何だ?」と問うことで、歴史を評価することそのものに思考を向けていきたいと思ったのです。さらには、「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしているのです。なかなかそこまで到達することは難しかったのですが、生徒たちの価値観に揺さぶりをかけることはできたのかなと感じた単元でありました。 コメントへ移動▶ 2025/01/25 at 10:45 pm 投稿者:寺前 駿 賊って何だ? 野々山先生 お返事ありがとうございます。 誤解している可能性があるので確認したいのですが、「「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしている」のは、これができるようになることで、生徒たちの「内在的な歴史へのまなざし」や「他者へのまなざし」を研ぎ澄ましてほしいという野々山先生が生徒たちにつけてほしい資質の1つにつながっているということでしょうか。このつながりをもう少し詳しく、また「他者へのまなざし」を研ぎ澄ますために歴史(学)を用いる必要性について野々山先生の考えを教えていただけませんでしょうか。 また、本単元で生徒が相対主義にならないように問いを注意しつつも、一部で表れることがあったため、本単元の次に第10回高大研大会第2部会の野々山先生の報告「相対主義に抵抗するー世界史探究における私の授業理論ー」で紹介された単元につながるのかと思いました。世界史探究、もっと言うと歴史総合からの3年間を通した流れのうちにあるのだと感じる一方で、その時々の単元での生徒の様子をみとって、次の単元を構想されているのだと思いました。ここでさらに質問なのですが、野々山先生は、単元を構想されるときに科目全体としての目標とそれぞれ単元の目標の関係をどう位置付けていますでしょうか。例えば私の場合は、全体の目標をゆるく持って、それぞれの単元・授業をつくるときには、全体の目標を起点にするのではなく、そのときの生徒の実態や教育内容に関する知識(PCK?)を起点に全体の目標への方向性は意識しながら帰納的に作ろうとしています。 本教材を超えた全体的な質問となっていますが、よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2025/01/26 at 3:34 pm 投稿者:野々山 新 賊って何だ? 寺前さん 追記ありがとうございます。こうして授業を問い直す機会を設けられるのはオンラインならではですね。 歴史の見方は、絶えず見つめ直し続ける必要があると私は考えています。なぜなら、置かれた環境や条件などで変容しうるものだからです。そのためにも、授業を通して「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識しています。 歴史は生徒の日常に溢れています。マンガ、テレビ、小説、youtubeなど多岐にわたりますよね。ですが、この溢れている歴史に影響され、あるいは強い言葉で言うならば操作されている生徒もまた多くいます。もちろん生徒だけでなく、多くの市民も該当するかもしれませんね。この影響を与える歴史に内包された価値観または世界観を、意識的に吟味できることが、私は社会をより良くすることにつながると思っているのです。吟味するためには、史料に基づきながら適切な検証を経て解釈されていく歴史学の手続きを参照することが有用だと考えています。 科目全体の目標と単元の目標の関係については、そんなに堅苦しく考えていません。何より授業を作ることで精一杯でして、例えば報告をしなければならないという条件などで後付けしていることの方が実態だと思います(オフレコですね!教材開発の時間がもっと欲しいです、切実に。)。ただ、やはり作成しているのが自分自身である以上、抱いている問題意識が通底した教材になってはいると思います。また、最優先は目の前の生徒に必要と考える視点や方法を措定することで、ここに扱う題材との親和性を勘案して調整しています。 コメントへ移動▶ 2025/01/26 at 10:13 pm 投稿者:寺前 駿 賊って何だ? 野々山先生 何度もご返信ありがとうございます。「「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識」との言葉、とても興味深く思いました。 また、授業をつくることで精一杯とのこと、(現在、私はは継続的な授業を行っていませんが、)私自身にとって少し励みになりました。型を意識しすぎると、生徒の実態と離れていく感覚もありますので、そのあたりのバランスを大事にしたいと思います。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2025/01/28 at 12:15 pm 投稿者:野々山 新 賊って何だ? 寺前さん こちらこそ、ご質問いただきありがとうございます。おかげで自身の目標観を再確認するとともに、この単元のみでなく全体の中でどう位置付くのかを考えるとより洗練されていくと思えました。まだまだ世界史探究は始まったばかりだからこそ、この1、2年での成果を確認しながら、次年度以降に向けた改善の視点を明らかにしていけると良いですよね。コメントいただいたからこそ気づけました。引き続きよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2025/01/29 at 1:38 pm 投稿者:野々山 新 「歴史総合」2024年度前期中間試験 愛知県立大府高等学校の野々山です。 歴史総合の評価問題について、ご提供ありがとうございます。固有名詞に依存するのでなく、概念理解を求めていることや、史資料の考察に関する妥当性の思考・判断を求めていることを特徴としてお見受けいたしました。歴史総合の特質に向き合って日々試行錯誤されている様子が浮かび上がります。 気になるのは、本評価問題で評価しようとしている力量を、日常の授業でいかに高めてきたのだろうかという点です。よろしければ、このことについてもご教示いただけますと幸いです。 コメントへ移動▶ 2025/02/01 at 5:38 pm 投稿者:出﨑 幸史 「歴史総合」2024年度前期中間試験 野々山 新先生 出﨑です。コメントをいただきまして、ありがとうございます。ご指摘の通り、以前の教育課程に比べて固有名詞を少なくして概念の理解と資料の読解を増やすようにしました。試験では授業内で扱った同じ資料を利用して授業内の活動の理解度を測るもの、同時代の初見資料を見てその内容を読み解くもの(よく国語的といわれるものでしょうか)、授業で扱った事実を基にして初見の資料を見て学習して得たものと結びつけて考えるもので構成しています。 授業は基本的に第一学習社の教科書の順に沿って、ページの若い方から単元ごとに進めています。教材としてはプリントを使用し、概念用語については生徒にジャパンナレッジ内の辞書を用いて調べさせています(冊封体制、ナショナリズム、国民国家、ファシズムなど)。その後、具体的な歴史の展開を説明し、都度教科書内の史料・資料を見ながら「問い」に相当する部分(教科書内では「注目」「見方・考え方」「学習課題」「整理しよう」などの項目が各単元に付けられています)をグループでの話し合いや個人での取り組んで向き合わせています。なので、特段新しい授業手法を実践しているというわけではなく、「教科書に沿った」授業を展開しています。グラフであれば増減に注目して変化の理由は何であるか、史料を読んでみてどの立場からどのような評価がなされているかというものを取り組んだ後に解説をしています。日本史B・世界史Bと比べると歴史上の人物の行動に関する扱いは少なくなっており、その時代に生きる人々がどのように行動してきたかの比重が高くなったような気がします。 コメントを振り返りながら思うと、従来型の授業に少し作業が入った程度のものかもしれません。先進的な授業実践を実施されていらっしゃる先生方と比べるとお恥ずかしい限りです。 コメントへ移動▶ 2025/02/03 at 12:39 pm 投稿者:野々山 新 「歴史総合」2024年度前期中間試験 野々山です。丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。 日常の授業について、教科書の問いと史資料を活用しながら展開していること、基本的なようで難しいことと拝察いたします。それは、教科書の問いや史資料がなかなか系統立ったものとして生徒たちが受け止めにくいのではないかと考えていることによります。おそらく先生は、適切に精選されたり、新たな問題点を指摘したりと、学びが深まるように調整されているのではないでしょうか。この教師の営為こそ、私としては意義深いものと考えております。従来型あるいは先進的な授業などと区分することはあまり生産的ではないですからね。 そして、この教師の営為も交えながら評価問題の妥当性を議論できると、より相互に学ぶことが多かろうと思います。 今回の評価問題では、授業を通して育みたい力を評価する上でどのように貢献あるいは課題を残したと考えられるでしょうか。 コメントへ移動▶ 2025/02/05 at 10:41 am 1 2 3 … 7 次へ »
