投稿者:三谷 博 なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか。 意欲的な教材作成、深い敬意を表します。今度は私の専門外ですが、拝見して日頃の疑問が再浮上しましたので、メモしてお目にかけます。以下に記すことには、現在の教育界や学界の常識に反するものが多いはずです。 MQ.「なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか」 近代史上の大問題と存じます。日本の場合、これは今なお引きずっている深刻な問題なので、生徒たちに適切な解説とアドヴァイスを与える必要があります。 その上で申しますと、やや表現に難があるか、と。①「帝国主義諸国」と「植民地支配」は同義反復に近く見え、しかもズレがある。 18・19世紀に関する私の知見では、蘭・英・仏は、最初から領域支配を目的としていたわけでなく、貿易をめぐる現地政権との衝突からその拠点の領域支配を始め、紛争が生ずるごとにそれを周囲に拡張していったように見えます(オランダとジャワの関係)。 また、イギリス学者の「自由貿易帝国主義」「非公式帝国」の概念に示されるように、領域支配を伴わない貿易上の優位、それに基づく国際関係の決定力(紛争で自分の意思を相手に強制する能力)も、帝国主義に含まれるかも知れません(今のアメリカや中国は?)。 さらに、19世紀末からの「帝国主義の時代」で顕著なのは、西洋列強が必ずしも富を約束せず、衛生上も危ない土地(アフリカが典型)で、勢力範囲を争ったことです。ここでは、利権よりは、他の列強との抗争、あるいは「軍事的栄光・権力の誇示」が主題になっていて、素人目には、現地、現地民との関係は二の次だったように見えます。(いまのロシアのウクライナへの態度にも通ずる)。 つまり、「帝国主義」には様々な意味があり、「何が目的だったのか」を特定するのは難しいように思います。これに対し、「植民地支配」は領域支配の有無という点で、はっきりとした像を結びます。 西洋列強が19世紀に行ったことは、貿易 → 不調 → 戦争 → 貿易・軍事拠点の確保 → 自己に有利な条件の強制 → 場合によっては「面」の支配(例:インド。オーストラリアのように国家のなかった場所では、文字通りに「植民」したので、初期から)。 SQ1 帝国主義の定義 「資本主義的な経済成長をとげ、軍事に強力な国家を形成」を目印にすると、現在のアメリカや中国・ロシアがその典型となります。また、社会主義国でも、ソ連のように、勢力圏の拡張や他国の支配に熱心な国がありました。もし、勢力圏の拡張を問うなら経済体制は関係がありません。 また、現在の資本主義は国境を越えた金融・貿易・移民を特徴としていますが、これらと帝国主義のどこが違うのか、説明が必要となるかと存じます。 ここでもまた、土地の独占・排他的な支配の有無が目印になるように思います。 東京書籍の定義は、19世紀末に起きた傾向の描写で、厳密に言えば定義ではありません。また、前段には原因らしきものが書いてありますが、上記の通り、不十分です。なぜ列強同士の競り合いが激しくなったのかの説明がほしいところです。 SQ2のAについては、やはり、現在との違いが気になります。市場の場合は、特定地域の独占は香料のような特産物の購入以外はさして利益のあることではなかったはずです(売り込む場合、相手が貧乏なままでは儲からない)。資源の場合は、独占すると大きな利益になることは、現在の石油や希少金属を見れば分かります。これは資本主義か否かをといません(20世紀以前にはそれしかありませんでしたが)。 SQ4に続く、インド綿工業の衰退については、植民地支配以前のことだったことが気になります。イギリスとの自由貿易が産業構造の転換を強いたようです。しかし、これは19世紀前半だけでなくて、現在の世界、至る所で起きていることです。市場のグローバル化が、一方では資源の流出、先端産業との競合分野の衰退、他方では、在来産業の一部やサーヴィス産業の活性化を生んでいます。明治日本の木綿関係産業の場合には、綿作・紡績・綿織のうち、綿作が消滅し、紡績と綿織は成長しました。問題は衰退産業の労働力が成長分野に移動できるか否かです。アメリカ中西部の鉄鋼産業、ついで自動車産業が国際競争負けたとき、移動できなかった人々は深い怨念を持つようになり、それがトランプ登場の背景になったことはよく知られるとおりです。インドの場合、ガンディーが植民地支配からの解放を主張したとき、糸車による紡糸の再興を象徴として取り上げましたが、それが有効な経済的アイデアであったか否かは、別問題です。 SSQ2の人種差別観は未だに重要な問題で、なかなか抜けません。西洋側でもできるだけ公平に勉めようとする人がいますが、それでも見落としがあります。無論、日本人もそうした被差別・差別の主体です(東アジアでよく見かけるのは、トップに西洋、自国を2番目、隣国を最下位に置く序列観)。 現代世界の富や健康状態については、次がリアルな姿を見せていて、必読と思います。 ハンス・ロスリング『ファクトフルニス』日経BP,2019年 冒頭のクイズ13問に対し、世界各地の経験豊富を自認していた私は惨敗しました。高校の先生方はぜひチャレンジしてみて下さい。 コメントへ移動▶ 2022/06/21 at 4:39 pm 投稿者:三谷 博 清の開港と日本の開国によって、東アジアはどのように変容したのだろうか。 「中国の開国と日本の開国」についてコメントします。 MQ① とくにありません。 ② これは大事なポイントです。自国と隣国を比べて相手を見下げることは、今後の東アジア人、いずれにとっても、健全なこととは言えません。とくに、中国人も韓国人も「すでに日本より上」と思い始めた現在、日本人がこうした序列観に囚われ続けると、心理的な混乱を大きくする懸念があります。 むしろ、それに代わって、19世紀後半での両国の差異がどうして生まれたのか、それをきちんと理解する必要があります。 開国を機に両国の軌道に大きな差異が生まれたのは事実です。その原因は、西洋との条約の差異だけではありません。むしろ、政治改革の有無が決定的でした。日本の場合、19世紀に入ってから強化された鎖国政策がペリー来航による反動を生み、政体が壊れて徹底的な改革への道が開かれました。中国の場合は、18世紀から大規模な貿易を経験していて、アヘン戦争は大きなショックにはなりませんでした。また、日本と違って科挙官僚制という確立したメリトクラシー・システムがあったため、政治改革の必要性は認識されませんでした。このため、中国が改革を考え始めたのは、日本の1858年に対し1898年。つまり40年後のことになったのです。経済面だけを取り出せば、清朝末期も辛亥以降も中国経済は発展を続けており、上海の殷賑を見れば分かるように、日本より豊かだったと言えます(人口割りにすると別問題)。 中国は革命後、内戦を長年月にわたって続けましたが、鄧小平がそれを終わらせ、ようやく本来の実力を発揮できるようになったように見えます(それには自由の抑圧という大きな代償も伴いましたが)。ともかく、日本についても、中国についても、こうした200年くらいの長期の動きを通観しないと、冷静な見方はできないのではないでしょうか。 なお、次の拙稿も参照して下されば、ありがたく存じます。 「19世紀グローバル化への対応―中・日・韓三国の分岐」、『日本史からの問い』白水社、2020年。 コメントへ移動▶ 2022/06/21 at 5:43 pm 投稿者:三谷 博 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。 武井先生。しばらく別の仕事に没頭していたため、お返事が遅れ、大変失礼いたしました。真摯なお返事をいただき、とてもうれしく思います。先生のご質問やアイデアには、私も即答できる十分な用意がありませんが、ともかく、いま分る範囲でお答えします。 2の中央集権化に関する文献ですが、実は困惑しました。といいますのは、対外危機が中央集権化を促したというのは、維新史の研究者のほとんどすべてが共有している認識で、それを明示的に述べた単著はないように思えるからです。幕末にはそうした危機感を述べた史料は山ほどあるのですが、いま最近の代表的な概説書の青山忠正『明治維新』(吉川弘文館、2012年)を見ても、著者の関心はもっと深い分析に向けられていて、この問題は体系的には書いてありません。(私の『維新史再考』NHKブックス、2017年は、グローバル化の文脈と民主化の源流に注目した本ですが、やや分厚すぎるでしょうか)。ただ、明治期に関しては、勝田政治『明治国家と万国対峙』(角川選書、2017年)という、そのものズバリのタイトルの本があります。ただし、中央集権化が行われた廃藩置県から叙述が始っていて、尊攘運動が猛威を振った幕末期は抜けているので、これ1冊でOKとは行きません。高校生にも読んでもらえる一冊の本というと、ひょっとすると新書にあるかも知れませんが、私自身は読んだことがないので推薦が不可能な状態です。 3については、とても良いアイデアを提示されていて、私自身もなるほどと思いました。最初に通念で議論し、次回にそれを覆すというのは、生徒に納得してもらいやすい組立てと存じます。 4についても、よい参考書を知りません。天皇論というと沢山本が刊行されていますが、学術的な根拠をしっかり持った体系的な書は意外に少ないようです。その中で、とりあえず、次を挙げておきます。安丸良夫『近代天皇像の形成』岩波書店、1992年。その第1章に、近世と近代の間の連続説と断絶説について明快な説明があります。 というはなはだ不十分なお答でおはずかしい次第です。こうして、高校での授業の工夫を伺ってみると、我々研究者は、大きく重要な問題についてほとんど何も書いておらず、つくづく役立たずなのだなと反省しています。