投稿者:実 佐野 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? はじまして。国士舘大学の佐野実と申します。 現在社会科の教職課程を担当しており、高大連携について理解を深める必要を感じ、つい先日に入会させて頂きました。見当違いのコメントをしておりましたら、どうかお許しください。 私が担当する過程の受講生の多くは、歴史と現在の関係性をあまり意識できておりません。(社会科の教員を志望しておきながらという話ではございますが・・・・・・) 先生のこちらの教材は、ジェンダーという今日の重要な論点が、過去と密接に関係していることを理解させる上でとても魅力的なものに思われました。教職課程の講義で、使わせて頂こうかと思います。 高大連携についてはまだ良く分からず、質問ではなく感想に留まることをどうかお許しください。 もし可能でしたら、実際にこちらをつかって講義された際のお気づきなど、ご教示賜れましたら幸いに存じます。 コメントへ移動▶ 2023/08/31 at 12:03 pm 投稿者:武井 寛太 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? コメントありがとうございます。是非「武井先生からのメッセージ」に記された授業目標論とともにご利用して頂けますと幸いです。 本授業実践は、講義ではなく、学習科学者の三宅なほみが開発した知識構成型ジグソー法という授業手法を用いています。同手法は、複数人の対話のやり取りによって自分の理解の適用範囲が広がること、すなわち理解深化を目的として授業手法であり、単に「話し合いをさせる」ことを目的とした協同学習とは異なります。授業前のアンケートや導入の問い「女性は解放されたか」の回答で、生徒は性差の解放がどのようなものであるかを自覚することができます。エキスパート活動では、3つにわかれた資料でそれぞれ学びながら性差別や生徒自身のアンケート結果に表れるジェンダー観を認識します。ジグソー活動ではそれぞれの資料を持つ3人1組で班をつくり「女性は解放されたか」という問いを対話によって考える中で、自身のジェンダー観それ自体を吟味・検証する機会を得ます。こうして、自らの素朴理論や経験則(ここでいうジェンダー観)を科学的な概念(本授業では法が整備されても差別意識が残れば性差別は残り続けるし、逆にその意識が法制度の整備にもつながる)へと変化させることができると考えています。 歴史授業における知識構成型ジグソー法については、拙稿「概念的理解の習得をめざす知識構成型ジグソー法 ー 構成主義と「指導と評価の一体化」」(『山川歴史PRESS』No.12,2023,https://www.yamakawa.co.jp/yhp)と、星瑞希「生徒の学びから歴史教育における知識構成型ジグゾー法を評価する 」(第8回 高大連携歴史教育研究会大会 2022年7月31日,https://researchmap.jp/mizukihoshi/presentations/39367173)を参考にして下さると幸いです。 生徒はおおむね授業者の想定通り深く学ぶ様子がありました。もちろんアンケート結果から「自分たちが差別する側」であることを突きつけられているため葛藤する様子も見られました(なお形成的評価こそすれど評定には一切組み込まないことを全授業通して伝えています)。具体的な成果物が必要である場合は、武井にまで直接連絡頂ければご対応致します。 コメントへ移動▶ 2023/08/31 at 12:33 pm 投稿者:実 佐野 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対? 大変ご丁寧なお返事を賜り、感激しております。 出張のため、確認が遅れましたこと、なにとぞお許しください。 ジグソー法についてはいろいろ所で目にしてはいたものの、正直良く分かっておりませんでした。まずはこうした、社会科教育の方法に関する概念を理解すへきと痛感いたしました。 重ねてあつく御礼申し上げます。とても勉強になりました。玉稿もご案内頂きましたURLから探し、拝読したく存じます。 今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/09/06 at 2:06 pm 投稿者:山川 志保 市民革命は社会に何を提起したのだろうか、またそこで示されたものは、今の私たちの社会で達成されているのだろうか? 1 問いを表現するの年号に誤植があります。印紙法は1865年ではなく1765年の間違いですのでご訂正をお願いします。 3市民革命〜の方に関しては、年表の部分を訂正しました。連合規約は連合政府の力が「弱い」です。 コメントへ移動▶ 2023/09/06 at 8:33 pm 投稿者:山川 志保 市民革命は社会に何を提起したのだろうか、またそこで示されたものは、今の私たちの社会で達成されているのだろうか? 3市民革命〜のプリントは 1789年13州の批准完了→1790年13州の批准完了が正しいです。ご訂正ください。 コメントへ移動▶ 2024/06/08 at 9:48 pm 投稿者:武井 寛太 帝国主義とメディアの関係 「対話型論証モデル」のご実践の紹介ありがとうございます。 実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか気になりました。共有できる範囲で教えて下さると幸いです。 以下、高大研第二部会の教材共有サイトでも目標論をベースとした「授業理論」を語る言論空間を作りたいという思いを踏まえて、このコメントを読む会員にも発信する意味を含めて、私の関心を述べさせて頂きます。 私自身の課題ではあるのですが、生徒に論理的な対話をさせる実践をしておらず、主張・根拠・論拠がいつも散らかってしまっているような状態にあります。それが生徒の分かり方の現実……と妥協している点もあるのですが、もう一歩、学びを高度化させたいと考えており、松下佳代の「対話型論証モデル」が関心にヒットしました。 ただ、このモデルは、学習科学とは異なり「生徒はどのように学ぶか」という実証から生まれたものではなく、「身に付けさせたい汎用的資質能力は何か」という目標論から具体化されたものであり、ゆえに「生徒ができるようになる」ことを保証する手法ではありません。どうすれば「生徒は主張・根拠・論拠を説明することができるようになるのか」、そのための手立ては何か、を考えていきたいと思っています。 ここで、落水先生の教材を拝見いたしますと、おそらく 主張A「メディアは帝国主義を正当化した」B「メディアは帝国主義を批判した」 事実A「正当化の資料=プロパガンダ」B「批判する資料」 という関係になるのかと思うのですが、 論拠(根拠が妥当であることの説明)は、メディアがどれほど自国の国民のプロパガンダとして機能したか、メディアはどの程度政府の非人道的な政策を牽制したか、を挙げると説明になるのかなと思いました。資料をもとにこれらの論拠を証明することも可能ですが、授業者もそれを集めることは難しいので、A「帝国主義による支配は20世紀になっても続いており、大衆化の時代にはプロパガンダは強く機能した」とか、B「インターナショナルが結成されたり、第一次世界大戦後には植民地とはもはや呼べず『委任統治領』として表現せざるを得ないほど非人道的な政策は正当化できないものへと変わっていった」といった教科書ベースの知識から論拠を上げることができそうだと思いました。 一方で、いずれにせよ「論拠」の示し方はかなり高度だとも思います。私が挙げた論拠も論理的か自信もないです。 以上が私の関心と問題意識です。この観点から、冒頭の問い「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」についてお答えいただけますと幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/09/29 at 11:29 am 投稿者:落水裕大 (OCHIMIZU Yudai) 帝国主義とメディアの関係 武井先生、コメントありがとうございます。 武井先生からのご質問「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」につきましては、事情により回答に少し時間を要します。今しばらくお待ちください(もしお答えできなかったらすみません)。 ただ、一つ言えることは、論拠を教科書ベースの知識から拾い上げる生徒はごく少数であり、事実(データ)の史料の部分から主張と結びつけるための論拠を生徒なりに考察していたような感じがします。半年以上前の実践になりますので、微かな記憶を頼りに、今、文章を書いています(間違っていたらすみません)。 如何せん、データや主張の部分は比較的すぐに書けるのですが、論拠の部分は非常に悪戦苦闘していたような気がします。この辺りは松下先生も指摘されていたことと思います。 ただ、実はこの実践を行う前に、アヘン戦争のところでも対話型論証を用いた授業を行なっており、その時に比べると比較的、論拠は書けていたかと思います(私の感覚になってしまうのですが)。 以上、回答になっているかどうかわかりませんが、私からの回答とさせてください。 コメントへ移動▶ 2023/09/29 at 5:22 pm 投稿者:寺前 駿 日露戦争後の日本はアジアのリーダーなのか? 和歌山県立和歌山北高等学校の寺前駿です。山本先生の教材、大変興味深く拝見しました。特に、近代の日本のアジアでの位置付けという歴史的な内容から、生徒たちが集団の中で協調し成長してほしいという考えのもとに作られたというところに特徴を感じました。 そこでいくつか質問があります。1つ目は、なぜディベートの形式を採用したのでしょうか。また、このディベートでの生徒の様子、資料など根拠をもとに論理的に発言出来ていたか等もお伝えできる範囲でお願いします。 2つ目は、ディベートの性質上、生徒の立場が固定されますが、最後のフォームズで提出する生徒自身の考え、今回であれば「日本はアジアのリーダーなのか?」とのズレはありましたでしょうか。例えば、「日本はアジアのリーダーである。」の資料の方を読み取った生徒の方が、自身の考えとしても「日本はアジアのリーダーである。」になる傾向があったなどのことが分かれば教えてください。一方、「日本はアジアのリーダーではない。」との資料を読み取った生徒が、この考え方もわかるが私の考え方とは違うといった場合もあったのでしょうか。また、生徒自身の考えで「日本はアジアのリーダーである。」との意見を資料1,2を根拠にすると、帝国主義的な思想を肯定する内容になる可能性がある気がするのですが、そのような生徒はいましたでしょうか。また、そのような生徒に対して、どのような対応をされたかのでしょうか。 多くの質問をしてしまい申し訳ございません。ただ、私とほぼ同世代の先生が、意欲的に授業作りをされている姿勢をみて、私も生徒が考え自らの意見を形成するような授業を作りたいとの思いが更に強まりました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/10/03 at 7:49 am 投稿者:小林克史 大衆化の時代 神奈川県立厚木清南高等学校の小林と申します。「問いを作る」ことはやってこなかったので、新鮮でした。問いを作るのは非常に難しいと思っていたのですが、問いを作るためのステップが、これならうちの生徒もできるのでは、と思えたのが大収穫でした。ありがとうございました。以前、他の学校で自習課題として「教科書で大事だと思う単語を書き出し、その説明も書きなさい」というものをやりましたが、なぜ大事だと思ったのかを書かせれば、もっと良かったと思いました。 コメントへ移動▶ 2023/10/03 at 7:22 pm 投稿者:千葉響 大衆化の時代 小林先生 コメントありがとうございます。 この実践のミソは大谷翔平が目標設定で使用しているマンダラチャートを応用しています。マンダラが一年間取り組むと大きく一つ出来上がり、それ自体学習履歴の確認になりますし、成果物になります。中央に概念用語を入れ、周りに関連用語を配する形で用語を選定出来るかが鍵になっています。例えば真ん中に大衆化と入れた場合、周りに入るのはそれに関係する語を配することになります。この単元が第二部だとすると、第一部の近代化では真ん中を入れてあげて考えさせるのも一つ手かもしれません。また、大衆化について論じるレポートを総括課題で出したい場合にもビンゴーは効力を発します。ビンゴーの用語9つを使用して大衆化を説明させるなど、さまざまな展開に使用できるのではと考えています。レベルを引き上げる場合は9マスではなく、15マスにするのも手かもしれません。さまざまな展開が考えられ、まだまだこれから可能性を探っていきたいと考えています。 コメントへ移動▶ 2023/10/03 at 8:03 pm 投稿者:千葉響 大衆化の時代 申し訳ございません。15マスではなく、25マスでした。 コメントへ移動▶ 2023/10/03 at 8:10 pm 投稿者:堀井 弘一郎 日露戦争後の日本はアジアのリーダーなのか? わかりやすい資料を活用したプリントと独自の授業スタイル、大いに参考になりました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/10/05 at 8:56 am 投稿者:濵野 優貴 日本の占領統治と「民主的」改革は、 新たな国際秩序ではどう位置づけられていたか? いつも参考にしております。 滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 資料♥は、「ソ連が、日本の占領統治をアメリカが主導しソ連が影響力を発揮できなかったことに反発して、民族自決の原則を尊重せず、中東欧での影響力拡大を図った」といった文脈だと理解しました。 このあたりの歴史にあまり詳しくない故かもしれませんが、中東欧の大衆が実際にソ連との協力関係を望んでいたとは言えないのでしょうか? 中東欧の人々自身が、自分たちをナチスから「解放」してくれたソ連との協力を望んでいた場合、その時点において、ソ連との協力を強化することは、民族自決の結果とはいえないだろうか?と思いました。 コメントへ移動▶ 2023/12/02 at 3:50 pm 投稿者:佐伯 佳祐 日本の占領統治と「民主的」改革は、 新たな国際秩序ではどう位置づけられていたか? お世話になっております。 返信が遅くなり申し訳ございません。 ご指摘の部分の記述は、ペーター・ガイス・ギョーム・ル・カントレック監修/福井憲彦・近藤孝弘監訳『世界の教科書シリーズ23 ドイツ・フランス共通歴史教科書 1945年以降のヨーロッパと世界』のp48本文記述を参考に作成したものです。 以下、本文を引用します。 「中欧・東欧に広がるソ連の影響力 戦争が最終的な局面を迎えるころになると、ソ連は民族自決権を尊重する意思のないことをはっきりと表すようになった。しかし民族自決こそ、西側諸国が主張していた原理であった。こうして1944年夏、スターリンは、ソ連の影響下に樹立された共産党政府「ポーランド国民解放委員会」(別名「ルブリン委員会」)を、ポーランド唯一の政権として認め、ロンドンに亡命していた正当な民主主義政府の帰還を拒否した。 