永福永伍先生 素晴らしい教材を拝見いたしました。 ぜひ参考にさせていただきます。
粟屋祐作先生 拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。
粟屋祐作先生
拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。
「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。 ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。 とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員)
「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。
ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。
とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員)
広島の地域性と、学校という生徒の置かれた場を教員側が強く意識し、「校則」(のなかでもおそらくは高校性が関心を持ちやすい制服問題)という生徒にとって身近な論題から、歴史とは、事実とは?といった本質的(哲学的?)なテーマに迫っていこうとする魅力的な教材と拝察しました。 もし差し支えなければ、京都教育大学の日本史ゼミ(大学3・4年生対象:15人)での授業研究素材として紹介・検討すること(ダウンロードして、GoogleClassroomで共有する)をお認めいただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。 授業は連休明けを予定しているので、急ぎませんので、お手すきの際にお返事頂戴できると幸いです。
中村先生 お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。 授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
中村先生
お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。
授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
佐伯先生 中村です。ご快諾くださり、ありがとうございます。改めて授業での話など、お知らせ致します。とりいそぎ、まずはお礼申し上げます。
お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。 1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。 2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。
1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。
2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。
よろしくお願いします。
徳原です。本設問は、以前にアップしている「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」「「せかい」と「せかい」が結びつくって?<2>」で身につけることを狙った、「せかい」「ちいき」概念の問い直し、についての考え方を基本として初見資料等を用いて作成しています。前掲の2つの教材単元については、拙稿「問いのフラクタル構造」に基づいて、概念の立体的把握を目指した再帰的な構造体をとっています。本考査においては、それら単元の学びを踏まえ、おおよそ55~60%程度の得点率になるように設計しました。結果としては全体として62%の得点率であり、難易度コントロールとしてはやや失敗しました。一方で、生徒の思考過程をその後インタビューを通じて追跡した結果は、上述したアプローチをとっている生徒も多く、ある程度の成果を見込んでいます。これ以降の分析は、引き続きとなります。2点目について、これは「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」で引用している、羽田正らの「イスラームは”世界”なのか」論争に接続することを狙った設問です。つまりは,あるひとまとまりのイスラームを考察するにあたってはその流動性、多元性といった点を踏まえた時に、「世界」という枠に落とし込むことには課題(教育的”便利さ”はおいておくとしても)、その際に、この地域における「せかい」概念を脱臼させるには、イスラームの多元化と合わせて考察することを重要と考え、資料として教材に盛り込んだものです。本設問では、直接授業で取り上げた史料ではありませんが、上述の点を踏まえると、イスラームの多元化、カリフ権力の変容、地方の変容、仰るところの観点を踏まえて、考察が可能だと思い、取り上げた次第です。
寺前です。徳原先生ご返信ありがとうございます。 ご紹介いただいた分析の続きについて、もしどこかでご報告されるときがありましたら楽しみにしております。 私自身、現在主義の視点から「イスラーム世界」という言葉を安易に使ってしまうことを反省しました。「せかい」概念の立体的把握を目指すための授業内容そして考査内容と接続がされていること、つまり、目標論と教材論の接続がなされており、とても私自身の今後の学びの参考になりました。ありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。 2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。
和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。
2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。
寺前先生 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。 〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。
寺前先生
コメントいただきありがとうございます。
〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。
〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。
今村先生、ありがとうございます。 1つ目のところは、私であれば破壊活動を起こす人々がなぜそういった行動にいたったのかの背景を考える時間を多く取りたいと思いました。奴隷商人の銅像の破壊のところだけを切り取るのではなく、それまでのBLMの経緯を取り上げることをしたいと思いました。ただ今村先生の意図は周りの人々がどう受け取るのかというところですので、私が考えるところとずれるかもしれません。 また羽村高校という文脈を踏まえた「ミセス」の件を受けての生徒の受け止め方について大変参考になりました。ありがとうございます!