私は、民主化の初期については、いずれ清水書院の「歴史総合パートナーズ」の一冊として書くつもりですが、それだけでは到底、教室現場の需要に応じきれるものではありません。今後、どんなことをすればお役に立てるのか、仲間と一緒に考えねばならないと痛感いたしました。今後もよそしくご教示をお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2022/07/05 at 6:11 pm 投稿者:吉嶺 茂樹 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。 武井・三谷先生。北海道@吉嶺です。この間の学問的なやりとりを襟を正して拝見しました。おそらく、連携研の存在意義は、こうした現場の教材(や素朴な疑問)に対して、研究者の側からのリプライがあり、それによって自分の教材が深められていく、ということを教員自身が経験する過程を通して、教員自身が「歴史的に考えるとはどういうことなのか」を「史実に基づいて考えていく」ことにあるのだろうと思います。このタグは維新史の教材について、ですが。それが広がっていけば、原始古代~現代まで、基本的には一人で生徒と向かい合う教員教材の各時代のバージョンアップができます。歴史総合の目的は「歴史の学び方を学ぶこと」にあると思いますが、それは今回のやりとりのようなことを通じて教員が学べることだと思われます。そのうえで、維新~明治初期にさまざまに行われた施策は、北海道の近代化のありかたとパラレルになります。開拓使が行ったことはうまくいったことばかりではありませんが、総じていえば「十年間の期間限定で一つの模擬国家をつくるくらいの権限」を与えられた(とわたくしは理解しています)開拓使長官が、個別具体的に何を考えてそれがどういう政策になったのか、それを(もちろん全部はおいかけきれませんが)各自の場に住む北海道の生徒が知ることを通じて、自分の身の回りが理解でき、それが最終的に北海道から見る生徒自身の中の国家認識につながっていくと考えます。私自身は幕末期ソウヤ場所史料の勉強を延々と、片手間に続けている世界史の教員ですが、たぶん日本史でも世界史でもない、幕末期の対外関係に翻弄された二人の御用所役人の記録に示される苦闘は、大きなところからの三谷先生の指摘をうらづけるものと思われます。 コメントへ移動▶ 2022/07/11 at 7:27 pm 投稿者:徳原 拓哉 わたしたちは過去をどのように知り、理解しているか? 山根先生 恐れ入ります。神奈川県立横浜国際高等学校 徳原拓哉と申します。 非常に興味深く、また練られた教材にて、狙いとするところに深く首肯しながら拝見しておりました。 この教材における史資料批判、史資料との向き合いについて、年間カリキュラムの中で繰り返しその要素が出てくるように思います。 こうした反復的な史資料批判の営みについて、日頃の授業ではどのように支援をしていらっしゃるのでしょうか。 コメントへ移動▶ 2022/07/11 at 9:46 pm 投稿者:山根友樹 わたしたちは過去をどのように知り、理解しているか? 徳原先生 コメントを頂戴いたしまして、大変恐縮です。 史資料批判の営みにかんする日頃の授業における支援についてですが、いまだ十分に行えていないというのが現実であり、わたくしの今年度の歴史総合実践の課題のひとつでもあります。 現状、授業時間内に使用する史資料は、どうしても「教科書や授業者によって構築された歴史像を裏付ける」ことを基準として選定してしまうことが多く、そのために史資料に表れている内容を「正確に読み解く」ことに終始してしまっているのが現状です。 ご質問を頂戴いたしまして、改めて授業内での史資料批判の機会を設け、学習活動として支援する必要性を感じているところです。また教材を投稿させていただきますので、ご意見賜りたくお願い申し上げる次第です。 コメントへ移動▶ 2022/07/13 at 11:46 am 投稿者:小林克史 「日本の産業革命は短期間で達成された!近代化によって発展してスゴい!」って歴史の語りで良いの? 視点がいいですね。勤務校ではそこまで詳しくやるのは難しいですが、その視点は紹介したいと思います。 コメントへ移動▶ 2022/10/17 at 9:55 pm 投稿者:武井 寛太 「日本の産業革命は短期間で達成された!近代化によって発展してスゴい!」って歴史の語りで良いの? コメントありがとうございます。視点についてお褒め頂き光栄です。歴史総合が始まる前、様々な研究会に参加する中で「歴史総合は日本の無批判な礼賛になりかねない(=アジア蔑視)」という意見を聞く機会が多かったため、それを意識しました。資料や読ませる文章は詳しいものがありますが、狙いとゴールは困難校でも共有できるかなと思っております。また、私自身のポリシーですが、視点を紹介したり教え込んだりするだけでは理解されないと思っています。生徒自身が主体的に他者と関わりながら知識を構成できるような授業を目指したいと考えております。未熟者ですので、今後ともご指導下されば幸いです。 コメントへ移動▶ 2022/10/21 at 10:35 am 投稿者:小林克史 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。 神奈川県の公立高校で勤務している小林です。 テーマが興味深かったです。教材研究の深さに感心しました。ただ、ほとんどの学校でそこまで詳しくできないだろうな、とも思いました。 学力低めの高校で、90分授業で教科書に沿って3テーマをぶち抜くと、こんな感じになりました。うちの生徒ができる課題、やる気が出るように、を意識してます。 導入「あなたのおクニはどこですか?」(生徒は「日本です」と答えるが)「相模です」 ①「市民革命と国民国家」⇒フランス革命などを通して国民意識がつくられていく (せいぜい地縁・血縁でのまとまりが、「独立を守れ」「革命を守れ」⇒『私たちの「国(想像の共同体)」を守れ』⇒『私たちは「国民」だ』となっていった。) ②「明治維新」⇒新政府が目指したのは、地方分権(藩)から中央集権(国)へ (明治維新でいきなり「日本」ができたわけではなく、内戦の爪痕は深く東北諸藩は冷遇された。) ③「富国強兵」欧米諸国に対抗するには?⇒国のために働き戦う「国民」をつくろう! (藩から国への帰属意識の変遷。徴兵制と学制から標準語の浸透、外国の対としての「日本」の意識。) GOAL「あなたのおクニはどこですか?」「日本です」 プリントは教科書の太文字の穴埋め。問いは二つ。(グーグルフォームで回答、共有) 問いでは、基本的に正解を求めない。正解が分からないような問いをたてる。なるべく生徒の意見を肯定的に評価し、最後に私はこういう意見だと表明。 ①「帝国」と「国民国家」どっちがいい?できれば理由も。 (「帝国」は民主主義ではないが、民族や宗教が違っても攻撃せず、共存しようとしていたことが多い。「国民国家」では、民主主義がしっかり機能しないと外国人や非国民、少数派への差別や攻撃がおきる。現代では多民族が共存する「帝国」は難しい。抑圧的な統治につながりやすい。) ②新政府か旧幕府の考えを想像して答えてみよう。 (新政府側は、なにがなんでも戦争して将軍から権力を奪い取りたかった。) コメントへ移動▶ 2022/10/17 at 10:47 pm 投稿者:武井 寛太 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。 コメントありがとうございます。現任校の与野高等学校は、進学先のボリュームゾーンが大東亜帝国の中堅上位校ではありますが、その学校のレベルに合わせて教材化しました。前任校は定時制高校だったので、私がこの授業を定時制で行う場合は、狙いと期待するゴールは変えることなく、資料をもっと易しくしたり、足場かけとなる問いをもっと取り組みやすくしたりする工夫をするかなと思います。是非、小林先生の勤務校の実態に合わせて改変してくださると幸いです。なお、知識構成型ジグソー法は生徒の実態をつかまなければ教材化できない授業手法です(教師が用意した資料と問いをもとに生徒が主体的に知識を構成するのですから)。逆に言うと、「私の学校の生徒はどこに躓くだろうか」と生徒の学びの様子を想像しながら教材を作成し、また改変することのできる授業です。是非、詳しいか詳しくないかの判断のみならず、「どうすれば(どいういう問い、足場かけ、資料の選定であれば)生徒ができるようになるだろうか」という視点で本教材をご利用いただけますと幸いです。 小林先生の90分授業の構想を拝見し、とても面白く、かつ分かりやすい授業展開だと感じました。②の視点は、コメント欄にある三谷先生の指摘にもあるように、私の教材理解が不十分だったところでして、改めてその大切さを認識できました。正解を求めないオープンエンドの問いについて、生徒がどのように考え、どのような成果物を残すのかとても気になります。個人でしょうか、グループでしょうか。グループの場合、どのような対話が見られ、その時にはどんな資料(教科書含む)を読みながら立論するのでしょうか。私はかなりクローズドな授業(とはいえその知識の結び付け方は構成的、オープンですけれども)をしがちなので勉強させて頂けますと幸いです。 コメントへ移動▶ 2022/10/21 at 10:49 am 投稿者:小林克史 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。 勤務校はなかなか特殊なシステムで、要は大学と同じ単位制です。卒業までに74単位を取得すればよく、留年がなく、取り直しができるため、ボロボロ単位を落とします。クラスが朝のSHRと週1のLHRだけなので、人間関係につまづいた生徒が希望して来ることも多いです。不登校生徒も多く、その先生が嫌いだからと出席しない生徒もいたりします。出席メンバーが毎時間異なり、グループワークは厳しく、それがひどく嫌いな生徒も多いです。