戦後になるとソ連指導部は、ソ連の影響下に置かれていた国々に、共産主義者が支配する政府を次々に樹立していった。そうした国々とソ連のつながりは、二国間同盟条約によって、また各国共産党とソ連共産党との密接な関係によって確固としたものになった。」 また、山川出版社『詳説世界史研究』p511には次のようにあります。 「戦後東欧では、大戦末期に形成された対独抵抗組織の統一戦線が権力を握り、共産党・社会民主党・農民党・ブルジョワ政党などによる連立政権が誕生した。これらの政権のもとで、徹底した農地改革による地主制の一掃と大工業の国有化が行われた。しかし、冷戦の本格化とともにソ連の後押しをうけた共産党が勢力を伸ばし、ポーランドでは1947年の総選挙で露骨な選挙干渉が行われ、ポーランド労働者党(共産党)が大勝した。 こうして、1947年末までにチェコスロバキアを除いてポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア・アルバニアでは、人民民主主義の名のもとに事実上共産党一党独裁体制が敷かれた。以後、冷戦の進行のなかで各国の歴史的発展や深刻な民族問題を無視して、ソ連型の中央統制的計画経済による工業化と農業の集団化が強行された。選挙や議会は全く形式的なものとなり、各国共産党の指導者にはソ連の以降に従順な人物が配置された。」 これらから、共産主義やソ連との協力を望む人も各国にはいた(しかしそれは東欧に限らずどの国にもいた)けれども、そのような一部の勢力を足掛かりに利用することで「民族自決」風の体裁を繕って、実際にはソ連がソ連にとって都合の良い政権を強行的に作らせていった、という理解をしております。 コメントへ移動▶ 2024/01/10 at 3:01 pm 投稿者:小林克佳 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの? 千葉県公立高校に勤務している小林と申します。 プリント内で引用されている『本当の貧困の話をしよう』は大変良い資料だと思うのですが、「7人に1人」という具体的な数字であったり、「ひとり親世帯では、2 世帯に 1 世帯が貧困」という語が出てきたりと、直接的な表現がされています。 教室内でも該当する生徒はいるかと思いますが、この資料の使用にあたって、例えば事前にひとり親世帯の生徒に話をしておくなど、事前に準備したことはありますか?私の授業でも使用したいのですが、生徒を傷つけてしまわないか不安な面があります。また、授業後に生徒からどのような反応があったでしょうか。お聞かせいただけると幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/12/20 at 12:11 pm 投稿者:野々山 新 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの? ご質問ありがとうございます。導入として利用した引用資料に共感していただき、嬉しく思います。この資料を引用した意図は、先生がご懸念なさっているこれまでのタブーともされている家庭環境など生徒たちの私的領域に踏み込みうるような状況に対して、真摯に向き合っていく必要があると挑戦することを目指した点にあります。校内にも存在する社会的問題を不可視化することは、解決にはつながらないと思うためです。 ご質問の点については、事前に生徒への配慮は行っておりません。それどころか、7分の1という割合からも「校内にも、このクラスにも存在するはずである」とすら伝えています。しかし、この問題は貧困を生産する社会的構造に原因の一つがあるのだという点にこそ強調をし、その歴史的経緯を共に学んでいき、解決に向けた展望を抱こうとする単元構成を取ったつもりであります。こうした目標が達成できそうかどうか、単元全体を踏まえてご批判いただけると大変嬉しく思います。 授業後の生徒からの反応というご質問については、単元最後のパフォーマンス課題に対する生徒の主張の一端をお伝えしてみようと思います。量的に傾向を精緻に分析したわけではないのですが、格差や貧困の問題が歴史的に構築されてきたこと、その解決は目指されてきたものの今でも苦しむ人々が存在すること、解決に向けた展望として社会的な支援が必要であることを指摘する生徒が多かったのです。年度当初の単元なので粗削りではありますが、私としては「ケア」の視点に立脚している表現や、構造的暴力の存在に気付く萌芽が見られていて、指導要領が例示する「平等・格差」の問題を生徒とともに考えることができたのかなと感じていたところでした。もしかしたら1時間目の時点では苦しい思いをした生徒がいたかもしれません。この点は聞き取りをしていないのでわかりません。ただ、単元全体を通して見ると、直視したからこそ共に生きるために悩み、共感し、葛藤することにつながっていったのではないかと思っています。この点は、信念に近いところがありますので、ぜひご批判ください。これからもご指導いただけますと幸いです。 コメントへ移動▶ 2023/12/24 at 11:22 am 投稿者:濵野 優貴 あなたは、「歴史を見ないで楽しいところだけを見るのは文化の消費だ」という意見に対して、どの程度、同意しますか? 滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。興味深く拝読しました。 立命館守山は私自身の母校でもあり、同一県内にこのような実践をされている方がおられると知って、いっそう刺激を受けました。 滋賀歴史教育者協議会の会員なのですが、例会でご報告をご検討いただけませんか? 私自身がお話をお伺いしたいのとともに、ほかの会員も勉強になると思います。 もしよければご検討ください。 コメントへ移動▶ 2023/12/27 at 11:41 pm 投稿者:濵野 優貴 核兵器はなぜなくならないのか? 5ページ目の「右の風刺画は、このころの日本の国際状況を表しているように思われます(近藤日出造作)。この絵には題名がありますが、ここまでの学習をふまえて、この絵にあなたのオリジナルの題名をつけてみましょう。 (思考・判断・表現)」の風刺画の原典について知りたいのですが、公式のタイトルは何でしょうか? 風刺画そのものを画像検索しても見つかりませんでした。 コメントへ移動▶ 2024/01/09 at 2:46 pm 投稿者:粟屋 祐作 東アジアと中央ユーラシア 永福永伍先生 素晴らしい教材を拝見いたしました。 ぜひ参考にさせていただきます。 コメントへ移動▶ 2024/02/03 at 9:41 am 投稿者:永福永伍 東アジアと中央ユーラシア 粟屋祐作先生 拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/02/05 at 12:36 pm 投稿者:藤本 博 42_日本撤退後のアジアにとって、「冷戦」は「冷たい戦争」だったといえるだろうか? 「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。 ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。 とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員) コメントへ移動▶ 2024/03/25 at 11:21 am 投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く 広島の地域性と、学校という生徒の置かれた場を教員側が強く意識し、「校則」(のなかでもおそらくは高校性が関心を持ちやすい制服問題)という生徒にとって身近な論題から、歴史とは、事実とは?といった本質的(哲学的?)なテーマに迫っていこうとする魅力的な教材と拝察しました。 もし差し支えなければ、京都教育大学の日本史ゼミ(大学3・4年生対象:15人)での授業研究素材として紹介・検討すること(ダウンロードして、GoogleClassroomで共有する)をお認めいただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。 授業は連休明けを予定しているので、急ぎませんので、お手すきの際にお返事頂戴できると幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/04/25 at 4:58 pm 投稿者:佐伯 佳祐 「校則」から歴史の扉を開く 中村先生 お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。 授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2024/04/25 at 10:38 pm 投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く 佐伯先生 中村です。ご快諾くださり、ありがとうございます。改めて授業での話など、お知らせ致します。とりいそぎ、まずはお礼申し上げます。 コメントへ移動▶ 2024/04/26 at 6:08 pm 投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。 1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。 2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/07/07 at 7:43 pm 投稿者:徳原 拓哉 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) 徳原です。本設問は、以前にアップしている「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」「「せかい」と「せかい」が結びつくって?<2>」で身につけることを狙った、「せかい」「ちいき」概念の問い直し、についての考え方を基本として初見資料等を用いて作成しています。前掲の2つの教材単元については、拙稿「問いのフラクタル構造」に基づいて、概念の立体的把握を目指した再帰的な構造体をとっています。本考査においては、それら単元の学びを踏まえ、おおよそ55~60%程度の得点率になるように設計しました。結果としては全体として62%の得点率であり、難易度コントロールとしてはやや失敗しました。一方で、生徒の思考過程をその後インタビューを通じて追跡した結果は、上述したアプローチをとっている生徒も多く、ある程度の成果を見込んでいます。これ以降の分析は、引き続きとなります。2点目について、これは「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」で引用している、羽田正らの「イスラームは”世界”なのか」論争に接続することを狙った設問です。つまりは,あるひとまとまりのイスラームを考察するにあたってはその流動性、多元性といった点を踏まえた時に、「世界」という枠に落とし込むことには課題(教育的”便利さ”はおいておくとしても)、その際に、この地域における「せかい」概念を脱臼させるには、イスラームの多元化と合わせて考察することを重要と考え、資料として教材に盛り込んだものです。本設問では、直接授業で取り上げた史料ではありませんが、上述の点を踏まえると、イスラームの多元化、カリフ権力の変容、地方の変容、仰るところの観点を踏まえて、考察が可能だと思い、取り上げた次第です。 コメントへ移動▶ 2024/07/09 at 8:43 am 投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章) 寺前です。徳原先生ご返信ありがとうございます。 ご紹介いただいた分析の続きについて、もしどこかでご報告されるときがありましたら楽しみにしております。 私自身、現在主義の視点から「イスラーム世界」という言葉を安易に使ってしまうことを反省しました。「せかい」概念の立体的把握を目指すための授業内容そして考査内容と接続がされていること、つまり、目標論と教材論の接続がなされており、とても私自身の今後の学びの参考になりました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/07/09 at 11:26 pm 投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。 2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 7:33 pm 投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 寺前先生 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。 〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。 コメントへ移動▶ 2024/07/22 at 6:09 pm 投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 今村先生、ありがとうございます。 1つ目のところは、私であれば破壊活動を起こす人々がなぜそういった行動にいたったのかの背景を考える時間を多く取りたいと思いました。奴隷商人の銅像の破壊のところだけを切り取るのではなく、それまでのBLMの経緯を取り上げることをしたいと思いました。ただ今村先生の意図は周りの人々がどう受け取るのかというところですので、私が考えるところとずれるかもしれません。 また羽村高校という文脈を踏まえた「ミセス」の件を受けての生徒の受け止め方について大変参考になりました。ありがとうございます! コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 8:04 am 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 恐れ入ります。横浜国際高等学校、徳原と申します。アメリカ黒人史を末席で学ぶ身として、お伺いしたいことがございます。この教材が内包する歴史観において、ムーヴメントにおけるVandalism(破壊行為)、また「暴力」は、どう位置づけられているのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 8:59 pm 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 連投大変失礼いたします。これはまた、先生の中ではいかなる意味でPublic Historyなのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2024/07/19 at 9:22 pm 投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 徳原先生 ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。 〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。 不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 5:59 pm 投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」 今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。 ①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。 ②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等) 先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/07/25 at 5:37 am 投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。 1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/07/22 at 2:23 pm 投稿者:福崎 泰規 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 寺前先生、コメントありがとうございます(色々教材をアップしていますが、初めてコメントいただくのでとても嬉しいです笑)。 さてご質問への回答ですが、まず拙稿で述べている「課題」は、「授業を通して育成を目指してきた資質・能力と、定期考査を通して測定する資質・能力との間にギャップがあると一定数の生徒が感じていたこと」でした。この点については、昨年度そして今年度と教科内で議論しながら作問を重ねることで、教科内で「歴史総合の考査問題とはこういうものだ」という共通認識を持つことができ、初年度に比べればかなり授業と考査のギャップは小さくなっています。 一方で、今回のような実践で育成を目指す資質・能力(三観点にあてはめると「主体的に学習に取り組む態度」の範疇に入るかと思います)を、定期考査で測ることはそもそも想定していません。そもそも筆記テストでの測定が馴染まない資質・能力だと考えており、学習者が持つ資質・能力を発揮した成果物を見取ることでそれは測れるわけですから、筆記テストで「主体的に学習に取り組む態度」(あるいは本実践に即せばエージェンシー)を無理に測ろうとしなくてもよいと考えています。 なお、「主体的に学習に取り組む態度」を最終的に観点別学習状況として生徒に返す際には、拙稿にも挙げましたが鈴木(2021)を参考に、①「知識・技能」と「思考・判断・表現」の観点別学習状況を定期考査や単元ごとのワークシートなどから見取り、②その二観点をもとにして機械的に暫定的な「主体的に学習に取り組む態度」の観点別学習状況を定めた上で、③本実践の成果物に対する評価(中学生のコメントやスライドの出来栄え)のうち顕著に良い/悪いものがあれば「主体的に学習に取り組む態度」の暫定評価に反映させる、という形で成績処理を行っており、このような形で本実践を年間の観点別学習状況の評価に組み込んでいます。 コメントへ移動▶ 2024/07/23 at 9:42 pm 投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!― 福崎先生、ありがとうございます。 「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法についてどうすれば良いのか、多くの人数を評価することの業務の多忙さとの兼ね合いもありながらの参考にとてもなりました。 コメントへ移動▶ 2024/07/24 at 10:46 pm 投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」 寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/08/25 at 9:00 am 投稿者:髙野晃多 原爆投下と「ワタシタチ」 ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 下記、ご質問への返答になります。 ①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。 ②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。 髙野 晃多 (KOTA TAKANO) - マイポータル - researchmap http://researchmap.jp また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html ③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。 ④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。 コメントへ移動▶ 2024/09/08 at 11:40 am 投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」 返信が遅れてしまい申し訳ございません。 ご質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。私自身、無意識のうちに(私のこれまでの経験が影響を受けて)「被害」の側面を多く取り上げる授業実践をしていました。「「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要」との言葉にとても共感しました。自身が「加害に加担している」と自覚することはとても辛く、希死念慮をもつこともありますが、それでも丁寧に聴くことが大切だと改めて強く思いました。ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2024/10/08 at 9:13 am 投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 寺前駿です。博物館所蔵資料に関する教材ということでMLA機関に所属する私としてもとても参考になりました。また高大連携の視点も昨年度まで大学教員と連携していた者としても今後の活動の参考になりました。 私は古代オリエント史を学ぶ必要はないとは考えていませんが、「ねらいについての議論」は重要だと思うので、1つ質問させてください。 丸小野先生が考える、今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史を学ぶ必要性を教えてください。学習指導要領が改正され、「世界史」が必修から選択になり、「世界史」における古代史を学ぶ生徒が減ったと思います。新たに生まれた歴史総合は、私自身とても重要な科目だと思っているのですが、生徒たちから空間的にも時間的にも遠く離れた歴史を学ぶ機会が減少することには少し危機感をもっています。そこでアッシリア史を専門とされる丸小野先生からみた古代オリエント史を高校生が学ぶ理由を教えていただければと思います。私の中では、現在主義や西洋中心主義からの脱却や「国」のあり方、人々の移動の視点かとは思っていますが、古代オリエント史である必要性という点からしっくりくる答えが持てていません。もしくは、アッシリア史を専門とされている丸小野先生だからこその授業として古代オリエント史に重点が置かれるということなのでしょうか。 教材の中身というよりも大きな範囲かつとても重たい質問で申し訳ございません。よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/08/26 at 2:36 pm 投稿者:壮太 丸小野 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 寺前先生 お世話になっております。常磐大学高等学校の丸小野壮太です。ご質問ありがとうございました。お返事が遅くなり申し訳ありません。高大連携歴史教育研究会第2部会「ねらいについての議論」にも関連し、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけ(今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史、特にアッシリア史を学ぶ必要性)について重要な問いですね。なお、古代オリエント史は多様なテーマを内包しているのでアッシリアに特化して論じたいと思います。例えば、最近出版された山田重郎(2024)『アッシリア帝国 人類最古の帝国』筑摩書房, pp.19-22. において以下のような興味深い記述がありました。以下、一部引用します。「アッシリアは、ヨーロッパ世界の東隣に位置する、古代ギリシアに時間的に先行する西欧文明の源の一部として認識されることが多い。そのために、時間的にも空間的にも隔てられた西欧的な脈絡に属するものとして、いわば「他人事」のように考えられがちである。」(p.20.) ここからも欧米ではなく日本で生活する生徒たちにとってアッシリアは「自分事」ではなく「他人事」であることは明らかです。そこで、山田重郎(2024)は「アッシリアはアケメネス朝ペルシアに先立ち西アジアに成立した帝国の原型として人類史における注目すべき国家であり、古代世界にあって、きわめて多くの考古遺物と文書を通じて、驚くべき詳細さでその個性的な歴史と文化を知ることのできる出色の歴史的事象である。」(p.20.)と主張しています。一方、これだけでは、今を生きる生徒たちが、他の地域・時代ではなくアッシリアを学ぶ必要性は感じられないでしょう。私見ですが、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけは以下の2点にように考えています。第一に、現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリアです。例えば、筑波大学西アジア文明研究センター編(2014)『西アジア文明学への招待』悠書館でも古代オリエント世界/古代西アジア世界は都市、文字、国家、宗教、法律、食物などが誕生した時代・地域のように現代文明の基層になります。特にアッシリアは数多くの資料が現存するかつ文明の成熟期であることから現代文明の基層としての特色がより鮮明に読み取ることができます。これは山田重郎(2024)の主張とも重なります。第二に、アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたことです。例えば、佐藤育子・丸小野壮太(2024)「歴史学と歴史教育の対話に基づいた開かれた古代地中海世界史研究の構築」『ヘレニズム〜イスラーム考古学研究2023』pp.9-14.ではアッシリア帝国も含まれる開かれた古代地中海世界史研究の枠組みでまとめました。特に本授業実践の主題:近現代史と古代史の越境について以下のような方法論と内容論の意義を考えています。まず、方法論としては身近にある事例について比較することを通して歴史的特色をより鮮明に浮かび上がらせ、相対化を可能にしていく時空間拡大作用の対話[小川幸司(2023)『シリーズ歴史総合を学ぶ③世界史とは何か―「歴史実践のために―」』岩波新書]を行います。これを継続することでシティズンシップ教育にもつながる視点を育成できます。また、内容論としては人々の移動にともなう他者との協働によって生じた文化交流・文化変容が移住・移民・難民などの今日的問題とも深く連関することを想起させ、現代社会において古代オリエント史を考える意義を問題提起できます。これは寺前先生のお考えの「「国」のあり方や人々の移動の視点」とも重なります。いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。丸小野壮太 コメントへ移動▶ 2024/08/30 at 10:16 pm 投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業 返信が遅れてしまい申し訳ございません。回答ありがとうございます。「現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリア」「アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたこと」との視点、大変参考になりました。特にアイデンティティの構築の視点について詳しく学びたいと思いました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/10/08 at 9:13 am 投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 和歌山県立文書館の寺前駿です。 「歴史にはない」との点について質問をさせてください。現在、参加している第2部会の授業理論WGにおいて、大学時代に歴史学を専攻していた教員は、歴史のifを授業のなかで用いることに抵抗感があるとの話題が上がりました。私自身、この抵抗感の正体について、様々な先生方の意見を伺いたいと感じていました。 そこで、テキストのなかで「 ◯「もし」の問いについて、考えてみよう。 ・歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか? ・歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」の部分の中村先生の想定していた答えは何か教えてください。 また、今回では「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由もあわせて教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。 コメントへ移動▶ 2024/10/27 at 12:52 pm 投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? ❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。 大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」 このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。 ❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。 ❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。 ❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。 コメントへ移動▶ 2024/10/30 at 1:24 pm 投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 中村先生、丁寧な返信ありがとうございます。とても参考になりました。特に、「「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。」や「事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です」の部分がとても共感しました。一方で、高校生に向けた授業でどのように落とし込むかと考えると、とても難しいとの印象も抱きました。 ただ、中村先生が取り上げていらっしゃる「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」を見て、具体的な例の1つを知ることができ、非常に参考になりました。また、私自身が授業に落とし込む際に難しいと考えてしまっているのは、近現代の単発の事例だけを考えていたせいなのかとも思いました。中村先生のように前近代の授業のときから近現代のことを視野に入れた取り組みをとりいれ、年間の授業計画をつくることによって、近現代の事例でも、授業に上手く落とし込むことができるヒントがあるように思いました。 大変、参考になりました。ありがとうございます。 コメントへ移動▶ 2024/11/02 at 1:16 pm 投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・? 中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。 これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。 ❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。 個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。 コメントへ移動▶ 2024/10/29 at 10:13 am 1 2 3 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はじまして。国士舘大学の佐野実と申します。 現在社会科の教職課程を担当しており、高大連携について理解を深める必要を感じ、つい先日に入会させて頂きました。見当違いのコメントをしておりましたら、どうかお許しください。 私が担当する過程の受講生の多くは、歴史と現在の関係性をあまり意識できておりません。(社会科の教員を志望しておきながらという話ではございますが・・・・・・) 先生のこちらの教材は、ジェンダーという今日の重要な論点が、過去と密接に関係していることを理解させる上でとても魅力的なものに思われました。教職課程の講義で、使わせて頂こうかと思います。 高大連携についてはまだ良く分からず、質問ではなく感想に留まることをどうかお許しください。 もし可能でしたら、実際にこちらをつかって講義された際のお気づきなど、ご教示賜れましたら幸いに存じます。
コメントありがとうございます。是非「武井先生からのメッセージ」に記された授業目標論とともにご利用して頂けますと幸いです。 本授業実践は、講義ではなく、学習科学者の三宅なほみが開発した知識構成型ジグソー法という授業手法を用いています。同手法は、複数人の対話のやり取りによって自分の理解の適用範囲が広がること、すなわち理解深化を目的として授業手法であり、単に「話し合いをさせる」ことを目的とした協同学習とは異なります。授業前のアンケートや導入の問い「女性は解放されたか」の回答で、生徒は性差の解放がどのようなものであるかを自覚することができます。エキスパート活動では、3つにわかれた資料でそれぞれ学びながら性差別や生徒自身のアンケート結果に表れるジェンダー観を認識します。ジグソー活動ではそれぞれの資料を持つ3人1組で班をつくり「女性は解放されたか」という問いを対話によって考える中で、自身のジェンダー観それ自体を吟味・検証する機会を得ます。こうして、自らの素朴理論や経験則(ここでいうジェンダー観)を科学的な概念(本授業では法が整備されても差別意識が残れば性差別は残り続けるし、逆にその意識が法制度の整備にもつながる)へと変化させることができると考えています。 歴史授業における知識構成型ジグソー法については、拙稿「概念的理解の習得をめざす知識構成型ジグソー法 ー 構成主義と「指導と評価の一体化」」(『山川歴史PRESS』No.12,2023,https://www.yamakawa.co.jp/yhp)と、星瑞希「生徒の学びから歴史教育における知識構成型ジグゾー法を評価する 」(第8回 高大連携歴史教育研究会大会 2022年7月31日,https://researchmap.jp/mizukihoshi/presentations/39367173)を参考にして下さると幸いです。 生徒はおおむね授業者の想定通り深く学ぶ様子がありました。もちろんアンケート結果から「自分たちが差別する側」であることを突きつけられているため葛藤する様子も見られました(なお形成的評価こそすれど評定には一切組み込まないことを全授業通して伝えています)。具体的な成果物が必要である場合は、武井にまで直接連絡頂ければご対応致します。
大変ご丁寧なお返事を賜り、感激しております。 出張のため、確認が遅れましたこと、なにとぞお許しください。 ジグソー法についてはいろいろ所で目にしてはいたものの、正直良く分かっておりませんでした。まずはこうした、社会科教育の方法に関する概念を理解すへきと痛感いたしました。 重ねてあつく御礼申し上げます。とても勉強になりました。玉稿もご案内頂きましたURLから探し、拝読したく存じます。 今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
1 問いを表現するの年号に誤植があります。印紙法は1865年ではなく1765年の間違いですのでご訂正をお願いします。 3市民革命〜の方に関しては、年表の部分を訂正しました。連合規約は連合政府の力が「弱い」です。
3市民革命〜のプリントは 1789年13州の批准完了→1790年13州の批准完了が正しいです。ご訂正ください。
「対話型論証モデル」のご実践の紹介ありがとうございます。 実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか気になりました。共有できる範囲で教えて下さると幸いです。 以下、高大研第二部会の教材共有サイトでも目標論をベースとした「授業理論」を語る言論空間を作りたいという思いを踏まえて、このコメントを読む会員にも発信する意味を含めて、私の関心を述べさせて頂きます。 私自身の課題ではあるのですが、生徒に論理的な対話をさせる実践をしておらず、主張・根拠・論拠がいつも散らかってしまっているような状態にあります。それが生徒の分かり方の現実……と妥協している点もあるのですが、もう一歩、学びを高度化させたいと考えており、松下佳代の「対話型論証モデル」が関心にヒットしました。 ただ、このモデルは、学習科学とは異なり「生徒はどのように学ぶか」という実証から生まれたものではなく、「身に付けさせたい汎用的資質能力は何か」という目標論から具体化されたものであり、ゆえに「生徒ができるようになる」ことを保証する手法ではありません。どうすれば「生徒は主張・根拠・論拠を説明することができるようになるのか」、そのための手立ては何か、を考えていきたいと思っています。 ここで、落水先生の教材を拝見いたしますと、おそらく 主張A「メディアは帝国主義を正当化した」B「メディアは帝国主義を批判した」 事実A「正当化の資料=プロパガンダ」B「批判する資料」 という関係になるのかと思うのですが、 論拠(根拠が妥当であることの説明)は、メディアがどれほど自国の国民のプロパガンダとして機能したか、メディアはどの程度政府の非人道的な政策を牽制したか、を挙げると説明になるのかなと思いました。資料をもとにこれらの論拠を証明することも可能ですが、授業者もそれを集めることは難しいので、A「帝国主義による支配は20世紀になっても続いており、大衆化の時代にはプロパガンダは強く機能した」とか、B「インターナショナルが結成されたり、第一次世界大戦後には植民地とはもはや呼べず『委任統治領』として表現せざるを得ないほど非人道的な政策は正当化できないものへと変わっていった」といった教科書ベースの知識から論拠を上げることができそうだと思いました。 一方で、いずれにせよ「論拠」の示し方はかなり高度だとも思います。私が挙げた論拠も論理的か自信もないです。 以上が私の関心と問題意識です。この観点から、冒頭の問い「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」についてお答えいただけますと幸いです。
「対話型論証モデル」のご実践の紹介ありがとうございます。 実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか気になりました。共有できる範囲で教えて下さると幸いです。
以下、高大研第二部会の教材共有サイトでも目標論をベースとした「授業理論」を語る言論空間を作りたいという思いを踏まえて、このコメントを読む会員にも発信する意味を含めて、私の関心を述べさせて頂きます。 私自身の課題ではあるのですが、生徒に論理的な対話をさせる実践をしておらず、主張・根拠・論拠がいつも散らかってしまっているような状態にあります。それが生徒の分かり方の現実……と妥協している点もあるのですが、もう一歩、学びを高度化させたいと考えており、松下佳代の「対話型論証モデル」が関心にヒットしました。 ただ、このモデルは、学習科学とは異なり「生徒はどのように学ぶか」という実証から生まれたものではなく、「身に付けさせたい汎用的資質能力は何か」という目標論から具体化されたものであり、ゆえに「生徒ができるようになる」ことを保証する手法ではありません。どうすれば「生徒は主張・根拠・論拠を説明することができるようになるのか」、そのための手立ては何か、を考えていきたいと思っています。 ここで、落水先生の教材を拝見いたしますと、おそらく 主張A「メディアは帝国主義を正当化した」B「メディアは帝国主義を批判した」 事実A「正当化の資料=プロパガンダ」B「批判する資料」 という関係になるのかと思うのですが、 論拠(根拠が妥当であることの説明)は、メディアがどれほど自国の国民のプロパガンダとして機能したか、メディアはどの程度政府の非人道的な政策を牽制したか、を挙げると説明になるのかなと思いました。資料をもとにこれらの論拠を証明することも可能ですが、授業者もそれを集めることは難しいので、A「帝国主義による支配は20世紀になっても続いており、大衆化の時代にはプロパガンダは強く機能した」とか、B「インターナショナルが結成されたり、第一次世界大戦後には植民地とはもはや呼べず『委任統治領』として表現せざるを得ないほど非人道的な政策は正当化できないものへと変わっていった」といった教科書ベースの知識から論拠を上げることができそうだと思いました。 一方で、いずれにせよ「論拠」の示し方はかなり高度だとも思います。私が挙げた論拠も論理的か自信もないです。 以上が私の関心と問題意識です。この観点から、冒頭の問い「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」についてお答えいただけますと幸いです。
武井先生、コメントありがとうございます。 武井先生からのご質問「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」につきましては、事情により回答に少し時間を要します。今しばらくお待ちください(もしお答えできなかったらすみません)。 ただ、一つ言えることは、論拠を教科書ベースの知識から拾い上げる生徒はごく少数であり、事実(データ)の史料の部分から主張と結びつけるための論拠を生徒なりに考察していたような感じがします。半年以上前の実践になりますので、微かな記憶を頼りに、今、文章を書いています(間違っていたらすみません)。 如何せん、データや主張の部分は比較的すぐに書けるのですが、論拠の部分は非常に悪戦苦闘していたような気がします。この辺りは松下先生も指摘されていたことと思います。 ただ、実はこの実践を行う前に、アヘン戦争のところでも対話型論証を用いた授業を行なっており、その時に比べると比較的、論拠は書けていたかと思います(私の感覚になってしまうのですが)。 以上、回答になっているかどうかわかりませんが、私からの回答とさせてください。
武井先生、コメントありがとうございます。
武井先生からのご質問「実際、生徒は主張・根拠(データ)・論拠という三角ロジックの部分をどのような思考過程を経て記述したのか」につきましては、事情により回答に少し時間を要します。今しばらくお待ちください(もしお答えできなかったらすみません)。
ただ、一つ言えることは、論拠を教科書ベースの知識から拾い上げる生徒はごく少数であり、事実(データ)の史料の部分から主張と結びつけるための論拠を生徒なりに考察していたような感じがします。半年以上前の実践になりますので、微かな記憶を頼りに、今、文章を書いています(間違っていたらすみません)。
如何せん、データや主張の部分は比較的すぐに書けるのですが、論拠の部分は非常に悪戦苦闘していたような気がします。この辺りは松下先生も指摘されていたことと思います。
ただ、実はこの実践を行う前に、アヘン戦争のところでも対話型論証を用いた授業を行なっており、その時に比べると比較的、論拠は書けていたかと思います(私の感覚になってしまうのですが)。
以上、回答になっているかどうかわかりませんが、私からの回答とさせてください。
和歌山県立和歌山北高等学校の寺前駿です。山本先生の教材、大変興味深く拝見しました。特に、近代の日本のアジアでの位置付けという歴史的な内容から、生徒たちが集団の中で協調し成長してほしいという考えのもとに作られたというところに特徴を感じました。 そこでいくつか質問があります。1つ目は、なぜディベートの形式を採用したのでしょうか。また、このディベートでの生徒の様子、資料など根拠をもとに論理的に発言出来ていたか等もお伝えできる範囲でお願いします。 2つ目は、ディベートの性質上、生徒の立場が固定されますが、最後のフォームズで提出する生徒自身の考え、今回であれば「日本はアジアのリーダーなのか?」とのズレはありましたでしょうか。例えば、「日本はアジアのリーダーである。」の資料の方を読み取った生徒の方が、自身の考えとしても「日本はアジアのリーダーである。」になる傾向があったなどのことが分かれば教えてください。一方、「日本はアジアのリーダーではない。」との資料を読み取った生徒が、この考え方もわかるが私の考え方とは違うといった場合もあったのでしょうか。また、生徒自身の考えで「日本はアジアのリーダーである。」との意見を資料1,2を根拠にすると、帝国主義的な思想を肯定する内容になる可能性がある気がするのですが、そのような生徒はいましたでしょうか。また、そのような生徒に対して、どのような対応をされたかのでしょうか。 多くの質問をしてしまい申し訳ございません。ただ、私とほぼ同世代の先生が、意欲的に授業作りをされている姿勢をみて、私も生徒が考え自らの意見を形成するような授業を作りたいとの思いが更に強まりました。ありがとうございました。