恐れ入ります。横浜国際高等学校、徳原と申します。アメリカ黒人史を末席で学ぶ身として、お伺いしたいことがございます。この教材が内包する歴史観において、ムーヴメントにおけるVandalism(破壊行為)、また「暴力」は、どう位置づけられているのでしょうか。
連投大変失礼いたします。これはまた、先生の中ではいかなる意味でPublic Historyなのでしょうか。
徳原先生 ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。 〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。 不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。
徳原先生
ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。
〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。
〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。
不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。
今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。 ①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。 ②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等) 先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。
今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。
①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。
②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等)
先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。 1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。
和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。
1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。
寺前先生、コメントありがとうございます(色々教材をアップしていますが、初めてコメントいただくのでとても嬉しいです笑)。 さてご質問への回答ですが、まず拙稿で述べている「課題」は、「授業を通して育成を目指してきた資質・能力と、定期考査を通して測定する資質・能力との間にギャップがあると一定数の生徒が感じていたこと」でした。この点については、昨年度そして今年度と教科内で議論しながら作問を重ねることで、教科内で「歴史総合の考査問題とはこういうものだ」という共通認識を持つことができ、初年度に比べればかなり授業と考査のギャップは小さくなっています。 一方で、今回のような実践で育成を目指す資質・能力(三観点にあてはめると「主体的に学習に取り組む態度」の範疇に入るかと思います)を、定期考査で測ることはそもそも想定していません。そもそも筆記テストでの測定が馴染まない資質・能力だと考えており、学習者が持つ資質・能力を発揮した成果物を見取ることでそれは測れるわけですから、筆記テストで「主体的に学習に取り組む態度」(あるいは本実践に即せばエージェンシー)を無理に測ろうとしなくてもよいと考えています。 なお、「主体的に学習に取り組む態度」を最終的に観点別学習状況として生徒に返す際には、拙稿にも挙げましたが鈴木(2021)を参考に、①「知識・技能」と「思考・判断・表現」の観点別学習状況を定期考査や単元ごとのワークシートなどから見取り、②その二観点をもとにして機械的に暫定的な「主体的に学習に取り組む態度」の観点別学習状況を定めた上で、③本実践の成果物に対する評価(中学生のコメントやスライドの出来栄え)のうち顕著に良い/悪いものがあれば「主体的に学習に取り組む態度」の暫定評価に反映させる、という形で成績処理を行っており、このような形で本実践を年間の観点別学習状況の評価に組み込んでいます。
福崎先生、ありがとうございます。 「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法についてどうすれば良いのか、多くの人数を評価することの業務の多忙さとの兼ね合いもありながらの参考にとてもなりました。
寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。
寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。
大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。
ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 下記、ご質問への返答になります。 ①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。 ②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。 髙野 晃多 (KOTA TAKANO) - マイポータル - researchmap http://researchmap.jp また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html ③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。 ④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。
ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
下記、ご質問への返答になります。
①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。
②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。
また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html
③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。
④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。
返信が遅れてしまい申し訳ございません。 ご質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。私自身、無意識のうちに(私のこれまでの経験が影響を受けて)「被害」の側面を多く取り上げる授業実践をしていました。「「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要」との言葉にとても共感しました。自身が「加害に加担している」と自覚することはとても辛く、希死念慮をもつこともありますが、それでも丁寧に聴くことが大切だと改めて強く思いました。ありがとうございました。
寺前駿です。博物館所蔵資料に関する教材ということでMLA機関に所属する私としてもとても参考になりました。また高大連携の視点も昨年度まで大学教員と連携していた者としても今後の活動の参考になりました。 私は古代オリエント史を学ぶ必要はないとは考えていませんが、「ねらいについての議論」は重要だと思うので、1つ質問させてください。 丸小野先生が考える、今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史を学ぶ必要性を教えてください。学習指導要領が改正され、「世界史」が必修から選択になり、「世界史」における古代史を学ぶ生徒が減ったと思います。新たに生まれた歴史総合は、私自身とても重要な科目だと思っているのですが、生徒たちから空間的にも時間的にも遠く離れた歴史を学ぶ機会が減少することには少し危機感をもっています。そこでアッシリア史を専門とされる丸小野先生からみた古代オリエント史を高校生が学ぶ理由を教えていただければと思います。私の中では、現在主義や西洋中心主義からの脱却や「国」のあり方、人々の移動の視点かとは思っていますが、古代オリエント史である必要性という点からしっくりくる答えが持てていません。もしくは、アッシリア史を専門とされている丸小野先生だからこその授業として古代オリエント史に重点が置かれるということなのでしょうか。 教材の中身というよりも大きな範囲かつとても重たい質問で申し訳ございません。よろしくお願いします。