ICT環境がすべての教室に備わっていて、動画も簡単に見せられます。ここ2年はコロナもあり、生徒がスマホやクロームブックでグーグルフォームに回答することができるようになったため、匿名個人(教師は分かる)の意見表明を良く行います。以前は生徒に書かせたものを一人ずつずらして回し、その意見のいいところを見つけて書くように、ということをしてました。先生の話は聞かなくても、生徒同士の意見は気になるようです。 目標は「自分で考える」「他者のいいところを見つける」「評価されて自己肯定感を持つ」ですね。知識を問う質問はこちらが簡単だと思っても、答えられない生徒が多いので、考えればなにかしら答えのある質問を心がけています。見つからないときは、三択などで、「分かりません」はなしです。 うまくいっているかというと、よく寝ます。スマホもいじります。テストや成績にも頓着しない生徒が多いです。でも、質問には起きて答えてくれたり、雑学をよくメモしてくれる生徒も多いです。ありがたいです。 私がオープンエンドを好きなのは、教師の力量が問われますが、「AかBか?」と問われて「Cかも」という生徒を求め、それに応えてくれる生徒がいるからです。自分(教師)自身も変われなければ、議論する意味はないと思います。例えば、先述の「帝国か国民国家か?」にどちらでもなく、「時代とともに世界の情勢を変えていくほうが切実ではないだろうか」という答えを返した生徒がいました。ステキでした。名前を言わずにベタ褒めです。 ICT活用で、教科書終わらせる、4人の先生での共通プリント(動画、スライド、回答フォーム含む、主な流れは私が作成)、共通テスト、の授業を今年の前半はやってみましたが、疲れました。やめとけば良かった。私も含め先生たちの良さが消されました。私が一番好きなのは、教壇はステージ、黒板とチョークと寸劇、生徒の「へ~」、です。浅く広く、でも分かる生徒には深くが理想。ゴールは違うこともある。ライブだから。生徒のやる気は教師がどれだけ生徒に手をかけたかが大きく、ノートやプリントに肯定的なコメントを書くことだと思っています。気力・体力がないときはできませんが。極論、社会科は生徒ができるようになる(テストを?課題を?なにを?)かどうかは、あまり問題ではないのでは、などと考えています。 大学の恩師、湯川武先生の言葉を借りれば、「豊かな好奇心と明るい猜疑心」「君たちのやったことは、たかがしれてる。しかし、世間から見れば専門家だ。専門家の自覚を持ってほしい。」ということが生徒に芽生えてくれれば最高です。 武井先生は定時制でも教鞭をとられたとのこと、きっと生徒のことをよく考えられていたのでしょう。好きなようにやられるのが、ご自身にも生徒にも、一番いいと思います。 コメントへ移動▶ 2022/10/29 at 10:13 pm 投稿者:小林克史 産業革命によって、人は「幸せ」になったのか? 神奈川県の公立高校の小林です。 視覚的に分かりやすく、答えやすく、いろいろなレベルの生徒にそのまま使えそうな教材で、素晴らしいと思いました。 なにより、現代ではどこまで克服できたか、という問いかけがいいと思いました。 歴史的な出来事を自分に引き付けて考えることが、興味関心の上でも、理解を深めるうえでも大切だと思うので、大変参考になりました。 コメントへ移動▶ 2022/11/11 at 9:13 pm 投稿者:佐伯 佳祐 産業革命によって、人は「幸せ」になったのか? 小林先生 コメントをありがとうございます。 少し量が多いかもしれませんが、実際の授業 では生徒たちは一生懸命に取り組んでくれました。 現代的諸課題のレポートでも、産業革命の課題といまの社会の諸問題を比較する生徒は多かったです。 今後ともよろしくお願いいたします。 コメントへ移動▶ 2022/11/11 at 10:32 pm 投稿者:堀井 弘一郎 「国民」とは、どんな人々を指しているだろうか。「国民」を自分なりに定義してみよう! フランスにおける「国民」の形成に関心があります コメントへ移動▶ 2022/11/18 at 7:07 pm 投稿者:清川 洋 【大衆化と私たち】単元3:民主主義って良いもの?〜「デモクラシー」の形はみんな同じ?〜 学ばせていただきます。 コメントへ移動▶ 2022/12/09 at 8:29 am 投稿者:内藤 裕子 社会科・地理歴史科教育法レジュメ 大阪大学でお世話になった内藤です。現在、愛知大学で非常勤を務めておりますので先生の講義を参考にさせていただきます。今後ともご活躍ください。 コメントへ移動▶ 2023/01/07 at 4:38 pm 投稿者:西村 嘉高 社会科・地理歴史科教育法レジュメ 内藤さん お久しぶりです。わたしも日大での講義は2年目でして、まだまだ手探りです。こちらこそご教示お願いいたします。 コメントへ移動▶ 2023/01/08 at 12:38 pm 投稿者:木村航 【大衆化と私たち】単元3:民主主義って良いもの?〜「デモクラシー」の形はみんな同じ?〜 国会前の日独米の違いについては、何を参考にされましたか?私は、日独の国会前の様子の違いが現地で見てとても印象的だった経験があり、もし専門家の方がこれについて分析しているようでしたら、ご教示ください。 コメントへ移動▶ 2023/01/08 at 8:33 pm 投稿者:樋口耕介 ル・ボン著『群集心理』を読む 授業の参考にさせていただきました。 ただ、4PのB項目が一部見切れているように思います。 コメントへ移動▶ 2023/02/01 at 11:32 am 投稿者:木村 芳幸 ル・ボン著『群集心理』を読む 樋口さま、一部分見切れていますね。時間でき次第訂正させていただきます。 ご指摘いただき、有り難うございます。 コメントへ移動▶ 2023/02/01 at 10:15 pm 投稿者:野々山 新 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの? ご質問ありがとうございます、同じく愛知県の野々山です。近いところに仲間がいるのだなと、嬉しく思います! パフォーマンス課題の実務上の課題については、確かに悩ましいところですよね。欠席に対する私の方針は、出席時に改めて課題を渡して期日を示しながら随時提出という形です。きっと公平性で疑問を持たれる方がいるのだろうと思うのですが、通常に実施した際も終わらなかったら持ち帰って良いという運用にしているので大きな支障はありません。パフォーマンス課題の内容自体が知識の再生産ではなく、単元を総括しながら資史料を用いて価値判断を行う思考プロセスを求めていますので、自宅で調べてもらっても構わないし、むしろその調べるという行動そのものにも主体的に学習に取り組む態度が表出される状況である、と校内で説明しています。ちなみに、全員ではないですが時間をかけた生徒の方が評価が上がる傾向にあります。理想としては全員が持ち帰って時間をかけて全員観点がA評価になる成果物が出てくれると嬉しいなと思っています。絶対評価ですし、教師としては全員の成長を目指したいものです。実態は部活動や他科目との兼ね合いもあるのでそううまくいきませんが・・・。 外国籍の生徒さんについては、学校特有の事情がありそうですね。地域的特性や、定時制ということでしょうか。こちら、ぜひ他の先生にも対応方法の事例を伺いたいところです。本校では個人単位を前提とすると、レポートを課す際には文章表現力に応じてやはり差が出てしまいますし、プレゼンテーションを交えるといわゆるコミュニケーション能力で差が出てしまいます。ただ、グループ単位でパフォーマンス課題に取り組ませることが多いので、そうした特性を相互に補い合いながら作成してくれているのではないかと期待しています。・・・これを、日本語の運用が難しい外国籍の生徒に転用できるのか疑問ですよね。。。この点、同様の課題を抱える学校の先生方からもご意見いただけると私も勉強になって嬉しいです。 コメントへ移動▶ 2023/02/20 at 4:08 pm 投稿者:清川 洋 原爆資料館のあり方を問う 学ばせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/02/21 at 8:20 am 投稿者:清川 洋 第二次世界大戦は、なぜ複合的な戦争と言われるのか? 学ばせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/02/21 at 8:25 am 投稿者:清川 洋 第二次世界大戦は、なぜ複合的な戦争と言われるのか? 参考にさせていただきます。 コメントへ移動▶ 2023/02/21 at 8:28 am 投稿者:清川 洋 ファシズムと共産主義の同時期の台頭には、 どんな背景と影響があったのか? ありがとうございます。参考にさせていただきます。また、共産主義は、まさにファシズムだと思えました。 コメントへ移動▶ 2023/02/21 at 10:30 am 投稿者:三谷 博 あなたのおクニはどこですか(市民革命と国民国家、明治維新、富国強兵) 小林先生 明治維新についての教材、拝見しました。私はこの時代の専門家で、その考えは『維新史再考』(NHK出版)に集約しています。その観点から、いくつかコメントさせていただきます。力作と拝見しますが、やや違和感があるので、お目にかけます。無礼の段はご海容を Work1 ですが、“「帝国」と「国民国家」どっちがいい?”という設問には当惑しました。①「国民国家」はいまかなり共有された理解がありますが、「帝国」はそうでない。「帝国主義」は他地域を征服し、支配することという理解が共有されていますが、ここの「帝国」は今のロシアのように領土拡張を追求する国なのか、拡張が終った後、その領土を保守する存在なのか、いずれでしょうか。オスマンの場合、時間をへて後者に変っていったようですが、ロシアはいま突然、前者に戻ったように見えます。②生徒たちの住む国、日本は元来、「帝国」ではありませんでした。