神奈川県立厚木清南高等学校の小林と申します。「問いを作る」ことはやってこなかったので、新鮮でした。問いを作るのは非常に難しいと思っていたのですが、問いを作るためのステップが、これならうちの生徒もできるのでは、と思えたのが大収穫でした。ありがとうございました。以前、他の学校で自習課題として「教科書で大事だと思う単語を書き出し、その説明も書きなさい」というものをやりましたが、なぜ大事だと思ったのかを書かせれば、もっと良かったと思いました。
小林先生 コメントありがとうございます。 この実践のミソは大谷翔平が目標設定で使用しているマンダラチャートを応用しています。マンダラが一年間取り組むと大きく一つ出来上がり、それ自体学習履歴の確認になりますし、成果物になります。中央に概念用語を入れ、周りに関連用語を配する形で用語を選定出来るかが鍵になっています。例えば真ん中に大衆化と入れた場合、周りに入るのはそれに関係する語を配することになります。この単元が第二部だとすると、第一部の近代化では真ん中を入れてあげて考えさせるのも一つ手かもしれません。また、大衆化について論じるレポートを総括課題で出したい場合にもビンゴーは効力を発します。ビンゴーの用語9つを使用して大衆化を説明させるなど、さまざまな展開に使用できるのではと考えています。レベルを引き上げる場合は9マスではなく、15マスにするのも手かもしれません。さまざまな展開が考えられ、まだまだこれから可能性を探っていきたいと考えています。
申し訳ございません。15マスではなく、25マスでした。
わかりやすい資料を活用したプリントと独自の授業スタイル、大いに参考になりました。ありがとうございました。
いつも参考にしております。 滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。 資料♥は、「ソ連が、日本の占領統治をアメリカが主導しソ連が影響力を発揮できなかったことに反発して、民族自決の原則を尊重せず、中東欧での影響力拡大を図った」といった文脈だと理解しました。 このあたりの歴史にあまり詳しくない故かもしれませんが、中東欧の大衆が実際にソ連との協力関係を望んでいたとは言えないのでしょうか? 中東欧の人々自身が、自分たちをナチスから「解放」してくれたソ連との協力を望んでいた場合、その時点において、ソ連との協力を強化することは、民族自決の結果とはいえないだろうか?と思いました。
お世話になっております。 返信が遅くなり申し訳ございません。 ご指摘の部分の記述は、ペーター・ガイス・ギョーム・ル・カントレック監修/福井憲彦・近藤孝弘監訳『世界の教科書シリーズ23 ドイツ・フランス共通歴史教科書 1945年以降のヨーロッパと世界』のp48本文記述を参考に作成したものです。 以下、本文を引用します。 「中欧・東欧に広がるソ連の影響力 戦争が最終的な局面を迎えるころになると、ソ連は民族自決権を尊重する意思のないことをはっきりと表すようになった。しかし民族自決こそ、西側諸国が主張していた原理であった。こうして1944年夏、スターリンは、ソ連の影響下に樹立された共産党政府「ポーランド国民解放委員会」(別名「ルブリン委員会」)を、ポーランド唯一の政権として認め、ロンドンに亡命していた正当な民主主義政府の帰還を拒否した。 戦後になるとソ連指導部は、ソ連の影響下に置かれていた国々に、共産主義者が支配する政府を次々に樹立していった。そうした国々とソ連のつながりは、二国間同盟条約によって、また各国共産党とソ連共産党との密接な関係によって確固としたものになった。」 また、山川出版社『詳説世界史研究』p511には次のようにあります。 「戦後東欧では、大戦末期に形成された対独抵抗組織の統一戦線が権力を握り、共産党・社会民主党・農民党・ブルジョワ政党などによる連立政権が誕生した。これらの政権のもとで、徹底した農地改革による地主制の一掃と大工業の国有化が行われた。しかし、冷戦の本格化とともにソ連の後押しをうけた共産党が勢力を伸ばし、ポーランドでは1947年の総選挙で露骨な選挙干渉が行われ、ポーランド労働者党(共産党)が大勝した。 こうして、1947年末までにチェコスロバキアを除いてポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア・アルバニアでは、人民民主主義の名のもとに事実上共産党一党独裁体制が敷かれた。以後、冷戦の進行のなかで各国の歴史的発展や深刻な民族問題を無視して、ソ連型の中央統制的計画経済による工業化と農業の集団化が強行された。選挙や議会は全く形式的なものとなり、各国共産党の指導者にはソ連の以降に従順な人物が配置された。」 これらから、共産主義やソ連との協力を望む人も各国にはいた(しかしそれは東欧に限らずどの国にもいた)けれども、そのような一部の勢力を足掛かりに利用することで「民族自決」風の体裁を繕って、実際にはソ連がソ連にとって都合の良い政権を強行的に作らせていった、という理解をしております。
お世話になっております。
返信が遅くなり申し訳ございません。 ご指摘の部分の記述は、ペーター・ガイス・ギョーム・ル・カントレック監修/福井憲彦・近藤孝弘監訳『世界の教科書シリーズ23 ドイツ・フランス共通歴史教科書 1945年以降のヨーロッパと世界』のp48本文記述を参考に作成したものです。
以下、本文を引用します。 「中欧・東欧に広がるソ連の影響力 戦争が最終的な局面を迎えるころになると、ソ連は民族自決権を尊重する意思のないことをはっきりと表すようになった。しかし民族自決こそ、西側諸国が主張していた原理であった。こうして1944年夏、スターリンは、ソ連の影響下に樹立された共産党政府「ポーランド国民解放委員会」(別名「ルブリン委員会」)を、ポーランド唯一の政権として認め、ロンドンに亡命していた正当な民主主義政府の帰還を拒否した。 戦後になるとソ連指導部は、ソ連の影響下に置かれていた国々に、共産主義者が支配する政府を次々に樹立していった。そうした国々とソ連のつながりは、二国間同盟条約によって、また各国共産党とソ連共産党との密接な関係によって確固としたものになった。」
また、山川出版社『詳説世界史研究』p511には次のようにあります。 「戦後東欧では、大戦末期に形成された対独抵抗組織の統一戦線が権力を握り、共産党・社会民主党・農民党・ブルジョワ政党などによる連立政権が誕生した。これらの政権のもとで、徹底した農地改革による地主制の一掃と大工業の国有化が行われた。しかし、冷戦の本格化とともにソ連の後押しをうけた共産党が勢力を伸ばし、ポーランドでは1947年の総選挙で露骨な選挙干渉が行われ、ポーランド労働者党(共産党)が大勝した。 こうして、1947年末までにチェコスロバキアを除いてポーランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア・アルバニアでは、人民民主主義の名のもとに事実上共産党一党独裁体制が敷かれた。以後、冷戦の進行のなかで各国の歴史的発展や深刻な民族問題を無視して、ソ連型の中央統制的計画経済による工業化と農業の集団化が強行された。選挙や議会は全く形式的なものとなり、各国共産党の指導者にはソ連の以降に従順な人物が配置された。」
これらから、共産主義やソ連との協力を望む人も各国にはいた(しかしそれは東欧に限らずどの国にもいた)けれども、そのような一部の勢力を足掛かりに利用することで「民族自決」風の体裁を繕って、実際にはソ連がソ連にとって都合の良い政権を強行的に作らせていった、という理解をしております。
千葉県公立高校に勤務している小林と申します。 プリント内で引用されている『本当の貧困の話をしよう』は大変良い資料だと思うのですが、「7人に1人」という具体的な数字であったり、「ひとり親世帯では、2 世帯に 1 世帯が貧困」という語が出てきたりと、直接的な表現がされています。 教室内でも該当する生徒はいるかと思いますが、この資料の使用にあたって、例えば事前にひとり親世帯の生徒に話をしておくなど、事前に準備したことはありますか?私の授業でも使用したいのですが、生徒を傷つけてしまわないか不安な面があります。また、授業後に生徒からどのような反応があったでしょうか。お聞かせいただけると幸いです。
千葉県公立高校に勤務している小林と申します。 プリント内で引用されている『本当の貧困の話をしよう』は大変良い資料だと思うのですが、「7人に1人」という具体的な数字であったり、「ひとり親世帯では、2 世帯に 1 世帯が貧困」という語が出てきたりと、直接的な表現がされています。
教室内でも該当する生徒はいるかと思いますが、この資料の使用にあたって、例えば事前にひとり親世帯の生徒に話をしておくなど、事前に準備したことはありますか?私の授業でも使用したいのですが、生徒を傷つけてしまわないか不安な面があります。また、授業後に生徒からどのような反応があったでしょうか。お聞かせいただけると幸いです。
ご質問ありがとうございます。導入として利用した引用資料に共感していただき、嬉しく思います。この資料を引用した意図は、先生がご懸念なさっているこれまでのタブーともされている家庭環境など生徒たちの私的領域に踏み込みうるような状況に対して、真摯に向き合っていく必要があると挑戦することを目指した点にあります。校内にも存在する社会的問題を不可視化することは、解決にはつながらないと思うためです。 ご質問の点については、事前に生徒への配慮は行っておりません。それどころか、7分の1という割合からも「校内にも、このクラスにも存在するはずである」とすら伝えています。しかし、この問題は貧困を生産する社会的構造に原因の一つがあるのだという点にこそ強調をし、その歴史的経緯を共に学んでいき、解決に向けた展望を抱こうとする単元構成を取ったつもりであります。こうした目標が達成できそうかどうか、単元全体を踏まえてご批判いただけると大変嬉しく思います。 授業後の生徒からの反応というご質問については、単元最後のパフォーマンス課題に対する生徒の主張の一端をお伝えしてみようと思います。量的に傾向を精緻に分析したわけではないのですが、格差や貧困の問題が歴史的に構築されてきたこと、その解決は目指されてきたものの今でも苦しむ人々が存在すること、解決に向けた展望として社会的な支援が必要であることを指摘する生徒が多かったのです。年度当初の単元なので粗削りではありますが、私としては「ケア」の視点に立脚している表現や、構造的暴力の存在に気付く萌芽が見られていて、指導要領が例示する「平等・格差」の問題を生徒とともに考えることができたのかなと感じていたところでした。もしかしたら1時間目の時点では苦しい思いをした生徒がいたかもしれません。この点は聞き取りをしていないのでわかりません。ただ、単元全体を通して見ると、直視したからこそ共に生きるために悩み、共感し、葛藤することにつながっていったのではないかと思っています。この点は、信念に近いところがありますので、ぜひご批判ください。これからもご指導いただけますと幸いです。
滋賀県立彦根東高等学校の濵野です。興味深く拝読しました。 立命館守山は私自身の母校でもあり、同一県内にこのような実践をされている方がおられると知って、いっそう刺激を受けました。 滋賀歴史教育者協議会の会員なのですが、例会でご報告をご検討いただけませんか? 私自身がお話をお伺いしたいのとともに、ほかの会員も勉強になると思います。 もしよければご検討ください。
5ページ目の「右の風刺画は、このころの日本の国際状況を表しているように思われます(近藤日出造作)。この絵には題名がありますが、ここまでの学習をふまえて、この絵にあなたのオリジナルの題名をつけてみましょう。 (思考・判断・表現)」の風刺画の原典について知りたいのですが、公式のタイトルは何でしょうか? 風刺画そのものを画像検索しても見つかりませんでした。
永福永伍先生 素晴らしい教材を拝見いたしました。 ぜひ参考にさせていただきます。
粟屋祐作先生 拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。
粟屋祐作先生
拙き教材ですが、参考にしていただければ幸いです。
「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。 ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。 とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員)
「冷戦」時代のアジア、とくに朝鮮半島、ベトナム、台湾を対象に重要な問いかけの授業かと思います。小生の関心に即して言えば、ベトナムにとって「冷戦」は「冷たい戦争」だろうか?、は「冷戦」を考えるうえで大切な問いだと考えます。
ベトナム戦争史を考えてきた者として二つ気になることがありました。 一つは、1949年から1954年までのベトナムの状況図の枠組みとして「南」と「北」に 分けることが妥当かという点です(ベトナム民主共和国が「北」を支配し、「南」はフ ランス支援の「ベトナム国」があり、その両者の「内戦」という理解につながります でしょうか)。 ・当時、ベトナム民主共和国は「南」では確かに影響力が弱かったのですが、とくに 1946年末以降、フランスの植民地主義戦争に対してベトミンはベトナム全土で民族 抵抗(抗仏闘争)を闘ったと私は理解しています。 ・ここでまとめられています1949年―1954年の「戦間期」に関し、「南」と「北」の 「内戦」ではなく、フランスの植民地主義戦争に抵抗して民族統一を求める脱植民地 化枠組みを示す「戦間期」のベトナム状況図が考えられるかと思います。 二つ目は、全く些細で細かなことで恐縮です。 ベトナム独立同盟は(ベトコン)ではなく、(ベトミン)です。
とり急ぎ、コメントにて 藤本 博(明治学院大学国際平和研究所研究員、元南山大学教員)
広島の地域性と、学校という生徒の置かれた場を教員側が強く意識し、「校則」(のなかでもおそらくは高校性が関心を持ちやすい制服問題)という生徒にとって身近な論題から、歴史とは、事実とは?といった本質的(哲学的?)なテーマに迫っていこうとする魅力的な教材と拝察しました。 もし差し支えなければ、京都教育大学の日本史ゼミ(大学3・4年生対象:15人)での授業研究素材として紹介・検討すること(ダウンロードして、GoogleClassroomで共有する)をお認めいただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。 授業は連休明けを予定しているので、急ぎませんので、お手すきの際にお返事頂戴できると幸いです。