寺前先生 お世話になっております。常磐大学高等学校の丸小野壮太です。ご質問ありがとうございました。お返事が遅くなり申し訳ありません。高大連携歴史教育研究会第2部会「ねらいについての議論」にも関連し、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけ(今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史、特にアッシリア史を学ぶ必要性)について重要な問いですね。なお、古代オリエント史は多様なテーマを内包しているのでアッシリアに特化して論じたいと思います。例えば、最近出版された山田重郎(2024)『アッシリア帝国 人類最古の帝国』筑摩書房, pp.19-22. において以下のような興味深い記述がありました。以下、一部引用します。「アッシリアは、ヨーロッパ世界の東隣に位置する、古代ギリシアに時間的に先行する西欧文明の源の一部として認識されることが多い。そのために、時間的にも空間的にも隔てられた西欧的な脈絡に属するものとして、いわば「他人事」のように考えられがちである。」(p.20.) ここからも欧米ではなく日本で生活する生徒たちにとってアッシリアは「自分事」ではなく「他人事」であることは明らかです。そこで、山田重郎(2024)は「アッシリアはアケメネス朝ペルシアに先立ち西アジアに成立した帝国の原型として人類史における注目すべき国家であり、古代世界にあって、きわめて多くの考古遺物と文書を通じて、驚くべき詳細さでその個性的な歴史と文化を知ることのできる出色の歴史的事象である。」(p.20.)と主張しています。一方、これだけでは、今を生きる生徒たちが、他の地域・時代ではなくアッシリアを学ぶ必要性は感じられないでしょう。私見ですが、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけは以下の2点にように考えています。第一に、現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリアです。例えば、筑波大学西アジア文明研究センター編(2014)『西アジア文明学への招待』悠書館でも古代オリエント世界/古代西アジア世界は都市、文字、国家、宗教、法律、食物などが誕生した時代・地域のように現代文明の基層になります。特にアッシリアは数多くの資料が現存するかつ文明の成熟期であることから現代文明の基層としての特色がより鮮明に読み取ることができます。これは山田重郎(2024)の主張とも重なります。第二に、アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたことです。例えば、佐藤育子・丸小野壮太(2024)「歴史学と歴史教育の対話に基づいた開かれた古代地中海世界史研究の構築」『ヘレニズム〜イスラーム考古学研究2023』pp.9-14.ではアッシリア帝国も含まれる開かれた古代地中海世界史研究の枠組みでまとめました。特に本授業実践の主題:近現代史と古代史の越境について以下のような方法論と内容論の意義を考えています。まず、方法論としては身近にある事例について比較することを通して歴史的特色をより鮮明に浮かび上がらせ、相対化を可能にしていく時空間拡大作用の対話[小川幸司(2023)『シリーズ歴史総合を学ぶ③世界史とは何か―「歴史実践のために―」』岩波新書]を行います。これを継続することでシティズンシップ教育にもつながる視点を育成できます。また、内容論としては人々の移動にともなう他者との協働によって生じた文化交流・文化変容が移住・移民・難民などの今日的問題とも深く連関することを想起させ、現代社会において古代オリエント史を考える意義を問題提起できます。これは寺前先生のお考えの「「国」のあり方や人々の移動の視点」とも重なります。いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。丸小野壮太
返信が遅れてしまい申し訳ございません。回答ありがとうございます。「現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリア」「アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたこと」との視点、大変参考になりました。特にアイデンティティの構築の視点について詳しく学びたいと思いました。ありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前駿です。 「歴史にはない」との点について質問をさせてください。現在、参加している第2部会の授業理論WGにおいて、大学時代に歴史学を専攻していた教員は、歴史のifを授業のなかで用いることに抵抗感があるとの話題が上がりました。私自身、この抵抗感の正体について、様々な先生方の意見を伺いたいと感じていました。 そこで、テキストのなかで「 ◯「もし」の問いについて、考えてみよう。 ・歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか? ・歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」の部分の中村先生の想定していた答えは何か教えてください。 また、今回では「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由もあわせて教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。 大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」 このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。 ❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。 ❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。 ❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。
❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。
大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」
このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。
❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。
❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。
❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。
中村先生、丁寧な返信ありがとうございます。とても参考になりました。特に、「「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。」や「事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です」の部分がとても共感しました。一方で、高校生に向けた授業でどのように落とし込むかと考えると、とても難しいとの印象も抱きました。 ただ、中村先生が取り上げていらっしゃる「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」を見て、具体的な例の1つを知ることができ、非常に参考になりました。また、私自身が授業に落とし込む際に難しいと考えてしまっているのは、近現代の単発の事例だけを考えていたせいなのかとも思いました。中村先生のように前近代の授業のときから近現代のことを視野に入れた取り組みをとりいれ、年間の授業計画をつくることによって、近現代の事例でも、授業に上手く落とし込むことができるヒントがあるように思いました。 大変、参考になりました。ありがとうございます。