では、日清戦争後に「帝国」になる以前、どんな国だったのでしょうか。生徒たちからみると、そちらの方が気になるはずです。近世ヨーロッパと同じく「複合国家」、住民が地元の領域とより広い国と、二重のアイデンティティを持つ国だったはずです。③その日本が「帝国」化したあとの姿は、戦後生れの我々にはなかなか想像しにくいものなので、他の例と比較しながら説明する必要があるでしょう。④「多民族が共存する」のを「帝国」とすると、中国・インド・USAがすぐ思い浮びます。すると、その存立が難しいとか、抑圧的統治につながりやすいとは、かならずしも言えないのではないでしょうか。⑤この国家形態の差異を民主主義の有無やその機能と結びつけるのは、やはり難しいのではないでしょうか。 Work2ですが、ここの理解は私とかなり違います。王政復古は薩長が徳川と闘うために行ったことではありません。拙著に書いたように、王政復古の時点では新体制を戦争なしに実現しようと志したものの、やむなく鳥羽伏見を戦うこととなったのです。東北戦争も同様で、長州の木戸は王政復古後にすぐ版籍奉還をしておれば戦争なしに済んだはずだと書いています(藩の統治権をすべて無くすので、藩単位の戦争はありえなくなる)。維新での死者は約3.2万人でした。これは支配身分の武士を全廃した急進的革命としては信じがたいほどの少なさです。人口が日本の80%だったフランス革命の死者は約155万人でした。維新は戦争の限定性、少なさが特徴なので、もっと別の説明が必要と考えます。 Work3については、教科書自体に疑問を持ちます。明治初期は「文明開化」の方が大事でした。元来、「富国強兵」は中国から引継いだ普通名詞で、「立派な統治」を表現するために、幕末にもよく使われています。また、明治初期に追求されたのは「富国」で、「強兵」に重きが置かれるようになったのは、明治20年前後のことです(経済建設が優先。ただし、それがうまくゆき始めると軍拡に傾注し、それを中国相手に使った。今の中国が辿っている経路と似ています)。 コメントへ移動▶ 2023/03/07 at 8:57 am 投稿者:小林克史 あなたのおクニはどこですか(市民革命と国民国家、明治維新、富国強兵) 三谷先生、コメントありがとうございます。まず隗より始めよの気持ちで史資料にあたらずに記憶で作った教材だったので恐縮ですが、力作と言っていただけたのは、大変ありがたいです。30年ちかく前の大学での専攻は東洋史のイスラーム史でした。日本史は講談社の『日本の歴史』(2000年ごろ)シリーズをつまみ食い程度で、あとは新聞の書評で仕入れた知識が多いです。 さて、Work1について、①「帝国」についての定義をしておらず、当惑されたとのこと。30年前にオスマン帝国を学ぶ前の私のイメージは『スターウォーズ』のごとく、「帝国=悪=専制=古い」、「国民国家=善=民主主義=近代」、というものだったので、おそらく国民国家がいいものだと考えているであろう生徒たちに、違う視点を持ってもらいたくてこの設問を作りました。ご指摘の通り、「帝国」にもいろいろあるので、生徒の回答に応じて、教師側のコメントも変わります。授業では「帝国」がいいとか、「国民国家」が悪いではなく、それぞれに特徴、長所短所があるという話に持っていきます。生徒がそれぞれのいいところをあげれば、「そうだよね。よく知ってるね。」。短所をあげれば「なるほど、確かに。少数派を顧みない体制は、帝国であれ国民国家であれ、ダメだよね。」などとコメントしました。 ②について、大日本帝国は想定していませんでしたが、アイデンティティについてクニから国へ移行しただけでなく、二重であったと言われれば、その通りですので、ご指摘ありがとうございました。30年前のアラブ世界の研究では「アイデンティティ複合」などと言っていたような気がします。高校・大学生の頃はそんなことがあるんだとはじめて知りました。 ③については「日本が「帝国」化したあとの姿」のことは全く想定していませんでした。 ④について、中国・インド・USAを想定したわけではなく、単に現代でかつての歴史上にあったような「帝国」ができたら、抑圧的統治につながりやすいだろうな、と考えた次第です。個人的な感覚ではソ連や現在の中国も強権的な帝国の一形態かと思っています。 ⑤について、”この国家形態の差異を民主主義の有無やその機能と結びつけるのは、やはり難しいのではないでしょうか。”とのこと。申し訳ありません。そこまで深く考えていませんした。「歴史が発展して国民国家が生まれてきた」というような「発展段階説」「進歩史観」のようなものに対して、疑いの目を持ってくれればという程度の設問でした。 Work2についてのご指摘は、本当にためになりました。ありがとうございました。王政復古については、よく分からないので助かりました。自分の記憶がどこから来たものかも思い出せません。明治維新については、「あまり血も流れず、短期間で新しい国ができた」と単純に考えていた高校生の頃を振り返って、「いやいや、明治維新は内戦だろう」という主張をどこかで読み、そのイメージでプリントの解説を書きました。たしかにフランス革命などと比べれば、内戦、そして武士という支配身分の全廃という急進的な改革が、これだけ少ない死者数で済んだことは、特筆すべきことでした。ただ、武士の身分については、『武士の家計簿』で江戸時代末期は身分を維持する費用が高く、それから解放されたので前向きに受け入れたのではないか、という主張(実証的ではないですが)に共感しました。また、新聞の書評にあった本で題名を忘れましたが、秀吉以来の「石高制」が武士をサラリーマン化させ、それがひいては明治維新の際の平和的な武士身分の廃止につながり、フランス革命前の領地と結びついた封建領主とは大きく異なるのではないか、という説も(これまた実証的ではありませんが)なるほどと思い、生徒に話しています。 Work3については、恥ずかしながら知りませんでした。ご教授ありがとうございました。このネタは来年度使わせていただきます。 ありがとうございました。 コメントへ移動▶ 2023/03/08 at 11:02 pm « 前へ 1 … 4 5 6 7 8 次へ »
意欲的な教材作成、深い敬意を表します。今度は私の専門外ですが、拝見して日頃の疑問が再浮上しましたので、メモしてお目にかけます。以下に記すことには、現在の教育界や学界の常識に反するものが多いはずです。 MQ.「なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか」 近代史上の大問題と存じます。日本の場合、これは今なお引きずっている深刻な問題なので、生徒たちに適切な解説とアドヴァイスを与える必要があります。 その上で申しますと、やや表現に難があるか、と。①「帝国主義諸国」と「植民地支配」は同義反復に近く見え、しかもズレがある。 18・19世紀に関する私の知見では、蘭・英・仏は、最初から領域支配を目的としていたわけでなく、貿易をめぐる現地政権との衝突からその拠点の領域支配を始め、紛争が生ずるごとにそれを周囲に拡張していったように見えます(オランダとジャワの関係)。 また、イギリス学者の「自由貿易帝国主義」「非公式帝国」の概念に示されるように、領域支配を伴わない貿易上の優位、それに基づく国際関係の決定力(紛争で自分の意思を相手に強制する能力)も、帝国主義に含まれるかも知れません(今のアメリカや中国は?)。 さらに、19世紀末からの「帝国主義の時代」で顕著なのは、西洋列強が必ずしも富を約束せず、衛生上も危ない土地(アフリカが典型)で、勢力範囲を争ったことです。ここでは、利権よりは、他の列強との抗争、あるいは「軍事的栄光・権力の誇示」が主題になっていて、素人目には、現地、現地民との関係は二の次だったように見えます。(いまのロシアのウクライナへの態度にも通ずる)。 つまり、「帝国主義」には様々な意味があり、「何が目的だったのか」を特定するのは難しいように思います。これに対し、「植民地支配」は領域支配の有無という点で、はっきりとした像を結びます。 西洋列強が19世紀に行ったことは、貿易 → 不調 → 戦争 → 貿易・軍事拠点の確保 → 自己に有利な条件の強制 → 場合によっては「面」の支配(例:インド。オーストラリアのように国家のなかった場所では、文字通りに「植民」したので、初期から)。 SQ1 帝国主義の定義 「資本主義的な経済成長をとげ、軍事に強力な国家を形成」を目印にすると、現在のアメリカや中国・ロシアがその典型となります。また、社会主義国でも、ソ連のように、勢力圏の拡張や他国の支配に熱心な国がありました。もし、勢力圏の拡張を問うなら経済体制は関係がありません。 また、現在の資本主義は国境を越えた金融・貿易・移民を特徴としていますが、これらと帝国主義のどこが違うのか、説明が必要となるかと存じます。 ここでもまた、土地の独占・排他的な支配の有無が目印になるように思います。 東京書籍の定義は、19世紀末に起きた傾向の描写で、厳密に言えば定義ではありません。また、前段には原因らしきものが書いてありますが、上記の通り、不十分です。なぜ列強同士の競り合いが激しくなったのかの説明がほしいところです。 SQ2のAについては、やはり、現在との違いが気になります。市場の場合は、特定地域の独占は香料のような特産物の購入以外はさして利益のあることではなかったはずです(売り込む場合、相手が貧乏なままでは儲からない)。資源の場合は、独占すると大きな利益になることは、現在の石油や希少金属を見れば分かります。これは資本主義か否かをといません(20世紀以前にはそれしかありませんでしたが)。 SQ4に続く、インド綿工業の衰退については、植民地支配以前のことだったことが気になります。イギリスとの自由貿易が産業構造の転換を強いたようです。しかし、これは19世紀前半だけでなくて、現在の世界、至る所で起きていることです。市場のグローバル化が、一方では資源の流出、先端産業との競合分野の衰退、他方では、在来産業の一部やサーヴィス産業の活性化を生んでいます。明治日本の木綿関係産業の場合には、綿作・紡績・綿織のうち、綿作が消滅し、紡績と綿織は成長しました。問題は衰退産業の労働力が成長分野に移動できるか否かです。アメリカ中西部の鉄鋼産業、ついで自動車産業が国際競争負けたとき、移動できなかった人々は深い怨念を持つようになり、それがトランプ登場の背景になったことはよく知られるとおりです。インドの場合、ガンディーが植民地支配からの解放を主張したとき、糸車による紡糸の再興を象徴として取り上げましたが、それが有効な経済的アイデアであったか否かは、別問題です。 SSQ2の人種差別観は未だに重要な問題で、なかなか抜けません。西洋側でもできるだけ公平に勉めようとする人がいますが、それでも見落としがあります。無論、日本人もそうした被差別・差別の主体です(東アジアでよく見かけるのは、トップに西洋、自国を2番目、隣国を最下位に置く序列観)。 現代世界の富や健康状態については、次がリアルな姿を見せていて、必読と思います。 ハンス・ロスリング『ファクトフルニス』日経BP,2019年 冒頭のクイズ13問に対し、世界各地の経験豊富を自認していた私は惨敗しました。高校の先生方はぜひチャレンジしてみて下さい。