中村先生 お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。 授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
中村先生
お世話になっております。コメントいただきありがとうございます。
授業で使っていただけることは大変光栄です。ぜひお使いいただけたらと思います。もし学生さんから改善案等出ましたらご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。
佐伯先生 中村です。ご快諾くださり、ありがとうございます。改めて授業での話など、お知らせ致します。とりいそぎ、まずはお礼申し上げます。
お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。 1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。 2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
お世話になっております。徳原先生の考査問題、現在私が考える理想の考査問題に近いと思いながら解かせていただきました。様々なことを配慮されてこの考査問題を作られていることを感じ、とても尊敬しております。私もこのような考査問題を作りたいと思いました。そのなかで今後の私の考査の作り方や評価の方法の参考にしたく、2点ほど質問があります。
1点目は、前半部分のマークシート式の問題は大学入学共通テストを意識された問題かと思いますが、この形式は徳原先生のなかでどの程度生徒につけさせたい力とつながっていますでしょうか。今回の考査問題のなかで徳原先生が生徒につけさせたい力とはどういったものなのかと合わせて教えていただければ幸いです。
2点目は、後半部分の論述問題についてです。私自身、イスラーム世界においてイクター制という徴税の方法が生まれたことはイスラーム国家の支配のあり方、中央集権の観点、地方の勢力の観点からも大きな転換点だと考えています。この考査問題の範囲ではさまざまな内容がありますが、なかでもこのイクター制に関する史料とその重要性を論述問題として取り上げた理由を教えていただければ幸いです。
よろしくお願いします。
徳原です。本設問は、以前にアップしている「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」「「せかい」と「せかい」が結びつくって?<2>」で身につけることを狙った、「せかい」「ちいき」概念の問い直し、についての考え方を基本として初見資料等を用いて作成しています。前掲の2つの教材単元については、拙稿「問いのフラクタル構造」に基づいて、概念の立体的把握を目指した再帰的な構造体をとっています。本考査においては、それら単元の学びを踏まえ、おおよそ55~60%程度の得点率になるように設計しました。結果としては全体として62%の得点率であり、難易度コントロールとしてはやや失敗しました。一方で、生徒の思考過程をその後インタビューを通じて追跡した結果は、上述したアプローチをとっている生徒も多く、ある程度の成果を見込んでいます。これ以降の分析は、引き続きとなります。2点目について、これは「「せかい」と「せかい」が結びつくって?」で引用している、羽田正らの「イスラームは”世界”なのか」論争に接続することを狙った設問です。つまりは,あるひとまとまりのイスラームを考察するにあたってはその流動性、多元性といった点を踏まえた時に、「世界」という枠に落とし込むことには課題(教育的”便利さ”はおいておくとしても)、その際に、この地域における「せかい」概念を脱臼させるには、イスラームの多元化と合わせて考察することを重要と考え、資料として教材に盛り込んだものです。本設問では、直接授業で取り上げた史料ではありませんが、上述の点を踏まえると、イスラームの多元化、カリフ権力の変容、地方の変容、仰るところの観点を踏まえて、考察が可能だと思い、取り上げた次第です。
寺前です。徳原先生ご返信ありがとうございます。 ご紹介いただいた分析の続きについて、もしどこかでご報告されるときがありましたら楽しみにしております。 私自身、現在主義の視点から「イスラーム世界」という言葉を安易に使ってしまうことを反省しました。「せかい」概念の立体的把握を目指すための授業内容そして考査内容と接続がされていること、つまり、目標論と教材論の接続がなされており、とても私自身の今後の学びの参考になりました。ありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。 2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。
和歌山県立文書館の寺前です。「Mrs.GREEN APPLE」の楽曲『コロンブス』のMVの件、授業のなかでは奴隷貿易は二度と繰り返してはいけない過去と考えていながら、今回のMVのような場合には「気にしすぎ」といった考え方がうまれるギャップをどのようになくせば良いのかについて関心を持っていました。そのため今回の教材はとても参考になりました。
2点質問があります。 1つ目は、1回目のワークシートのなかで「あなたは奴隷商人の銅像を破壊することによって人種差別はなくなると思いますか。」と問いをたてたところです。「奴隷商人の銅像を破壊すること」と「人種差別がなくなる」の間には距離があるように私は思いました。あえてこのような聞き方にしたのかとも思いますが、このような聞き方にした意図を詳しく教えていただければと幸いです。 2つ目は、この授業の世界史探究の年間のカリキュラムとの関係についてです。今回の授業は、世界史探究全体のなかでどのような位置になるのでしょうか。もしくは、「Mrs.GREEN APPLE」の件があったからこその単発の授業なのでしょうか。今村先生がもつ、目の前の生徒が歴史の学びを通してどのようになってほしいのかも含めて教えていただければ幸いです。
寺前先生 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。 〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。
寺前先生
コメントいただきありがとうございます。
〇1つ目のご質問について この問いを解答させるにあたって、生徒には銅像が破壊されるようすを周りの人々がスマホで撮影し、SNSに掲載していることを提示しました。「現代におけるデモ活動においては、SNSが大きな拡散力を有している」➡「銅像破壊という手段で抗議を行う彼らを見た世界中の人々は、人種差別をやめようというメッセージとして受け取るのか、それともただの破壊行動として映るのか」を考えさせることが本問の意図です。
〇2つ目のご質問について 実は、本授業は「ミセス」の件が起こる前、今年の5月頃に実践したものです。年間のカリキュラムの中で「ここで学んだ歴史」が「いま」にどうつながっていて、現代の人々がそれにどう向き合っていくべきかを議論していく授業を、単元の終わりに設定しています。これは、大学受験を見据えた授業にする必要性が薄い本校生徒の実情と、学びの「真正性」が生徒の興味・関心を醸成させやすいという生徒観に基づいています。その上で、大西洋三角貿易の中での一連の暴力が現代社会においてどう影響しているかという学びを通して、生徒には過去の暴力が現代の世界中のどこかの人々の「痛み」や「怒り」につながっていることに気付けるようになってほしいと考えています。この学びの後に「ミセス」の一件があり、一部生徒はこちらが何も言わずとも「MV」を「まずい」という感覚をもっていることが伺えたことが、本授業の成果であると感じています。
今村先生、ありがとうございます。 1つ目のところは、私であれば破壊活動を起こす人々がなぜそういった行動にいたったのかの背景を考える時間を多く取りたいと思いました。奴隷商人の銅像の破壊のところだけを切り取るのではなく、それまでのBLMの経緯を取り上げることをしたいと思いました。ただ今村先生の意図は周りの人々がどう受け取るのかというところですので、私が考えるところとずれるかもしれません。 また羽村高校という文脈を踏まえた「ミセス」の件を受けての生徒の受け止め方について大変参考になりました。ありがとうございます!
恐れ入ります。横浜国際高等学校、徳原と申します。アメリカ黒人史を末席で学ぶ身として、お伺いしたいことがございます。この教材が内包する歴史観において、ムーヴメントにおけるVandalism(破壊行為)、また「暴力」は、どう位置づけられているのでしょうか。
連投大変失礼いたします。これはまた、先生の中ではいかなる意味でPublic Historyなのでしょうか。
徳原先生 ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。 〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。 〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。 不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。
徳原先生
ご連絡遅くなり申し訳ございません。 コメントいただきありがとうございます。
〇1つ目のご質問について 世界の社会変革の歴史において、破壊行為は多くの場面で存在していると考えられます。奴隷制という暴力(合法性・正当性を欠いた強制力)を受けた被抑圧者は、自らが抑圧者から法外な行為の被害を受けている(た)ことから、破壊行為というこちらも法外な手段を使ってでも差別撤廃を訴えています。こういった法外の行為には法外の行為をもって抗議を行っていいのかという問いが、第1時における破壊行為・暴力の位置付けです。
〇2つ目のご質問について 第1時で示した銅像はしばしば国民形成の象徴として利用されることがあります。コルストンの銅像はイギリスの発展及び巨万の富を得て、それを福祉事業に費やした「聖人」の象徴として建てられました。こうした「公共」の建築物が差別の歴史の象徴となったことから、”Public”とされた歴史をメタ的に捉え、考察していく授業展開を行ったためこの語を入れさせていただきました。
不勉強故ちぐはぐな回答になってしまっていることをお許しください。 今後ともよろしくお願いいたします。
今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。 ①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。 ②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等) 先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。
今村先生 お返事を大変ありがとうございます。徳原です。
①暴力と暴力との関係性を問い直す、という視座については同意します。一方で、その「暴力」というものの非対称性が、ムーヴメントの歴史には付きまといます。 例えば、キングの非暴力非服従運動は、「非暴力」性が強調されますが、彼は選択的に、戦略的に法を犯しに行きます(シットイン、ジェイルインとはそういう行為です。)また、公民権運動と対照的に「暴力的な」とされたブラック・パワーは、自衛目的の戦闘的表象のみがキャッチーに喧伝された結果ついてくるものです。 この点は、黒人史研究者たちの自省もあります。つまりは、多くマジョリティとマイノリティの間にある権力差を無視して、それらを並置出来るのか。マイノリティの側だけに「モデルロール」になるような運動を求めていないか、という研究史上の反省です。近年(といってもすでにここ20年ほど)、公民権運動の「暴力」、ブラック・パワー運動の「暴力」をめぐる議論はその関係性を問い直されています。この「騒擾」「暴力」の中の論理を見つめる視点は、例えば日本史であれば、藤野裕子さんの著作にもありましょう。 「史苑」のBLM特集での黒人史研究者の鼎談は重要な示唆を与えてくれます。BLMの初期に、そのことを知っている黒人史研究者ですら、「BLMは平和な運動だ」というナラティヴに積極的に参与することで、ムーヴメントの「ラディカル」さと「暴力」を排除していなかったか。というものです。 またその意味において、ムーヴメントの中における「暴力」にはいくつかの位相があります。その時に問い返されるのは、主体の行う暴力行為だけではなく、その暴力を生む、ないしはそれを暴力とする、社会構造と法構造でもあったりすると思います。
②顕彰が国家や国民の記憶形成とむつびつく、というのはおっしゃる通りです。であるがゆえに、それが「公共的」「国家的」であることは、どのような意味で「パブリック」な問題となるのか、という課題を日本のパブリック・ヒストリーは抱えています。それはひとえに、なぜ日本においては(剣木先生を除いて)、パブリック・ヒストリーを「公共史」と訳さないのか、という問題と接続されます。例えば、国際パブリック・ヒストリー連盟元会長のセルジ・ノワレ(イタリア史)も、イタリアやフランスでは、「パブリック」という言葉をそれぞれの国に存在する「パブリック」に相当する言葉には翻訳しないと述べます。それは、それらの国では、「パブリック」という言葉が相当「国家」を前景化するためです。国家が前傾化するということは「パブリック・ヒストリー」は単に「ナショナル・ヒストリー」に回収されていくことになります。日本における「公共」という訳も、同様の課題を抱えているために、あえて「パブリック」という言葉を多く用いています。また、それゆえに、パブリック・ヒストリーの方法論は「場」に着目する方法論であることが多いです。そのナラティヴを構造化し「メタ」化することは、これまでの「歴史学」がやってきた方法論とは、どう異なるのか、という問いがそこには生じます。なぜ、その問題を「パブリック・ヒストリー」でなければならないのか、はこれまでの方法論的、認識論的視座では拾いきれないものがそこにあるから、というお答えになります。ただ、いわゆる銅像の引き倒しなどにかかる顕彰と記憶の問題というのは、これまでむしろ、多分にナショナリズム研究の側面から検討されてきたのではないでしょうか(例えば、津田博先生のオーストラリア・カナダについてのご研究等)
先生のコメントにさらにコメントで返す形となりすみません。丁寧なお返事をありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。 1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。
和歌山県立文書館の寺前です。かなり以前の投稿に対する質問で失礼します。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の福崎先生の執筆部分も含めて質問させていただきます。 「ガチな学び」、「エージェンシー」といった私自身詳しく学びたいと思っていた考えをもとに具体的に授業実践されていてとても参考になりました。