中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。 これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。 ❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。 個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。
中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。
これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。
❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。
個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。
和歌山県立文書館の寺前駿と申します。 歴史総合を学習した上での世界史探究の授業を行うという新学習指導要領の特徴を生かした実践であり、大変興味深く読ませていただきました。 2つ、質問があります。 1つ目は、単元を貫く問いがありますが、この場合の「単元」とは今回投稿された2時間の授業のことでしょうか。もし違いましたら、授業時数と学習する範囲を教えてください。 2つ目は、今回投稿された授業の後に学ぶと考えられる衆愚政治やヘレニズム文化、古代ローマはどのように位置付けて授業をされますでしょうか。「市民」という視点を取り入れた授業をなさるのでしょうか。 お手数をおかけしますが、お答えいただければ幸いです。
和歌山県立文書館 寺前 駿 様 こんにちは。返信が遅くなり,大変申し訳ございません。 貴重なご質問,誠にありがとうございます。 ①この単元を貫く問いというのは,詳説世界史探究(山川出版社)第4章西アジアと地中海周辺の国家形成の「2ギリシア人の都市国家」における問いです。 第1時:【ポリスの成立と発展】【市民と奴隷】【アテネとスパルタ】 第2・3時:本時【民主政への歩み】 第4時:【ペルシア戦争と民主政】【ポリス社会の変容】 第5時:【ヘレニズム時代】 ※文化史はローマの文化史とセットで行う。 これらを学習後,OPPAシートというものを通じて単元を貫く問いに答えます。 いわゆる学習前の仮設を素朴概念として明記させてありますが,これらの学習を通じて歴史的・科学的な概念として論述ができます。この変容を特に私は世界史探究の授業で意識しています。 ②はい。「市民」は意識して授業を行います。「民主政の歩み」において重装歩兵が生徒の「市民同士の相互的な団結を要請した」という理解を大事にし,それがペルシア戦争の三段櫂船という形で無産市民にも拡大していくことで民主政の拡散を実感させます。ここでも生徒は「市民団協調の誇示があった」と語ります。この「誇示」というのは近代的な「革命」のエネルギーと似ている,もしくは目的が異なるから似ていないなど,生徒の反応は様々です。古代ギリシアの文化史を見てみても,例えばソクラテスのような無知の無自覚というのはある種「市民」再考のきっかけを与えてくれるようなものであると感じます。ヘレニズム時代を通して,市民をはじめ「個」や「協働」という考えが輸出されると,例えばインドにおいて「菩薩信仰」が生まれるところにも起因しているのではないだろうかと感じます。 古代ローマ市では「共和政」の在り方の授業までは意識しています(ポエニ戦争ぐらいまでいくと,もうこの「市民」というのは授業のメインとしては据えません。)。 聖山事件などローマ共和政のところではギリシア史との連綿性を意識して,市民団協調のエネルギーをテーマにしています。 ご質問にお答えできているか不明であり,自信はあまりないのですが,少しでもご理解いただけたらと思います。 加藤隆浩(都桜町)
和歌山県立文書館 寺前 駿 様
こんにちは。返信が遅くなり,大変申し訳ございません。 貴重なご質問,誠にありがとうございます。
①この単元を貫く問いというのは,詳説世界史探究(山川出版社)第4章西アジアと地中海周辺の国家形成の「2ギリシア人の都市国家」における問いです。 第1時:【ポリスの成立と発展】【市民と奴隷】【アテネとスパルタ】 第2・3時:本時【民主政への歩み】 第4時:【ペルシア戦争と民主政】【ポリス社会の変容】 第5時:【ヘレニズム時代】 ※文化史はローマの文化史とセットで行う。 これらを学習後,OPPAシートというものを通じて単元を貫く問いに答えます。 いわゆる学習前の仮設を素朴概念として明記させてありますが,これらの学習を通じて歴史的・科学的な概念として論述ができます。この変容を特に私は世界史探究の授業で意識しています。
②はい。「市民」は意識して授業を行います。「民主政の歩み」において重装歩兵が生徒の「市民同士の相互的な団結を要請した」という理解を大事にし,それがペルシア戦争の三段櫂船という形で無産市民にも拡大していくことで民主政の拡散を実感させます。ここでも生徒は「市民団協調の誇示があった」と語ります。この「誇示」というのは近代的な「革命」のエネルギーと似ている,もしくは目的が異なるから似ていないなど,生徒の反応は様々です。古代ギリシアの文化史を見てみても,例えばソクラテスのような無知の無自覚というのはある種「市民」再考のきっかけを与えてくれるようなものであると感じます。ヘレニズム時代を通して,市民をはじめ「個」や「協働」という考えが輸出されると,例えばインドにおいて「菩薩信仰」が生まれるところにも起因しているのではないだろうかと感じます。 古代ローマ市では「共和政」の在り方の授業までは意識しています(ポエニ戦争ぐらいまでいくと,もうこの「市民」というのは授業のメインとしては据えません。)。 聖山事件などローマ共和政のところではギリシア史との連綿性を意識して,市民団協調のエネルギーをテーマにしています。
ご質問にお答えできているか不明であり,自信はあまりないのですが,少しでもご理解いただけたらと思います。
加藤隆浩(都桜町)
加藤先生、ご返信ありがとうございます。生徒の反応も教えていただき大変勉強になりました。 古代ローマのところでの共和政を取り上げる事とても共感しました。私はここから、民主政と共和政の比較や、近代のヨーロッパだけでなく、アメリカ独立革命のところまで考えることができそうと思いました。大変、面白い教材、そしてご返信ありがとうございました。
和歌山県立文書館の寺前駿と申します。 私は昨年度まで高校の教員をしていましたので、その目線から質問になるかと思います。 1つ目の質問ですが、この教材のMQ「日本の人種差別撤廃案は、現代的な価値観からすれば十分に肯定されうる内容だと思われる。それにもかかわらず、なぜ当時の世界においては却下されたのだろうか?SQでの議論を踏まえて考えなさい。」に対する想定される解答はどのようなものでしょうか。特に「SQでの議論を踏まえて」とのことで、私はSQ2の「日本の人種差別撤廃案には、どのような問題があったのだろうか?」の議論を踏まえた場合、どのような答えを想定されるのかが気になりました。 2つ目は、この題材のときには「人種差別撤廃条項案を早い時期から提出した日本スゴイ」として、当時の日本の植民地支配を軽くみる(美化する)発言が学生から生まれる気がします。私自身、この向き合い方がとても難しく感じています。このようなとき、北村先生はどのように向き合われますでしょうか。上記のSQ2が、1つの答えのような気もしますが、お考えを教えてください。 私自身、日本の人種差別撤廃条項案について不勉強なせいで未熟な質問かとは思いますが、お教えいただければ幸いです。
和歌山県立文書館の寺前駿です。 単元の構想の起点が、生徒たちが自身を立脚点として歴史的事象を善と悪で区分しながら学んでいるとのことでした。そこで「賊」というキーワードを設定されて、様々な「賊」に対する価値判断を生徒に求める問いをされていると思います。 ここで「賊」という語句に注目したいのですが、「賊」は必ずしもイコール「悪」にはならないと思います。例えば、「義賊」など国家の視点から見れば「悪」だが、人々の視点から見れば「善」といったように「賊」=「悪」と完全に一致しません。私は、この「賊」が視点によって価値判断が変化するという点に野々山先生がこの単元に「賊」をキーワードに置いた重要な理由があると思いました。 そこで、野々山先生がそのまま生徒に当時の人々の視点に立って歴史事象を「善か悪か」という価値判断を求めるのではなく、今村先生の教材も踏まえながら、あえて生徒に「賊」に対する価値判断を求めた理由をさらに詳しく教えていただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。