「中国の開国と日本の開国」についてコメントします。 MQ① とくにありません。 ② これは大事なポイントです。自国と隣国を比べて相手を見下げることは、今後の東アジア人、いずれにとっても、健全なこととは言えません。とくに、中国人も韓国人も「すでに日本より上」と思い始めた現在、日本人がこうした序列観に囚われ続けると、心理的な混乱を大きくする懸念があります。 むしろ、それに代わって、19世紀後半での両国の差異がどうして生まれたのか、それをきちんと理解する必要があります。 開国を機に両国の軌道に大きな差異が生まれたのは事実です。その原因は、西洋との条約の差異だけではありません。むしろ、政治改革の有無が決定的でした。日本の場合、19世紀に入ってから強化された鎖国政策がペリー来航による反動を生み、政体が壊れて徹底的な改革への道が開かれました。中国の場合は、18世紀から大規模な貿易を経験していて、アヘン戦争は大きなショックにはなりませんでした。また、日本と違って科挙官僚制という確立したメリトクラシー・システムがあったため、政治改革の必要性は認識されませんでした。このため、中国が改革を考え始めたのは、日本の1858年に対し1898年。つまり40年後のことになったのです。経済面だけを取り出せば、清朝末期も辛亥以降も中国経済は発展を続けており、上海の殷賑を見れば分かるように、日本より豊かだったと言えます(人口割りにすると別問題)。 中国は革命後、内戦を長年月にわたって続けましたが、鄧小平がそれを終わらせ、ようやく本来の実力を発揮できるようになったように見えます(それには自由の抑圧という大きな代償も伴いましたが)。ともかく、日本についても、中国についても、こうした200年くらいの長期の動きを通観しないと、冷静な見方はできないのではないでしょうか。 なお、次の拙稿も参照して下されば、ありがたく存じます。 「19世紀グローバル化への対応―中・日・韓三国の分岐」、『日本史からの問い』白水社、2020年。
武井先生。しばらく別の仕事に没頭していたため、お返事が遅れ、大変失礼いたしました。真摯なお返事をいただき、とてもうれしく思います。先生のご質問やアイデアには、私も即答できる十分な用意がありませんが、ともかく、いま分る範囲でお答えします。 2の中央集権化に関する文献ですが、実は困惑しました。といいますのは、対外危機が中央集権化を促したというのは、維新史の研究者のほとんどすべてが共有している認識で、それを明示的に述べた単著はないように思えるからです。幕末にはそうした危機感を述べた史料は山ほどあるのですが、いま最近の代表的な概説書の青山忠正『明治維新』(吉川弘文館、2012年)を見ても、著者の関心はもっと深い分析に向けられていて、この問題は体系的には書いてありません。(私の『維新史再考』NHKブックス、2017年は、グローバル化の文脈と民主化の源流に注目した本ですが、やや分厚すぎるでしょうか)。ただ、明治期に関しては、勝田政治『明治国家と万国対峙』(角川選書、2017年)という、そのものズバリのタイトルの本があります。ただし、中央集権化が行われた廃藩置県から叙述が始っていて、尊攘運動が猛威を振った幕末期は抜けているので、これ1冊でOKとは行きません。高校生にも読んでもらえる一冊の本というと、ひょっとすると新書にあるかも知れませんが、私自身は読んだことがないので推薦が不可能な状態です。 3については、とても良いアイデアを提示されていて、私自身もなるほどと思いました。最初に通念で議論し、次回にそれを覆すというのは、生徒に納得してもらいやすい組立てと存じます。 4についても、よい参考書を知りません。天皇論というと沢山本が刊行されていますが、学術的な根拠をしっかり持った体系的な書は意外に少ないようです。その中で、とりあえず、次を挙げておきます。安丸良夫『近代天皇像の形成』岩波書店、1992年。その第1章に、近世と近代の間の連続説と断絶説について明快な説明があります。 というはなはだ不十分なお答でおはずかしい次第です。こうして、高校での授業の工夫を伺ってみると、我々研究者は、大きく重要な問題についてほとんど何も書いておらず、つくづく役立たずなのだなと反省しています。私は、民主化の初期については、いずれ清水書院の「歴史総合パートナーズ」の一冊として書くつもりですが、それだけでは到底、教室現場の需要に応じきれるものではありません。今後、どんなことをすればお役に立てるのか、仲間と一緒に考えねばならないと痛感いたしました。今後もよそしくご教示をお願いいたします。
武井・三谷先生。北海道@吉嶺です。この間の学問的なやりとりを襟を正して拝見しました。おそらく、連携研の存在意義は、こうした現場の教材(や素朴な疑問)に対して、研究者の側からのリプライがあり、それによって自分の教材が深められていく、ということを教員自身が経験する過程を通して、教員自身が「歴史的に考えるとはどういうことなのか」を「史実に基づいて考えていく」ことにあるのだろうと思います。このタグは維新史の教材について、ですが。それが広がっていけば、原始古代~現代まで、基本的には一人で生徒と向かい合う教員教材の各時代のバージョンアップができます。歴史総合の目的は「歴史の学び方を学ぶこと」にあると思いますが、それは今回のやりとりのようなことを通じて教員が学べることだと思われます。そのうえで、維新~明治初期にさまざまに行われた施策は、北海道の近代化のありかたとパラレルになります。開拓使が行ったことはうまくいったことばかりではありませんが、総じていえば「十年間の期間限定で一つの模擬国家をつくるくらいの権限」を与えられた(とわたくしは理解しています)開拓使長官が、個別具体的に何を考えてそれがどういう政策になったのか、それを(もちろん全部はおいかけきれませんが)各自の場に住む北海道の生徒が知ることを通じて、自分の身の回りが理解でき、それが最終的に北海道から見る生徒自身の中の国家認識につながっていくと考えます。私自身は幕末期ソウヤ場所史料の勉強を延々と、片手間に続けている世界史の教員ですが、たぶん日本史でも世界史でもない、幕末期の対外関係に翻弄された二人の御用所役人の記録に示される苦闘は、大きなところからの三谷先生の指摘をうらづけるものと思われます。
山根先生 恐れ入ります。神奈川県立横浜国際高等学校 徳原拓哉と申します。 非常に興味深く、また練られた教材にて、狙いとするところに深く首肯しながら拝見しておりました。 この教材における史資料批判、史資料との向き合いについて、年間カリキュラムの中で繰り返しその要素が出てくるように思います。 こうした反復的な史資料批判の営みについて、日頃の授業ではどのように支援をしていらっしゃるのでしょうか。
山根先生
恐れ入ります。神奈川県立横浜国際高等学校 徳原拓哉と申します。 非常に興味深く、また練られた教材にて、狙いとするところに深く首肯しながら拝見しておりました。 この教材における史資料批判、史資料との向き合いについて、年間カリキュラムの中で繰り返しその要素が出てくるように思います。 こうした反復的な史資料批判の営みについて、日頃の授業ではどのように支援をしていらっしゃるのでしょうか。
徳原先生 コメントを頂戴いたしまして、大変恐縮です。 史資料批判の営みにかんする日頃の授業における支援についてですが、いまだ十分に行えていないというのが現実であり、わたくしの今年度の歴史総合実践の課題のひとつでもあります。 現状、授業時間内に使用する史資料は、どうしても「教科書や授業者によって構築された歴史像を裏付ける」ことを基準として選定してしまうことが多く、そのために史資料に表れている内容を「正確に読み解く」ことに終始してしまっているのが現状です。 ご質問を頂戴いたしまして、改めて授業内での史資料批判の機会を設け、学習活動として支援する必要性を感じているところです。また教材を投稿させていただきますので、ご意見賜りたくお願い申し上げる次第です。
視点がいいですね。勤務校ではそこまで詳しくやるのは難しいですが、その視点は紹介したいと思います。
コメントありがとうございます。視点についてお褒め頂き光栄です。歴史総合が始まる前、様々な研究会に参加する中で「歴史総合は日本の無批判な礼賛になりかねない(=アジア蔑視)」という意見を聞く機会が多かったため、それを意識しました。資料や読ませる文章は詳しいものがありますが、狙いとゴールは困難校でも共有できるかなと思っております。また、私自身のポリシーですが、視点を紹介したり教え込んだりするだけでは理解されないと思っています。生徒自身が主体的に他者と関わりながら知識を構成できるような授業を目指したいと考えております。未熟者ですので、今後ともご指導下されば幸いです。