1つ質問があります。『歴史総合の授業と評価 高校歴史教育コトハジメ』の方でも言及されていましたが、「評価」に関してです。今回の教材のような合同授業を通して生徒たちに育成させたい資質・能力は非常に重要でありながら、その考え方をどのようにして定期考査で評価するのか難しいと思いました。福崎先生は書籍でも課題と記されていましたが、現時点での解決策のようなものがございましたら教えてください。よろしくお願いします。
寺前先生、コメントありがとうございます(色々教材をアップしていますが、初めてコメントいただくのでとても嬉しいです笑)。 さてご質問への回答ですが、まず拙稿で述べている「課題」は、「授業を通して育成を目指してきた資質・能力と、定期考査を通して測定する資質・能力との間にギャップがあると一定数の生徒が感じていたこと」でした。この点については、昨年度そして今年度と教科内で議論しながら作問を重ねることで、教科内で「歴史総合の考査問題とはこういうものだ」という共通認識を持つことができ、初年度に比べればかなり授業と考査のギャップは小さくなっています。 一方で、今回のような実践で育成を目指す資質・能力(三観点にあてはめると「主体的に学習に取り組む態度」の範疇に入るかと思います)を、定期考査で測ることはそもそも想定していません。そもそも筆記テストでの測定が馴染まない資質・能力だと考えており、学習者が持つ資質・能力を発揮した成果物を見取ることでそれは測れるわけですから、筆記テストで「主体的に学習に取り組む態度」(あるいは本実践に即せばエージェンシー)を無理に測ろうとしなくてもよいと考えています。 なお、「主体的に学習に取り組む態度」を最終的に観点別学習状況として生徒に返す際には、拙稿にも挙げましたが鈴木(2021)を参考に、①「知識・技能」と「思考・判断・表現」の観点別学習状況を定期考査や単元ごとのワークシートなどから見取り、②その二観点をもとにして機械的に暫定的な「主体的に学習に取り組む態度」の観点別学習状況を定めた上で、③本実践の成果物に対する評価(中学生のコメントやスライドの出来栄え)のうち顕著に良い/悪いものがあれば「主体的に学習に取り組む態度」の暫定評価に反映させる、という形で成績処理を行っており、このような形で本実践を年間の観点別学習状況の評価に組み込んでいます。
福崎先生、ありがとうございます。 「主体的に学習に取り組む態度」の評価方法についてどうすれば良いのか、多くの人数を評価することの業務の多忙さとの兼ね合いもありながらの参考にとてもなりました。
寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。
寺前駿です。大変練られた教材でとても重い気持ちで読んでいました。私自身、未熟な所が多く、検討違いな質問をしていましたら、申し訳ございません。ご指摘ください。 大きく分けて2点ほど質問があります。 1点目は、日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 2点目は、あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。
大変多くの質問をしてしまい、申し訳ございません。よろしくお願いします。
ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。 下記、ご質問への返答になります。 ①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。 ②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。 髙野 晃多 (KOTA TAKANO) - マイポータル - researchmap http://researchmap.jp また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html ③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。 ④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。
ご質問ありがとうございました。 夏休みの最後に体調を崩したことに加え、新学期に忙殺されていたためお返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
下記、ご質問への返答になります。
①日大シンポでのスライドに記されていました「3、今後の課題」のところで「今回の教材は構造的理解に留まった?」とのところです。高野先生がこのような認識を持った根拠を教えてください。 →今回は、私が華僑虐殺の被害に遭った鄭来さんと出会ったときの体験談や鄭来さんの思いを私が語っただけに留まってしまいました。またシンガポール教科書やマレーシア国立博物館といった公的な記憶から授業を構成したことも理由です。次回からは、鄭来さんの証言やライフヒストリーから授業を構成した方がより生徒に身近に考えてもらえるのではないかと考えた次第です。
②また、これらの解決として「被害」と「加害」の順番の扱いを具体的にどのように考えられていますでしょうか。 →教員の問題関心が大きく反映される責任論を問うような加害の文脈を先に扱うと、生徒は安易に「どっちもどっち」など、加害国である日本の被害者(例:原爆など空襲被害者)を軽んじるような神の視点からコメントを書く傾向にありました。私は受けた被害は与えた被害によって相殺されるものではなく、そこに軽重はないと考えます。そのため、日本による「被害」や日本が受けた「被害」を積み重ねることで、「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要かと考えています。詳しくは、私のResearchMapから2022年度歴教協全国大会の報告レジュメをダウンロードできますので、こちらをご参照くださいますと幸いです。
また鄭来さんについては、参考文献に掲げた ・広岩近広『青桐の下で「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書店、1993年) ・髙嶋伸欣ほか『旅行ガイドにないアジアを歩く 増補改訂版 マレーシア』(梨の木舎、2018年) や、日大シンポ報告と双子の関係にある下記拙著をご参照ください。 ・『80テーマで学ぶ世界と日本の近現代史』(大月書店、2024年) http://www.otsukishoten.co.jp/smp/book/b649228.html
③あえて「私たち」ではなく「ワタシタチ」とカタカナで表題に記されたのはなぜでしょうか。高野先生のなかで「私たち」「ワタシタチ」「わたしたち」と使い分けている理由がありましたら、教えてください。 →②と関連して、「わたしたち」のなかには国外で被害を受けた外国人も含めて考えてもらいたかったため「ワタシタチ」表記を採用しました。この教材をつくった2018年秋に、BTS原爆Tシャツ騒動が起きていたことも影響していたかと記憶しています。
④そして、「個人の視点から構造を捉え直すために探究科目が必要ではないのか?」の部分をもう少し詳しく教えていただければ幸いです。 →歴史総合は2単位だということもあり、個人の証言をもとに授業を構成したとしても深堀りできるのに限度があります。そこで歴史総合で大まかな構造を捉えたあとに、探究科目でより具体的な形で生徒に構造をつかませるためにも、個人の視点を授業の中心に据えたいと考えています(=構造的理解の解像度を上げるため)。そうすれば、生徒が問いを立てて探究学習を行う際にも、具体性が増すこともあり、地に足のついた研究になるのではないかと考えました。
返信が遅れてしまい申し訳ございません。 ご質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。私自身、無意識のうちに(私のこれまでの経験が影響を受けて)「被害」の側面を多く取り上げる授業実践をしていました。「「被害」と「加害」の重層的な構造を生徒に自分で気がついてもらうことが肝要」との言葉にとても共感しました。自身が「加害に加担している」と自覚することはとても辛く、希死念慮をもつこともありますが、それでも丁寧に聴くことが大切だと改めて強く思いました。ありがとうございました。
寺前駿です。博物館所蔵資料に関する教材ということでMLA機関に所属する私としてもとても参考になりました。また高大連携の視点も昨年度まで大学教員と連携していた者としても今後の活動の参考になりました。 私は古代オリエント史を学ぶ必要はないとは考えていませんが、「ねらいについての議論」は重要だと思うので、1つ質問させてください。 丸小野先生が考える、今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史を学ぶ必要性を教えてください。学習指導要領が改正され、「世界史」が必修から選択になり、「世界史」における古代史を学ぶ生徒が減ったと思います。新たに生まれた歴史総合は、私自身とても重要な科目だと思っているのですが、生徒たちから空間的にも時間的にも遠く離れた歴史を学ぶ機会が減少することには少し危機感をもっています。そこでアッシリア史を専門とされる丸小野先生からみた古代オリエント史を高校生が学ぶ理由を教えていただければと思います。私の中では、現在主義や西洋中心主義からの脱却や「国」のあり方、人々の移動の視点かとは思っていますが、古代オリエント史である必要性という点からしっくりくる答えが持てていません。もしくは、アッシリア史を専門とされている丸小野先生だからこその授業として古代オリエント史に重点が置かれるということなのでしょうか。 教材の中身というよりも大きな範囲かつとても重たい質問で申し訳ございません。よろしくお願いします。
寺前先生 お世話になっております。常磐大学高等学校の丸小野壮太です。ご質問ありがとうございました。お返事が遅くなり申し訳ありません。高大連携歴史教育研究会第2部会「ねらいについての議論」にも関連し、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけ(今を生きる高校生たちが、他の地域・時代ではなく古代オリエント史、特にアッシリア史を学ぶ必要性)について重要な問いですね。なお、古代オリエント史は多様なテーマを内包しているのでアッシリアに特化して論じたいと思います。例えば、最近出版された山田重郎(2024)『アッシリア帝国 人類最古の帝国』筑摩書房, pp.19-22. において以下のような興味深い記述がありました。以下、一部引用します。「アッシリアは、ヨーロッパ世界の東隣に位置する、古代ギリシアに時間的に先行する西欧文明の源の一部として認識されることが多い。そのために、時間的にも空間的にも隔てられた西欧的な脈絡に属するものとして、いわば「他人事」のように考えられがちである。」(p.20.) ここからも欧米ではなく日本で生活する生徒たちにとってアッシリアは「自分事」ではなく「他人事」であることは明らかです。そこで、山田重郎(2024)は「アッシリアはアケメネス朝ペルシアに先立ち西アジアに成立した帝国の原型として人類史における注目すべき国家であり、古代世界にあって、きわめて多くの考古遺物と文書を通じて、驚くべき詳細さでその個性的な歴史と文化を知ることのできる出色の歴史的事象である。」(p.20.)と主張しています。一方、これだけでは、今を生きる生徒たちが、他の地域・時代ではなくアッシリアを学ぶ必要性は感じられないでしょう。私見ですが、歴史教育におけるアッシリア史の位置づけは以下の2点にように考えています。第一に、現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリアです。例えば、筑波大学西アジア文明研究センター編(2014)『西アジア文明学への招待』悠書館でも古代オリエント世界/古代西アジア世界は都市、文字、国家、宗教、法律、食物などが誕生した時代・地域のように現代文明の基層になります。特にアッシリアは数多くの資料が現存するかつ文明の成熟期であることから現代文明の基層としての特色がより鮮明に読み取ることができます。これは山田重郎(2024)の主張とも重なります。第二に、アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたことです。例えば、佐藤育子・丸小野壮太(2024)「歴史学と歴史教育の対話に基づいた開かれた古代地中海世界史研究の構築」『ヘレニズム〜イスラーム考古学研究2023』pp.9-14.ではアッシリア帝国も含まれる開かれた古代地中海世界史研究の枠組みでまとめました。特に本授業実践の主題:近現代史と古代史の越境について以下のような方法論と内容論の意義を考えています。まず、方法論としては身近にある事例について比較することを通して歴史的特色をより鮮明に浮かび上がらせ、相対化を可能にしていく時空間拡大作用の対話[小川幸司(2023)『シリーズ歴史総合を学ぶ③世界史とは何か―「歴史実践のために―」』岩波新書]を行います。これを継続することでシティズンシップ教育にもつながる視点を育成できます。また、内容論としては人々の移動にともなう他者との協働によって生じた文化交流・文化変容が移住・移民・難民などの今日的問題とも深く連関することを想起させ、現代社会において古代オリエント史を考える意義を問題提起できます。これは寺前先生のお考えの「「国」のあり方や人々の移動の視点」とも重なります。いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。丸小野壮太
返信が遅れてしまい申し訳ございません。回答ありがとうございます。「現代文明の基層である古代オリエント史としてのアッシリア」「アッシリア帝国では人々の移動とネットワークの形成による文化変容に基づいたアイデンティティの構築が行われたこと」との視点、大変参考になりました。特にアイデンティティの構築の視点について詳しく学びたいと思いました。ありがとうございます。
和歌山県立文書館の寺前駿です。 「歴史にはない」との点について質問をさせてください。現在、参加している第2部会の授業理論WGにおいて、大学時代に歴史学を専攻していた教員は、歴史のifを授業のなかで用いることに抵抗感があるとの話題が上がりました。私自身、この抵抗感の正体について、様々な先生方の意見を伺いたいと感じていました。 そこで、テキストのなかで「 ◯「もし」の問いについて、考えてみよう。 ・歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか? ・歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」の部分の中村先生の想定していた答えは何か教えてください。 また、今回では「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由もあわせて教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。 大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」 このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。 ❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。 ❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。 ❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。