和歌山県立文書館の寺前駿です。 「記憶」の継承に関する実践ということで、アーカイブズ機関に所属する者として大変参考になりました。2点質問があります。 1つ目は、同じ学校の先輩の記憶を扱うことによって、例えば教科書に記されているような他者の記憶(太平洋戦争期の人々の暮らしの記述など)に対する生徒の反応と違ったことはみとれましたでしょうか? 2つ目は、3つのエキスパート資料でそれぞれ生徒との「距離感」が異なると私は感じましたが、読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違いはありましたでしょうか?(もちろん、エキスパート資料の『「誰か」の記憶』が朝鮮や台湾にルーツを持つ生徒の場合は「近く」、それ以外にルーツを持つ生徒の場合は「遠く」なるなど、生徒の背景によって「距離感」は異なりますが…) 山根先生がみとれた範囲でわかることがありましたらお教えいただけましたら幸いです。
和歌山県立文書館の寺前駿です。
「記憶」の継承に関する実践ということで、アーカイブズ機関に所属する者として大変参考になりました。2点質問があります。 1つ目は、同じ学校の先輩の記憶を扱うことによって、例えば教科書に記されているような他者の記憶(太平洋戦争期の人々の暮らしの記述など)に対する生徒の反応と違ったことはみとれましたでしょうか? 2つ目は、3つのエキスパート資料でそれぞれ生徒との「距離感」が異なると私は感じましたが、読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違いはありましたでしょうか?(もちろん、エキスパート資料の『「誰か」の記憶』が朝鮮や台湾にルーツを持つ生徒の場合は「近く」、それ以外にルーツを持つ生徒の場合は「遠く」なるなど、生徒の背景によって「距離感」は異なりますが…) 山根先生がみとれた範囲でわかることがありましたらお教えいただけましたら幸いです。
寺前先生 こんにちは。コメントいただきありがとうございます。 ①これは明確に異なる反応を観測しています。 そもそものスタート(=プロジェクトを立ち上げた生徒からの要望)が、「教科書には書かれていない、”身近”な戦争の記憶を知りたい」というものでしたから、生徒たちは、自分たちの通っている学校、あるいは住んでいる地域と紐づく記憶に関する文章を、のめりこむようにして読んでいました。ジグソー活動中もさかんに対話していたと思います(内容が内容なだけに、「楽しそう」ではありませんでしたが)。反応としては、とにかく「全然知らなかった」という声が大きく、自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている様子でした。 ただ、通常の授業(興味のある生徒もない生徒も混在する時空間)ではなく、有志の生徒が集まった授業(そもそも関心が高い生徒が集まっている時空間)でしたから、当然といえば当然といえるかもしれません。
②「読み取ったエキスパート資料の違いによって生徒の本学習に対する切実さの表れの違い」があったかどうか、についてですが、エキスパート資料の違いに由来するというより、生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違いの方を強く感じました。これ以上は私も何とも言えないのですが、教室空間全体としては、実は『「誰か」の記憶』に関する資料が、生徒たちにとっては最も大きなインパクトを与えていたように感じています。ここからは完全な推測ですが、やはり自分たちの足元から、「被害」の記憶だけでなく「加害」の記憶が噴き出してきたことへの驚きが大きかったのではないかと思います。 ご質問への応答としてはいささか不足気味かもしれませんが、取り急ぎ。
山根先生 ご返信ありがとうございます。 生徒の反応を教えていただきありがとうございます。私自身、地域の歴史を学ぶことの意義について関心があったため質問しました。失礼な言い方になってしまうかもしれないですが、私が高校生の頃の感覚を思い出して想定してみると、同じ高校の先輩の戦時中の生活の記録を見たとしても関心が持てない気がしました。(これは2つ目の「生徒の興味関心やパーソナリティに由来する違い」とも関連すると思いますが、高校生の頃の私は歴史に関心が高い生徒ではなかったからだと思います。)生徒たちが「自分たちが通う学園に、戦争の記憶が宿っていることについて率直に新鮮さを感じている」ことは記憶の継承という点でもとても意義のある実践だと感じました。 また2つ目の「加害」の記憶に関することは私自身が授業等でうまく扱うことの出来ていないと感じている視点のため、大変参考になりました。ありがとうございました。
寺前さん ご質問ありがとうございます。 まさにご指摘の通りに、生徒たちは「賊」と表現される存在の多面性を掴んでいくことを通して、「賊」(≒敵)という言葉が為政者の立場性を帯びる傾向があること、その側面に自身が無自覚であったことに少しずつ気付いていってくれました。 この気付きを持つ中で、改めて善か悪かを問うてしまうと、「これは立場によって決まるのでどっちともいえない」と表現せざるを得なくなります。この学びは、ひいては相対主義につながるものと考えています。だからこそ、「「賊」って何だ?」と問うことで、歴史を評価することそのものに思考を向けていきたいと思ったのです。さらには、「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしているのです。なかなかそこまで到達することは難しかったのですが、生徒たちの価値観に揺さぶりをかけることはできたのかなと感じた単元でありました。
野々山先生 お返事ありがとうございます。 誤解している可能性があるので確認したいのですが、「「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしている」のは、これができるようになることで、生徒たちの「内在的な歴史へのまなざし」や「他者へのまなざし」を研ぎ澄ましてほしいという野々山先生が生徒たちにつけてほしい資質の1つにつながっているということでしょうか。このつながりをもう少し詳しく、また「他者へのまなざし」を研ぎ澄ますために歴史(学)を用いる必要性について野々山先生の考えを教えていただけませんでしょうか。 また、本単元で生徒が相対主義にならないように問いを注意しつつも、一部で表れることがあったため、本単元の次に第10回高大研大会第2部会の野々山先生の報告「相対主義に抵抗するー世界史探究における私の授業理論ー」で紹介された単元につながるのかと思いました。世界史探究、もっと言うと歴史総合からの3年間を通した流れのうちにあるのだと感じる一方で、その時々の単元での生徒の様子をみとって、次の単元を構想されているのだと思いました。ここでさらに質問なのですが、野々山先生は、単元を構想されるときに科目全体としての目標とそれぞれ単元の目標の関係をどう位置付けていますでしょうか。例えば私の場合は、全体の目標をゆるく持って、それぞれの単元・授業をつくるときには、全体の目標を起点にするのではなく、そのときの生徒の実態や教育内容に関する知識(PCK?)を起点に全体の目標への方向性は意識しながら帰納的に作ろうとしています。 本教材を超えた全体的な質問となっていますが、よろしくお願いします。
野々山先生 お返事ありがとうございます。 誤解している可能性があるので確認したいのですが、「「評価された歴史」を評価する私を問い直すことができるように期待をしている」のは、これができるようになることで、生徒たちの「内在的な歴史へのまなざし」や「他者へのまなざし」を研ぎ澄ましてほしいという野々山先生が生徒たちにつけてほしい資質の1つにつながっているということでしょうか。このつながりをもう少し詳しく、また「他者へのまなざし」を研ぎ澄ますために歴史(学)を用いる必要性について野々山先生の考えを教えていただけませんでしょうか。