神奈川県の公立高校で勤務している小林です。 テーマが興味深かったです。教材研究の深さに感心しました。ただ、ほとんどの学校でそこまで詳しくできないだろうな、とも思いました。 学力低めの高校で、90分授業で教科書に沿って3テーマをぶち抜くと、こんな感じになりました。うちの生徒ができる課題、やる気が出るように、を意識してます。 導入「あなたのおクニはどこですか?」(生徒は「日本です」と答えるが)「相模です」 ①「市民革命と国民国家」⇒フランス革命などを通して国民意識がつくられていく (せいぜい地縁・血縁でのまとまりが、「独立を守れ」「革命を守れ」⇒『私たちの「国(想像の共同体)」を守れ』⇒『私たちは「国民」だ』となっていった。) ②「明治維新」⇒新政府が目指したのは、地方分権(藩)から中央集権(国)へ (明治維新でいきなり「日本」ができたわけではなく、内戦の爪痕は深く東北諸藩は冷遇された。) ③「富国強兵」欧米諸国に対抗するには?⇒国のために働き戦う「国民」をつくろう! (藩から国への帰属意識の変遷。徴兵制と学制から標準語の浸透、外国の対としての「日本」の意識。) GOAL「あなたのおクニはどこですか?」「日本です」 プリントは教科書の太文字の穴埋め。問いは二つ。(グーグルフォームで回答、共有) 問いでは、基本的に正解を求めない。正解が分からないような問いをたてる。なるべく生徒の意見を肯定的に評価し、最後に私はこういう意見だと表明。 ①「帝国」と「国民国家」どっちがいい?できれば理由も。 (「帝国」は民主主義ではないが、民族や宗教が違っても攻撃せず、共存しようとしていたことが多い。「国民国家」では、民主主義がしっかり機能しないと外国人や非国民、少数派への差別や攻撃がおきる。現代では多民族が共存する「帝国」は難しい。抑圧的な統治につながりやすい。) ②新政府か旧幕府の考えを想像して答えてみよう。 (新政府側は、なにがなんでも戦争して将軍から権力を奪い取りたかった。)
神奈川県の公立高校で勤務している小林です。 テーマが興味深かったです。教材研究の深さに感心しました。ただ、ほとんどの学校でそこまで詳しくできないだろうな、とも思いました。 学力低めの高校で、90分授業で教科書に沿って3テーマをぶち抜くと、こんな感じになりました。うちの生徒ができる課題、やる気が出るように、を意識してます。
導入「あなたのおクニはどこですか?」(生徒は「日本です」と答えるが)「相模です」 ①「市民革命と国民国家」⇒フランス革命などを通して国民意識がつくられていく (せいぜい地縁・血縁でのまとまりが、「独立を守れ」「革命を守れ」⇒『私たちの「国(想像の共同体)」を守れ』⇒『私たちは「国民」だ』となっていった。) ②「明治維新」⇒新政府が目指したのは、地方分権(藩)から中央集権(国)へ (明治維新でいきなり「日本」ができたわけではなく、内戦の爪痕は深く東北諸藩は冷遇された。) ③「富国強兵」欧米諸国に対抗するには?⇒国のために働き戦う「国民」をつくろう! (藩から国への帰属意識の変遷。徴兵制と学制から標準語の浸透、外国の対としての「日本」の意識。) GOAL「あなたのおクニはどこですか?」「日本です」
プリントは教科書の太文字の穴埋め。問いは二つ。(グーグルフォームで回答、共有) 問いでは、基本的に正解を求めない。正解が分からないような問いをたてる。なるべく生徒の意見を肯定的に評価し、最後に私はこういう意見だと表明。 ①「帝国」と「国民国家」どっちがいい?できれば理由も。 (「帝国」は民主主義ではないが、民族や宗教が違っても攻撃せず、共存しようとしていたことが多い。「国民国家」では、民主主義がしっかり機能しないと外国人や非国民、少数派への差別や攻撃がおきる。現代では多民族が共存する「帝国」は難しい。抑圧的な統治につながりやすい。) ②新政府か旧幕府の考えを想像して答えてみよう。 (新政府側は、なにがなんでも戦争して将軍から権力を奪い取りたかった。)
コメントありがとうございます。現任校の与野高等学校は、進学先のボリュームゾーンが大東亜帝国の中堅上位校ではありますが、その学校のレベルに合わせて教材化しました。前任校は定時制高校だったので、私がこの授業を定時制で行う場合は、狙いと期待するゴールは変えることなく、資料をもっと易しくしたり、足場かけとなる問いをもっと取り組みやすくしたりする工夫をするかなと思います。是非、小林先生の勤務校の実態に合わせて改変してくださると幸いです。なお、知識構成型ジグソー法は生徒の実態をつかまなければ教材化できない授業手法です(教師が用意した資料と問いをもとに生徒が主体的に知識を構成するのですから)。逆に言うと、「私の学校の生徒はどこに躓くだろうか」と生徒の学びの様子を想像しながら教材を作成し、また改変することのできる授業です。是非、詳しいか詳しくないかの判断のみならず、「どうすれば(どいういう問い、足場かけ、資料の選定であれば)生徒ができるようになるだろうか」という視点で本教材をご利用いただけますと幸いです。 小林先生の90分授業の構想を拝見し、とても面白く、かつ分かりやすい授業展開だと感じました。②の視点は、コメント欄にある三谷先生の指摘にもあるように、私の教材理解が不十分だったところでして、改めてその大切さを認識できました。正解を求めないオープンエンドの問いについて、生徒がどのように考え、どのような成果物を残すのかとても気になります。個人でしょうか、グループでしょうか。グループの場合、どのような対話が見られ、その時にはどんな資料(教科書含む)を読みながら立論するのでしょうか。私はかなりクローズドな授業(とはいえその知識の結び付け方は構成的、オープンですけれども)をしがちなので勉強させて頂けますと幸いです。
コメントありがとうございます。現任校の与野高等学校は、進学先のボリュームゾーンが大東亜帝国の中堅上位校ではありますが、その学校のレベルに合わせて教材化しました。前任校は定時制高校だったので、私がこの授業を定時制で行う場合は、狙いと期待するゴールは変えることなく、資料をもっと易しくしたり、足場かけとなる問いをもっと取り組みやすくしたりする工夫をするかなと思います。是非、小林先生の勤務校の実態に合わせて改変してくださると幸いです。なお、知識構成型ジグソー法は生徒の実態をつかまなければ教材化できない授業手法です(教師が用意した資料と問いをもとに生徒が主体的に知識を構成するのですから)。逆に言うと、「私の学校の生徒はどこに躓くだろうか」と生徒の学びの様子を想像しながら教材を作成し、また改変することのできる授業です。是非、詳しいか詳しくないかの判断のみならず、「どうすれば(どいういう問い、足場かけ、資料の選定であれば)生徒ができるようになるだろうか」という視点で本教材をご利用いただけますと幸いです。
小林先生の90分授業の構想を拝見し、とても面白く、かつ分かりやすい授業展開だと感じました。②の視点は、コメント欄にある三谷先生の指摘にもあるように、私の教材理解が不十分だったところでして、改めてその大切さを認識できました。正解を求めないオープンエンドの問いについて、生徒がどのように考え、どのような成果物を残すのかとても気になります。個人でしょうか、グループでしょうか。グループの場合、どのような対話が見られ、その時にはどんな資料(教科書含む)を読みながら立論するのでしょうか。私はかなりクローズドな授業(とはいえその知識の結び付け方は構成的、オープンですけれども)をしがちなので勉強させて頂けますと幸いです。
勤務校はなかなか特殊なシステムで、要は大学と同じ単位制です。卒業までに74単位を取得すればよく、留年がなく、取り直しができるため、ボロボロ単位を落とします。クラスが朝のSHRと週1のLHRだけなので、人間関係につまづいた生徒が希望して来ることも多いです。不登校生徒も多く、その先生が嫌いだからと出席しない生徒もいたりします。出席メンバーが毎時間異なり、グループワークは厳しく、それがひどく嫌いな生徒も多いです。ICT環境がすべての教室に備わっていて、動画も簡単に見せられます。ここ2年はコロナもあり、生徒がスマホやクロームブックでグーグルフォームに回答することができるようになったため、匿名個人(教師は分かる)の意見表明を良く行います。以前は生徒に書かせたものを一人ずつずらして回し、その意見のいいところを見つけて書くように、ということをしてました。先生の話は聞かなくても、生徒同士の意見は気になるようです。 目標は「自分で考える」「他者のいいところを見つける」「評価されて自己肯定感を持つ」ですね。知識を問う質問はこちらが簡単だと思っても、答えられない生徒が多いので、考えればなにかしら答えのある質問を心がけています。見つからないときは、三択などで、「分かりません」はなしです。 うまくいっているかというと、よく寝ます。スマホもいじります。テストや成績にも頓着しない生徒が多いです。でも、質問には起きて答えてくれたり、雑学をよくメモしてくれる生徒も多いです。ありがたいです。 私がオープンエンドを好きなのは、教師の力量が問われますが、「AかBか?」と問われて「Cかも」という生徒を求め、それに応えてくれる生徒がいるからです。自分(教師)自身も変われなければ、議論する意味はないと思います。例えば、先述の「帝国か国民国家か?」にどちらでもなく、「時代とともに世界の情勢を変えていくほうが切実ではないだろうか」という答えを返した生徒がいました。ステキでした。名前を言わずにベタ褒めです。 ICT活用で、教科書終わらせる、4人の先生での共通プリント(動画、スライド、回答フォーム含む、主な流れは私が作成)、共通テスト、の授業を今年の前半はやってみましたが、疲れました。やめとけば良かった。私も含め先生たちの良さが消されました。私が一番好きなのは、教壇はステージ、黒板とチョークと寸劇、生徒の「へ~」、です。浅く広く、でも分かる生徒には深くが理想。ゴールは違うこともある。ライブだから。生徒のやる気は教師がどれだけ生徒に手をかけたかが大きく、ノートやプリントに肯定的なコメントを書くことだと思っています。気力・体力がないときはできませんが。極論、社会科は生徒ができるようになる(テストを?課題を?なにを?)かどうかは、あまり問題ではないのでは、などと考えています。 大学の恩師、湯川武先生の言葉を借りれば、「豊かな好奇心と明るい猜疑心」「君たちのやったことは、たかがしれてる。しかし、世間から見れば専門家だ。専門家の自覚を持ってほしい。」ということが生徒に芽生えてくれれば最高です。 武井先生は定時制でも教鞭をとられたとのこと、きっと生徒のことをよく考えられていたのでしょう。好きなようにやられるのが、ご自身にも生徒にも、一番いいと思います。
