教会の権威
教材のねらい
都立桜町高等学校の加藤隆浩先生からの提供です。
加藤先生からのメッセージ
都立桜町高等学校2年生世界史探究の授業実践。初任者研修の一環で行った研究授業の一つです。
単元を貫く問:いわゆる中世ヨーロッパにはどのような特徴があり,それはどのようにかわっていったのだろうか。
MQ:十字軍をきっかけにして,西ヨーロッパにはどのような変化が生まれたのだろうか。
EQ:カノッサの屈辱は何が「屈辱」で,中世の秩序をどう変えたのか。
本単元は「中世ヨーロッパ史」の転換期といえるが,中世初期からのカトリック世界やイスラーム勢力にみられる外的要因を踏まえた学習でなければ,中世史の本質に迫ることができない。さらに,この中世史における「変容と発展」を明確化しなければ,近世史における「宗教改革」の学習への接続が達成されない懸念がある。そこで,本単元では「カノッサの屈辱」を手掛かりに「皇帝と教皇」という二項関係を「俗権と教権」という枠組みで理解しながら考察することで,それがなぜ「屈辱」的で中世の秩序を変容させるきっかけとなったのかという,世界史の本質的な問いについて考察する。この学習が,近世にみられる宗教の堕落から起きた「宗教改革」へつながり,多様な政治権力や政治化された宗教的共同体から変革する形で近世の「市民」としての生き方あり方が発見されるに至り,それが原動力となって近代市民社会へ移行していくことの見通しを持たせることに貢献する。
前章で学習した「神聖ローマ帝国」は,選挙王制や封建制度,教皇からの戴冠(オットーの戴冠)によって大諸侯である五部族大公が力を発揮しながらも,皇帝は帝国の統制者として君臨した。この皇帝と教皇ないしは諸侯との力関係をめぐる問題が,本時の「カノッサの屈辱」につながる。「カノッサの屈辱」は,ドイツ語,英語圏では「カノッサの歩み」という中立的な言い回しが通例であり,「屈辱」の言い回しは近世以降に完成されたナショナリズム的イデオロギーによるものであることは否めず,様々な解釈が付加された慣用句的専門用語であると推察される。しかしながら,のちにドイツ宰相ビスマルクやドイツ連邦共和国防衛大臣シュトルックらが用いた「カノッサ」という単語は,暗に「敗北」や「贖罪」という意味が含意されていた。それは高等学校世界史で記述されているような「カノッサの屈辱」の意味に近いものであるが,そのような単純な「皇帝が教皇に敗北した」という解釈だけでは,なぜそれが中世史上の転換のきっかけとなったのか,またなぜ「屈辱」的であると言えるのかが不鮮明であり,説明が一切ない。さらに,「カノッサの屈辱」から教皇と皇帝の妥協が成立するまでは約50年の間隔があり,「カノッサの屈辱」が皇帝の敗北であると断定するのは安直であるようにも思える。そのため,本時の前後の授業の連続性と来年度の学習である近世史への連綿性を意識し,中世史上の出来事であることを強調して「カノッサの屈辱」を再考し,そこに複合的な意味合いとしての「屈辱」があったことを見出していく。
普段のグループワークでは知識構成型ジグソー法,KP法での探究からトゥールミンモデル,ベン図をなどで内容整理を行いますが,今回は2回の授業で完結させるためにジグソー探究のところや因果関係の整理のところを簡易的なものとして実践しています。また,単元を貫く問いはOPPAシートを使って論述し,素朴概念からの変容を明らかにしていく。
参考文献・資料
- 神崎忠昭 2022 『ヨーロッパの中世』(慶應義塾大学出版会)pp. 122-123。
- 小林亜沙美 2023 「ランパート・フォン・ヘルスフェルトの『編年誌』1077年の章 翻訳と解説」『就実論叢』(就実大学)52,39-54。
- 藤崎衛(監修) 2018 「第一・第二ラテラノ公会議(1123、1139 年)決議文翻訳」『クリオ』32号,61-80頁(東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学研究室「クリオの会」)。
- 宮崎信伍 2019「6 何が中世の秩序を揺るがせたのかー叙任権闘争」千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『新しい世界史の授業生徒とともに深める歴史学習』(山川出版社)pp. 48-55。