また、本単元で生徒が相対主義にならないように問いを注意しつつも、一部で表れることがあったため、本単元の次に第10回高大研大会第2部会の野々山先生の報告「相対主義に抵抗するー世界史探究における私の授業理論ー」で紹介された単元につながるのかと思いました。世界史探究、もっと言うと歴史総合からの3年間を通した流れのうちにあるのだと感じる一方で、その時々の単元での生徒の様子をみとって、次の単元を構想されているのだと思いました。ここでさらに質問なのですが、野々山先生は、単元を構想されるときに科目全体としての目標とそれぞれ単元の目標の関係をどう位置付けていますでしょうか。例えば私の場合は、全体の目標をゆるく持って、それぞれの単元・授業をつくるときには、全体の目標を起点にするのではなく、そのときの生徒の実態や教育内容に関する知識(PCK?)を起点に全体の目標への方向性は意識しながら帰納的に作ろうとしています。
本教材を超えた全体的な質問となっていますが、よろしくお願いします。
寺前さん 追記ありがとうございます。こうして授業を問い直す機会を設けられるのはオンラインならではですね。 歴史の見方は、絶えず見つめ直し続ける必要があると私は考えています。なぜなら、置かれた環境や条件などで変容しうるものだからです。そのためにも、授業を通して「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識しています。 歴史は生徒の日常に溢れています。マンガ、テレビ、小説、youtubeなど多岐にわたりますよね。ですが、この溢れている歴史に影響され、あるいは強い言葉で言うならば操作されている生徒もまた多くいます。もちろん生徒だけでなく、多くの市民も該当するかもしれませんね。この影響を与える歴史に内包された価値観または世界観を、意識的に吟味できることが、私は社会をより良くすることにつながると思っているのです。吟味するためには、史料に基づきながら適切な検証を経て解釈されていく歴史学の手続きを参照することが有用だと考えています。 科目全体の目標と単元の目標の関係については、そんなに堅苦しく考えていません。何より授業を作ることで精一杯でして、例えば報告をしなければならないという条件などで後付けしていることの方が実態だと思います(オフレコですね!教材開発の時間がもっと欲しいです、切実に。)。ただ、やはり作成しているのが自分自身である以上、抱いている問題意識が通底した教材になってはいると思います。また、最優先は目の前の生徒に必要と考える視点や方法を措定することで、ここに扱う題材との親和性を勘案して調整しています。
寺前さん 追記ありがとうございます。こうして授業を問い直す機会を設けられるのはオンラインならではですね。 歴史の見方は、絶えず見つめ直し続ける必要があると私は考えています。なぜなら、置かれた環境や条件などで変容しうるものだからです。そのためにも、授業を通して「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識しています。 歴史は生徒の日常に溢れています。マンガ、テレビ、小説、youtubeなど多岐にわたりますよね。ですが、この溢れている歴史に影響され、あるいは強い言葉で言うならば操作されている生徒もまた多くいます。もちろん生徒だけでなく、多くの市民も該当するかもしれませんね。この影響を与える歴史に内包された価値観または世界観を、意識的に吟味できることが、私は社会をより良くすることにつながると思っているのです。吟味するためには、史料に基づきながら適切な検証を経て解釈されていく歴史学の手続きを参照することが有用だと考えています。
科目全体の目標と単元の目標の関係については、そんなに堅苦しく考えていません。何より授業を作ることで精一杯でして、例えば報告をしなければならないという条件などで後付けしていることの方が実態だと思います(オフレコですね!教材開発の時間がもっと欲しいです、切実に。)。ただ、やはり作成しているのが自分自身である以上、抱いている問題意識が通底した教材になってはいると思います。また、最優先は目の前の生徒に必要と考える視点や方法を措定することで、ここに扱う題材との親和性を勘案して調整しています。
野々山先生 何度もご返信ありがとうございます。「「正しい歴史の見方」(これはあるはずがない)を学ぶのではなく、いかに歴史をまなざすのかを考え、まなざしているのかを自覚していくプロセスの担保を意識」との言葉、とても興味深く思いました。 また、授業をつくることで精一杯とのこと、(現在、私はは継続的な授業を行っていませんが、)私自身にとって少し励みになりました。型を意識しすぎると、生徒の実態と離れていく感覚もありますので、そのあたりのバランスを大事にしたいと思います。ありがとうございました。
寺前さん こちらこそ、ご質問いただきありがとうございます。おかげで自身の目標観を再確認するとともに、この単元のみでなく全体の中でどう位置付くのかを考えるとより洗練されていくと思えました。まだまだ世界史探究は始まったばかりだからこそ、この1、2年での成果を確認しながら、次年度以降に向けた改善の視点を明らかにしていけると良いですよね。コメントいただいたからこそ気づけました。引き続きよろしくお願いいたします。
愛知県立大府高等学校の野々山です。 歴史総合の評価問題について、ご提供ありがとうございます。固有名詞に依存するのでなく、概念理解を求めていることや、史資料の考察に関する妥当性の思考・判断を求めていることを特徴としてお見受けいたしました。歴史総合の特質に向き合って日々試行錯誤されている様子が浮かび上がります。 気になるのは、本評価問題で評価しようとしている力量を、日常の授業でいかに高めてきたのだろうかという点です。よろしければ、このことについてもご教示いただけますと幸いです。
野々山 新先生 出﨑です。コメントをいただきまして、ありがとうございます。ご指摘の通り、以前の教育課程に比べて固有名詞を少なくして概念の理解と資料の読解を増やすようにしました。試験では授業内で扱った同じ資料を利用して授業内の活動の理解度を測るもの、同時代の初見資料を見てその内容を読み解くもの(よく国語的といわれるものでしょうか)、授業で扱った事実を基にして初見の資料を見て学習して得たものと結びつけて考えるもので構成しています。 授業は基本的に第一学習社の教科書の順に沿って、ページの若い方から単元ごとに進めています。教材としてはプリントを使用し、概念用語については生徒にジャパンナレッジ内の辞書を用いて調べさせています(冊封体制、ナショナリズム、国民国家、ファシズムなど)。その後、具体的な歴史の展開を説明し、都度教科書内の史料・資料を見ながら「問い」に相当する部分(教科書内では「注目」「見方・考え方」「学習課題」「整理しよう」などの項目が各単元に付けられています)をグループでの話し合いや個人での取り組んで向き合わせています。なので、特段新しい授業手法を実践しているというわけではなく、「教科書に沿った」授業を展開しています。グラフであれば増減に注目して変化の理由は何であるか、史料を読んでみてどの立場からどのような評価がなされているかというものを取り組んだ後に解説をしています。日本史B・世界史Bと比べると歴史上の人物の行動に関する扱いは少なくなっており、その時代に生きる人々がどのように行動してきたかの比重が高くなったような気がします。 コメントを振り返りながら思うと、従来型の授業に少し作業が入った程度のものかもしれません。先進的な授業実践を実施されていらっしゃる先生方と比べるとお恥ずかしい限りです。
野々山 新先生
出﨑です。コメントをいただきまして、ありがとうございます。ご指摘の通り、以前の教育課程に比べて固有名詞を少なくして概念の理解と資料の読解を増やすようにしました。試験では授業内で扱った同じ資料を利用して授業内の活動の理解度を測るもの、同時代の初見資料を見てその内容を読み解くもの(よく国語的といわれるものでしょうか)、授業で扱った事実を基にして初見の資料を見て学習して得たものと結びつけて考えるもので構成しています。 授業は基本的に第一学習社の教科書の順に沿って、ページの若い方から単元ごとに進めています。教材としてはプリントを使用し、概念用語については生徒にジャパンナレッジ内の辞書を用いて調べさせています(冊封体制、ナショナリズム、国民国家、ファシズムなど)。その後、具体的な歴史の展開を説明し、都度教科書内の史料・資料を見ながら「問い」に相当する部分(教科書内では「注目」「見方・考え方」「学習課題」「整理しよう」などの項目が各単元に付けられています)をグループでの話し合いや個人での取り組んで向き合わせています。なので、特段新しい授業手法を実践しているというわけではなく、「教科書に沿った」授業を展開しています。グラフであれば増減に注目して変化の理由は何であるか、史料を読んでみてどの立場からどのような評価がなされているかというものを取り組んだ後に解説をしています。日本史B・世界史Bと比べると歴史上の人物の行動に関する扱いは少なくなっており、その時代に生きる人々がどのように行動してきたかの比重が高くなったような気がします。 コメントを振り返りながら思うと、従来型の授業に少し作業が入った程度のものかもしれません。先進的な授業実践を実施されていらっしゃる先生方と比べるとお恥ずかしい限りです。