神奈川県の公立高校の小林です。 視覚的に分かりやすく、答えやすく、いろいろなレベルの生徒にそのまま使えそうな教材で、素晴らしいと思いました。 なにより、現代ではどこまで克服できたか、という問いかけがいいと思いました。 歴史的な出来事を自分に引き付けて考えることが、興味関心の上でも、理解を深めるうえでも大切だと思うので、大変参考になりました。
小林先生 コメントをありがとうございます。 少し量が多いかもしれませんが、実際の授業 では生徒たちは一生懸命に取り組んでくれました。 現代的諸課題のレポートでも、産業革命の課題といまの社会の諸問題を比較する生徒は多かったです。 今後ともよろしくお願いいたします。
フランスにおける「国民」の形成に関心があります
学ばせていただきます。
大阪大学でお世話になった内藤です。現在、愛知大学で非常勤を務めておりますので先生の講義を参考にさせていただきます。今後ともご活躍ください。
内藤さん お久しぶりです。わたしも日大での講義は2年目でして、まだまだ手探りです。こちらこそご教示お願いいたします。
国会前の日独米の違いについては、何を参考にされましたか?私は、日独の国会前の様子の違いが現地で見てとても印象的だった経験があり、もし専門家の方がこれについて分析しているようでしたら、ご教示ください。
授業の参考にさせていただきました。 ただ、4PのB項目が一部見切れているように思います。
授業の参考にさせていただきました。
ただ、4PのB項目が一部見切れているように思います。
樋口さま、一部分見切れていますね。時間でき次第訂正させていただきます。 ご指摘いただき、有り難うございます。
ご質問ありがとうございます、同じく愛知県の野々山です。近いところに仲間がいるのだなと、嬉しく思います! パフォーマンス課題の実務上の課題については、確かに悩ましいところですよね。欠席に対する私の方針は、出席時に改めて課題を渡して期日を示しながら随時提出という形です。きっと公平性で疑問を持たれる方がいるのだろうと思うのですが、通常に実施した際も終わらなかったら持ち帰って良いという運用にしているので大きな支障はありません。パフォーマンス課題の内容自体が知識の再生産ではなく、単元を総括しながら資史料を用いて価値判断を行う思考プロセスを求めていますので、自宅で調べてもらっても構わないし、むしろその調べるという行動そのものにも主体的に学習に取り組む態度が表出される状況である、と校内で説明しています。ちなみに、全員ではないですが時間をかけた生徒の方が評価が上がる傾向にあります。理想としては全員が持ち帰って時間をかけて全員観点がA評価になる成果物が出てくれると嬉しいなと思っています。絶対評価ですし、教師としては全員の成長を目指したいものです。実態は部活動や他科目との兼ね合いもあるのでそううまくいきませんが・・・。 外国籍の生徒さんについては、学校特有の事情がありそうですね。地域的特性や、定時制ということでしょうか。こちら、ぜひ他の先生にも対応方法の事例を伺いたいところです。本校では個人単位を前提とすると、レポートを課す際には文章表現力に応じてやはり差が出てしまいますし、プレゼンテーションを交えるといわゆるコミュニケーション能力で差が出てしまいます。ただ、グループ単位でパフォーマンス課題に取り組ませることが多いので、そうした特性を相互に補い合いながら作成してくれているのではないかと期待しています。・・・これを、日本語の運用が難しい外国籍の生徒に転用できるのか疑問ですよね。。。この点、同様の課題を抱える学校の先生方からもご意見いただけると私も勉強になって嬉しいです。
参考にさせていただきます。
ありがとうございます。参考にさせていただきます。また、共産主義は、まさにファシズムだと思えました。
小林先生 明治維新についての教材、拝見しました。私はこの時代の専門家で、その考えは『維新史再考』(NHK出版)に集約しています。その観点から、いくつかコメントさせていただきます。力作と拝見しますが、やや違和感があるので、お目にかけます。無礼の段はご海容を Work1 ですが、“「帝国」と「国民国家」どっちがいい?”という設問には当惑しました。①「国民国家」はいまかなり共有された理解がありますが、「帝国」はそうでない。「帝国主義」は他地域を征服し、支配することという理解が共有されていますが、ここの「帝国」は今のロシアのように領土拡張を追求する国なのか、拡張が終った後、その領土を保守する存在なのか、いずれでしょうか。オスマンの場合、時間をへて後者に変っていったようですが、ロシアはいま突然、前者に戻ったように見えます。②生徒たちの住む国、日本は元来、「帝国」ではありませんでした。では、日清戦争後に「帝国」になる以前、どんな国だったのでしょうか。生徒たちからみると、そちらの方が気になるはずです。近世ヨーロッパと同じく「複合国家」、住民が地元の領域とより広い国と、二重のアイデンティティを持つ国だったはずです。③その日本が「帝国」化したあとの姿は、戦後生れの我々にはなかなか想像しにくいものなので、他の例と比較しながら説明する必要があるでしょう。④「多民族が共存する」のを「帝国」とすると、中国・インド・USAがすぐ思い浮びます。すると、その存立が難しいとか、抑圧的統治につながりやすいとは、かならずしも言えないのではないでしょうか。⑤この国家形態の差異を民主主義の有無やその機能と結びつけるのは、やはり難しいのではないでしょうか。 Work2ですが、ここの理解は私とかなり違います。王政復古は薩長が徳川と闘うために行ったことではありません。拙著に書いたように、王政復古の時点では新体制を戦争なしに実現しようと志したものの、やむなく鳥羽伏見を戦うこととなったのです。東北戦争も同様で、長州の木戸は王政復古後にすぐ版籍奉還をしておれば戦争なしに済んだはずだと書いています(藩の統治権をすべて無くすので、藩単位の戦争はありえなくなる)。維新での死者は約3.2万人でした。これは支配身分の武士を全廃した急進的革命としては信じがたいほどの少なさです。人口が日本の80%だったフランス革命の死者は約155万人でした。維新は戦争の限定性、少なさが特徴なので、もっと別の説明が必要と考えます。 Work3については、教科書自体に疑問を持ちます。明治初期は「文明開化」の方が大事でした。元来、「富国強兵」は中国から引継いだ普通名詞で、「立派な統治」を表現するために、幕末にもよく使われています。また、明治初期に追求されたのは「富国」で、「強兵」に重きが置かれるようになったのは、明治20年前後のことです(経済建設が優先。ただし、それがうまくゆき始めると軍拡に傾注し、それを中国相手に使った。今の中国が辿っている経路と似ています)。
三谷先生、コメントありがとうございます。まず隗より始めよの気持ちで史資料にあたらずに記憶で作った教材だったので恐縮ですが、力作と言っていただけたのは、大変ありがたいです。30年ちかく前の大学での専攻は東洋史のイスラーム史でした。日本史は講談社の『日本の歴史』(2000年ごろ)シリーズをつまみ食い程度で、あとは新聞の書評で仕入れた知識が多いです。 さて、Work1について、①「帝国」についての定義をしておらず、当惑されたとのこと。30年前にオスマン帝国を学ぶ前の私のイメージは『スターウォーズ』のごとく、「帝国=悪=専制=古い」、「国民国家=善=民主主義=近代」、というものだったので、おそらく国民国家がいいものだと考えているであろう生徒たちに、違う視点を持ってもらいたくてこの設問を作りました。ご指摘の通り、「帝国」にもいろいろあるので、生徒の回答に応じて、教師側のコメントも変わります。授業では「帝国」がいいとか、「国民国家」が悪いではなく、それぞれに特徴、長所短所があるという話に持っていきます。生徒がそれぞれのいいところをあげれば、「そうだよね。よく知ってるね。」。短所をあげれば「なるほど、確かに。少数派を顧みない体制は、帝国であれ国民国家であれ、ダメだよね。」などとコメントしました。 ②について、大日本帝国は想定していませんでしたが、アイデンティティについてクニから国へ移行しただけでなく、二重であったと言われれば、その通りですので、ご指摘ありがとうございました。30年前のアラブ世界の研究では「アイデンティティ複合」などと言っていたような気がします。高校・大学生の頃はそんなことがあるんだとはじめて知りました。 ③については「日本が「帝国」化したあとの姿」のことは全く想定していませんでした。 ④について、中国・インド・USAを想定したわけではなく、単に現代でかつての歴史上にあったような「帝国」ができたら、抑圧的統治につながりやすいだろうな、と考えた次第です。個人的な感覚ではソ連や現在の中国も強権的な帝国の一形態かと思っています。 ⑤について、”この国家形態の差異を民主主義の有無やその機能と結びつけるのは、やはり難しいのではないでしょうか。”とのこと。申し訳ありません。そこまで深く考えていませんした。