❸「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」という部分での問いを設定された理由・・・についてお答えします。
大前提として、私は3つの講義科目を担当し、次の観点を重視しています。履修の順番は、8割方1→2→3で、残りが2→1→3です(1・2のみの学生もいますが少数です)。 1)「日本史概論」(1・2年生):「世界史」と「日本史」のつながり 2)「日本史研究」(1・2年生):「文化史」 3)「日本史特講」(3年生):「ジェンダー史」
このため、「日本史概論」では、なるべくアジア史との関係・比較ができるものをセレクトしています(本学の「外国史」担当教員が、西洋史を得意としていることも念頭にあります)。
❸-1》さて、上記の「問い」は、モンゴル帝国が支配した高麗(❤)との比較が重要なポイントです。これは、《従属した高麗》VS《従属しなかった日本》という図式になりますが、前者を否定的にとらえる「他律的な朝鮮史像」を批判的に検証してもらう意図があります。これは「近代化」をめぐる日朝の通俗的なイメージへの批判にもつながる視点です。
❸-2》「野蛮なモンゴルに従属した他律的で弱い高麗」というイメージから離れるには、モンゴル帝国の性格への理解も必要でしょうから♠を置きました。また、これは「他国に侵略される事は、一律に悪いことだ」という見方を批判的にみてもらう意図があります。 これは「侵略」をめぐる問題(植民地肯定論など)と関わるため、デリケートですが、「他国に支配されると地獄」という発想一辺倒では困りますので、「前近代史」を扱っているこの段階で、扱いたいと思っていました。教師側の「学生観(生徒観)」に従って、どこを重視するかを決めたら良いと思いますが、私はこの観点は必要な視点だと考えました。
❸-3》得や損をする人は誰だろうか? などの問いも、上の発想からきています。住んでいる地域の支配者が替わる事が、一律にその地域の人びとを不幸・幸福にするわけではない(『市民のための世界史(改訂版)』47頁に「その国家の全盛期は全住民が幸せな時期だったろうか」という問いがありますが、これに通じる発想です)。 なお、想定回答では、①得をする人の例として貿易商人(❤のリード文の解釈次第では朝廷をあげる人もいそうです)、②損をする代表格は鎌倉幕府(徹底抗戦も幕府によるものでした)や顕密寺社(「神風」を謳った側)。③替わらないのは、民衆(このくくりは雑ですが)でしょうか。ただし、戦争の危機が無くなる事で「得」をすると考える人もいるでしょう。
中村先生、丁寧な返信ありがとうございます。とても参考になりました。特に、「「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。」や「事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です」の部分がとても共感しました。一方で、高校生に向けた授業でどのように落とし込むかと考えると、とても難しいとの印象も抱きました。 ただ、中村先生が取り上げていらっしゃる「もし、モンゴル帝国が日本を支配していたら、日本はどうなったか?得をする人はいるだろうか?損をするのはどんな人か?影響をうけない人々はいるだろうか?」を見て、具体的な例の1つを知ることができ、非常に参考になりました。また、私自身が授業に落とし込む際に難しいと考えてしまっているのは、近現代の単発の事例だけを考えていたせいなのかとも思いました。中村先生のように前近代の授業のときから近現代のことを視野に入れた取り組みをとりいれ、年間の授業計画をつくることによって、近現代の事例でも、授業に上手く落とし込むことができるヒントがあるように思いました。 大変、参考になりました。ありがとうございます。
中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。 これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。 ❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。 個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。
中村です。ご質問、ありがとうございます。 歴史のifを授業のなかで用いることへの抵抗感については、人それぞれであると思いますが、『市民のための歴史学』の1頁目の「キイ・クエスチョン」流にいえば、「歴史学は、動かない過去のこと(事実)を解明する学問であり、歴史教育は、その事実を教えるものだ」という認識が大きいのではないかと思います。
これが、おそらくは❶歴史の授業で「もし」の問いが禁じ手とみなされるのは、なぜだろうか?・・・の答えになるだろうと思います。 しかし、「もしは禁じ手」という認識自体、本学学生には希薄で(そのフレーズさえ知らないという学生も少なくない)、あまりこの点の議論は盛り上がりませんでした。
❷歴史の授業で「もし」の問いを教師が出すとき、そのはどこにあるだろうか?」で想定していた答えの一つは、上の記述から自ずから明らかだと思いますが、❷-1、「歴史の学習は動かない事実をそのまま教えることだけが目的ではない」ということになります。 しかし、「もし」の答えを考えるのは、単なる空想ゲームではなく、その「答え」を「事実」に基づいて考えるわけですから、「事実」への深い理解が不可欠です。「もし」の答え(これは複数ありえる)を探求する過程で、「事実」を主体的に学んでほしいという意図もあります(実際、リード文は淡々と「事実」を書いています)。 また、❷-2「事実」(歴史的条件)をもとに「結果」を考えることで、情報操作の訓練になるとも考えます(これはトンデモ学説につながる恣意的な操作を批判する訓練にもなる)。「if」の時点ですでに「正解」がないため、複数の「答え」が担保される上に、「正解」にとらわれずに「論理」の確からしさを討論することも可能です。これは逆説的に、「事実」である「結果」の背景をより深く考えることにもつながるはずです(事実→結果の因果を必然とはみないことで、その因果関係を深く理解できる)。 なお、事実同士の関係には、必然・偶然・相関等があるが、択一ではなく、グレーゾーンが多いというのも、歴史教育を通じて学んで欲しい考え方です(因果を無視した事実の丸暗記は困るが、歴史は因果だという素朴認識もまた問題)。
個別の論点については、あらためて回答します。 まずは、歴史のifに関する一般的なことのみ、とりいそぎお答えしておきます。
投稿者:実 佐野 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/08/31 at 12:03 pm
投稿者:武井 寛太 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/08/31 at 12:33 pm
投稿者:実 佐野 「戦争によって女性は解放された」という言説に、どの程度、賛成・反対?
コメントへ移動▶2023/09/06 at 2:06 pm
投稿者:山川 志保 市民革命は社会に何を提起したのだろうか、またそこで示されたものは、今の私たちの社会で達成されているのだろうか?
コメントへ移動▶2023/09/06 at 8:33 pm
投稿者:山川 志保 市民革命は社会に何を提起したのだろうか、またそこで示されたものは、今の私たちの社会で達成されているのだろうか?
コメントへ移動▶2024/06/08 at 9:48 pm
投稿者:武井 寛太 帝国主義とメディアの関係
コメントへ移動▶2023/09/29 at 11:29 am
投稿者:落水裕大 (OCHIMIZU Yudai) 帝国主義とメディアの関係
コメントへ移動▶2023/09/29 at 5:22 pm
投稿者:寺前 駿 日露戦争後の日本はアジアのリーダーなのか?
コメントへ移動▶2023/10/03 at 7:49 am
投稿者:小林克史 大衆化の時代
コメントへ移動▶2023/10/03 at 7:22 pm
投稿者:千葉響 大衆化の時代
コメントへ移動▶2023/10/03 at 8:03 pm
投稿者:千葉響 大衆化の時代
コメントへ移動▶2023/10/03 at 8:10 pm
投稿者:堀井 弘一郎 日露戦争後の日本はアジアのリーダーなのか?
コメントへ移動▶2023/10/05 at 8:56 am
投稿者:濵野 優貴 日本の占領統治と「民主的」改革は、 新たな国際秩序ではどう位置づけられていたか?
コメントへ移動▶2023/12/02 at 3:50 pm
投稿者:佐伯 佳祐 日本の占領統治と「民主的」改革は、 新たな国際秩序ではどう位置づけられていたか?
コメントへ移動▶2024/01/10 at 3:01 pm
投稿者:小林克佳 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの?
コメントへ移動▶2023/12/20 at 12:11 pm
投稿者:野々山 新 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの?
コメントへ移動▶2023/12/24 at 11:22 am
投稿者:濵野 優貴 あなたは、「歴史を見ないで楽しいところだけを見るのは文化の消費だ」という意見に対して、どの程度、同意しますか?
コメントへ移動▶2023/12/27 at 11:41 pm
投稿者:濵野 優貴 核兵器はなぜなくならないのか?
コメントへ移動▶2024/01/09 at 2:46 pm
投稿者:粟屋 祐作 東アジアと中央ユーラシア
コメントへ移動▶2024/02/03 at 9:41 am
投稿者:永福永伍 東アジアと中央ユーラシア
コメントへ移動▶2024/02/05 at 12:36 pm
投稿者:藤本 博 42_日本撤退後のアジアにとって、「冷戦」は「冷たい戦争」だったといえるだろうか?
コメントへ移動▶2024/03/25 at 11:21 am
投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/25 at 4:58 pm
投稿者:佐伯 佳祐 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/25 at 10:38 pm
投稿者:中村 翼 「校則」から歴史の扉を開く
コメントへ移動▶2024/04/26 at 6:08 pm
投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/07 at 7:43 pm
投稿者:徳原 拓哉 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/09 at 8:43 am
投稿者:寺前 駿 前期考査(山川新世界史第7章〜第8章)
コメントへ移動▶2024/07/09 at 11:26 pm
投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 7:33 pm
投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/22 at 6:09 pm
投稿者:寺前 駿 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/24 at 8:04 am
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 8:59 pm
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/19 at 9:22 pm
投稿者:今村航太 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/24 at 5:59 pm
投稿者:徳原 拓哉 奴隷貿易と「現在」~過去に対する現代の人々の「責任」
コメントへ移動▶2024/07/25 at 5:37 am
投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/22 at 2:23 pm
投稿者:福崎 泰規 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/23 at 9:42 pm
投稿者:寺前 駿 現代的な諸課題の形成と展望―1年間の成果を中学生に発信しよう!―
コメントへ移動▶2024/07/24 at 10:46 pm
投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/08/25 at 9:00 am
投稿者:髙野晃多 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/09/08 at 11:40 am
投稿者:寺前 駿 原爆投下と「ワタシタチ」
コメントへ移動▶2024/10/08 at 9:13 am
投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/08/26 at 2:36 pm
投稿者:壮太 丸小野 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/08/30 at 10:16 pm
投稿者:寺前 駿 高大連携共同授業:博物館所蔵資料から考える近現代史と古代史の越境に関する授業
コメントへ移動▶2024/10/08 at 9:13 am
投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/27 at 12:52 pm
投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/30 at 1:24 pm
投稿者:寺前 駿 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/11/02 at 1:16 pm
投稿者:中村 翼 もし、モンゴル帝国が日本侵略に成功したなら・・・?
コメントへ移動▶2024/10/29 at 10:13 am