野々山です。丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。 日常の授業について、教科書の問いと史資料を活用しながら展開していること、基本的なようで難しいことと拝察いたします。それは、教科書の問いや史資料がなかなか系統立ったものとして生徒たちが受け止めにくいのではないかと考えていることによります。おそらく先生は、適切に精選されたり、新たな問題点を指摘したりと、学びが深まるように調整されているのではないでしょうか。この教師の営為こそ、私としては意義深いものと考えております。従来型あるいは先進的な授業などと区分することはあまり生産的ではないですからね。 そして、この教師の営為も交えながら評価問題の妥当性を議論できると、より相互に学ぶことが多かろうと思います。 今回の評価問題では、授業を通して育みたい力を評価する上でどのように貢献あるいは課題を残したと考えられるでしょうか。
投稿者:粟屋 祐作 東アジアと中央ユーラシア
コメントへ移動▶2024/02/03 at 9:41 am
投稿者:永福永伍 東アジアと中央ユーラシア
コメントへ移動▶2024/02/05 at 12:36 pm
投稿者:藤本 博 42_日本撤退後のアジアにとって、「冷戦」は「冷たい戦争」だったといえるだろうか?
コメントへ移動▶2024/03/25 at 11:21 am
投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/25 at 4:58 pm
投稿者:佐伯 佳祐 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/25 at 10:38 pm
投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/26 at 6:08 pm
投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/07 at 7:43 pm
投稿者:徳原 拓哉 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/09 at 8:43 am
投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/09 at 11:26 pm
投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 7:33 pm
投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/22 at 6:09 pm
投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/24 at 8:04 am
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 8:59 pm
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 9:22 pm
投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/24 at 5:59 pm
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/25 at 5:37 am
投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/22 at 2:23 pm
投稿者:福崎 泰規 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/23 at 9:42 pm
投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/24 at 10:46 pm
投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/08/25 at 9:00 am
投稿者:髙野晃多 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/09/08 at 11:40 am
投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/10/08 at 9:13 am
投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/08/26 at 2:36 pm
投稿者:壮太 丸小野 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/08/30 at 10:16 pm
投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/10/08 at 9:13 am
投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/27 at 12:52 pm
投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/30 at 1:24 pm
投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/11/02 at 1:16 pm
投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/29 at 10:13 am
投稿者:寺前 駿 ギリシア人の都市国家
コメントへ移動▶2024/11/28 at 12:57 pm
投稿者:加藤 隆浩 ギリシア人の都市国家
コメントへ移動▶2024/11/29 at 5:54 pm
投稿者:寺前 駿 ギリシア人の都市国家
コメントへ移動▶2024/12/06 at 1:32 pm
投稿者:寺前 駿 日本の人種差別撤廃条項案には、どのような問題があったのだろうか?
コメントへ移動▶2024/12/06 at 1:52 pm
投稿者:寺前 駿 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/25 at 6:34 pm
投稿者:寺前 駿 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?
コメントへ移動▶2025/01/25 at 6:35 pm
投稿者:山根友樹 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?
コメントへ移動▶2025/01/31 at 5:37 pm
投稿者:山根友樹 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?
コメントへ移動▶2025/01/31 at 5:42 pm
投稿者:寺前 駿 この戦争をどのようなものとして記憶していくべきでしょうか?
コメントへ移動▶2025/02/01 at 2:45 pm
投稿者:野々山 新 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/25 at 10:45 pm
投稿者:寺前 駿 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/26 at 3:34 pm
投稿者:野々山 新 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/26 at 10:13 pm
投稿者:寺前 駿 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/28 at 12:15 pm
投稿者:野々山 新 賊って何だ?
コメントへ移動▶2025/01/29 at 1:38 pm
投稿者:野々山 新 「歴史総合」2024年度前期中間試験
コメントへ移動▶2025/02/01 at 5:38 pm
投稿者:出﨑 幸史 「歴史総合」2024年度前期中間試験
コメントへ移動▶2025/02/03 at 12:39 pm
投稿者:野々山 新 「歴史総合」2024年度前期中間試験
コメントへ移動▶2025/02/05 at 10:41 am