「歴史が発展して国民国家が生まれてきた」というような「発展段階説」「進歩史観」のようなものに対して、疑いの目を持ってくれればという程度の設問でした。 Work2についてのご指摘は、本当にためになりました。ありがとうございました。王政復古については、よく分からないので助かりました。自分の記憶がどこから来たものかも思い出せません。明治維新については、「あまり血も流れず、短期間で新しい国ができた」と単純に考えていた高校生の頃を振り返って、「いやいや、明治維新は内戦だろう」という主張をどこかで読み、そのイメージでプリントの解説を書きました。たしかにフランス革命などと比べれば、内戦、そして武士という支配身分の全廃という急進的な改革が、これだけ少ない死者数で済んだことは、特筆すべきことでした。ただ、武士の身分については、『武士の家計簿』で江戸時代末期は身分を維持する費用が高く、それから解放されたので前向きに受け入れたのではないか、という主張(実証的ではないですが)に共感しました。また、新聞の書評にあった本で題名を忘れましたが、秀吉以来の「石高制」が武士をサラリーマン化させ、それがひいては明治維新の際の平和的な武士身分の廃止につながり、フランス革命前の領地と結びついた封建領主とは大きく異なるのではないか、という説も(これまた実証的ではありませんが)なるほどと思い、生徒に話しています。 Work3については、恥ずかしながら知りませんでした。ご教授ありがとうございました。このネタは来年度使わせていただきます。 ありがとうございました。
三谷先生、コメントありがとうございます。まず隗より始めよの気持ちで史資料にあたらずに記憶で作った教材だったので恐縮ですが、力作と言っていただけたのは、大変ありがたいです。30年ちかく前の大学での専攻は東洋史のイスラーム史でした。日本史は講談社の『日本の歴史』(2000年ごろ)シリーズをつまみ食い程度で、あとは新聞の書評で仕入れた知識が多いです。
さて、Work1について、①「帝国」についての定義をしておらず、当惑されたとのこと。30年前にオスマン帝国を学ぶ前の私のイメージは『スターウォーズ』のごとく、「帝国=悪=専制=古い」、「国民国家=善=民主主義=近代」、というものだったので、おそらく国民国家がいいものだと考えているであろう生徒たちに、違う視点を持ってもらいたくてこの設問を作りました。ご指摘の通り、「帝国」にもいろいろあるので、生徒の回答に応じて、教師側のコメントも変わります。授業では「帝国」がいいとか、「国民国家」が悪いではなく、それぞれに特徴、長所短所があるという話に持っていきます。生徒がそれぞれのいいところをあげれば、「そうだよね。よく知ってるね。」。短所をあげれば「なるほど、確かに。少数派を顧みない体制は、帝国であれ国民国家であれ、ダメだよね。」などとコメントしました。 ②について、大日本帝国は想定していませんでしたが、アイデンティティについてクニから国へ移行しただけでなく、二重であったと言われれば、その通りですので、ご指摘ありがとうございました。30年前のアラブ世界の研究では「アイデンティティ複合」などと言っていたような気がします。高校・大学生の頃はそんなことがあるんだとはじめて知りました。 ③については「日本が「帝国」化したあとの姿」のことは全く想定していませんでした。 ④について、中国・インド・USAを想定したわけではなく、単に現代でかつての歴史上にあったような「帝国」ができたら、抑圧的統治につながりやすいだろうな、と考えた次第です。個人的な感覚ではソ連や現在の中国も強権的な帝国の一形態かと思っています。 ⑤について、”この国家形態の差異を民主主義の有無やその機能と結びつけるのは、やはり難しいのではないでしょうか。”とのこと。申し訳ありません。そこまで深く考えていませんした。「歴史が発展して国民国家が生まれてきた」というような「発展段階説」「進歩史観」のようなものに対して、疑いの目を持ってくれればという程度の設問でした。 Work2についてのご指摘は、本当にためになりました。ありがとうございました。王政復古については、よく分からないので助かりました。自分の記憶がどこから来たものかも思い出せません。明治維新については、「あまり血も流れず、短期間で新しい国ができた」と単純に考えていた高校生の頃を振り返って、「いやいや、明治維新は内戦だろう」という主張をどこかで読み、そのイメージでプリントの解説を書きました。たしかにフランス革命などと比べれば、内戦、そして武士という支配身分の全廃という急進的な改革が、これだけ少ない死者数で済んだことは、特筆すべきことでした。ただ、武士の身分については、『武士の家計簿』で江戸時代末期は身分を維持する費用が高く、それから解放されたので前向きに受け入れたのではないか、という主張(実証的ではないですが)に共感しました。また、新聞の書評にあった本で題名を忘れましたが、秀吉以来の「石高制」が武士をサラリーマン化させ、それがひいては明治維新の際の平和的な武士身分の廃止につながり、フランス革命前の領地と結びついた封建領主とは大きく異なるのではないか、という説も(これまた実証的ではありませんが)なるほどと思い、生徒に話しています。 Work3については、恥ずかしながら知りませんでした。ご教授ありがとうございました。このネタは来年度使わせていただきます。 ありがとうございました。
投稿者:三谷 博 なぜ帝国主義諸国は世界を植民地支配したのだろうか。
コメントへ移動▶2022/06/21 at 4:39 pm
投稿者:三谷 博 清の開港と日本の開国によって、東アジアはどのように変容したのだろうか。
コメントへ移動▶2022/06/21 at 5:43 pm
投稿者:三谷 博 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。
コメントへ移動▶2022/07/05 at 6:11 pm
投稿者:吉嶺 茂樹 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。
コメントへ移動▶2022/07/11 at 7:27 pm
投稿者:徳原 拓哉 わたしたちは過去をどのように知り、理解しているか?
コメントへ移動▶2022/07/11 at 9:46 pm
投稿者:山根友樹 わたしたちは過去をどのように知り、理解しているか?
コメントへ移動▶2022/07/13 at 11:46 am
投稿者:小林克史 「日本の産業革命は短期間で達成された!近代化によって発展してスゴい!」って歴史の語りで良いの?
コメントへ移動▶2022/10/17 at 9:55 pm
投稿者:武井 寛太 「日本の産業革命は短期間で達成された!近代化によって発展してスゴい!」って歴史の語りで良いの?
コメントへ移動▶2022/10/21 at 10:35 am
投稿者:小林克史 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。
コメントへ移動▶2022/10/17 at 10:47 pm
投稿者:武井 寛太 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。
コメントへ移動▶2022/10/21 at 10:49 am
投稿者:小林克史 日本では、明治維新を通して、どのように国民統合が行われたか。
コメントへ移動▶2022/10/29 at 10:13 pm
投稿者:小林克史 産業革命によって、人は「幸せ」になったのか?
コメントへ移動▶2022/11/11 at 9:13 pm
投稿者:佐伯 佳祐 産業革命によって、人は「幸せ」になったのか?
コメントへ移動▶2022/11/11 at 10:32 pm
投稿者:堀井 弘一郎 「国民」とは、どんな人々を指しているだろうか。「国民」を自分なりに定義してみよう!
コメントへ移動▶2022/11/18 at 7:07 pm
投稿者:清川 洋 【大衆化と私たち】単元3:民主主義って良いもの?〜「デモクラシー」の形はみんな同じ?〜
コメントへ移動▶2022/12/09 at 8:29 am
投稿者:内藤 裕子 社会科・地理歴史科教育法レジュメ
コメントへ移動▶2023/01/07 at 4:38 pm
投稿者:西村 嘉高 社会科・地理歴史科教育法レジュメ
コメントへ移動▶2023/01/08 at 12:38 pm
投稿者:木村航 【大衆化と私たち】単元3:民主主義って良いもの?〜「デモクラシー」の形はみんな同じ?〜
コメントへ移動▶2023/01/08 at 8:33 pm
投稿者:樋口耕介 ル・ボン著『群集心理』を読む
コメントへ移動▶2023/02/01 at 11:32 am
投稿者:木村 芳幸 ル・ボン著『群集心理』を読む
コメントへ移動▶2023/02/01 at 10:15 pm
投稿者:野々山 新 工業化の進展は私たちの生活を豊かにしたんじゃなかったの?
コメントへ移動▶2023/02/20 at 4:08 pm
投稿者:清川 洋 原爆資料館のあり方を問う
コメントへ移動▶2023/02/21 at 8:20 am
投稿者:清川 洋 第二次世界大戦は、なぜ複合的な戦争と言われるのか?
コメントへ移動▶2023/02/21 at 8:25 am
投稿者:清川 洋 第二次世界大戦は、なぜ複合的な戦争と言われるのか?
コメントへ移動▶2023/02/21 at 8:28 am
投稿者:清川 洋 ファシズムと共産主義の同時期の台頭には、 どんな背景と影響があったのか?
コメントへ移動▶2023/02/21 at 10:30 am
投稿者:三谷 博 あなたのおクニはどこですか(市民革命と国民国家、明治維新、富国強兵)
コメントへ移動▶2023/03/07 at 8:57 am
投稿者:小林克史 あなたのおクニはどこですか(市民革命と国民国家、明治維新、富国強兵)
コメントへ移動▶2023/03/08 at 11:02 pm